使用人兼務役員の労働者性判断と残業代リスクの防ぎ方

コンプライアンス

「うちの取締役は役員だから、残業代は関係ない」——そう判断して長年対応してきた経営者が、退職した元役員から突然、未払い残業代の請求を受ける。中小企業では珍しくないケースです。登記簿に「取締役」と書いてあっても、実態が従業員と変わらなければ、労働基準法が適用される可能性があります。この記事では、使用人兼務役員の労働者性判断の基準と、残業代リスクを防ぐための実務対応をわかりやすく解説します。

「取締役だから残業代不要」は思い込みかもしれない

労働基準法上の「労働者」にあたるかどうかは、肩書きではなく実態で判断されます。登記上「取締役」であっても、実態が従業員と変わらない場合は、労働基準法が適用されるリスクがあります。

労働者性の判断は「実態優先」

厚生労働省の行政解釈(昭和60年・労働基準法研究会報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」)では、労働者性の判断を肩書きではなく「使用従属性」の実態によって行うとされています。裁判所でも同様の判断が積み重ねられており、「登記上の役員だから労基法は適用外」という主張は通らないケースが増えています。

使用人兼務役員とはどういう立場か

「使用人兼務役員」とは、取締役などの役員でありながら、同時に部長・課長といった使用人(従業員)としての立場を兼ねる人のことです。会社法では取締役が使用人を兼務することは禁止されていません(なお、監査役については会社法第335条第2項により使用人兼務が禁止されています)。税務上は、使用人部分の給与を損金算入できる扱いもあります(法人税法施行令第71条)。

ただし、労働法の観点では、使用人としての実態がある部分については労働基準法・最低賃金法・労働時間規制が適用されます。「役員報酬」と「使用人給与」の二本立てで整理されていることが前提であり、この区分が曖昧だと後々トラブルの原因になります。

労働者性の判断基準——チェックすべき5つの視点

労働者性の判断は、複数の要素を総合的に考慮して行われます。一つの要素だけで白黒がつくわけではなく、実態全体を見て判断されます。

使用従属性に関する判断要素

裁判所・労働基準監督署が重視するのは、その人が「会社の指揮命令下にあるかどうか」という点です。具体的には以下の要素が確認されます。

  • 仕事の依頼や業務指示を断る自由があるか
  • 代表者や上位者から具体的な業務指揮を受けているか
  • 勤務時間・勤務場所が会社によって指定されているか
  • 本人以外の人が代わりに業務を行うことが認められているか

これらの点で「断れない」「指示に従っている」「場所・時間が固定されている」「代替不可」という実態があると、使用従属性が認められやすくなります。

労働者性を補強するその他の要素

使用従属性に加えて、以下の事情があると労働者性がさらに強く認定される傾向があります。

  • 報酬が労務の対価として支払われている(時間給・月給の固定額で、成果報酬ではない)
  • 業務に使う機械・器具を会社が提供している
  • 他社と兼業せず、その会社の業務に専従している
  • 報酬が給与所得として源泉徴収されている

「名ばかり役員」と判断されやすい典型パターン

裁判例の積み重ねから、以下のような状況が重なると、労働者性が認められやすいことが分かっています。

  • 代表取締役から具体的な業務指示を日常的に受けている
  • タイムカードや出勤簿が存在し、他の従業員と同様に勤怠管理されている
  • 役員会議にほとんど出席しておらず、経営判断に実質的に関与していない
  • 報酬の大半が定額の「使用人給与」で構成されている

「昇格の代わりに取締役に登記した」「コスト削減のために役員扱いにした」といった背景がある場合は、特に注意が必要です。

残業代請求が発生したとき、どこまで遡れるか

労働者性が認められた場合、未払い残業代は消滅時効の範囲で遡って請求されます。2020年の法改正により、そのリスク期間は以前より長くなっています。

時効期間の延長——3年から最大5年へ

令和2年(2020年)4月1日施行の労働基準法改正により、未払い賃金(残業代を含む)の消滅時効は原則5年(当面の経過措置として3年)に延長されました(労働基準法第115条)。以前は2年でしたので、リスクの期間が大幅に伸びています。

たとえば、元役員が退職後に労働者性を主張して残業代を請求した場合、直近3年分(当面の措置)をまとめて請求される可能性があります。月に数十時間の残業が認定されれば、その金額は決して小さくありません。

証明責任の問題——記録がないと不利になる

労働時間に関する記録(タイムカード、勤怠システムのログ等)がない場合、会社側は労働者が主張する時間数に反論しにくくなります。労働基準法では使用者が労働時間を適切に把握する義務を負っており、記録がなければ労働者の申告が採用されやすい傾向があります。

「役員だから勤怠管理をしていなかった」という状況は、万一、労働者性が認定されたとき、会社にとって大きな不利となります。

今すぐできるリスク対策——実務的な対応の進め方

役員兼従業員の残業代リスクは、適切な整理と記録の仕組みを整えることで大幅に軽減できます。現状の問題を把握し、実態に合った対応を講じることが先決です。

役員報酬と使用人給与を明確に区分する

使用人兼務役員として処遇するならば、「役員報酬」と「使用人給与」を明確に二本立てで設計することが重要です。給与規程・取締役会議事録・雇用契約書(または労働条件通知書)などの書類で、それぞれの金額と根拠を明確にしておく必要があります。一本化された報酬体系のまま放置すると、訴訟になったとき「どの部分が賃金か」の立証が困難になります。

実態に合わせて身分を見直す

下表は、実態に応じた整理の目安です。現状と照らし合わせて確認してみてください。

実態 適切な整理 注意点
経営判断に関与しており、指揮命令を受けていない 役員(労基法適用外) 実態が変わった場合は都度見直しが必要
役員でありながら現場業務も担当し、指揮命令を受けている 使用人兼務役員(報酬を二本立てで設計) 使用人給与部分には労基法が適用される
名目だけ役員で、実態は一般従業員と変わらない 従業員に戻す、または実態に合わせた整理をする 過去分の未払い残業代リスクが残る可能性あり

退職時の合意書(清算条項)を整備する

役員・従業員が退職する際には、退職合意書に清算条項(「以後、相互に一切の請求をしない」旨の条項)を設けることが有効です。中小企業では退職時の書類整備が不十分なことが多く、退職後の請求に対して無防備な状態になりがちです。ただし、清算条項は当事者が内容を理解した上で合意している必要があるため、作成にあたっては専門家に相談することを推奨します。

中小企業が特に気をつけたい落とし穴

専任の人事担当者がいない中小企業では、法令上の整理が後回しになりがちです。気づかないうちにリスクが積み重なっているケースが少なくありません。

「登記=適用外」という誤解が最大のリスク

繰り返しになりますが、登記簿に「取締役」と記載されていることは、労働者性の判断において決定的な要素ではありません。タイムカードで管理されている、代表者の業務命令に従って働いている、経営会議にほとんど参加していない——これらの事実が重なると、裁判所・労働基準監督署は「実態は従業員だった」と判断します。

就業規則・雇用契約書が整備されていない場合

従業員数が10人未満の事業場では就業規則の作成義務がありませんが、就業規則がない場合でも労働基準法は適用されます。また、使用人兼務役員の「使用人部分」についての労働条件が書面で明示されていない場合、後から労働条件の内容について争いになるリスクがあります。雇用形態にかかわらず、労働条件通知書(または雇用契約書)で条件を明示する習慣をつけておくことが重要です。

専任人事がいない会社ほど早めの点検が必要

専任の人事担当者がいる会社では、定期的に法令改正への対応や制度の見直しが行われます。一方、兼務人事の中小企業では、そもそも「こういうリスクがある」という情報が入ってこないことが多いです。知らないまま放置するほど、遡及期間が長くなりリスクが積み上がります。「今は問題が起きていないから大丈夫」という状況は、問題が見えていないだけかもしれません。

まとめ

使用人兼務役員の残業代リスクは、「登記上の役員だから大丈夫」という思い込みから生まれます。労働者性の判断は実態優先であり、経営への関与が薄く、日常業務で指揮命令を受けている役員は、労働基準法が適用される可能性があります。対策の基本は、役員報酬と使用人給与の明確な区分、勤怠記録の整備、退職時の合意書の作成です。また、2020年の法改正で未払い賃金の時効が延長されており、過去の未払いリスクは以前より長期にわたります。「うちは大丈夫だろうか」と少しでも気になった方は、一度、現状の役員・従業員の実態整理から始めることをお勧めします。

ウェルセンス株式会社では、中小企業の人事労務課題に関するご相談を受け付けています。専任人事がいない環境でも対応できるよう、実務に即したアドバイスを提供していますので、お気軽にお問い合わせください。

よくある質問

Q. 登記上「取締役」であれば、残業代を払わなくて問題ないですか?

A. 登記の有無だけでは判断できません。裁判所・労働基準監督署は実態を重視します。代表者の指示で業務をこなし、タイムカードで管理され、経営判断に関与していない場合は、登記上の役員であっても労働者性が認められるケースがあります。実態を確認したうえで対応することが重要です。

Q. 使用人兼務役員として扱う場合、給与はどう設計すればよいですか?

A. 「役員報酬」と「使用人給与」を明確に分けて設計することが基本です。税務上も、使用人部分の給与を損金算入するには区分が明確であることが条件です(法人税法施行令第71条)。取締役会の議事録や雇用契約書・労働条件通知書で両者の金額と根拠を文書化しておくことを推奨します。

Q. 退職した元役員から残業代請求が来た場合、どこまで遡って支払う必要がありますか?

A. 2020年4月1日以降に発生した未払い賃金については、消滅時効が原則5年(当面の経過措置として3年)に延長されています(労働基準法第115条)。退職後であっても時効期間内であれば請求可能です。早急に専門家に相談し、証拠書類の確認や対応方針の検討を進めることが重要です。

Q. 勤怠記録がない役員について、労働時間の証明はどうなりますか?

A. 勤怠記録がない場合、会社側は労働者の主張する労働時間数に反論しにくくなります。使用者には労働時間を適切に把握する義務があり、記録がなければ労働者の申告が採用されやすい傾向があります。役員であっても、使用人部分がある場合は勤怠の記録・管理を整備しておくことが重要です。

Q. 監査役も使用人兼務役員にできますか?

A. 監査役については、会社法第335条第2項により、使用人との兼務が明確に禁止されています。取締役であれば会社法上の禁止規定はありませんが、監査役の場合はそもそも兼務自体が認められていない点にご注意ください。

【監修】ウェルセンス株式会社
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