「休職中に昇格の機会を逃した。その分を補填してほしい」——復職面談でそう切り出された経営者・人事担当者からの相談が増えています。回復途上の社員を傷つけたくない気持ちと、安易に認められない現実のはざまで、「前向きに検討します」と言ってしまった、という声も少なくありません。
この記事では、キャリアロス補填要求への法的な整理・昇格審査の実務的な扱い方・本人への伝え方を、専任人事がいない企業でも使えるかたちで解説します。正解を急がず、制度に基づいた説明をするための準備を整えることが、トラブル防止の第一歩です。
休職中のキャリアロス補填に法的義務はあるのか
結論から述べると、休職中のキャリアロスを会社が補填しなければならない法的義務は、原則として存在しません。ただし、就業規則の整備状況と対応の仕方によって、会社側のリスクは大きく変わります。
休職とは「労務提供義務の免除」である
休職とは、雇用契約を維持したまま労務の提供を免除する制度です。休職中の社員は職務に従事していないため、昇格・昇給の審査に必要な「就業実績」が生じません。この点を法的な根拠として説明できることが、対応の出発点になります。
就業規則に「休職期間は勤続年数に算入しない」「昇格審査の対象期間から除外する」といった定めがある場合、それに基づいた対応は労働契約法第7条・第10条の観点からも適法です。制度的・客観的な説明であれば、本人にも受け入れやすくなります。
「不利益取扱い」と「合理的な区別」の違い
一方で、「病気で休んだこと自体をペナルティとして昇格を遅らせる」という扱いは問題になりえます。労働施策総合推進法や労働契約法の観点から、メンタルヘルス不調を理由とした恣意的・懲罰的な不利益取扱いは許容されません。
ポイントは理由の立て方です。「メンタルヘルス不調で休んだから昇格を見送る」ではなく、「審査対象期間中の就業実績が不足しているため、翌期以降の審査に繰り越す」という説明であれば、合理的な区別として認められる可能性が高くなります。
精神障害・障害者雇用との関係
メンタルヘルス不調により精神障害者手帳を取得している社員が対象の場合、障害者雇用促進法上の「合理的配慮義務」が生じます。ただし、合理的配慮とは「職場環境の整備や業務上の調整」を指すものであり、昇格タイミングの補填や給与差額の支払いが義務付けられているわけではありません。
手帳の有無にかかわらず、キャリアロス補填そのものを法律が会社に強制する根拠は現状存在しません。この点は、本人への説明時にも重要な根拠になります。
昇格審査・昇給で休職期間をどう扱うか
昇格審査における休職期間の扱いは、「停止(翌期繰り越し)」と「剥奪(遅延ペナルティ)」を明確に区別することが実務上の鉄則です。この区別が、後のトラブル防止に直結します。
「停止」と「剥奪」の違いを整理する
| 扱い方 | 内容 | 会社側リスク |
|---|---|---|
| 審査の停止(翌期繰り越し) | 審査対象期間に就業実績がないため、次の審査サイクルに持ち越す | 就業規則に定めがあれば低リスク |
| 昇格の剥奪・遅延ペナルティ | 「休職したから○年間は昇格させない」などの制裁的扱い | 不利益取扱いと解釈されるリスクあり・就業規則の根拠が必須 |
「審査を翌期に繰り越す」という対応は、就業実績に基づく客観的な判断です。一方、「休職したこと自体」を理由に一定期間昇格を禁止するルールを設ける場合は、就業規則への明記と合理的な理由の両方が必要になります。
就業規則に定めがない場合のリスク
専任人事がいない中小企業では、就業規則に「休職期間中の昇格・昇給の扱い」が明記されていないケースが少なくありません。この場合、「実績がないから審査できない」と説明しても、本人から「どこにそう書いてあるのか」と問い返されると、会社側が根拠を示せなくなるリスクがあります。
今回の要求を受けたことを契機に、就業規則・人事評価規程の整備に着手することが、根本的なリスク対策になります。従業員10名以上の企業は就業規則の作成が法的義務(労働基準法第89条)ですが、記載項目が不十分なまま運用されているケースも多く見られます。
昇給(ベースアップ・定期昇給)の扱い
昇格とは別に、定期昇給や賃金テーブルに基づく昇給についても確認が必要です。就業規則・賃金規程に「休職期間は勤続年数に算入しない」旨の定めがある場合、定期昇給の対象外とすることも適法です。
一方、そのような定めなく一律に昇給を停止した場合、未払い賃金のリスクが生じる可能性があります。昇給と昇格は規程上の根拠を別々に確認し、混同しないよう注意してください。
要求を受けたときの初動対応
「キャリアロスを補填してほしい」と言われた瞬間に最も重要なのは、その場で結論を出さないことです。まず要求の内容を丁寧に整理・確認することが、対応を誤らないための第一歩になります。
「補填」の意味を最初に確認する
「キャリアロス補填」という言葉が指す内容は、人によって大きく異なります。次のいずれを指しているか、最初に確認してください。
- 昇格タイミングの前倒し・遡及適用
- 休職期間中の給与差額の支払い
- 評価ポイントや査定スコアの付与
- 復職後の特別処遇(早期昇格・手当など)
論点を整理せずに「検討します」と言うと、後から「会社が補填を検討すると言った」という主張につながるリスクがあります。「具体的に何を求めているか確認させてください」と一歩引いて聞くことが安全です。
その場で結論を出さず、記録を残す
面談の場で即答することは避け、「確認のうえ、改めて書面または記録として回答します」と伝えてください。口頭のみの対応では「そんな話はしていない」「約束した」という食い違いが生じやすくなります。
面談後は内容を議事メモにまとめ、可能であれば本人にもメール等で共有しておくことが望ましいです。後のトラブルを防ぐため、誰が何を確認したかという記録が必須になります。
実務のポイント
面談直後に内容を整理し、翌営業日までに本人へ回答の方針を伝えることで、期待値の調整と信頼感の維持につながります。曖昧な状態が最もリスクの高い状態です。
本人への伝え方——関係を壊さずに説明するコミュニケーション
法的に問題がない対応でも、伝え方を誤ると復職後のモチベーション低下やハラスメント申告につながりかねません。共感と制度上の説明を切り分けて伝えることが、関係を維持しながら回答するポイントです。
共感と制度説明を「分けて」伝える
回復して復職を目指している社員に対して、「あなたの気持ちはわかる」という共感を示すことは大切です。ただし、共感の言葉と制度上の回答が混在すると、「会社が認めてくれた」と誤解される原因になります。
たとえば次のように伝えると整理がしやすくなります。
「復職に向けて努力してくれていることは、きちんと伝わっています。一方で、今回ご要望いただいたキャリア補填については、就業規則上の根拠や公平性の観点から対応が難しいことをお伝えしなければなりません。休職期間中は審査対象の就業実績が生じないため、次の審査サイクルでの評価を基本とさせていただきます。」
共感を先に示し、その後に制度的な理由を説明するという順序が、最も伝わりやすい構成です。
「断る」ではなく「復職後の道筋を示す」
要求を断った後に何も示さないと、社員は将来への不安を抱えたまま復職することになります。「補填はできないが、復職後の評価については公正に行う」「復職後の実績を積んでいただいたうえで、次の審査サイクルで判断する」といった前向きな見通しを一緒に伝えることで、モチベーション低下を最小限に抑えることができます。
この時点で産業医や外部の専門家が面談に同席していると、会社が「医学的・制度的根拠に基づいて対応している」という印象をより強く与えられます。
記録と回答の文書化を徹底する
口頭での対応後は、必ず内容をメモや社内記録に残してください。本人へのフォローとして、面談の要約と会社の回答方針をメールで送ることも有効です。「会社は誠実に対応した」という事実を記録として残しておくことが、後のトラブル防止につながります。
🔗 その場での判断は危険です。専門家に事前相談し、制度的根拠を固めることが重要です。 →
今回の対応を契機に整備したい社内ルール
キャリアロス補填の要求を受けた企業が最終的に行うべきことは、個別対応の「正解を探す」ことではなく、「同じ問いが出たときに誰でも同じ答えを出せる仕組みをつくる」ことです。
就業規則・人事評価規程に明記すべき事項
次の項目を就業規則または人事評価規程に明記しておくことで、個別交渉ではなく制度に基づいた説明が可能になります。
- 休職期間の勤続年数・評価対象期間への算入可否
- 昇格審査の対象となる就業実績の定義と算定方法
- 定期昇給における休職期間の扱い
- 復職後の評価開始タイミングと方法
これらの定めは、整備後に全社員へ周知することが重要です。休職者だけに後から適用すると、「自分だけ不利に扱われた」という受け止め方につながります。新規採用時や定期的な就業規則改定時に、全員への説明機会を設けてください。
産業医・外部専門家の関与が有効なケース
産業医が選任されている企業(常時50名以上が法的義務、50名未満でも任意選任は可能)では、復職面談に産業医が同席することで、説得力が増します。産業医のいない企業では、スポット相談で社会保険労務士や外部の人事労務専門家に事前相談のうえ、対応方針を固めることが安全です。
一人で判断してその場で回答することが、最もリスクの高い対応パターンです。
まとめ
休職中のキャリアロス補填を求める法的義務は、原則として会社側にはありません。ただし、就業規則に根拠がない状態での対応・共感と制度回答の混在・口頭のみの面談対応は、後のトラブルリスクを高めます。
対応の要点は、まず要求内容を整理・確認し、制度的な根拠に基づいて文書で回答し、復職後の道筋を示すことです。そして今回の事案を契機に、就業規則・人事評価規程の整備に着手することが、長期的なリスク管理として最も有効な対策になります。
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よくある質問
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