「クラウドの給与ソフトに移行したけど、これで法的に大丈夫なのか自信がない」「保存期間が変わったと聞いたが、古いデータをいつ消していいのかわからない」——専任の人事担当者がいない中小企業の経営者や兼務人事の方から、こうした声をよく耳にします。賃金台帳の電子化は便利な反面、正しい要件を満たさないと思わぬ法的リスクを招きます。この記事では、保存要件・保存期間・罰則まで実務目線で整理します。
賃金台帳とは何か、作成義務の基本を押さえる
根拠となる法律と対象事業者
賃金台帳は、労働基準法第108条に基づき、すべての事業主に作成が義務づけられた法定帳簿です。従業員が1人でも2人でもいれば、会社の規模に関わらず対象になります。「うちは小さいから関係ない」という認識は誤りで、パート・アルバイトを含む全労働者分を整備しなければなりません。
必ず記載しなければならない項目
賃金台帳に記載が必要な項目は法令で定められています。具体的には、氏名・性別・賃金計算期間・労働日数・労働時間数・時間外労働時間数・深夜労働時間数・休日労働時間数・基本給の金額・各種手当の種類と金額・控除項目とその金額です。
中小企業で特に漏れやすいのが時間外・深夜・休日労働の時間数です。給与明細に残業代を記載していても、賃金台帳に「何時間分か」の時間数が抜けているケースが多く、労働基準監督署(以下、監督署)の調査でも頻繁に指摘される不備です。給与ソフトを導入している場合も、出力帳票にこれらの項目が含まれているかを必ず確認してください。
保存期間が変わった、「当面3年」の正しい理解
2020年改正で何が変わったのか
2020年4月の労働基準法改正により、賃金請求権の消滅時効が延長されたことに伴い、賃金台帳の保存期間も改正されました。改正前は賃金支払日を起算として3年間でしたが、改正後は5年間が原則となっています。
ただし、急激な実務負担を避けるための経過措置として、当面の間は3年間の保存で法令上の義務は満たされます。この「当面の間」という表現が混乱を招いているのですが、期限は法律上明確に定められておらず、厚生労働省は2025年以降に5年への完全移行を改めて検討する方針を示しています。
今すぐ5年保存に切り替えるべき理由
「今は3年でいい」という解釈は間違いではありませんが、実務的には今から5年保存の運用に切り替えておくことを強く推奨します。理由は二つあります。
一つ目は、完全移行のタイミングが事前告知なく変わる可能性があること。二つ目は、未払い賃金の請求訴訟が起きた際に、過去の賃金台帳が証拠として機能するためです。実際に「3年前までは保存していたが、それ以前は捨ててしまった」という状況で、従業員から時効前の未払い残業代を請求されたケースでは、使用者側が証拠を出せず不利な立場に立たされることがあります。保存コストよりも、記録がない場合のリスクのほうがはるかに大きいと認識してください。
電子保存が認められる要件、3つの柱を理解する
見読性——いつでも確認・印刷できる状態にする
電磁的記録として賃金台帳を保存するには、労働基準法施行規則第55条の2に基づき3つの要件を満たす必要があります。まず「見読性の確保」とは、必要なときに画面表示または印刷によって内容を確認できる状態を維持することです。
たとえば、給与ソフトのサービス提供が終了してデータが開けなくなった、閲覧に必要なソフトウェアが更新されて使えなくなった——こういった状態は見読性の喪失にあたります。クラウドサービスを利用している場合は、サービス継続の見通しや、データのエクスポート機能の有無を事前に確認しておきましょう。
真正性——改ざんされていないことを担保する
「真正性の確保」とは、記録が作成された後に改ざんされていないことを証明できる仕組みを整えることです。単にExcelファイルをフォルダに保存しているだけでは、誰でも編集できるため真正性の要件を満たしません。
具体的な対応策としては、アクセス権限の設定(編集できる人を限定する)、操作ログの記録(誰がいつデータを変更したか履歴が残る)、電子署名の活用などが挙げられます。クラウド型の給与ソフト(たとえばfreee人事労務やマネーフォワードクラウド給与など)は、これらの機能を備えている場合が多く、適切に運用すれば真正性の要件を満たしやすい環境といえます。
保存性——データを消失・劣化させない体制を整える
「保存性の確保」とは、保存期間中にデータが消えたり読めなくなったりしないための技術的・運用的な対策です。ローカルのパソコン1台にのみ保存していて、そのPCが故障したらデータが失われる——という状態は保存性を満たしているとはいえません。
最低限のリスク対策として、定期的なバックアップの取得(別のストレージやクラウドへの二重保存)を実施してください。クラウドサービスは冗長化された設備での保管が一般的なため、適切なサービスを選択することが保存性確保への近道です。
労働基準監督署の調査、電子データでどう対応するか
臨検とはどのような調査か
労働基準監督署による調査(臨検監督)には、定期的に行われる定期監督と、従業員からの申告を受けて行われる申告監督があります。調査では、賃金台帳・出勤簿・労働条件通知書・36協定届などの法定帳簿の提示が求められます。
専任人事がいない企業ほど、突然の調査通知に慌てて対応しきれないケースが多くあります。日頃からどこに何の書類があるかを整理し、電子データであれば印刷手順まで確認しておくことが重要です。
電子データで対応できるのか
電磁的記録として適法に保存されている賃金台帳であれば、画面上で表示する、または印刷して提出するかたちで対応が可能です。紙の原本がなくても問題ありません。ただし、前述の見読性・真正性・保存性の要件を満たしていることが前提です。
調査の際に準備すべき年数は、保存義務期間分(経過措置中は3年、推奨は5年)です。また、監督署の調査でよく指摘される不備として、時間外労働時間数の記載漏れ・手当内訳の不明瞭さ・操作ログやバックアップ体制の不備が挙げられます。これらは日常的な運用ルールの中で事前に防げる問題です。
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違反した場合の罰則とその本当のリスク
法律上の罰則規定
賃金台帳の作成義務違反(不作成・記載不備)および保存義務違反(廃棄・改ざん)は、労働基準法第120条第1号により30万円以下の罰金の対象となります。監督官への提示拒否や虚偽記載も同様に30万円以下の罰金です。
罰金よりも怖い「経営リスク」
「30万円以下」という金額だけ見ると軽く感じるかもしれませんが、実際のリスクはそれにとどまりません。監督署からの是正勧告・指導の記録は残り、その後の調査で繰り返し参照されます。さらに深刻なのは、未払い賃金請求訴訟や労務トラブルが発生した際に、賃金台帳が証拠として使えない状況に陥るリスクです。
たとえば、従業員が「残業代が払われていなかった」と訴えてきた場合、正確な時間外労働時間数が記載された賃金台帳があれば使用者側の立証材料になります。しかし記載が不備だったり、そもそも保存されていなかったりすれば、事実と異なる主張に対して反論する手段を失うことになります。30万円の罰金より、数百万円規模の未払い賃金請求のほうがはるかにダメージは大きいのです。
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まとめ
賃金台帳の電子化は、正しい要件(見読性・真正性・保存性)を満たせば法的に問題ありません。保存期間は現在の経過措置では3年ですが、今からリスクを避けるために5年保存へ切り替えておくことを推奨します。また、電子データでの保存であっても、監督署の調査には適切に対応できます。大切なのは「とりあえず電子化した」ではなく、要件を満たした運用ルールと体制を整えることです。
とはいえ、給与ソフトの選定・アクセス権限の設定・バックアップ体制の構築・既存帳票の見直しを、日々の業務と並行して行うのは容易ではありません。「何から手をつければいいかわからない」「今の運用が要件を満たしているか確認したい」という場合は、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。労務環境の整備から従業員の働く環境づくりまで、中小企業の実情に合わせてサポートします。
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