「時短で復職してもらうことは決まったが、60歳を過ぎた社員に年金への影響まで説明しなければならないのか」——復職面談の準備をしていて、ふとそんな疑問が浮かんだ経験はないでしょうか。在職老齢年金や高年齢雇用継続給付は制度が複雑で、人事の専門家でも即答しにくいテーマです。この記事では、会社が担うべき説明の範囲と、専門家に委ねるべき領域の線引きを実務目線で整理します。
会社に「説明義務」はあるのか
結論から言えば、在職老齢年金や高年齢雇用継続給付の詳細な計算を会社が行う法的義務はありません。ただし、時短復職という労働条件の変更が社員の収入全体に影響を与える可能性を「知りながら黙っていた」場合、信義則(民法第1条第2項)に基づくトラブルに発展するリスクがあります。
法的義務と信義則上のリスクの違い
労働契約法や厚生年金保険法は、会社に対して社員の年金額を計算・説明する義務を明示的に課していません。しかし、「給与が下がることで年金や給付に影響が出る可能性がある」という事実を会社が認識している場合、その情報を一切伝えずに条件合意を取ることは、後日「説明してくれていれば判断が変わった」というクレームの温床になります。法的に問われるかどうかより先に、労使関係の信頼が壊れるリスクを考えるべきです。
「伝えるべきこと」と「本人が確認すべきこと」の線引き
会社が担うべき説明の範囲は、おおむね次のように整理できます。「時短勤務により標準報酬月額が変わる可能性があること」「それが在職老齢年金や高年齢雇用継続給付の受給額に影響する場合があること」「詳細な計算は年金事務所またはハローワークで確認できること」——この3点を書面で伝えることが、会社として最低限取るべき対応です。具体的な年金額の試算や給付率の計算は、専門機関や社労士が担う領域です。
就業規則・労働協約の確認も忘れずに
自社の就業規則や労働協約に「休職・復職に関する説明事項」が定められている場合、その内容が会社の説明義務の基準になります。規定がない場合でも、復職に関する合意書や覚書を作成し、「給付制度への影響については本人が関係機関へ確認することを推奨した」旨を記録しておくことがトラブル防止につながります。
在職老齢年金の仕組みと時短復職との関係
在職老齢年金とは、厚生年金の被保険者として働きながら老齢厚生年金を受け取る場合に、賃金と年金の合計額が一定基準を超えると年金が減額・停止される制度です(厚生年金保険法第46条)。時短復職によって標準報酬月額が下がると、この支給停止が緩和される可能性があります。
支給停止の計算構造をざっくり理解する
支給停止の判定に使われるのは「基本月額(年金の月額)+総報酬月額相当額(標準報酬月額+直近1年の賞与÷12)」の合計です。この合計が支給停止調整額(2025年時点では月額50万円)を超えると、超過分の半額が年金から差し引かれます。たとえば、フルタイム復職で標準報酬月額が30万円の社員が、時短により20万円に下がった場合、総報酬月額相当額が10万円減り、停止されていた年金が一部復活するケースがあります。ただしこの計算には賞与も影響するため、正確な試算は年金事務所への相談が必要です。
標準報酬月額の改定タイミングに注意
時短勤務により報酬が下がっても、標準報酬月額はすぐには改定されません。随時改定(月額変動届)が適用されるのは、報酬が変動した月から3か月後です。つまり、復職直後の数か月は、実態の賃金より高い標準報酬月額で在職老齢年金が計算される期間が生じます。この「タイムラグ」を事前に社員へ伝えておかないと、「年金が思ったより戻ってこない」という誤解を生みやすいため注意が必要です。
高年齢雇用継続給付と「二重の調整」という落とし穴
高年齢雇用継続給付(雇用保険法第61条)は、60歳以降の賃金が60歳時点と比べて一定割合以上低下した場合に支給される給付です。時短復職で賃金が下がると、新たに支給対象になるケースもあります。ただし、在職老齢年金と同時に受給する場合は注意が必要です。
60〜64歳の社員に特有の「二重調整」問題
60〜64歳の社員が在職老齢年金と高年齢雇用継続基本給付金を同時に受給している場合、在職老齢年金の支給停止額がさらに増加します(年金額の最大6%相当が追加停止)。つまり、高年齢雇用継続給付をもらいながら年金ももらえると思っていたのに、年金が追加で削られるという「二重の調整」が起きます。この仕組みを知らずに復職面談を進めると、「給付をもらえると思っていたのに手取りが想定より少ない」という不満につながります。
判断に迷ったときは、社労士などの専門家に早めに相談することで、後日のトラブルを大幅に削減できます。
2025年以降の制度変更も視野に入れる
高年齢雇用継続給付は、2025年4月以降に給付率の上限が段階的に引き下げられる方向で法改正が進んでいます。現時点で60歳前後の社員が在籍している場合、復職後の給付額が今後変わりうることを念頭に置き、最新情報はハローワークまたは厚生労働省の公式案内で確認することを社員に案内してください。会社が「今はこの給付率です」と断言してしまうと、後で変わったときに「会社の説明と違う」というトラブルになるリスクがあります。
65歳以上の社員は論点が異なる
65歳以上の社員については、高年齢雇用継続給付の支給対象外となります(65歳到達時点で給付が終了)。また、在職老齢年金の支給停止ルールも異なります。時短復職を検討している社員の年齢が65歳以上の場合、適用される制度が大きく変わるため、社労士や年金事務所への確認を早めに行うことを推奨します。
年齢別・状況別に変わる対応のポイント
時短復職に伴う給付・年金の論点は、社員の年齢と雇用状況によって異なります。以下の表を参考に、自社の社員がどのケースに該当するか確認してください。
| 対象年齢 | 主な論点 | 確認先 |
|---|---|---|
| 60歳未満 | 在職老齢年金・高年齢雇用継続給付は対象外。時短による給与減額と社会保険料の随時改定が主な論点 | 社労士・年金事務所 |
| 60〜64歳 | 在職老齢年金と高年齢雇用継続給付の両方が関係し、二重調整が発生する可能性あり | 年金事務所・ハローワーク |
| 65歳以上 | 高年齢雇用継続給付は終了。在職老齢年金のルールが変わる。在職定時改定も適用 | 年金事務所 |
専任人事がいない会社が取るべき現実的な対応
「計算まで会社でやらなければならないのか」という不安をお持ちの方へ。答えはノーです。会社が担うのは「制度の存在と影響の可能性を伝え、専門機関への相談を促すこと」です。具体的な試算は社員本人が年金事務所やハローワークに出向いて確認するのが正規の手順であり、会社がその窓口を案内することが現実的な対応です。社労士との顧問契約がある場合は、復職面談前に確認事項を整理してもらうことで、担当者の負担を大幅に減らせます。
復職面談で使える説明の型
復職面談では、次の順序で話を進めると社員の理解を得やすくなります。まず、時短勤務の条件(勤務時間・給与額)を具体的に提示します。次に、「給与が変わることで、受け取っている年金や給付の金額が変わる場合があります」と伝え、「詳細は年金事務所またはハローワークに確認することをお勧めします」と案内します。そして、案内した事実を復職合意書や記録に残します。この流れを踏むだけで、後日の「聞いていなかった」というトラブルの大半は防げます。
記録と書面化がトラブル防止の要
口頭での説明だけでは、後になって「言った・言わない」の水掛け論になりかねません。会社が説明義務を果たしたことを証明するために、書面や記録の整備が不可欠です。
復職合意書に盛り込むべき一文
復職合意書には「時短勤務に伴う給与変更が、在職老齢年金・高年齢雇用継続給付等の受給額に影響する可能性があることを会社より案内し、詳細については本人が関係機関へ確認することを推奨した」という一文を加えることをお勧めします。この一文があるだけで、会社側の説明責任を果たしたエビデンスになります。
面談記録の残し方
復職面談の内容は、日時・参加者・説明事項・社員の反応を簡潔にメモとして残してください。WordファイルやGoogleドキュメントで構いません。後日の労使トラブルや、万一の行政調査に対応する際の根拠資料になります。就業規則に復職手続きの規定がない場合は、この機会に整備することも検討してください。
「自社の状況に合った書面作成や面談進行に自信がない」という場合は、人事業務の外部サポートを活用することも有効な選択肢です。
まとめ
時短復職に伴う在職老齢年金・高年齢雇用継続給付への影響を「会社が全部計算して説明する」義務はありません。ただし、影響の可能性があることを伝え、専門機関への相談を促す対応は、信義則上のリスクを避けるために必要です。社員の年齢(60歳未満・60〜64歳・65歳以上)によって論点が異なる点を把握し、復職面談では「条件提示→影響の可能性の案内→専門機関の紹介→書面化」という流れを徹底することが、実務対応の基本です。
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