「内定通知書を渡してから、給与の計算式が間違っていたことに気づいた——」。採用担当を兼務している方であれば、このような冷や汗をかく場面は決して他人事ではありません。専任の人事部門がない中小企業では、給与計算や内定書類の作成をひとりで抱えるケースが多く、ミスが起きやすい環境にあります。問題は「ミスをしたこと」ではなく、「その後どう動くか」です。内定後の給与訂正に対応を誤ると、辞退リスクだけでなく、法的トラブルにも発展しかねません。この記事では、内定後に給与を訂正しなければならない場面で、いつ・誰が・どうやって伝えるべきかを、実務に即してお伝えします。
内定後の給与訂正は「法的にどんな問題をはらむのか」
内定段階ですでに労働契約は成立しているとみなされる可能性があります。そのため、給与の訂正は「契約内容の一方的な変更」として捉えられるリスクがあることを、まず理解しておく必要があります。
内定は「労働契約の成立」とみなされる
最高裁判所が昭和54年に示した大日本印刷事件判決をはじめとする判例では、採用内定は「解約権留保付き労働契約の成立」と解釈されています。つまり、「まだ入社していないから変更しても自由だ」という考え方は法的に通用しません。内定通知書を渡した時点で、すでに労働契約の枠組みに入っているという前提で動く必要があります。
内定通知書に書いた給与は「労働条件の明示」になる
労働基準法第15条は、雇用主に対して労働契約締結時に賃金・労働時間などの条件を書面で明示することを義務づけています。内定通知書やオファーレターに誤った給与額を記載して渡してしまった場合、それが「明示された労働条件」として扱われる可能性があります。同条第2項には、明示された条件と実際の条件が異なる場合、労働者は即時に労働契約を解除できると定められています。候補者はこの権利を持っていることを、企業側は念頭に置かなければなりません。
内定後の給与訂正は「合意形成」として進めることが鍵
法律上は民法第95条の錯誤規定(意思表示の錯誤)を根拠に、「計算ミスによる誤記であり、会社の真意は正しい給与額での雇用だった」と主張する余地はあります。ただし、裁判に持ち込むことは時間・費用・関係性の面でいずれも得策ではありません。実務的には、候補者に丁寧に説明し、合意のもとで条件を訂正するというプロセスを踏むことが、法的リスクと辞退リスクの両方を最小化する最善策です。
状況別の対応:通知書を渡す前か、渡した後かで動き方が変わる
内定後の給与訂正において、まず確認すべきは「内定通知書を候補者に渡したかどうか」です。この一点で、取るべきアクションと準備すべき書類が大きく異なります。
内定通知書をまだ渡していない場合
この状況であれば、対応はシンプルです。書面を渡す前に正しい給与額を記載した通知書を作成し直し、候補者への口頭説明を先行させたうえで書面を交付します。「口頭でいったん正しい条件を伝え、書面で確認する」という流れを取ることで、候補者が正しい条件を理解したうえで内定を受諾したという記録を残せます。この段階ではまだ「書面による誤った明示」は発生していないため、誠実に説明すれば法的リスクは低い状況です。
内定通知書をすでに渡してしまった場合
こちらが多くの担当者が頭を抱えるケースです。対応の順序としては、まず電話で候補者にアポイントを取り、できれば対面で直接謝罪・説明を行います。電話だけで済ませようとすると、候補者に「軽く扱われた」という印象を与えかねません。説明後、訂正した内定通知書を改めて作成し、候補者に署名・受領確認を取ります。この「再締結・再署名」のプロセスが、後のトラブル防止のために重要です。
入社後に誤りが発覚した場合(最も深刻)
入社後に給与明細を見て候補者が気づいた場合、これは最もリスクが高い状況です。労働基準法第15条第2項に基づく即時解除権の行使、労働基準監督署への申告、最悪の場合は未払い賃金請求につながる可能性があります。この状況に至った場合は、社会保険労務士や弁護士への相談を最優先にしてください。自社だけで対処しようとすると、問題をさらに複雑にするリスクがあります。
| 状況 | リスク水準 | 推奨アクション |
|---|---|---|
| 内定通知書未交付 | 低 | 口頭説明を先行し、正しい内容で通知書を新規作成・交付 |
| 内定通知書交付済み・入社前 | 中 | 電話でアポ→対面で謝罪・説明→訂正版通知書に再署名 |
| 内定通知書交付済み・入社後発覚 | 高 | 社労士・弁護士に即時相談。自社判断で動かない |
辞退リスクを最小化する「伝え方」の実務
給与訂正をミスなく対応するために、最も重要なのは「正直に、誠実に、素早く」という三原則です。先延ばしにするほど候補者の不信感は増し、辞退リスクは高まります。
連絡は迷わず電話から始める
メールやチャットでの訂正連絡は避けてください。文字だけのコミュニケーションでは、謝罪の誠意が伝わりにくく、候補者が一方的に不信感を抱いたまま熟考する時間を与えてしまいます。まず電話をかけ、「大切なご連絡があり、直接お話ししたい」と対面の機会を作ることを優先します。対面が難しい場合はオンライン面談を設定してください。
伝える内容の骨格を事前に整理する
対面で伝える際には、以下の流れで話を構成すると、候補者が状況を整理しやすくなります。
- まず、ミスが発生したことへの謝罪
- 次に、何がどのように間違っていたかの説明(正しい計算根拠を資料で示す)
- そして、正しい給与額の提示
- 最後に、候補者の意向確認と今後のステップの共有
「正直に言いすぎて不信感を持たれないか」と心配される方もいますが、曖昧に伝えて後で食い違いが発覚するほうが、はるかに深刻なダメージを生みます。計算ミスの経緯は簡潔に説明し、長々と言い訳をしないことがポイントです。
代替措置の提案が辞退防止に有効
給与が下がる訂正の場合、謝罪だけでは候補者の気持ちは動きません。可能な範囲で、候補者にとってプラスになる提案を用意することが有効です。たとえば「試用期間終了時の昇給レビューを書面で約束する」「入社後の評価制度の詳細を改めて説明する機会を設ける」といった具体的な前向きの言葉が、候補者の意思決定を支えます。ただし、実現できない約束をしてしまうと、再び信頼を損なう原因になります。実行可能な範囲の提案に限ることが大前提です。
訂正後に準備すべき書類と記録管理
口頭でのコミュニケーションが終わったら、必ず書面で合意内容を残してください。記録のない合意は、後々「言った・言わない」のトラブルに発展するリスクがあります。
謝罪・訂正レターの役割
対面での説明に加えて、書面による謝罪・訂正の説明レターを用意します。このレターには、何が誤っていたか、正しい給与額はいくらか、なぜ誤りが生じたかを簡潔に記載します。候補者にとっては「会社が正式に認めた記録」となり、むしろ誠実さの証明として機能します。
訂正版の内定通知書と再署名のプロセス
正しい内容を記載した新しい内定通知書を作成し、候補者に署名・捺印してもらいます。もとの内定通知書は回収するか、「本書を訂正版として差し替える」旨を双方が確認したことを記録に残します。この再締結のプロセスを経ることで、法的な観点からも「正しい条件での合意」が成立したことを証明できます。
入社後のフォロー計画も忘れずに
訂正を受け入れてもらえた場合でも、候補者の心中に「多少の不安」が残っていることは避けられません。入社後の早い段階でフォロー面談を設ける、評価・昇給の仕組みを丁寧に説明するといった対応が、モチベーション低下や早期離職のリスクを軽減します。訂正対応は「書類を直せば終わり」ではなく、入社後の関係構築まで含めて一連のプロセスと捉えてください。
🔗 社員のメンタル不調に、精神科・心療内科医によるスポット産業医サービス →
やってはいけない「先送り」の落とし穴
内定後の給与訂正において、最もやってはいけない対応が「入社後に給与明細で気づいてもらえばいい」という先送りです。これは問題を解決するどころか、取り返しのつかない事態を招く可能性があります。
入社後の発覚は信頼破壊の直撃弾になる
入社初月の給与明細を見て「話と違う」と気づいた従業員は、多くの場合、強い裏切りを感じます。「採用時から騙されていた」という感情は、給与差額の問題を超えた不信感を生み、早期離職に直結しやすいです。中小企業では採用コストの回収にも時間がかかるため、このリスクは経営的にも深刻です。
法的リスクが一気に高まる
入社後に発覚した場合、候補者(すでに従業員)は労働基準法第15条第2項に基づく即時解除権を行使できます。さらに、労働基準監督署への申告、未払い賃金の請求に発展するケースもあります。内定段階で訂正するよりも、入社後に発覚してからの対処のほうが、法的・経済的コストははるかに大きくなります。
「早く伝えるほど傷は浅い」が鉄則
ミスに気づいた瞬間から、時間が経つほど状況は悪化します。「伝えにくい」「辞退されるかも」という心理的ハードルを越えて、速やかに動くことが最善策です。誠実に早期対応した企業と、隠蔽していた企業では、候補者が受ける印象はまったく異なります。「ミスをしたが、すぐに正直に教えてくれた会社」という印象は、入社の意欲を下げるどころか、誠実さの証明として好意的に受け取られるケースも少なくありません。
🔗 人事だけで抱えない。メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談 →
まとめ
内定後の給与訂正は、対応のタイミングと伝え方次第で、辞退リスクも法的リスクも大きく変わります。内定通知書を渡す前であれば、正しい内容で書き直して口頭説明を先行させる。渡した後であれば、電話でアポを取り、対面で誠実に謝罪・説明し、訂正版の通知書に再署名をもらう。入社後に発覚した場合は、専門家への相談を最優先にする——この分岐を押さえておくことが出発点です。「ミスを早く正直に伝えた会社」という印象は、必ずしもマイナスではありません。誠実さを行動で示すことが、長期的な信頼関係の基盤になります。
ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・兼務担当者からの「こういう場面、どう動けばいい?」というご相談を日常的にお受けしています。採用対応・労務トラブルの予防・休職復職支援まで、実務に寄り添ったサポートを提供していますので、お気軽にご連絡ください。
よくある質問
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。
不調者対応を、人事だけで抱えない。
メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談いただけます。


