内定者の健康診断費用、会社負担の義務はある?

採用・定着

「内定を出した方に健康診断を受けてもらいたいんですが、費用はどちらが負担すべきですか?」——採用担当者からこの質問を受けるたびに、答えに詰まってしまう経営者の方は少なくありません。法律で決まっていそうで、実は「内定者」という立場が法令の盲点になっており、判断が難しいのです。費用を自己負担させると内定辞退につながるかもしれない。かといって根拠もなく会社負担にしていいのか。本記事では、法的根拠・実務上の判断基準・社内ルールの整備まで、内定者の健康診断費用を会社負担とすべきかの判断基準を、実際に使える形で整理します。

内定者への健康診断は法律上どう位置づけられるか

結論から言うと、内定者(雇用契約がまだ成立していない状態の方)への健康診断は、労働安全衛生法上の「雇い入れ時健康診断」の直接対象外です。ただし、実務上は入社後の義務履行の代替として位置づけることが一般的に許容されています。

雇い入れ時健康診断の法的根拠

雇い入れ時健康診断の根拠は、労働安全衛生法第66条第1項および労働安全衛生規則第43条です。義務の主体は「事業者(使用者)」であり、対象は「常時使用する労働者を雇い入れるとき」と定められています。法文上の「雇い入れ時」とは、雇用契約が成立し、就労が始まった時点を指します。つまり、内定段階の方はまだ「労働者」として雇い入れられていないため、法律の直接適用範囲の外に置かれています。

入社前健診は実務上どう扱われるか

多くの企業では「入社後にあらためて健診を受けさせるのは手間がかかる」「入社直後の業務支障を避けたい」という理由から、入社前に受診させています。この場合、入社前の受診結果を入社後の雇い入れ時健診の代替として扱うことは、実務慣行・行政解釈の範囲で許容されています。ただし、この代替を明示的に認める条文は存在しません。あくまで実務上の運用として定着しているという認識が必要です。

内定者に健診を「強制」できるか

雇用関係がない段階では、会社には内定者に健診を命じる法的権限はありません。実務では内定通知書や採用条件提示の際に「入社の条件として健康診断の受診をお願いする」旨を明記し、内定者の同意を得て進める形が適切です。この手続きを踏まずに「受けなければ内定取消」と伝えることは、法的リスクを伴う場合があります。

内定者の健康診断費用は会社負担か、自己負担か

入社前健診を「雇い入れ時健診の代替」として実施するのであれば、費用は会社負担が望ましいというのが実務上の基本的な考え方です。自己負担のまま精算しない運用は、グレーゾーンになりえます。

雇い入れ時健診の費用負担の原則

労働安全衛生法上、健康診断の実施義務は事業者にあります。義務の主体が会社である以上、費用も会社が負担するのが法の趣旨に沿った解釈です。行政解釈上も「法定の健康診断の費用は事業者が負担する」という立場が取られています。入社前健診をその代替として位置づける場合も、同じ考え方を適用することが合理的です。

自己負担・後日精算・会社直接支払いの比較

実務的には次の3つのパターンが存在します。それぞれの特徴を整理します。

パターン 内容 法的リスク 内定者の負担感
会社が直接支払い(指定医療機関) 会社と医療機関が契約し、費用を直接支払う 低い ほぼなし
内定者が立替・入社前に精算 内定者がいったん支払い、入社前に会社が精算 低い 一時的な負担あり
内定者が立替・入社後に精算 内定者がいったん支払い、入社後に会社が精算 留意が必要 一時的な負担あり
内定者の自己負担(精算なし) 費用を内定者が全額負担し精算しない グレーゾーン 高い・辞退リスクあり

コストと内定辞退リスクをどう考えるか

雇い入れ時健診の費用相場は1人あたり5,000〜15,000円程度です(医療機関や検査項目によって異なります)。年間採用人数が少ない中小企業では、全額会社負担でも年間コストは限定的なケースがほとんどです。一方、「費用を自己負担してください」と伝えることで内定者の心証が悪化し、辞退につながるリスクも実際に起きています。コストとリスクを天秤にかけると、会社負担にして明文化するほうが長期的に合理的な選択です。

前職で健康診断を受けていた場合、受診を省略できるか

法令上、雇い入れ時健康診断を受けた後3か月以内であれば、同一項目について省略が可能です。ただし条件を誤解すると法令違反になるため、正確なルールを把握しておくことが重要です。

受診省略の法的根拠と条件

労働安全衛生規則第43条ただし書きに定められています。「医師による健康診断を受けた後3か月以内の者が、その結果を証明する書面を提出した場合は、当該項目を省略することができる」という内容です。ポイントは「3か月以内」という期間と「同一項目に限る」という範囲の2点です。「1年以内ならOK」「前職の健診結果があれば全項目省略」といった企業独自のルールは法令違反となるため注意が必要です。

転職者への実務的な対応

転職者が在職中に受けた健康診断の結果を提出してきた場合は、受診日と各検査項目を確認します。受診から3か月以内の項目については省略対応が可能ですが、3か月を超えている場合は再受診が必要です。また、前職の健診が法定11項目をすべてカバーしているとは限らないため、証明書の項目を労働安全衛生規則第43条の11項目と照合することが必要です。

健康診断の結果で内定取消はできるか

健康診断の結果だけを理由に内定取消や採用拒否を行うことは、原則として不当な差別にあたる可能性があり、法的リスクの高い行為です。これは採用担当者が最も誤解しやすいポイントのひとつです。

障害者差別解消法・雇用機会均等法との関係

障害者差別解消法は、障害を理由とした不当な差別的取り扱いを禁止しています。また、男女雇用機会均等法は、性別を理由とした採用差別を禁じています。健康診断の結果(例:特定の疾患・障害の有無)をもって内定を取り消す行為は、これらの法令に抵触する可能性があります。裁判例においても、健康状態を理由とした内定取消が無効とされたケースが存在します。

「業務遂行への具体的な支障」があるケースの考え方

例外的に考慮できるのは、健診結果が当該業務の遂行に直接・具体的な支障をもたらすことが客観的に明らかな場合に限られます。たとえば特定の有害業務に従事させる職種で、法令上の就業禁止要件に該当するケースなどです。しかしこの判断は慎重に行う必要があり、担当者だけで判断するのではなく、産業医や社労士・弁護士に相談することを強くお勧めします。一般的な事務職や営業職において「持病がある」「検査値が基準外」という理由だけで内定取消を行うことは認められません。

健診結果の取り扱いと個人情報管理

健康診断の結果は要配慮個人情報(個人情報保護法)に該当します。取得した情報を採用判断以外の目的で使用したり、不要に共有したりすることは個人情報保護法違反になりえます。健診結果を誰がどこで管理し、誰が閲覧できるか、という情報管理のルールも合わせて整備しておく必要があります。

社内ルールとして明文化するべき理由

「なんとなく会社が払ってきた」という口頭運用のままにしておくことは、内定者ごとの対応のばらつきや、後からのトラブルにつながります。費用負担のルールは就業規則や採用規程に明文化することが望ましい対応です。

明文化しておくべき事項

採用規程や就業規則の関連箇所に、少なくとも以下の点を定めておくことを推奨します。

  • 入社前健康診断を実施する旨とその時期
  • 費用負担の主体(会社負担か、立替後精算か、精算のタイミング)
  • 指定医療機関の有無と受診の手続き方法
  • 直近3か月以内の健診結果がある場合の省略手続き
  • 健診結果の管理者・管理方法・開示範囲
  • 内定者が健診を受けない場合の対応

企業規模と実務対応のポイント

20〜50名規模の成長企業であれば、健診実施医療機関との法人契約を結ぶことで費用を抑えながら管理を一本化する方法が実用的です。産業医の選任義務があるのは常時50名以上の従業員を使用する事業場ですが、50名未満の企業では産業医の選任は義務ではありません。ただし地域産業保健センターの活用や、嘱託産業医との契約によって専門的なサポートを得ることができます。

社内規定を整備するタイミング

「今年の採用から正式にルールを作る」という形で、採用活動の開始前に規定を整備するのが理想です。すでに個別対応が積み重なっている場合は、まず現状のやり方を文書化したうえで、法令要件と照らし合わせて修正を加えるというプロセスを踏むことをお勧めします。口頭運用の状態のまま採用人数が増えると、対応のばらつきが目立ち始め、後から是正するコストが大きくなります。

まとめ

内定者への健康診断は労働安全衛生法の直接の義務対象外ですが、入社後の雇い入れ時健診の代替として実施することが実務上の標準です。費用は会社負担が法の趣旨に沿っており、自己負担のまま精算しない運用はグレーゾーンになります。前職の健診結果による省略は「受診後3か月以内・同一項目のみ」が法令上の条件です。健診結果を理由にした内定取消は差別的取り扱いとなるリスクがあり、慎重な判断が求められます。これらのルールを就業規則や採用規程に明文化し、担当者が変わっても一貫した対応ができる状態にしておくことが、中小企業の人事リスク管理の基本です。

内定者の健康診断費用負担をめぐる判断に迷った場合は、人事専任者がいない企業でも対応しやすい形でサポートしています。ウェルセンス株式会社へお気軽にご相談ください。

よくある質問

Q. 内定者に健康診断費用を自己負担させることは違法ですか?

A. 直ちに違法とは言い切れませんが、入社前健診を雇い入れ時健診の代替として位置づける場合、費用を会社が負担しないことは法の趣旨に反するグレーゾーンです。内定者に自己負担を求めるのであれば、少なくとも入社前に精算する仕組みを設けることが望ましいです。

Q. 転職者が「半年前に職場の健康診断を受けた」と言っています。受診を省略できますか?

A. 省略できません。法令上、省略が認められるのは受診後3か月以内の場合に限られます(労働安全衛生規則第43条ただし書き)。半年前の受診結果は省略の根拠にはならないため、改めて受診してもらう必要があります。

Q. 健康診断の結果、持病があることがわかりました。内定を取り消してもいいですか?

A. 原則としてできません。健康診断の結果だけを理由にした内定取消は、障害者差別解消法や判例上の観点から不当な差別と判断されるリスクがあります。当該業務に具体的・客観的な支障が生じることが明らかな場合に限って検討できますが、その判断は産業医や専門家への相談が不可欠です。

Q. 内定者に健診を受けさせるとき、受診する医療機関は会社が指定しなければなりませんか?

A. 法令上、医療機関を会社が指定する義務はありません。ただし、費用管理や検査項目の統一のために指定医療機関を設けている企業が多いです。内定者が自分でかかりつけ医に受診することも認められますが、法定11項目がすべてカバーされているか確認が必要です。

Q. 就業規則に健康診断に関する記載がありません。今から追加する必要がありますか?

A. 明文化しておくことを強くお勧めします。費用負担・省略の条件・結果の管理方法などが口頭運用のままだと、担当者が変わるたびに対応がばらつき、内定者からのクレームや法的リスクにつながります。就業規則への記載や採用規程の整備は、早めに取り組むべき課題です。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

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