「あの人、もう10年以上いるのに、最近は仕事の成果が見えなくて…。給与を下げたいけど、違法になったら困るし、辞めてもらおうにも業務が属人化していて怖い。でも若手が不満そうにしているのも気になる」——そんな板挟みの状況に置かれている経営者・人事担当者は少なくありません。勤続年数が長い社員ほど、処遇変更に踏み切るまでのハードルが高く感じられるものです。この記事では、降給・役割変更・退場の3つの選択肢を法的根拠とともに整理し、自社のケースにどの手順が合うかを判断するための実務フローをわかりやすく解説します。
「成果が出ていない」をどう定義するかが出発点
処遇変更を検討する前に、まず「成果が出ていない」という状態を客観的に定義できているかを確認してください。この定義が曖昧なまま動くと、本人との話し合いが水掛け論になり、後の法的リスクも高まります。
評価制度がない場合の代替手段
目標管理制度(MBO)や人事評価制度が整備されていない中小企業では、「成果が出ていない」という印象が担当者の主観にとどまりがちです。この場合でも、業務日報・プロジェクト進捗記録・売上数字・クレーム件数・納期遵守率など、日常業務の中で残っているデータを整理することで、客観的な根拠を作ることができます。重要なのは「今から記録を始める」こと。過去にさかのぼって証拠を作ることはできません。
「成果不足」と「能力不足」は区別して考える
成果が出ていない理由が「やる気・姿勢の問題」なのか、「スキルや知識が時代に追いついていない問題」なのか、あるいは「担当業務そのものが会社の方向性と合わなくなってきた問題」なのかによって、その後の対応策が変わります。たとえばスキルの陳腐化であれば、研修や役割変更で改善できる余地があります。一方、何度指導しても改善意欲が見られない場合は、退場の選択肢を視野に入れた手順が必要になります。
「長年の貢献」を正当に評価したうえで判断する
創業期から会社を支えてきた社員に対して、経営者が感情的な遠慮を感じるのは自然なことです。ただし、その遠慮が判断を先送りにし、結果として若手社員のモチベーション低下や離職を招くとすれば、経営全体にとってマイナスです。「情」と「経営判断」を切り離すために、まず事実の整理から始めることが感情論を超えるための第一歩です。
降給は「合意と根拠」なしには動けない
結論から言えば、就業規則に根拠がなく、本人の明確な同意もない状態での降給(基本給の引き下げ)は、法律上無効になるリスクが高いです。感情的に「給与を下げたい」と思っても、手順を踏まなければ後で大きなトラブルになります。
降給に必要な2つの要件
降給を適法に行うためには、以下の2点が必要です。
- 就業規則・賃金規程に降給の根拠規定があること:「業績不良・能力不足の場合に降給できる」旨の規定が必要です。規定がない場合は先に整備が必要ですが、これは労働者に不利益な変更(労働契約法第10条)にあたるため、合理的な理由と適切な手続きが求められます。
- 本人の自由意思に基づく明確な同意:同意書に署名させれば安全、というのは過信です。後から「強要された」と主張された場合、裁判所はその同意が真に自由意思によるものかを厳しく審査します(参考:山梨県民信用組合事件・最高裁2016年判決)。
「同意書があれば大丈夫」という誤解
中小企業で最も多い落とし穴が、「本人に署名させたから問題ない」という思い込みです。面談で「わかりました」と言わせても、書面化されていなければ後から「そんな話はしていない」と争われます。また書面があっても、面談の状況が「上司から圧力をかけられた」と判断されれば、同意の有効性が否定されることがあります。面談の場所・時間・参加者・発言内容を記録した議事録を残すことが不可欠です。
就業規則が整備されていない場合の対処
常時10人以上の労働者を使用する事業場では就業規則の作成・届出が義務(労働基準法第89条)です。10人未満であっても、就業規則がなければ降給・降格の根拠がなく、処遇変更の手順が踏めません。まず就業規則の整備から着手することを優先してください。この段階で専門家(社会保険労務士等)のサポートを受けることをおすすめします。
役割変更・降格で「給与はそのまま」という選択肢もある
降給に踏み切る前に、役職や担当業務を変える「役割変更」を試みることが、法的リスクを抑えながら組織を動かす現実的な手段になります。特に感情的な対立を避けたい場合や、改善の余地がある場合に有効です。
役職の降格と配置転換の違い
「管理職から一般職へ」という役職の降格は、就業規則に根拠があれば比較的認めやすい人事権の行使です。一方、担当業務・部署を変える配置転換は、会社の人事権の範囲内ですが、裁判所は「業務上の必要性」「本人への不利益の程度」「手続きの相当性」の3点で判断します(参考:東亜ペイント事件・最高裁1986年判決)。一方的な命令ではなく、必ず事前に本人との対話を設けてください。
役割変更に伴う給与変更の取り扱い
役割変更によって役職手当がなくなる場合、実質的な収入減になります。この場合も、降給と同様に本人への丁寧な説明と合意形成が必要です。「役割が変わるから手当がなくなる」という変更は理解を得やすい一方、基本給まで下げる場合は降給と同じ要件が求められます。
役割変更が「本人のやりがい回復」につながるケース
たとえば、営業成績が振るわない古参社員を後進の育成・社内ナレッジの整理・取引先との関係維持などの役割に転換することで、その人の強みが活かされ、組織全体のパフォーマンスが上がるケースもあります。「処遇を下げる」だけでなく「活かし方を変える」という視点で検討することが、双方にとって納得感のある着地につながります。
解雇・退職勧奨は「プロセスの積み上げ」がすべて
能力不足・成果不足を理由とした解雇(普通解雇)は、客観的に合理的な理由があり、かつ社会通念上相当でなければ無効とされます(労働契約法第16条)。1〜2回の注意で解雇することはまず認められません。
解雇が認められるために必要なプロセス
裁判所が能力不足解雇を有効と判断するための実務的なプロセスを整理すると、以下のようになります。
| 段階 | 内容 | 記録すべき書類 |
|---|---|---|
| 課題の明確化 | 何が問題か・どのレベルを期待しているかを本人に伝える | 面談記録・指導書 |
| 改善機会の付与 | 改善目標・期間を設定し、サポートを提供する | 改善計画書・目標設定書 |
| 経過観察・再評価 | 定期的に進捗を確認し、改善状況を評価する | 評価記録・面談議事録 |
| 再配置・役割変更の検討 | 別の業務での適性を試みる | 配置変更の経緯記録 |
| 解雇または退職勧奨 | 上記を経て改善が見られない場合に検討 | 解雇通知書・退職合意書 |
このプロセスを文書化して踏んでいることが、後の労働審判・訴訟において会社を守る最大の防衛手段になります。
退職勧奨は適法だが「執拗さ」は違法になる
「辞めてください」と伝える退職勧奨は、それ自体は違法ではありません。ただし、本人が明確に拒否した後も繰り返し勧奨する・退職しなければ不利益を与えると示唆する・長時間の面談を強いるといった行為は、違法な強要と判断されるリスクがあります。勧奨は1〜2回にとどめ、本人が断った場合はいったん引くことが原則です。
退職勧奨前に確認すべきこと
退職勧奨を検討する前に、「その社員がメンタルヘルス上の問題を抱えている可能性はないか」を確認してください。うつ病などの精神疾患が背景にある場合、成果不足は本人の意欲や能力の問題ではなく、病気のサインであることがあります。その状態での退職勧奨は、会社の安全配慮義務(労働契約法第5条)違反を問われるリスクがあります。必要に応じて産業医や専門家への相談を先に行うことが重要です。メンタルヘルス上の課題が疑われる場合は、医学的な視点での判断が安全です。
自社のケースはどれに当てはまるか——判断の分岐点
降給・役割変更・退場のどれを選ぶかは、現状の就業規則の整備状況・本人の状態・これまでの指導記録の有無によって変わります。自社の状況に照らして判断してください。
就業規則が整備されていない場合
まず就業規則の整備が最優先です。降給・降格・解雇のいずれの手順も、就業規則の根拠なしには動けません。この段階で社会保険労務士に相談し、降給・降格・退職勧奨に関する規定を盛り込んだ就業規則を整備してください。
評価記録・指導記録がない場合
記録がない場合は、今日から記録を始めることが唯一の手段です。過去にさかのぼって証拠を作ることはできません。まず定期的な1on1面談を設定し、課題・目標・改善点を書面で残す習慣を作ることから始めてください。短期間で解雇に動こうとするのは法的リスクが高く、最低でも3〜6ヶ月の指導記録の積み上げが必要です。
本人がメンタル不調の兆候を示している場合
遅刻・欠勤の増加・コミュニケーションの変化・ミスの増加などが見られる場合は、成果不足の前に健康上の問題を確認する必要があります。従業員50人以上の事業場では産業医の選任が義務ですが、50人未満の場合は地域産業保健センターや外部の産業保健サービスを活用することができます。処遇変更を急ぐ前に、本人の状態を把握するステップを先に踏んでください。
まとめ
勤続年数が長いのに成果が出ない社員への対応は、「降給・役割変更・退場」のどれかを選ぶ前に、就業規則の整備・客観的な評価記録の有無・本人の健康状態の確認という土台を整えることが不可欠です。手順を踏まずに動くと、後から労働審判や訴訟に発展するリスクがあります。一方で、正しい順序で対話と記録を積み上げれば、法的リスクを抑えながら組織として適切な判断を下すことができます。
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