「評価が低いから給与を下げたい。でも、就業規則に降給の規定がそもそもない……」。中小企業の経営者や人事担当者から、こうした相談が後を絶ちません。降給は従業員にとって重大な不利益であるため、手続きを誤ると後日、労働審判や未払い賃金請求に発展するリスクがあります。この記事では、就業規則の整備から合意書の取得まで、降給を合法的に進めるための実務ステップを解説します。
降給は「労働条件の不利益変更」である
給与の引き下げは、労働契約法上の「労働条件の不利益変更」に該当します。この前提を理解しないまま手続きを進めると、後から無効と判断されるリスクがあります。
労働契約法が求める2つの要件
就業規則の変更によって労働条件を引き下げる場合、労働契約法第10条は「変更内容の合理性」と「従業員への周知」の2点を求めています。この2つが揃わなければ、就業規則を変更しても個々の労働者には効力が及ばない場合があります。一方、個別の労働者から同意を得て変更する場合は、同法第8条・第9条の枠組みで処理されます。合意書の取得が重要になるのは、このためです。
「制裁減給」と「評価降給」は法的に別物
労働基準法第91条は「制裁としての減給」、つまり懲戒処分として賃金を減じる場合のルールを定めており、1回の額が平均賃金の1日分の半額以内、かつ一賃金支払期における総額が賃金総額の10分の1以内という上限が設けられています。しかし、この規定は懲戒処分に限定されるものです。人事評価の結果として基本給を見直す「評価降給」には第91条の上限規制は適用されません。両者を混同すると制度設計が歪みますので、書類上でも明確に区分することが必要です。
就業規則に降給の根拠条文を整備する
降給を合法的に実施するうえで最初に取り組むべきは、就業規則への根拠条文の明記です。根拠条文がなければ、たとえ評価を実施していても、降給の正当性は法的に担保されません。
中小企業で見落とされやすい「接続条文」の欠如
多くの中小企業では、ひな形の就業規則をそのまま使っているため、昇給規定はあっても降給の根拠が書かれていないケースが大半です。また、人事評価制度と賃金制度が別々に存在していても、「Cランク評価=基本給〇円引き下げ」のように両者を接続するルールが明記されていなければ、制度上の根拠は崩れます。評価したから下げられる、という思い込みは危険です。
就業規則に盛り込むべき3つの内容
降給を制度として運用するために就業規則・賃金規程に明記すべき内容は、以下の3点です。
- 人事評価制度の存在と評価基準の概要(年2回実施、A〜Dの4段階評価など)
- 評価結果が基本給・資格給などの賃金に連動する旨、およびその具体的なルール
- 降給が生じうること、ならびにその範囲・上限(例:1回の降給幅は基本給の10%以内など)
これらが揃って初めて、「評価の結果として給与を下げた」という説明に法的な裏付けが生まれます。
就業規則変更の手続き
降給に関する条文を新たに追加・変更する場合は、以下の手続きが必要です。省略すると就業規則自体の効力が問われることがあります。
| 手続き | 根拠法令 | ポイント |
|---|---|---|
| 過半数代表者への意見聴取 | 労働基準法第90条 | 同意は不要。意見を聴くことで足りる |
| 労働基準監督署への届出 | 労働基準法第89条 | 意見書を添付して届出 |
| 従業員への周知 | 労働基準法第106条 | 閲覧可能な場所への掲示・配布・データ共有など |
なお、常時10人未満の事業場では就業規則の作成義務はありませんが、降給を適法に実施するためには、事業場の規模にかかわらず賃金規程等に降給の根拠を定めておくことが強く推奨されます。
評価プロセスを記録として残す
降給の根拠となる評価結果は、書面やデータとして必ず保存しておく必要があります。記録がなければ、降給の合理性を後から証明することができません。
評価シートと面談記録の保管
評価シートには、評価項目・配点・得点・総合評価ランクが明記されていることが必要です。口頭だけの評価フィードバックは記録として機能しません。また、評価結果を本人に伝えた際の面談記録(日時・場所・対応者・伝達内容)も残しておきましょう。「評価Dランクであること」「それが賃金に影響する旨」を本人に説明したという事実が、後日のトラブル防止に直結します。
評価制度の構築から運用、従業員への説明まで、一連のプロセスに不安がある場合は、人事の専門家に相談することで、トラブル防止につながります。
フィードバックは降給通知より前に行う
降給を通知するよりも前に、評価結果のフィードバック面談を実施することが重要です。突然「来月から給与が下がります」と告げることは、本人の納得感を著しく損ない、トラブルの引き金になります。評価面談→改善機会の付与→再評価→降給という一連の流れを踏むことで、プロセスの透明性が生まれ、企業側の合理性も高まります。
本人への降給通知書を作成・交付する
評価結果をもとに降給を決定したら、必ず書面(降給通知書)を作成し、本人に交付します。口頭のみで通知することは避けてください。
降給通知書に記載すべき項目
降給通知書は、後に合意書と対になる書類です。以下の内容を漏れなく記載します。
- 通知日
- 宛名(従業員氏名)
- 降給の適用開始日
- 変更前の賃金額(基本給・各手当の内訳)
- 変更後の賃金額(基本給・各手当の内訳)
- 降給の根拠(評価期間・評価ランク・就業規則の該当条項)
- 会社代表者の署名または記名押印
通知書は2部作成し、会社控えを保管します。本人への交付は手渡しが基本ですが、郵便・メール等を用いる場合は受領確認が取れる方法を選んでください。
通知後の面談で疑問・不満を受け止める
通知書を交付した後、本人から質問や不服の申し出があった場合には、誠実に対応する機会を設けてください。「通知したから終わり」という姿勢は、後日の労使トラブルに直結します。面談を実施した場合は、その日時・内容・結果を記録として残しておきましょう。
合意書を取得して降給を確定させる
就業規則に根拠条文があっても、個別の従業員から書面による合意を取得することが実務上の最終的な安全策です。合意書があれば、後から「同意していない」と争われるリスクを大幅に下げられます。
合意書に盛り込む内容と文例
合意書は、以下の内容を明記したうえで、本人の署名・押印・日付を取得します。
- 合意書の作成日
- 対象従業員の氏名・所属・役職
- 降給の適用開始日
- 変更前・変更後の賃金額(基本給および各手当の内訳)
- 降給の理由・根拠(評価期間、評価ランク、就業規則の該当条項名)
- 本人が自らの意思で同意する旨の文言
- 本人の署名・押印・日付
- 会社代表者の署名または記名押印・日付
文言例としては、「私は、〇〇年〇〇月〇〇日付の人事評価結果(評価ランク:D)に基づき、〇〇年〇〇月〇〇日より基本給を月額〇〇万円から〇〇万円へ変更することについて、就業規則第〇条の規定に基づき同意します」という形式が一般的です。
本人が合意を拒否した場合のリスク
合意が得られない場合、就業規則の根拠条文と労働契約法第10条の「合理性・周知」の要件を満たしていれば、一方的な変更が有効と判断される可能性はあります。しかし、合理性の立証は容易ではなく、労働審判や訴訟に発展すれば時間・費用ともに大きな負担になります。合意が取れない場合は、社会保険労務士や弁護士に相談のうえ対応方針を検討することを強くお勧めします。
合意書は「就業規則の代替」にはならない
よくある誤解として、「合意書を取れば就業規則の根拠条文は不要」という考え方があります。しかし、個別合意と就業規則の整備はそれぞれ独立した要件です。就業規則の根拠なしに合意書だけで降給を実施した場合、その合意書自体の有効性が後から問われる可能性があります。就業規則の整備と個別合意の両方を揃えることが、合法的な降給の大前提です。
降給手続きの複雑さを一社で抱え込まず、人事の専門家のサポートを活用することで、トラブルを未然に防ぐことができます。
まとめ
降給を合法的に進めるには、まず就業規則・賃金規程に降給の根拠条文と評価連動ルールを明記することが出発点です。次に、労働基準監督署への届出・従業員への周知という手続きを経て、評価プロセスを書面で記録し、降給通知書の交付と個別合意書の取得まで一連の流れを完結させる必要があります。「評価したから下げられる」「合意書さえあれば大丈夫」という思い込みは、どちらも法的リスクにつながります。
ウェルセンス株式会社では、専任人事が不在の中小企業を対象に、就業規則の整備から従業員への説明対応まで、人事労務の実務的なサポートを提供しています。降給の手続きをどこから始めればよいかわからない、書類の整備に不安がある、という場合はお気軽にご相談ください。
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