「最低賃金が上がったのはわかった。でも、就業規則って直すの? 雇用契約書も? 何をいつまでにやればいい?」——毎年10月が近づくと、こうした疑問が頭をよぎる経営者・兼務人事担当者の方は少なくありません。給与ソフトの数字を直すだけで対応した気になっているケースもありますが、実は就業規則や雇用契約書(労働条件通知書)の更新も必要になる場合があります。この記事では、最低賃金改定のたびにやるべきことを、書類ごと・タイミングごとに整理して解説します。
最低賃金改定で「必ず変えなければならない書類」は何か
結論から言うと、最低賃金改定の際に変更が必要な書類は「就業規則(または賃金規程)」と「雇用契約書(労働条件通知書)」の2種類です。給与ソフトの設定変更は最低限のスタートラインにすぎず、書類の整備が伴わないと法令違反になるリスクがあります。
給与ソフトの変更だけでは不十分な理由
時給を上げたことを給与ソフトに反映するのは当然ですが、それだけでは「従業員との契約内容が書面で確定した」とは言えません。労働基準法第15条は、賃金を「絶対的明示事項」として書面または電磁的方法(メール・クラウド共有など)での明示を義務付けています。口頭での通知や給与明細の変更だけでは、この義務を満たしたことにはなりません。
就業規則(賃金規程)に時給が書かれているかを確認する
就業規則の本則に「基本時給○○円」と明記しているケースはもちろん、別冊の「賃金規程」や「別表」に時給・賃金表を記載しているケースでも、変更時には就業規則の変更手続きが必要です。「就業規則に賃金は書いていない」と思っていても、別規程として添付されている場合があります。まず、手元にある就業規則一式を確認してください。
雇用契約書(労働条件通知書)の再交付が必要なケース
賃金額は労働条件の中でも最も重要な事項のひとつです。時給が変わる場合は、変更後の内容を記載した労働条件通知書を改めて交付するのが適切な実務対応です。特にパートタイム・有期雇用の従業員については、パートタイム・有期雇用労働法第6条により、書面での明示義務がより厳格に定められています。「1年契約の更新時にまとめて対応すればいい」という考え方は、発効日と更新日がずれている場合にリスクを生みます。
就業規則を変更するときの正しい手続き
常時10人以上の労働者を使用する事業場では、就業規則の変更には労働者代表からの意見書取得と労働基準監督署への届出が必要です。この手順を省略したまま実態だけを変えても、就業規則としては「古い金額のまま」という状態が続きます。
変更手続きの流れ
就業規則の変更は、以下の流れで進めます。まず、変更後の就業規則(または賃金規程)の案を作成します。次に、労働者の過半数を代表する者(過半数労働組合がある場合はその組合)から意見書を取得します。そして、「就業規則変更届」と意見書を所轄の労働基準監督署に提出し、変更内容を従業員に周知します。周知の方法は、職場への掲示、印刷物の配布、イントラネットへの掲載などが認められています(労働基準法第106条)。
「10人未満」だから届出不要——でも油断は禁物
常時使用する労働者が10人未満の事業場は、就業規則の作成・届出義務がありません(労働基準法第89条)。ただし、就業規則を任意で作成している場合、その内容が実態と乖離していると労使トラブルの原因になります。「届出義務がないから放置でいい」ではなく、実態に合わせて内容を更新しておくことが大切です。
意見書は「同意書」ではない
就業規則の変更に際して労働者代表から取る「意見書」は、変更内容への同意を示す書類ではありません。「こういう変更をする予定だが、意見はあるか」を確認するための書類であり、仮に反対意見が記載されていても、手続きとして意見書を取得・添付していれば届出は有効です。意見書の取得を「反対されたら困る」と避けてしまうケースがありますが、手続きの省略は法令違反になるため注意してください。
時給改定のタイミングと雇用契約書の更新タイミングを合わせる方法
最低賃金の発効日は都道府県によって異なりますが、多くは毎年10月上旬です。発効日当日から新しい最低賃金が適用されるため、それに合わせた対応が必要です。
発効日と雇用契約更新日がずれている場合
たとえば、3月末に雇用契約を更新した従業員の時給が950円で、10月1日から最低賃金が960円に改定されたとします。この場合、3月の契約更新時の書面は有効ですが、10月1日以降は950円での支払いが最低賃金法違反になります。10月1日の発効日に合わせて、「賃金変更通知書」または変更後の「労働条件通知書」を別途発行するのが実務上の正しい対応です。契約更新日まで待つことはできません。
毎年の対応に不安を感じ、手続きの正確さに自信がない場合は、人事の専門家に相談することをおすすめします。
毎年の対応を「仕組み化」するためのタイムライン
毎年の最低賃金改定に慌てないよう、以下のタイムラインを目安に動くことをおすすめします。
| 時期 | やること |
|---|---|
| 8月下旬〜9月上旬 | 新しい最低賃金額の確認・影響が出る従業員(現時給が新最低賃金に近い人)のリストアップ |
| 9月中旬 | 時給改定の方針決定・就業規則(賃金規程)変更案の作成・労働者代表の確認 |
| 9月下旬 | 労働者代表から意見書取得・就業規則変更届を労働基準監督署へ提出・従業員への周知 |
| 発効日まで | 変更後の労働条件通知書(または賃金変更通知書)を対象従業員に交付・給与ソフトの設定変更 |
産業別最低賃金が適用される業種は追加確認が必要
製造業・情報サービス業など特定の産業には、地域別最低賃金とは別に「産業別最低賃金」が設定されている場合があります。両方が適用される場合は、高い方の金額が適用されます。自社の業種が産業別最低賃金の対象かどうかは、厚生労働省のウェブサイトまたは所轄の労働基準監督署で確認できます。地域別だけを確認して油断しないよう注意してください。
最低賃金を下回るリスクの現実
最低賃金法違反は「バレなければ大丈夫」では済みません。行政指導・是正勧告の対象になるだけでなく、50万円以下の罰金という刑事罰も規定されています(最低賃金法第40条)。
法的なリスクだけではない
従業員が最低賃金を下回る給与を受け取っていることに気づいた場合、信頼の失墜や退職につながります。近年はSNSや転職サイトの口コミによって、企業の対応が広く知られるようになっています。特に採用競争が厳しい中小企業にとって、評判の低下は採用活動への直接的なダメージになりかねません。
「比較対象外」の手当を正しく把握する
最低賃金との比較に使う賃金は「通常の労働時間・労働日の賃金」であり、すべての手当を含めて計算するわけではありません。精皆勤手当、通勤手当、家族手当は比較対象から除外されます。つまり、実際に支払っている総支給額が最低賃金を超えていても、除外手当を差し引いた基本的な賃金部分が最低賃金を下回っていれば違反になります。給与体系が複雑な場合は、この計算を正確に行うことが必要です。
正社員・パートタイム・アルバイトで対応が異なるポイント
雇用形態によって、労働条件明示に関するルールが異なります。特にパートタイム・有期雇用の従業員への対応は、正社員よりも厳格な側面があります。
パートタイム・有期雇用社員への追加明示義務
パートタイム・有期雇用労働法第6条により、パートタイム・有期雇用の従業員には、雇い入れ時および労働条件変更時に、昇給・賞与・退職手当の有無なども書面で明示する義務があります。また、2024年4月以降の法改正により、有期雇用の労働者には「更新上限の有無」「無期転換ルールに関する情報」なども明示が必要になりました。時給変更の通知と合わせて、これらの記載漏れがないか確認してください。
正社員の場合の実務ポイント
正社員は多くの場合、月給制であり最低賃金との比較は時給換算で行います(月給÷1か月の平均所定労働時間数)。最低賃金改定の影響を受けることは少ないですが、賃金体系の見直しをする際に就業規則の変更手続きが必要になる点は同様です。正社員の雇用契約書についても、賃金額を具体的に記載している場合は変更時に書面を再交付することを検討してください。
まとめ
最低賃金改定への対応は、給与ソフトの数字を変えるだけでは完結しません。就業規則(または賃金規程)に賃金額が記載されている場合は変更届と意見書の手続きが必要であり、パートタイム・有期雇用の従業員には変更後の労働条件通知書を発効日に合わせて交付することが求められます。毎年8月下旬から準備を始め、9月中に書類手続きを終わらせるというタイムラインを「定例業務」として仕組み化することが、対応漏れを防ぐ最善策です。
多くの中小企業では、人事業務を並行して対応しているため、細かい法的要件を全て把握するのは難しいものです。「自社の就業規則が実態と合っているか自信がない」「雇用契約書や労働条件通知書の整備を正確に進めたい」という場合は、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。人事専任者がいない環境でも、実務に即した形で整備をサポートします。
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