退職者が貸与品を返却しない時どうすればいい?

退職者が貸与品を返却しない時どうすればいい? 労務管理
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「退職した社員がPCを返しに来ない。連絡しても無視される。もう1ヶ月が経つ……」。そんな状況で「どこに相談すれば?」「給与から引いてもいい?」と途方に暮れている経営者・人事担当者の方は少なくありません。貸与品の返却拒否は、法的に回収できるかどうかだけでなく、給与天引きの可否・情報漏洩リスク・費用対効果など、複数の問題が絡み合う厄介な案件です。この記事では、中小企業が現実的にとれる対処の手順を、法的根拠とともに整理します。

返却を求める権利は「就業規則がなくても」ある

結論からいえば、就業規則に返却義務の明文規定がなくても、会社は退職者に対して貸与品の返還を法的に求めることができます。根拠は民法上の所有権にあります。

民法が返還請求の根拠になる

会社が購入・所有するPCやスマホは、退職後も会社の財産です。民法206条は所有者が所有物を自由に使用・収益・処分できる権利(所有権)を定めており、この所有権に基づいて「返してください」と求めることは、何ら特別な契約がなくても当然に認められます。退職者が返却を拒み続ける場合は、不当利得返還請求(民法703条)や不法行為に基づく損害賠償請求(民法709条)も選択肢に入ります。

就業規則・雇用契約書があれば根拠が重なる

就業規則や雇用契約書に「退職時には貸与品を速やかに返却する」と明記されていれば、民法上の所有権に加えて契約上の根拠も重なり、返却請求の立場が強固になります。常時10名未満の事業場は就業規則の届出義務がないため、規則が整備されていないケースも多いですが、「規則がないから請求できない」は誤解です。ただし、今後のトラブル予防のためには、退職時の貸与品返却手続きを就業規則や退職時チェックリストに明記しておくことを強くお勧めします。

給与・退職金から「天引き」してはいけない理由

「返さないなら最後の給与から差し引けばいい」と考える経営者は多いのですが、これは原則として労働基準法違反になります。返却請求と給与支払いは必ず分けて処理してください。

労働基準法24条「全額払いの原則」とは

労働基準法24条は、賃金は全額を労働者に支払わなければならないと定めています。会社が一方的に「物を返さないから」という理由で給与を差し引く行為は、この全額払い原則に違反します。違反した場合、30万円以下の罰金が科される可能性があるほか、退職者から未払い賃金として請求されるリスクも生じます。

天引きが認められる例外と現実

例外は二つあります。一つは、労使協定(労基法24条但書)によって合意された控除項目がある場合。もう一つは、退職者本人が書面で真意に基づいて同意した場合です。しかし、貸与品返却に関する相殺を想定した労使協定は現実にはほとんど存在しません。また、退職の場面で「同意書を書かなければ給与を払わない」といった状況下で書かせた同意は、「真意による同意」とは認められないリスクがあります(賃金相殺の有効性については、シンガー・ソーイング・メシン事件・最高裁昭和48年1月19日判決などが参考になります)。

退職金の場合も同じルールが適用される

退職金が就業規則等で支給義務として定められている場合、退職金も「賃金」として労基法24条の全額払い原則が適用されます。「退職金を返却の担保にする」という発想も、基本的には通用しません。退職金規程がなく完全に任意の支給であれば交渉の余地はありますが、それでも一方的な控除にはリスクが残ります。

現実的な回収手順:段階的に動く

貸与品を取り戻すための手順は、費用と手間を抑えながら段階的にエスカレーションするのが基本です。まず自社でできることから始め、それでも解決しない場合に法的手続きへ移行します。

内容証明郵便で返還請求する

まず最初にとるべき行動は、内容証明郵便による返還請求です。内容証明は「いつ・誰が・どんな内容を送ったか」を郵便局が証明するもので、後の法的手続きで重要な証拠になります。記載すべき内容は、返却対象物品の具体的な品名・型番、返却期限(例:送付から2週間以内)、返却先住所、期限内に返却されない場合は法的手続きに移行する旨、の4点です。書き方に不安がある場合は、司法書士や弁護士に依頼して作成することもできます。費用は数千円〜数万円程度です。

少額訴訟・支払督促を活用する

内容証明を送っても無視される場合は、簡易裁判所への申立てを検討します。物品の時価が60万円以下であれば、少額訴訟を利用できます。少額訴訟は原則1回の審理で判決が出る簡便な手続きで、弁護士なしで本人申立てが可能です。支払督促は裁判所書記官が督促状を送る手続きで、相手が異議を申し立てなければ強制執行の申立てができます。費用は物品の時価によりますが、数千円〜1万円台が目安です。

費用対効果を整理してから動く

通常の民事訴訟は、金額・重要度が高い案件向けです。弁護士費用は着手金だけで数十万円になることもあるため、回収対象の物品価値と費用を冷静に比較する必要があります。下の表を参考に、自社のケースに当てはまる手段を選んでください。

手段 費用感 向いているケース
内容証明郵便 数千円〜数万円 まず全ケースで試す
少額訴訟 数千円〜1万円台(実費) 物品時価60万円以下
支払督促 数千円〜(実費) 相手が争わないと見込まれる場合
通常民事訴訟 着手金数十万円〜 物品価値が高い・情報漏洩損害も合わせて請求する場合

情報漏洩リスクは「返却とは別に」即日対処する

PCやスマホが返ってこない場合、「物が戻らない」という問題より深刻なのが「データが悪用されるリスク」です。情報セキュリティ対応は、返却手続きと並行して、退職日当日から動かしてください。

アカウント・アクセス権の即日停止

退職日当日、もしくは退職が確定した時点で、社内システム・クラウドサービス・メールアカウントのアクセス権を即時停止します。これは貸与品が手元にあるかどうかに関係なく実施できますし、すべきことです。個人情報保護法23条は事業者に個人データの安全管理措置を義務付けており、退職者による不正アクセスを防ぐ措置はこの義務の一環でもあります。

MDM(モバイルデバイス管理)によるリモートワイプ

MDM(Mobile Device Management)ツールを導入している会社であれば、返却前であってもデバイス内のデータを遠隔消去(リモートワイプ)することが可能です。MDMを導入していない場合、今後の備えとして検討する価値があります。費用は製品によって異なりますが、中小企業向けのクラウド型MDMサービスは月額数百円〜数千円/台程度で利用できるものもあります。

情報漏洩が発生した場合の対応

もし退職者がデータを外部に持ち出した証拠がある、または顧客情報の流出が疑われる場合は、単なる物品返却の問題を超えます。不正競争防止法上の営業秘密侵害、個人情報保護法上の報告義務(漏洩が一定規模以上の場合は個人情報保護委員会への報告と本人通知が義務)なども視野に入れ、早期に弁護士へ相談することをお勧めします。

トラブルを防ぐための事前対策

退職後の貸与品未返却問題は、退職前の準備で大部分を防ぐことができます。「問題が起きてから動く」より、「起きない仕組みを作る」ほうがコストも低く、会社と従業員双方にとってもスムーズです。

退職時チェックリストで返却を「見える化」する

退職手続きのなかに「貸与品返却チェックリスト」を組み込み、退職者と担当者が対面でサインするフローを作ります。PC・スマホ・社員証・鍵・制服など返却対象を品名・シリアル番号まで記録し、「返却済み」「未返却」を明示します。このリストが後のトラブル時に証拠として機能します。

就業規則・雇用契約書への明文化

就業規則または雇用契約書に、「退職時は会社から貸与されたすべての物品を退職日までに返却する義務を負う」「返却しない場合、会社は法的手段を講じることができる」といった条項を設けておくことで、請求の根拠が明確になります。常時10名未満で就業規則の届出義務がない会社でも、社内ルールとして文書化しておくことには意味があります。

貸与品管理台帳の整備

「誰に・いつ・何を(型番・シリアル番号)・貸したか」を記録した台帳を整備します。これがないと、法的手続きの場面で「何を返すべきか」の特定が難しくなります。Excelで管理するだけでも十分ですが、受け渡し時に従業員のサインをもらっておくと、より確実です。

まとめ

退職者が貸与品を返却しない場合、就業規則の有無にかかわらず、民法上の所有権に基づいて返還を請求できます。一方で、給与や退職金からの一方的な天引きは労働基準法24条違反になるリスクがあるため、返却請求と給与支払いは必ず分けて処理してください。回収は内容証明郵便から始め、必要に応じて少額訴訟・通常訴訟へとエスカレーションするのが現実的です。また、データ漏洩リスクへの対応は返却手続きとは切り離して退職日当日から動かすことが重要です。トラブルを根本から防ぐには、退職チェックリストの整備・就業規則への明文化・貸与品管理台帳の作成が効果的です。

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よくある質問

Q. 就業規則に返却義務の規定がない場合でも、法的に返却を求めることはできますか?

A. はい、できます。会社が所有する物品は退職後も会社の財産であり、民法206条の所有権に基づいて返還を請求する権利があります。就業規則の明文規定は「あればより強固になる」ものですが、なければ請求できないというわけではありません。ただし、今後のトラブル防止のために就業規則への明文化をお勧めします。

Q. 最後の給与の支払い日が来てしまいます。返却されるまで給与を保留できますか?

A. 保留は原則としてできません。労働基準法24条の全額払い原則により、賃金は期日通りに全額支払う義務があります。貸与品が返却されていないことを理由に給与を止めると、未払い賃金として請求される可能性があります。給与は支払い、貸与品の返還請求は別途行うのが法的に安全な対処法です。

Q. PC1台のために弁護士を使うのは費用的に割に合わない気がします。どう判断すればいいですか?

A. 判断のポイントは「物品の時価」と「情報漏洩リスクの有無」です。物品の時価が60万円以下であれば、弁護士なしで対応できる少額訴訟が現実的な選択肢になります。一方、PCに機密情報・顧客データが含まれており情報漏洩の損害賠償請求も視野に入る場合は、弁護士費用をかけてでも早期に動いたほうがトータルのリスクを抑えられます。まずは内容証明郵便を送ってみて、相手の出方を見てから次の手段を選ぶのが現実的です。

Q. 返却されないPCに顧客データが入っています。今すぐできることはありますか?

A. 物品の返却を待たずに今すぐ行うべきことが二つあります。まず、そのPCからアクセスできる社内システム・クラウドサービス・メールのアカウントを即日停止してください。次に、MDM(モバイルデバイス管理)ツールを導入している場合はリモートワイプでデータを遠隔消去することを検討してください。個人情報保護法上の安全管理措置義務の観点からも、早急な対応が求められます。

Q. 退職者が行方不明で連絡がとれません。それでも法的手続きはとれますか?

A. はい、可能です。内容証明郵便は退職届や雇用契約書に記載された住所に送付することができます。住所が不明な場合でも、住民票の職務上請求(弁護士・司法書士経由)などで住所を調査したうえで手続きを進めることができます。まずは弁護士や司法書士に相談してみてください。

【監修】ウェルセンス株式会社
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