「うちは昔から4月に年1回。でも、それって本当に正しいんだろうか……」。専任の人事担当者がいない中小企業では、給与改定の頻度を深く考える余裕がないまま、慣習として同じ運用が続いていることが少なくありません。しかし物価上昇や採用競争の激化が進む今、この「なんとなく年1回」が、社員の離職や採用力の低下につながっているケースが増えています。この記事では、給与改定の頻度を見直す3つの判断基準と、複数回導入に踏み切る前に知っておくべき実務のポイントを整理します。
「年1回」vs「複数回」、どちらが正解か
結論からいえば、どちらが正解かは会社の状況によります。ただし「年1回だから問題ない」という前提は、今の採用・労務環境では通用しなくなっています。
年1回改定が抱える構造的な問題
年1回改定の最大の弱点は、「環境変化への対応スピード」です。たとえば10月に業績が好調になっても、翌4月まで社員に反映できない。採用市場の給与水準が上がっても、次の改定まで半年以上手が打てない。毎年10月前後に改定される最低賃金(最低賃金法に基づく都道府県別改定)のタイミングと、自社の改定月がずれてしまい、気づかないうちに法令違反スレスレの状態になるリスクもあります。
複数回改定が向いている会社の特徴
一方で、給与改定を複数回行うことが効果を発揮しやすいのは、業績の変動が大きい業種(飲食・IT・小売など)、採用競争が激しく給与水準を柔軟に動かしたいケース、または評価サイクルが上期・下期に分かれているケースです。半期ごとに評価を行っている会社であれば、そのタイミングに合わせて給与改定を年2回設けることは、制度の一貫性という観点でも自然な選択です。
「頻度」より先に問うべきこと
ただし、頻度を増やす前に確認すべき前提があります。「改定の基準を社員に説明できるか」という点です。評価制度や給与テーブルが整備されていないまま複数回改定を導入すると、「なぜあの人だけ上がったのか」という不透明感が逆に高まります。改定頻度の設計は、評価の仕組みと一体で考えることが大原則です。
定着率を左右する3つの判断基準
給与改定の頻度を見直すべきかどうかは、次の3つの観点から自社を点検することで判断できます。
採用給与と在籍社員の賃金逆転が起きていないか
採用市場の競争が激しくなると、新入社員に高い給与を提示せざるを得ない場面が増えます。すると在籍3〜5年の中堅社員より、入社したばかりの社員の方が高い給与をもらうという「賃金逆転」が生じることがあります。これは在籍社員のモチベーションと離職意向に直結する問題です。年1回改定ではこのズレへの対応が遅れます。半期ごとに在籍社員の給与水準を見直せる仕組みがあれば、逆転を早期に是正できます。ただし、改定原資(給与改定に使える総額)の管理なしに頻度だけ増やしても、財務的な混乱を招くため注意が必要です。
社員の「次の改定まで我慢」が離職を生んでいないか
年1回改定の場合、不満を抱えた社員が「次の4月まで待って、上がらなかったら辞めよう」という判断をしやすい構造があります。転職活動の活発な秋〜冬に改定の見通しが立たないと、この離職リスクが高まります。半期ごとに改定の機会があれば、社員が「評価結果がすぐ給与に反映される」と感じやすく、離職の判断を保留するタイミングが生まれます。
採用票・求人票の「昇給回数」は競合と比べて不利でないか
求人媒体では「昇給年1回」か「昇給年2回」かは明確に表示されます。候補者、特に若年層は複数回改定を「成長実感が早い会社」と受け取ることが多く、採用競争力に直接影響します。自社の求人を同業他社と比較したとき、昇給回数で明らかに劣っているなら、複数回改定の検討は採用戦略上の課題でもあります。
複数回改定を導入するときの実務上の注意点
複数回改定の導入にあたっては、就業規則の整備、評価制度との連動、社会保険手続きの三点を事前に整理しておく必要があります。
就業規則の改訂と届出を忘れずに
就業規則に「年1回4月改定」と明記している場合、「年2回(4月・10月)改定」に変更するには就業規則の改訂が必要です。常時10人以上の労働者を使用する事業場は、労働基準法第89条に基づき就業規則の作成・届出義務があり、改訂した場合も労働基準監督署への届出が必要です。改定頻度を増やすこと自体は社員に対する不利益変更には当たりませんが、就業規則の変更手続きを経ずに運用を変えると、労使トラブルの原因になります。なお、改定に伴って特定の社員の賃金が下がるケースでは、労働契約法第9条・第10条に基づき個別同意または合理的変更の要件を満たす必要があります。
社会保険の随時改定(月額変更届)への対応
月例給与が改定されると、標準報酬月額が2等級以上変動した場合、随時改定(月額変更届)の手続きが発生します(健康保険法・厚生年金保険法)。年1回改定では年1回確認すればよかったところ、複数回改定ではその都度確認が必要になり、担当者や顧問社労士の実務負荷が増えます。給与計算ソフトが随時改定の判定を自動でアラートしてくれる機能を持っているか、あらかじめ確認しておきましょう。
原資管理と人件費計画の仕組みを整える
複数回改定で悩む経営者の多くが、「いつどれだけ原資を用意すればいいか分からない」という財務上の不安を抱えています。対策として有効なのは、年度初めに「給与改定に使える総額上限」を設定し、上期・下期でそれぞれの配分枠を決めておくことです。原資を先に確定させることで、期中の人件費の膨らみをコントロールできます。賞与との使い分けも合わせて整理しておきましょう。月例給与の改定は固定費として積み上がる一方、賞与は業績連動の変動費として設計できます。「業績が良い年に一時金で還元し、継続的な貢献には月例給与で応える」という役割の切り分けが、財務的に安定した人件費管理の基本です。
「年1回のまま」でも改善できること
複数回改定への移行がすぐに難しい場合でも、現行の年1回改定の運用を見直すだけで定着率に影響する部分があります。
改定基準の「見える化」が最初の一手
頻度よりも先に効果が出やすいのは、「なぜこの金額になったのか」を社員に説明できる状態を作ることです。評価シートと給与テーブルを連動させ、「S評価なら基本給の何パーセント上昇」という基準を明示するだけで、社員の納得感は大きく変わります。「社長の判断」という説明しかできない状態を脱することが、どの会社でも最初の一手です。
改定タイミングと最低賃金改定をセットで管理する
年1回改定を維持する場合でも、毎年10月の最低賃金改定に確実に対応できているかを点検する仕組みを持つことが重要です。改定月が4月の場合、10月の最低賃金改定との間に6カ月のギャップが生じます。このギャップ期間中に最低賃金を下回らないよう、10月時点でパートタイム社員の時給を個別に確認するチェックリストを運用に組み込みましょう。
従業員数・雇用形態別の確認ポイント
| 状況 | 優先して確認すること |
|---|---|
| 従業員10人以上・就業規則あり | 就業規則の改定頻度記載と実態の整合性、労基署届出状況 |
| 従業員10人未満・就業規則なし | 最低賃金の遵守、口頭・雇用契約書と実態の一致 |
| 正社員と非正規社員が混在 | 改定頻度・基準の格差が同一労働同一賃金の観点で説明可能か |
| 採用給与と在籍社員に逆転あり | 原資配分の見直し、複数回改定または一時金での対応を検討 |
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複数回改定を「やってみる」前のチェックリスト
複数回改定の導入を検討しているなら、まず次の項目を確認してから動き出しましょう。順序を誤ると、制度だけ変えて社員の不満が増えるという逆効果になりかねません。
評価制度が改定の根拠として機能しているか
半期ごとに改定するなら、半期ごとに評価結果が出る仕組みが必要です。現在の評価が年1回のみの場合、評価サイクル自体の見直しが先決です。評価基準がなければ、改定のたびに「なぜこの人だけ」という不満が生じ、制度への信頼が損なわれます。
社労士・給与計算体制が対応できるか
顧問社労士に相談し、随時改定の確認や月変届の対応が追加コストなく対応できるかを確認しましょう。給与計算ソフトについては、改定回数の増加でシステム上の作業が複雑になるケースもあるため、実際の操作フローを事前に試算しておくことをおすすめします。
社員への説明・周知のシナリオを用意しているか
改定頻度を変える際には、社員への事前説明が必要です。「なぜ変えるのか」「いつ、どのように評価されるのか」「改定額はどう決まるのか」をあらかじめ整理し、全員に周知する場を設けましょう。変更の背景と社員へのメリットを丁寧に伝えることが、制度変更への納得感につながります。
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まとめ
給与改定の頻度に「絶対の正解」はありません。しかし、「なんとなく年1回」のままでいることのリスクは、採用競争力の低下・賃金逆転問題・最低賃金対応の漏れなど、年々大きくなっています。複数回改定を検討する際は、評価制度の整備・就業規則の改訂・原資管理の仕組みをセットで整えることが成功の条件です。一方で、今すぐ複数回に移行しなくても、改定基準の見える化と最低賃金チェックの習慣化だけで、社員の納得感は改善できます。「自社の改定制度が適切かどうか判断に迷っている」という場合は、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。人事専任担当者がいない中小企業の実情に合わせて、制度整備から社員への説明サポートまで一緒に考えます。
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