「候補者に前職の給与を聞いてもいいのか」「提示額を上げないと辞退されそうで怖い」——中途採用の給与交渉は、専任人事のいない企業ほど場当たり的な対応になりがちです。その結果、自社の給与水準が崩れたり、既存社員との不公平感が生まれたりして、採用後のトラブルに発展するケースは少なくありません。この記事では、根拠を持って中途採用の給与提示を行い、自社水準を守りながら候補者と交渉を進めるための実務的な手順を解説します。
前職給与の確認は「聞く目的」を明確にする
前職給与を聞くこと自体は違法ではない
「前職給与を候補者に聞くのは失礼ではないか」「法的に問題があるのでは」と心配する経営者は多いです。結論から言えば、日本では現時点で前職給与の確認を禁じる法律はありません。ただし個人情報保護法の観点から、取得した情報は適切に管理し、利用目的を候補者に明示することが求められます。
海外、特に米国やカナダの一部の州では「Salary History Ban(前職給与確認禁止法)」が制定されています。日本では未導入ですが、今後の議論の動向は注視しておく価値があります。現時点では「聞いてはいけない」ではなく、「なぜ聞くのかを明確にして聞く」という姿勢が重要です。
前職給与は「参考情報」であり「給与提示の根拠」にしない
前職給与を確認する正しい目的は、「自社が提示できる給与水準と、候補者の期待値とのギャップを事前に把握すること」です。つまり、候補者が大きく期待値を外れた提示を受けて選考途中で離脱するリスクを防ぐための情報収集です。
前職給与をそのまま給与提示の根拠にしてしまうと、候補者ごとに給与水準がバラバラになり、既存社員との均衡が崩れます。「前職が450万円なので480万円で」という要求を飲み続けると、同じ職責の社員間で50万~100万円の格差が生じるケースも珍しくありません。前職給与はあくまで「候補者の市場評価の参考」として扱い、自社の基準を軸に給与を決定するという考え方を徹底することが大切です。
給与提示に必要な「3つの根拠」を用意する
内部公平性:自社の等級・職責基準をつくる
給与交渉で押し負けてしまう最大の原因は、「なぜその金額なのか」を説明できないことです。候補者から「前職より低い」と言われたとき、根拠がなければ反論できません。
20~50名規模の企業では、「なんとなく年収」で決めてきたケースが多いですが、まずシンプルな給与テーブルを作ることをお勧めします。たとえばジュニア・ミドル・シニアの3段階と、職種ごとのレンジ(例:営業ミドル層=年収380~450万円)を設定するだけで、提示の根拠が明確になります。既存社員の給与を確認し、職責・等級ごとに整理するところから始めましょう。
外部競争性:市場相場データを活用する
給与水準が適切かどうかを判断するために、市場相場との比較は欠かせません。主な無料データソースとしては、厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(職種別・産業別・地域別データ)、doda・リクルート・マイナビ等の求人媒体が公開する賃金レポート、そして独立行政法人 労働政策研究・研修機構(JILPT)のデータがあります。ハローワークの求人情報で地域の類似職種の給与帯を確認する方法も手軽でおすすめです。
たとえば「東京都内・製造業・営業職・経験5年・30代前半」であれば、これらのデータから概ね430~500万円程度のレンジが確認できます。「市場ではこのくらいの水準です」と伝えられると、中途採用の給与提示における説得力が大きく変わります。
個人評価:スキル・経験に基づく加点・減点を明示する
同じ職種・等級でも、候補者のスキルや経験によってレンジ内での位置づけは変わります。「当社のミドル営業職のレンジは380~450万円で、今回はご経験を踏まえて420万円での提示です」というように、レンジのどこに位置するかとその理由を伝えることが重要です。
スキル評価の視点としては、業界経験の有無・マネジメント経験・保有資格・担当できる業務範囲などが挙げられます。これらを事前に採用基準として言語化しておくと、面接後の評価と給与提示の一貫性が生まれます。
前職給与を「証明」させる必要はない
源泉徴収票の提出要求にはリスクがある
前職給与の確認として源泉徴収票の提出を求める企業がありますが、これは推奨できません。源泉徴収票には給与以外の個人情報(副業収入、医療費控除の情報など)が含まれる場合があり、候補者に不信感を与えるリスクがあります。また、前職給与を証明させることで「給与提示の根拠を前職給与に置く」という誤ったメッセージを与えてしまいます。
前職給与は候補者の申告を参考情報として受け取る程度にとどめ、給与提示額はあくまで自社基準で決定するという姿勢を崩さないことが重要です。
候補者への確認は「希望年収」で十分な場合が多い
実務上は、前職給与よりも「希望年収」を確認する方がシンプルかつ有効です。「弊社の当該ポジションの給与レンジは○○~○○万円ですが、ご希望に沿えそうでしょうか」というかたちで、自社のレンジを先に提示して候補者の反応を確認する方法もあります。
このやり方であれば、前職給与に引きずられることなく、自社水準を軸に選考を進められます。特に採用難のポジションでは、候補者の言い値になりやすいからこそ、先に自社の基準を明示することが交渉の主導権を握るうえで効果的です。
内定後の条件交渉を「上手に断る」技術
交渉の余地を最初から設計しておく
内定通知後に候補者から「もう少し上げてもらえませんか」と言われたとき、基準がなければ判断できず、怖くて飲んでしまうか、強く断りすぎて辞退されるかのどちらかになりがちです。これを防ぐには、給与提示の時点で「交渉の余地をどこまで設けるか」をあらかじめ決めておくことが有効です。
たとえば「提示額420万円、最大受諾ライン440万円」と社内で合意しておくと、「社内で検討した結果、430万円まで対応可能です」という具体的な返答ができます。「最大でここまで」という社内ラインを設けておくことで、場当たり的な妥協を防げます。
断るときは「基準」を理由にする
条件交渉を断る際、「うちには予算がなくて」という言い方は候補者の信頼を損ねます。代わりに、「弊社では職責と市場水準に基づいた給与テーブルを設けており、今回のポジションでは○○万円が上限となっています」と伝えることで、企業としての一貫性と誠実さを示せます。
このとき、給与以外の条件(リモートワークの柔軟性・賞与設計・昇給ルール・研修制度など)を合わせて提示することで、トータルの魅力を伝えることも有効です。給与だけで判断する候補者は、入社後も給与への不満を持ちやすい傾向があります。「給与水準の説明ができた上で入社した人材」の方が、長期的な定着につながります。
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給与提示と入社後定着はつながっている
「期待と現実のズレ」がメンタル不調の一因になる
採用時の給与設計は、入社後のメンタルヘルスや定着率とも深く関わっています。「思っていた給与と違った」「評価されていない気がする」という感覚は、入社後のエンゲージメント低下やメンタル不調の引き金になることがあります。採用段階で給与の根拠・評価基準・昇給の仕組みをきちんと説明しておくことは、定着支援の入口とも言えます。
同一労働同一賃金の観点からも「説明できる給与」が必要
パートタイム・有期雇用労働法および労働契約法における均等・均衡待遇の観点から、中途採用者の給与も「なぜその水準か」を合理的に説明できることが求められます。根拠のない前職給与ベースの提示は、後に社内で不満・トラブルの原因になるリスクがあります。特に既存社員が新しい中途入社者の給与を知ったとき、「なぜあの人の方が高いのか」という疑問が生じやすいのはこうした場合です。
2024年4月に施行された職業安定法改正により、求人票の条件と実際の提示条件が異なる場合の説明義務も強化されています。採用段階から労働条件の透明性を高めることは、法的リスクの回避という観点でも重要です。
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まとめ
中途採用の給与提示で自社水準を守るために重要なのは、「自社の等級基準」「市場相場データ」「候補者の個人評価」という3つの根拠を事前に整えることです。前職給与はあくまで候補者の期待値を把握するための参考情報と位置づけ、給与提示額の根拠にしてはいけません。また、内定後の交渉に備えて社内で受諾ラインを決めておくこと、断るときは「基準」を理由に伝えることで、良好な候補者関係を保ちながら自社水準を守ることができます。
とはいえ、「給与テーブルをゼロから作るのが難しい」「具体的にどこから手をつければいいか分からない」という方も多いはずです。ウェルセンス株式会社では、中小・成長企業の兼務人事担当者の方が実際に使える給与設計・採用ルール整備のサポートを行っています。「まず相談してみたい」という段階からお気軽にお声がけください。
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