「態度が悪い社員に何度も口頭で注意してきたが、改善の見込みがない。でも解雇すると訴えられそうで怖い——」。そんな袋小路で立ち往生している経営者・人事担当者の方は、決して少なくありません。そこで注目されているのがPIP(Performance Improvement Plan:業績改善計画)という手法です。しかし「書面をどう作ればいいか」「進め方を間違えると逆に訴えられないか」という不安から、なかなか踏み出せないケースがほとんどです。この記事では、専任人事がいない中小企業でもすぐに使えるPIP書面の作成3ステップと、法的に有効な運用のポイントを実務視点で解説します。
PIPとは何か、解雇ツールではない理由
PIPは「解雇の前段階として形式的に踏む手続き」ではなく、「改善の機会を誠実に与え、そのプロセスを記録する仕組み」です。この前提を押さえることが、適切な運用の第一歩になります。
日本の労働法における位置づけ
労働契約法第16条は、解雇が「客観的に合理的な理由」を欠き、「社会通念上相当でない」場合は無効と定めています(解雇権濫用法理)。つまり日本では、よほどの理由がなければ解雇は認められません。PIPはこの文脈で、「会社が十分な改善機会を提供した」という証拠として機能します。訴訟や労働審判になった際、書面と面談記録が会社側の正当性を支える重要な根拠となるのです。
「PIP」という名称にこだわらなくていい
日本には法定の「PIP様式」は存在しません。「業務改善指示書」「指導記録書」「業績改善計画書」など、会社によって呼称はさまざまです。重要なのは名称ではなく、内容の具体性と運用プロセスの適切さです。既存の就業規則に「業務改善指導」に関する条項があれば、その規定に沿った書面名称を使うと整合性が高まります。就業規則が未整備の場合は、書面作成と並行して規則の見直しも検討しましょう。
PIPが「退職強要」になってしまうケース
PIPが不当な心理的圧力を伴う場合、民法上の強迫(退職強要)や、労働施策総合推進法(パワハラ防止法)に抵触するリスクがあります。具体的には、(1)達成不可能な目標を設定する、(2)改善期間を1週間など著しく短く設定する、(3)面談が一方的な叱責・詰問になる——といったケースが該当します。「改善させる」のではなく「改善できる環境を整える」という姿勢が、適法なPIP運用の核心です。
書面作成の前に確認する準備事項
書面を作り始める前に、会社側が準備すべきことがあります。この土台を固めておかないと、書面の内容がいくら丁寧でも法的な有効性が揺らぎます。
問題事実の「見える化」
「態度が悪い」「やる気が感じられない」という主観的な表現は、書面に使えません。必要なのは日時・場所・具体的な行動・その影響という4点セットです。たとえば「2025年4月3日(木)10時の朝礼で、上司からの業務指示に対して『無理です』と発言し、その後の説明を遮って席を離れた。これにより当該業務の着手が同日14時まで遅延し、取引先へのA案件の納品が1日ずれた」という記述が目指すべき水準です。まず過去3〜6ヶ月分の出来事を書き出し、事実ベースで整理するところから始めてください。
改善目標をSMART原則で設定する
改善目標は、SMART原則(Specific:具体的、Measurable:測定可能、Achievable:達成可能、Relevant:関連性、Time-bound:期限付き)に沿って設定します。「もっと積極的に仕事に取り組む」は不可で、「毎週月曜9時までに週次報告書を上司に提出する(2025年5月末まで)」のような形が必要です。達成可能性も重要で、現在の能力や状況を無視した高すぎる目標は、後に「達成不能な目標を設定したパワハラ」と判断されるリスクがあります。
就業規則・雇用契約との整合性確認
就業規則に懲戒・指導に関する条項がある場合、PIPの手続きがその条項の手順と矛盾しないか確認してください。「書面指導の前に口頭警告が必要」と規定されているにもかかわらず、いきなりPIP書面を交付すると、手続き上の瑕疵(かし)が生じる可能性があります。就業規則がない、または該当条項がない場合は、PIP運用を機に整備を進めることを強くお勧めします。
PIP書面の作成——3ステップ
PIP書面は、「現状の記録」「改善計画」「合意と確認」という3つのパートで構成します。この順番で作ることで、法的有効性に必要な要素が自然と揃います。
現状の問題事実を記録する
書面の冒頭に、前段階で整理した具体的な問題事実を記載します。「現状の問題事実」という見出しを設け、事実を�条書きで列挙するのが読みやすく、後から証拠として参照しやすい形式です。この際、「会社はこれまで○月○日と○月○日に口頭での指導を行ったが改善が見られなかった」という経緯も簡潔に加えると、「改善機会を段階的に提供してきた」という流れが明確になります。過去の口頭指導の記録がない場合は、今後のために面談記録を必ず残す習慣をここから始めてください。
改善計画を具体的に書く
次に、改善目標・改善期間・会社側のサポート内容・評価方法を記載します。書面の核心部分です。以下の要素を漏れなく盛り込んでください。
| 記載項目 | 記載例・目安 |
|---|---|
| 改善目標 | 週次報告書を毎週月曜9時までに提出する(期間全体で未提出0回) |
| 改善期間 | 一般社員:1〜3ヶ月/管理職・専門職:3ヶ月程度が目安 |
| 会社のサポート | 週1回の上司との1on1面談、OJT担当者の指定、必要研修の提供 |
| 評価方法 | 期末に目標達成状況を上司と人事が確認。判定基準(達成・一部達成・未達成)を明記 |
| 判定後の対応方針 | 「未達成の場合は就業規則○条に基づく措置を検討する」と明記 |
特に「会社側のサポート内容」は、改善を本気で支援する姿勢の証左となります。サポートが何も書かれていない書面は「退職させるための圧力文書」と見なされるリスクがあります。
本人との合意・署名確認
書面完成後、必ず本人との面談を設けて内容を説明し、署名を求めます。署名欄には本人・直属の上司・人事担当者(または経営者)の3者分を設けるのが望ましい形式です。本人が署名を拒否した場合は、「2025年5月1日15時に書面を交付。本人は受領を確認したが署名を拒否。その旨を面談記録に記載し、書面は交付済み」と別途記録して保管してください。署名がなくても、交付の事実と本人の理解を記録で示すことができます。
面談記録の残し方と保管ルール
書面を作っても、面談の記録が残っていなければ「言った・言わない」の水掛け論になります。面談記録は、書面と同等かそれ以上に重要な証拠です。
面談記録に必ず書く5項目
面談記録には、(1)日時と場所、(2)参加者全員の氏名と役職、(3)会社から伝えた指摘事項の要旨、(4)本人の応答(「はい」「わかりません」「異議があります」も含め、できるだけ逐語的に近い形で)、(5)次回面談までの課題・確認事項——の5つを必ず記載します。特に(4)は、感情的な表現は避けつつ、本人が言ったことをそのまま記録することが重要です。面談後24時間以内に記録を作成し、遅れるほど記憶の精度が落ちることを覚えておいてください。
記録の交付と保管方法
作成した面談記録は、本人にもコピーを交付することが望ましいです。「交付した・していない」のトラブルを防ぐため、メール送信の場合は送信記録を保存し、紙で渡す場合は「受領しました」の返信メールか受領サインをもらってください。保管形式は紙・電子どちらでも構いませんが、改ざんができない形(PDF保存+クラウド管理、または施錠できるキャビネット)で保管し、PIP終了後も最低3年以上は保存することを推奨します(労働基準法109条の趣旨に沿った対応として)。
管理職・直属上司の役割分担
PIPの面談は、直属の上司が中心となって進めるのが一般的ですが、中小企業では経営者や兼務人事担当者が立ち会うケースも多いです。重要なのは、面談担当者が感情的にならないことです。「なぜできないんだ」という叱責型の面談は、パワハラと認定されるリスクがあります。面談の目的は「現状確認と支援策の確認」であることを担当者に事前に周知し、可能であれば第三者(兼務人事や経営者)が同席して会話の質を担保してください。
PIP書面は正しく作っても、面談の進め方に不安があると法的な有効性が損なわれます。判断に迷った時点で、人事労務の専門家に記録を見てもらうことが早期の問題解決につながります。
PIPを進める中で起こりやすい3つのトラブルと対処法
PIPの運用で中小企業が陥りやすいトラブルには、事前に対処法を準備しておくことで多くは防げます。代表的な3パターンと対策を押さえておきましょう。
本人が「パワハラだ」と言い出した場合
本人がPIPをパワハラと主張した場合、最も重要な防御は「書面と面談記録が適切に残っているか」です。目標が合理的か、期間が適切か、面談が一方的な叱責でなかったかが判断ポイントになります。主張を受けた時点で面談を一時停止し、社労士や弁護士に記録を確認してもらうことを強くお勧めします。「主張されたから止める」のではなく、「記録を見直して問題がなければ継続する」という判断軸を持ってください。
改善期間中に体調不良・休職を申し出た場合
PIP期間中に対象者が「うつ病かもしれない」「体調が悪くて休みたい」と申し出た場合、PIPは一時中断するのが原則です。メンタルヘルス不調が疑われる状況でPIPを継続することは、使用者の安全配慮義務(労働契約法第5条)に違反するリスクがあります。産業医がいる場合は速やかに受診を勧め、50人未満で産業医が選任されていない場合はかかりつけ医の診断書を踏まえて対応を検討してください。PIPの再開は、復職後の状態を確認した上で判断します。
改善期間終了後、目標が未達成だった場合
未達成だったとしても、その翌日にすぐ解雇という判断は禁物です。業績不振を理由とする解雇は、日本の裁判例において非常に厳しい判断が下される傾向があります。PIPの記録があっても、「一度のPIPで即解雇」は相当性の観点で問題視される可能性があります。未達成の程度・原因・会社側のサポートが十分だったかを改めて評価し、必要に応じてPIPの延長、配置転換、降格など段階的な措置を検討した上で、最終的な判断については弁護士または社労士に相談することを強くお勧めします。
まとめ
PIPは「解雇のためのツール」ではなく、「改善機会を誠実に提供し、そのプロセスを記録する仕組み」です。書面作成では、まず問題事実を具体的に整理し、次にSMART原則に基づく改善目標と会社側のサポート内容を盛り込み、最後に本人との合意確認と署名取得という流れで進めます。面談記録は書面と同等に重要な証拠であり、24時間以内の作成・適切な保管が必要です。また、PIP期間中に体調不良や休職申し出があった場合は一時中断し、安全配慮義務を優先してください。
「書面の内容が適切かどうか自信がない」「PIPを進めようとしたら本人が反発してきた」「そもそも就業規則がなくてどこから手をつければいいかわからない」——そうした状況に直面している方は、ぜひウェルセンス株式会社にご相談ください。人事の専門家が貴社の状況に合わせて、PIP書面の設計から面談の進め方、就業規則の整備まで実務レベルでサポートします。一人で抱え込まず、早めにプロの目を入れることが、トラブルを防ぐ最短ルートです。
よくある質問
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