「復職のときに残した記録、消してもらえませんか」——復職面談を終えたばかりの従業員から、こんな言葉をかけられたとしたら、あなたはどう答えますか。断るべきか、応じるべきか。個人情報保護法の話を持ち出されたら反論できるか。専任の人事担当者がいない職場では、その場で判断するしかなく、気づけば要求に応じてしまっているケースも少なくありません。この記事では、復職支援記録の削除・閲覧制限を求められたときの正しい対応と、記録管理のリスクを整理します。
復職支援記録は「残す義務」があるのか
復職支援記録そのものを直接義務付ける法令は存在しませんが、関連する記録には法定の保存義務があり、記録全体を削除することは会社にとって重大なリスクになります。
法令が定める保存義務のある記録
労働安全衛生法および関係省令は、いくつかの関連書類について保存期間を定めています。健康診断個人票は5年間の保存が義務付けられており(労働安全衛生規則第51条)、産業医が健康診断の事後措置として作成した意見書はその一部とみなされます。また、長時間労働者への面接指導の記録も同法第66条の8に基づき5年間保存が必要です。
復職支援の過程で産業医が関与した面談記録や就労可能意見書は、こうした法定記録と密接に関連しており、「復職支援記録だから関係ない」と切り分けることはできません。
義務がない記録でも「残すべき理由」がある
法定義務のない記録であっても、民事上の証拠保全の観点から保存は不可欠です。復職支援の経緯——主治医からの就労可能意見書、職場復帰支援プランの合意書面、産業医との面談記録——は、後日に会社を守る証拠になります。
具体的には、再休職や症状悪化に伴う損害賠償請求が起きた際、会社が安全配慮義務(労働契約法第5条)を果たしたことを示す唯一の手がかりになります。解雇・雇用継続トラブル、労働基準監督署への説明においても同様です。記録を削除してしまうと、「会社が何もしなかった」という認定につながりかねません。
記録の義務がなくても削除してはいけない理由
法的な保存義務の有無にかかわらず、記録を消すことは会社側のリスクを高める行為です。本人の求めに応じて削除した後に問題が再発した場合、会社は「対応した証拠」を一切失った状態で交渉・訴訟に臨むことになります。これは本人の利益を守ることにもなりません。万一の健康被害や労災認定の場面では、支援の経緯を示す記録が本人の補償請求を支える材料にもなるからです。
個人情報保護法の「削除請求」に応じる義務はあるか
本人から「個人情報保護法があるから消してもらう権利がある」と言われても、復職支援記録の削除請求に無条件で応じる義務はありません。法律の要件を確認すれば、正当に拒否できる根拠があります。
削除・利用停止請求が認められる条件
個人情報保護法第35条に基づく利用停止・削除請求は、次のいずれかに該当する場合にのみ認められます。
- 利用目的の達成に必要な範囲を超えて取り扱っている場合
- 不正な手段で取得した場合
- 本人の権利・正当な利益を害するおそれがある場合(2022年改正で追加)
適切な手続きのもとで復職支援の目的で収集・管理されている記録は、これらの要件には該当しません。「個人情報だから消せる」という主張は、法律の解釈として正確ではないのです。
会社が正当に拒否できる根拠
同法第35条第5項は、利用停止・削除に多額の費用を要する場合、またはその他の事情から本人の権利利益を保護するために必要な代替措置を講じる場合には、請求を拒否できると定めています。
実務上は、以下の三点を根拠として説明することで、合理的な拒否が可能です。労働安全衛生法に基づく記録保存義務の履行であること、安全配慮義務の履行証明に不可欠であること、そして記録を削除することで本人自身の補償請求権が損なわれる可能性があることです。
「要配慮個人情報」として厳格な管理が必要
病歴・精神疾患に関する情報は、個人情報保護法第2条第3項の「要配慮個人情報」(旧称:センシティブ情報)に分類されます。通常の個人情報より厳格なルールが適用され、取得には原則として本人の同意が必要であり、第三者提供も厳しく制限されます。
ただし、この厳格さは「管理をより丁寧にする」ことを求めているのであって、「削除しなければならない」ということではありません。適切に管理しながら保持することが、法律の求めていることです。
誰が記録を見てよいか——開示範囲の整理
復職支援記録の開示範囲は、「業務上の必要性」と「本人への影響」を軸に事前にルール化しておくことが重要です。個別の要求に都度対応していると、際限のない制限要求につながります。
アクセスを認める範囲の考え方
復職支援記録へのアクセスは、「支援に直接関わる人」に限定するのが基本です。以下の表を参考に、自社の状況に照らして整理してください。
| 関係者 | アクセスの可否 | 備考 |
|---|---|---|
| 人事担当者(兼務含む) | 原則アクセス可 | 管理の中心。記録の保管責任者 |
| 産業医・保健師 | 原則アクセス可 | 医学的判断に必要な範囲で共有 |
| 直属の上司 | 必要最小限 | 職場復帰プランの実施に必要な情報のみ |
| 経営者・役員 | 状況による | 小規模企業では人事権者として関与する場合あり |
| 他部門の管理職 | 原則不可 | 業務上の必要性がない限り開示しない |
| 外部支援者(EAP等) | 本人同意のうえで可 | 委託契約と秘密保持契約を締結すること |
本人から「上司には見せないで」と言われたとき
「上司には絶対に病名を知られたくない」という要望は、実務上よくあります。この場合、病名や診断内容そのものは上司に開示せず、「体調管理が必要な状況にある」「業務負荷を一定期間調整する必要がある」という形で情報を限定して共有することが、現実的な対応です。
ただし、「一切何も伝えない」ことは、職場環境の調整を不可能にし、むしろ本人の復職を困難にします。開示の目的と範囲を本人と事前に合意しておくことが、後のトラブルを防ぐ最善策です。
産業医がいない場合の対応
従業員50人未満の事業場には産業医の選任義務がありません。この場合、記録の管理や開示判断は人事担当者(または経営者)が担うことになります。外部の産業医や産業保健総合支援センターを活用することで、医学的判断の根拠を記録に残すことができます。産業医がいないからこそ、記録の正確さと管理ルールの明文化がより重要になります。
削除要求への実務対応——拒否するときの伝え方
削除要求を断る際は、「会社を守るため」ではなく「本人の利益にもなる」という観点から説明することで、関係悪化を防ぎながら毅然とした対応ができます。
本人への説明の組み立て方
まず、本人が削除を求める背景にある不安を丁寧に聴くことから始めます。多くの場合、「転職に影響しないか」「昇進・評価に使われないか」「周囲に知られないか」といった具体的な恐れがあります。その不安に対して、記録の利用目的と管理方法を明確に説明することが先決です。
次に、削除できない理由を以下のように伝えます。「この記録は、万一何かあったときにあなた自身を守るためにも必要なものです。たとえば、休職中の状況が後日の労災認定や補償請求に関係することがあります。会社としても法律上の義務を果たすために保管しています」という説明は、本人にとっても納得しやすい内容です。
「開示範囲の制限」で応じられる部分を分ける
削除そのものには応じられなくても、「誰が見られるか」の制限については本人の要望を取り入れる余地があります。たとえば、「記録自体は保管しますが、アクセスできるのは人事担当者と産業医に限定します。上司や他部門には開示しません」と約束することは、法的にも問題なく、本人の不安を和らげる実務的な対応です。
このように「削除の要求にはすべて応じられないが、管理方法を改善することはできる」という姿勢が、関係悪化を防ぎながら会社のリスクも管理する現実解です。
対応の記録も残しておく
本人から削除要求があった事実、それに対してどう説明し、どう対応したか——この経緯そのものも記録として残しておくことを強くお勧めします。後日「会社は勝手に記録を保管し続けた」と主張された場合に、適切な手続きを踏んだことを証明できます。
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記録管理のルールを事前に整備する
削除要求が来てから対応を考えるのではなく、復職支援を開始する前に記録管理のルールを整備しておくことが、あらゆるトラブルの予防になります。
就業規則・個人情報管理規程への反映
復職支援に関する記録の取り扱いは、就業規則や個人情報管理規程に明記しておくことが理想です。「何を記録するか」「誰がアクセスできるか」「何年間保管するか」「削除の判断基準はどこか」——これらを事前に文書化することで、個別の要求が来たときに「会社のルールとして説明する」ことができます。
復職支援開始時に本人の同意を得ておく
復職面談を始める段階で、記録を残すこと・管理方法・開示範囲について本人に説明し、同意を得ておくことが重要です。「復職支援の過程で取得した情報は、支援目的のみに使用し、人事担当者・産業医の範囲で管理します」という内容を書面で確認しておくと、後から「聞いていない」「同意していない」というトラブルを防げます。
就業規則が整備されていない場合は、復職支援開始時に個別の同意書を用いることも現実的な選択肢です。
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まとめ
「復職記録を消してほしい」という要求は、本人の不安から生まれることがほとんどです。しかし、その要求にそのまま応じることは、会社にとっても、そして本人にとっても大きなリスクをはらんでいます。復職支援記録の削除請求は、個人情報保護法上も無条件に認められるものではなく、安全配慮義務の証明や法令上の保存義務を根拠に、正当に拒否することができます。
大切なのは、「削除か保管か」の二択で対立するのではなく、記録の利用目的・管理範囲・開示先を本人と合意することです。そのためには、復職支援を始める前にルールを整備しておくことが何より重要です。
「記録の管理ルールをどう作ればいいか分からない」「削除要求への対応が適切だったか確認したい」という場合、ウェルセンス株式会社では復職支援の記録管理から本人対応まで、中小企業の実情に合わせた支援を行っています。一人で抱え込まず、まずは気軽にご相談ください。
よくある質問
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