給与過払いの返還請求に迷ったら読む中小企業の対応手順

給与過払いの返還請求に迷ったら読む中小企業の対応手順 組織運営
Photo by Felicity Tai on Pexels

「先月の給与を計算し直したら、3ヶ月分にわたって多く払いすぎていた」。そう気づいたとき、多くの経営者・人事担当者がまず感じるのは「どう請求すればいいのか」という戸惑いと、「社員に言いにくい」という気まずさではないでしょうか。給与過払いの返還請求は、法的には正当な権利行使です。しかし手順を誤ると、労使トラブルや労働基準法違反につながるリスクもあります。この記事では、中小企業の実務担当者が迷わず動けるよう、法的根拠・社員への説明方法・分割控除の手続きを順を追って解説します。

給与過払いは法的に返還請求できる

結論からお伝えすると、給与を過払いした場合、会社は法律に基づいて返還を請求できます。「もらった給与を返せと言うのは酷では」と感じる方もいますが、法的には明確な根拠があります。

民法上の不当利得返還請求権

給与過払いの主な法的根拠は、民法第703条・第704条(不当利得返還請求)です。法律上の原因なく他人の財産から利得した者は、その利益を返還しなければならないと定められています。社員が「知らずに受け取った(善意の受益者)」場合は現存する利益の返還のみで足りますが(第703条)、事情を知りながら受け取った場合(悪意の受益者)は利息をつけた返還が必要になります(第704条)。実務上、給与受領は現存利益の推定が働くとされるケースが多く、「もう使ってしまったから返せない」という主張が必ずしも通るわけではありません。

就業規則による契約上の根拠

就業規則に「給与の過払いが生じた場合、会社は返還を求めることができる」旨の規定がある場合は、労働契約上の根拠としても機能します。就業規則が整備されている会社では、民法上の根拠と合わせて二重の根拠を持てます。就業規則にこの規定がない場合でも民法上の請求は可能ですが、今後のために就業規則の見直しも検討してください。

返還請求の時効期間

不当利得返還請求権の消滅時効は、2020年4月施行の改正民法により、権利を行使できることを知った時から5年とされています。また、過払いが生じた時点から10年という上限もあります。「気づいていたのに後回しにしていた」という状況は時効の起算点に影響する可能性があるため、発覚した時点で速やかに対応を開始することが重要です。

社員への説明で押さえるべきポイント

社員への説明は、事実を丁寧に伝えながら会社の正当性を示すことが大切です。感情的な対立を避けるためにも、口頭と書面を組み合わせた手順で進めましょう。

最初の説明は口頭で、その後すぐ書面を渡す

まず上司または人事担当者が1対1で面談の場を設け、「給与計算にミスがあり、過払いが生じていたことが判明した」という事実を説明します。このとき、責める口調は避け、「会社側のミスで申し訳ない」という姿勢を示しながら、返還をお願いする流れにすることが大切です。口頭説明の後、日を置かずに書面(過払い通知書)を交付します。書面には、過払い期間・総額・計算根拠を明記します。

「ハラスメントでは」という懸念への対処

法的に正当な返還請求であっても、社員側が「不当な請求だ」「プレッシャーをかけられた」と感じると、ハラスメント問題に発展するリスクがあります。これを防ぐために、説明の場には必ず第三者(他の管理職や総務担当者)を同席させ、やり取りの記録を残しておきましょう。また、返還方法について「一括か分割か、本人の希望も踏まえて相談したい」という姿勢を示すことが、無用な対立を防ぐ実務的なポイントです。

給与過払い対応で「本当にこれで大丈夫か」と不安になったら、外部の専門家に一度相談することで、対応方針の安心度が大きく変わります。

説明時に用意すべき書類

面談当日または後日交付する書類として、以下を準備してください。

  • 過払い通知書(過払い期間・金額・原因を明記)
  • 給与明細の写し(根拠資料として)
  • 返還合意書・分割返還計画書(合意後に記名・押印)
  • 給与控除同意書(天引きで回収する場合)

書類を揃えて説明することで、会社の対応が客観的・合理的であることを示せます。

給与からの天引き(控除)は同意書なしでは違法になる

過払い分を給与から差し引いて回収したいと考えるのは自然ですが、手続きを踏まずに行うと労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)違反になります。同意書の取得が必須です。

労働基準法第24条の「全額払いの原則」とは

労働基準法第24条は、賃金は全額を労働者に支払わなければならないと定めています。税金・社会保険料など法令に根拠がある控除以外は、原則として給与から差し引くことができません。過払い返還の天引きはこの例外規定(労使協定がある場合)に当たるため、適切な手続きが必要です。手続きなしに天引きすると、30万円以下の罰金が科されるリスクがあります。

適法に控除するために必要な手続き

過払い返還を給与控除で回収するために必要な手続きは次のとおりです。実務上は個別の同意書取得が特に重視されます。

手続き 内容・注意点
本人の個別同意書(書面) 返還総額・分割金額・控除開始日を明記し、本人が自署・押印する。口頭同意だけでは不十分
労使協定(24条協定) 労働者代表との書面協定。就業規則に控除規定がない場合や、念のため整備したい場合に締結する
控除額の合理性 月々の控除額が過大にならないよう配慮する。実務上は月給の20~25%以内を目安とする慣行がある

分割返還の期間と金額の決め方

社員の生活を守る観点から、一括返還が難しい場合は分割での合意を検討しましょう。たとえば過払い総額が30万円であれば、月3万円ずつ10ヶ月で返還するといった計画を書面化します。控除額が社員の月収に対して過大になると、後から「強制された」と主張されるリスクが高まります。合意書には「本人の意思に基づく同意である」旨を明記し、社員本人にも控えを渡しておくと安心です。

社員が返還を拒否した場合の対応

説明・合意交渉を経ても社員が返還を拒否する場合、法的手段を視野に入れることになりますが、段階的に対応することが重要です。

拒否の理由を確認し、再交渉の余地を探る

「すでに使ってしまった」「計算が間違っているのではないか」など、拒否の理由はさまざまです。まず書面で再度の説明機会を設け、計算根拠の資料を改めて提示しましょう。金額や返還方法に納得できない点があれば、分割期間の延長や月々の控除額の調整といった柔軟な対応を検討することで、合意に至るケースも少なくありません。

法的手段を検討する前に相談窓口を活用する

交渉が難航する場合、いきなり訴訟に踏み込む前に、社会保険労務士や弁護士への相談をお勧めします。特に顧問弁護士のいない中小企業では、地域の弁護士会の法律相談窓口や、社会保険労務士に状況を整理してもらうだけでも、次の選択肢が明確になります。法的手段としては、少額訴訟(訴額60万円以下)や支払督促といった比較的低コストな手続きもあります。

在職中か退職後かで対応が変わる

社員が在職中の場合は、給与控除の合意を得ながら段階的に回収する方法が現実的です。一方、退職後に過払いが発覚した場合は、給与控除ができないため、内容証明郵便による請求書送付→支払督促→少額訴訟という流れが一般的な手順になります。退職後の回収は在職中より難易度が上がるため、在職中に過払いを発見した場合は迅速な対応が重要です。

再発防止のために整備しておきたい体制

給与過払いは、多くの場合「チェック体制の不備」から生じます。今回の対応と並行して、仕組みの見直しに着手することが次の過払いを防ぐ最善策です。

給与計算のダブルチェック体制を作る

専任人事がいない中小企業では、給与計算を1人が担当し、誰もチェックしないという状態が起きやすいです。最低限、計算担当者と確認者を分けるルールを設けましょう。経営者本人が最終確認を行うだけでも、ミスの発見率は大きく上がります。人員が少ない場合は、給与計算ソフトの自動チェック機能を積極的に活用する方法も有効です。

就業規則に過払い対応の規定を追加する

就業規則に「給与の過払いが生じた場合、会社は返還を請求できる」「返還は給与からの控除または振込返還により行う」旨を明記しておくと、次回以降の交渉がスムーズになります。就業規則の変更は労働者代表の意見聴取と労働基準監督署への届出が必要です。社会保険労務士に依頼すれば、適法な文言で整備することができます。

引き継ぎ漏れを防ぐ記録の仕組みを作る

担当者の退職・異動による引き継ぎ漏れも過払いの原因として多く見られます。給与計算の手順書を作成し、変更事項(昇給・手当の変更・有期雇用の終了など)が確実に反映される確認フローを文書化しておきましょう。クラウド型の給与計算ツールを導入することで、手作業のミスを大幅に減らせる場合もあります。

まとめ

給与過払いの返還請求は、民法第703条・704条の不当利得返還請求権を根拠に、法的に正当な権利行使です。社員への説明は口頭と書面を組み合わせて丁寧に行い、給与からの天引きで回収する場合は本人の個別同意書(書面)を必ず取得してください。同意書なしの天引きは労働基準法第24条違反になるリスクがあります。分割返還の場合は、月給の20~25%以内を目安に本人の生活に配慮した計画を書面化しましょう。社員が返還を拒否する場合は、段階的に対応し、法的手段は社会保険労務士や弁護士に相談してから判断することをお勧めします。

給与過払いへの対応は、法的な正当性だけでなく、職場の信頼関係を損なわないバランスが難しいところです。人事だけで判断に迷ったら、外部の専門家にサポートしてもらう選択肢を早めに検討することが、スムーズな解決につながります。ウェルセンス株式会社では、給与過払い対応に限らず、専任人事のいない中小企業の人事労務課題を一緒に整理するご支援を行っています。「何から手をつければいいかわからない」という段階でも、お気軽にご相談ください。

よくある質問

Q. 社員が「もう使ってしまったから返せない」と言ってきた場合、返還を免れることはできますか?

A. 民法第703条では、善意の受益者(事情を知らずに受け取った人)は「現存する利益の範囲」で返還すれば足りるとされています。ただし、給与の受領については現存利益の推定が働くとされるケースが多く、「使ったから返せない」という主張が必ずしも認められるわけではありません。具体的な状況に応じて社会保険労務士や弁護士に相談することをお勧めします。

Q. 本人が口頭で「引いてもいい」と言ったので天引きしたのですが、問題になりますか?

A. 口頭による同意だけでは不十分です。労働基準法第24条に基づく給与控除を適法に行うためには、返還総額・分割金額・控除開始日を明記した書面に社員本人が署名・押印した「個別同意書」が必要です。口頭同意のみで天引きを行った場合、後から「同意していない」と主張されるリスクがあるほか、労基法違反として指摘される可能性もあります。速やかに書面で合意を取り直すことをお勧めします。

Q. 過払いが発生したのが2年前とわかりました。今から請求できますか?

A. 2020年4月施行の改正民法では、不当利得返還請求権の消滅時効は「権利を行使できることを知った時から5年」とされています。過払いの発生が2年前でも、それを今初めて知ったのであれば、知った時点から5年間は請求できます。ただし、発生時点から10年という上限もあるため、早期に対応を開始することが重要です。

Q. 退職した元社員に過払いがあったことが発覚しました。どう対応すればいいですか?

A. 退職後は給与控除ができないため、まず内容証明郵便で返還請求書を送付し、一定期間内に返還するよう求めることが一般的な手順です。応じない場合は、訴額60万円以下であれば少額訴訟、それ以上であれば通常訴訟や支払督促の手続きを検討します。在職中と比べて回収の難易度が上がるため、社会保険労務士や弁護士に早めに相談することをお勧めします。

Q. 就業規則に過払い返還の規定がない場合でも返還請求できますか?

A. はい、就業規則の規定がなくても、民法第703条・704条の不当利得返還請求権を根拠に返還を求めることができます。ただし、就業規則に規定があると契約上の根拠も加わり、社員への説明がよりスムーズになります。今回の対応と並行して、就業規則に過払い対応の条項を追加しておくことを社会保険労務士に相談することをお勧めします。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

不調者対応を、人事だけで抱えない。

メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談いただけます。

人事だけで抱えない。産業医にスポットで相談
タイトルとURLをコピーしました