「また今日も早退か……何の病気なんだろう」。そう思いながらも、踏み込んで聞けずにいる経営者・人事担当者は少なくありません。通院が月に何度も重なり、業務の穴を周囲がカバーする状況が続くと、「このまま何も聞かずにいてよいのか」という焦りが募ります。しかし病名を聞けばプライバシー侵害になるのでは、という恐れも拭えない。この記事では、その”板挟み”を解消するために、会社が健康情報を扱う際の3つの境界線を法的根拠とともに整理します。産業医がいない50名未満の企業でも、今日から動ける実務フローをお伝えします。
「病名を聞く=プライバシー侵害」は本当か
結論から言えば、病名を直接聞くことは必ずしも違法ではありません。ただし、取得する情報の範囲・方法・目的によって、適法かどうかが分かれます。
健康情報は「要配慮個人情報」
病名・診断内容・受診歴は、個人情報保護法第2条第3項に定める要配慮個人情報に該当します。この情報は、原則として本人の同意なく取得することが禁止されています。「従業員に聞いたらアウト」と思われがちですが、正確には「本人が任意に開示した場合」は本人同意に基づく取得として扱えます。つまり、面談の場で会社側が強制的に聞き出そうとする行為が問題なのであって、「正直に教えてもらえますか」と確認すること自体がただちに違法になるわけではありません。
安全配慮義務との関係
一方で会社には、労働契約法第5条に基づく安全配慮義務があります。従業員の生命・身体の安全に配慮する義務です。この義務を果たすためには、ある程度の健康情報を把握することが不可欠です。「何も聞かずに何もしない」という姿勢は、安全配慮義務の観点からむしろリスクになり得ます。プライバシー保護と安全配慮義務は対立するものではなく、「目的が安全配慮であること」「必要最小限の情報であること」「本人の同意を得ること」という条件を満たせば両立します。
「病名」より「業務上の制限事項」を確認する
実務上、病名そのものを聞く必要はほとんどありません。会社が本当に知りたいのは「どのような業務制限や配慮が必要か」という機能的な情報です。たとえば「長時間立ち仕事は避けるべきか」「夜勤は可能か」「出張に支障はあるか」といった情報があれば、病名がわからなくても就業上の対応ができます。この視点の転換が、プライバシー侵害リスクを下げながら実務を前進させる最初の一歩です。
会社が健康情報を収集してよい「3つの境界線」
健康情報の収集には明確な境界線があります。この3点を意識するだけで、適法な対応と侵害リスクのある対応を区別できます。
収集目的を明確にする
厚生労働省の「労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針」(平成30年)は、健康情報を取得する際に収集目的・利用目的を本人に明示することを求めています。「業務上の配慮内容を決定するために確認させてください」と事前に伝えることが必要です。目的を伝えずに「何の病気ですか」と聞くことは、たとえ違法と断定できない場合でも、従業員との信頼関係を損ない、後のトラブルの火種になります。
必要最小限の情報にとどめる
収集する情報は、就業上の配慮判断に必要な範囲に限ります。診断名の詳細、治療内容、家族歴など、業務配慮に直接関係しない情報を聞くことは避けてください。たとえば「メンタル不調で通院中」という事実と「週1回の通院が必要」「残業は月10時間以内が望ましい」という制限内容があれば、対応策の検討には十分です。
取り扱う人を限定する
取得した健康情報は、対応に必要な担当者(経営者・直属の上司・人事担当者)以外には共有しないことが原則です。「あの人、こんな病気らしいよ」という社内での情報共有は、個人情報保護法違反になるだけでなく、従業員との信頼関係を根本から壊します。情報を誰が持ち、誰に開示するかを事前にルール化しておくことが重要です。
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産業医なしでも就業措置を判断する実務フロー
産業医がいなくても、主治医の診断書と就業規則を組み合わせることで、会社として正当な就業措置の判断を行うことは可能です。
主治医の診断書・意見書を活用する
50名未満の事業場では産業医の選任義務はありません(労働安全衛生法第13条)。しかし、多くの就業規則には「会社が必要と認めた場合、主治医の診断書提出を命じることができる」という規定があります。この規定を根拠に、主治医が記載した就業制限の内容(残業不可・特定業務の制限など)を書面で提出してもらうことが現実的な対応策です。診断書には「病名」だけでなく「就労可能かどうか」「配慮事項」を記載してもらうよう、書式や依頼文を用意しておくと実務がスムーズになります。
就業規則の休職条項を確認する
休職を検討する前に、まず自社の就業規則の休職条項を確認してください。「休職の発令要件が曖昧」という場合は、その規定を根拠に命令を出すことが難しくなります。以下の表で、就業規則の状態別に取るべき対応を整理しました。
| 就業規則の状態 | 会社が取れる対応 | 優先すべきアクション |
|---|---|---|
| 休職条項が明確にある | 要件を満たせば休職発令が可能 | 診断書を取得し要件確認 |
| 休職条項が曖昧・不十分 | 本人同意による休職が現実的 | 社労士と規則の整備を検討 |
| 就業規則自体がない・未整備 | 強制的な措置命令は困難 | 規則整備を最優先で着手 |
受診勧奨は会社の権限であり義務の一部
業務への支障が明らかな場合、会社から「医療機関への受診を勧める」こと(受診勧奨)は、安全配慮義務の一環として認められています。ただし「強制」ではなく「勧奨」であることを口頭と書面で明示することが必要です。「受診してください」ではなく「受診されることをお勧めします。受診後、就業上の配慮が必要であれば主治医の意見書をいただけますか」という形が適切です。
本人が「大丈夫」と言い張るケースへの対処法
本人が病気を隠したい・仕事を続けたいと主張しても、業務遂行が明らかに困難な状態であれば、会社は安全配慮義務に基づいて対応する必要があります。
「大丈夫」は会社の判断を免除しない
従業員本人が「問題ない」と言っても、それで会社の安全配慮義務が消えるわけではありません。業務上のミスが増加している、無断欠勤や遅刻が繰り返されている、他の従業員への業務負担が増している——こうした客観的な事実があれば、会社側が状況を記録した上で対応を進めることは正当です。「本人がそう言ったので何もしなかった」という判断は、後の労務トラブルや安全配慮義務違反の指摘につながるリスクがあります。
面談記録を残すことが防御の基本
本人との面談は、必ず日時・出席者・発言内容・確認事項を記録してください。「この日に受診勧奨をした」「本人は大丈夫と述べたが、業務上の支障が続いていたため再度面談した」という経緯を書面で残すことが、万一のトラブル時の会社側の証拠になります。記録は感情的な評価ではなく、事実の記述に徹することがポイントです。
本人の意向と会社の安全配慮義務が衝突する場合
本人が強く拒否している場合でも、業務遂行が不可能な状態であれば、就業規則の規定を根拠に業務制限や休職措置を進めることは法的に認められます。ただし、この判断は「感情的な判断」ではなく「医師の意見に基づく客観的な判断」として実施することが重要です。社労士や外部の専門家に相談しながら手順を踏むことで、後の紛争リスクを大幅に下げることができます。
現場でよくある誤解とその正解
「病名を聞いてはいけない」「何もできない」という誤解が、適切な対応を遅らせている場合があります。代表的な誤解を整理します。
「聞いたら即プライバシー侵害」ではない
繰り返しになりますが、目的・方法・情報の範囲が適切であれば、健康情報の確認はプライバシー侵害にはなりません。問題になるのは、「本人の同意なく第三者から情報を入手する」「業務と無関係な個人的な医療情報を無断で収集する」「取得した情報を必要以上に社内で共有する」といった行為です。正しい手順を踏めば、会社は従業員の健康状態について必要な情報を確認する権限を持っています。
「産業医がいないと何もできない」わけではない
産業医は心強いサポートですが、産業医がいなければ就業措置が取れないということはありません。主治医の診断書・意見書、就業規則の規定、安全配慮義務の観点を組み合わせれば、産業医なしでも合理的な判断は可能です。外部の社労士や産業保健総合支援センター(全国に設置されている無料相談窓口)を活用する方法もあります。
「何もしないことのリスク」を過小評価しない
- 従業員の状態が悪化し、重篤な健康被害が生じた場合の安全配慮義務違反リスク
- 周囲の従業員の負担増加によるモチベーション低下・離職リスク
- 適切な措置なく解雇に至った場合の不当解雇リスク
- 休職制度の適切な運用がないまま長期化し、復職支援が困難になるリスク
早期に適切な対応を始めることが、従業員本人にとっても会社にとってもリスクを最小化します。
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まとめ
従業員の健康情報をめぐる「どこまで聞けるか」という問いには、明確な答えがあります。病名そのものを聞く必要はなく、就業上の制限事項を適切な手順で確認することが実務の正解です。収集目的を明示し、必要最小限の情報を本人の同意のもとで取得し、取り扱う人を限定する——この3つの境界線を守れば、プライバシーを侵害することなく安全配慮義務を果たせます。産業医がいない環境でも、主治医の診断書・意見書と就業規則を組み合わせることで、正当な就業措置の判断は十分に可能です。
とはいえ、実際のケースは「教科書通り」にはいかないことがほとんどです。本人が拒否している、就業規則が整備されていない、どこまで踏み込んでよいか判断がつかない——そんな状況でお困りであれば、ウェルセンス株式会社にご相談ください。メンタルヘルス対応・休職復職支援・人事労務の実務に精通した専門家が、御社の状況に合わせた具体的なアドバイスをお伝えします。
よくある質問
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