「優秀な人材を採れた。でも、入社してみたら既存社員より給与が高くて、どう説明すればいいかわからない」——採用担当を兼務している経営者から、こうした相談を受けることは少なくありません。中途採用では前職年収を考慮した処遇提示が現実的な選択肢になりますが、その後の評価制度との整合が取れていないと、組織の公平感が静かに崩れていきます。この記事では、給与逆転のリスクと法的注意点、段階的な是正の進め方、既存社員への説明方法まで、実務に即した手順を解説します。
放置するとどうなるか——給与逆転が引き起こすリスク
中途採用者の給与優遇を放置し続けると、組織のモチベーション構造が歪み、採用コストを上回る損失が生じます。問題は「給与差があること」ではなく、「差の根拠が見えないまま運用されること」にあります。
既存社員の離職と採用難のスパイラル
給与差が社内で知れ渡ると、長年在籍してきた社員ほど「自分の貢献が評価されていない」と感じやすくなります。特に中堅・ベテラン層が沈黙したまま転職活動を始めるケースは多く、気づいたときにはキーパーソンがいなくなっている、という事態が起こります。採用コストをかけて入社させた中途人材の給与優遇が、逆に組織の安定を崩す皮肉な結果です。
昇給原資の偏在による悪循環
限られた昇給原資が中途採用者の高止まり給与に吸収されると、既存社員への分配が薄くなります。評価が高くても昇給幅が小さい、という状況が続くと、評価制度自体への信頼が失われます。「どうせ頑張っても給与は上がらない」という空気が醸成されると、組織全体のパフォーマンスに影響が出てきます。
法的紛争の入口になるリスク
問題を先送りした末に「やはり是正が必要」と判断し、同意なしに給与を引き下げようとすると、都道府県労働局のあっせんや労働審判に発展する可能性があります。一方、何もしないまま既存社員から「不合理な格差だ」と声が上がった場合も、説明責任を果たせない状況が経営リスクになります。早期に手を打つほど選択肢は広く、トラブルコストも低くなります。
法的に押さえておくべきポイント
給与の是正を進めるうえで最初に確認すべきは、「何が法的に問題になるか」です。誤った対応は紛争の火種になるため、ここだけは専門知識として押さえてください。
労働条件の不利益変更(労働契約法第10条)
入社時に合意した給与を、使用者が一方的に引き下げることは原則として違法です。労働契約法第8条は「労働契約の内容の変更には合意が必要」と定め、同法第10条は就業規則による不利益変更を行う場合でも「合理的な理由」と「周知」を求めています。
つまり、中途採用者の給与を下げたい場合は、本人の書面による個別同意の取得が必須です。「評価が低かったから」という理由だけで基本給が自動的に下がることはなく、採用時に「固定給」として合意していれば、評価連動型への変更自体が不利益変更にあたりえます。
同一労働同一賃金との関係と説明責任
正社員同士(無期・フルタイム)の給与差については、現行のパートタイム・有期雇用労働法(2020年改正)の直接適用対象外です。ただし、同一職務・同一等級で給与が大きく異なる場合、社員から問われたときに合理的な説明ができなければ、経営上の信頼を損ないます。「法律上問題ない」と「組織運営上問題ない」は別物であることを意識してください。
是正の基本設計——「引き下げ」より「両方向の収束」
給与逆転の是正は、中途採用者の給与を下げることだけを考えるのではなく、「中途の収束」と「既存社員の引き上げ」を同時に設計することが現実的かつトラブルリスクの低いアプローチです。
コンパレシオ管理で現状を可視化する
是正の出発点は「誰がどの等級レンジのどこに位置しているか」を数値で把握することです。これを「コンパレシオ管理」と呼び、等級レンジの中央値(ミッドポイント)に対して各人の給与が何パーセントの水準にあるかを示します。この数値がなければ、感覚で是正を進めることになり、後の説明責任を果たせません。まず個人別賃金管理台帳を整備してください。
移行期間を設計して段階的に収束させる
是正を急ぐことがトラブルの原因になります。現実的な設計は「評価後○年間を移行期間とし、評価連動で段階的に等級レンジ内へ収束させる」という方法です。具体的には次のような整理が有効です。
| 対象者 | 是正の方向 | 主な手段 |
|---|---|---|
| 中途採用者(給与が等級レンジ上限超) | 収束(昇給を抑制) | 移行期間中の昇給据え置き・評価連動への変更(本人同意が必要) |
| 既存社員(給与が等級レンジ下限以下) | 引き上げ | 評価に連動した昇給・賃金規程の整備 |
引き下げではなく昇給抑制と既存社員引き上げを組み合わせるアプローチは、本人同意のハードルも下がりやすく、組織の納得感も得やすくなります。
評価連動ルールを就業規則・賃金規程に明記する
「評価が一定水準以上で○年後に等級レンジ上限まで昇給する」「評価が一定水準未満の場合は昇給据え置き」といったルールを、就業規則・賃金規程に明文化することが重要です。口頭での約束や慣行に頼った運用は、後から「そんな話は聞いていない」という紛争の入口になります。ルールを先に文書化し、本人と合意してから運用する、という手順を守ってください。
人事制度の土台がない場合の優先順位
そもそも等級定義・給与レンジ・評価基準が整備されていない企業では、「整合を取る」以前に制度の土台を作ることが先決です。ただし、完璧な制度を作ってから動こうとすると何年もかかります。最低限の骨格から始めることをお勧めします。
まず「等級と給与レンジの骨格」だけを作る
最初から精緻な人事制度を設計する必要はありません。職種・役割・経験年数をもとにざっくりと等級(例:一般職3段階・管理職2段階)を定め、各等級に給与レンジ(下限・中央・上限)を設定するだけで、是正の基準軸ができます。この骨格があれば「誰がどこにいて、どこを目指せばよいか」が明示できます。
「制度の設計は複雑そう」と感じたら、最初の検討段階から外部の人事労務専門家に相談することも、実務的な進行には有効です。完璧を目指さず、動きながら改善する柔軟性が、中小企業の人事制度づくりには不可欠です。
評価制度の有無による対応の分岐
自社の状況に応じて、次のように優先順位を判断してください。
- 評価制度がある場合:まず等級レンジとの紐付けを確認し、現状のズレを数値で把握してから是正計画を設計する
- 評価制度が形骸化している場合:評価基準の再定義と運用ルールの整備を同時並行で進め、是正は1〜2年の移行期間を設けて段階的に行う
- 評価制度が存在しない場合:最低限の等級・レンジ・評価基準の骨格を先に作り、その後に個別の是正計画を立てる。この段階では外部専門家の活用が効率的
既存社員への説明——どこまで開示し、何を伝えるか
給与差の存在が社内で知れ渡った場合に備え、説明の方針を事前に決めておくことが重要です。「個人の給与は開示しないが、制度の考え方は説明する」というスタンスが、多くの中小企業にとって現実的な落としどころです。
開示すべき情報と開示しなくてよい情報
個人の給与額は原則として開示する必要はありません。一方で、「どのような基準で給与が決まるか(等級・評価の仕組み)」「中途採用者の処遇をどのような方針で設定しているか」という制度の考え方は、説明責任の範囲内です。「個人の給与は言えないが、制度の考え方はこうだ」という姿勢を明確にしておくことで、不満のはけ口を制度への信頼に転換できます。
既存社員への説明の言い方——具体的なポイント
説明の際は、次の3点を意識してください。まず、「中途採用者の処遇は前職経験を考慮した入社時の暫定的なもので、評価制度に基づき等級レンジ内に収束させていく」という方針を伝えます。次に、「既存社員の昇給も評価に連動して適切に行う」という具体的なコミットメントを示します。最後に、「評価の基準は公開されており、誰もが同じルールのもとで処遇が決まる」という透明性を強調します。感情的な不満に対しては、制度の説明と個別面談を組み合わせて丁寧に対応することが、離職防止につながります。
中途採用者本人への説明と同意取得
是正計画を立てたら、中途採用者本人にも早期に説明することが重要です。「入社時の処遇は評価制度との整合を取るための移行措置であり、○年後に等級レンジ内で評価連動に切り替える」という見通しを示すことで、本人の理解と同意を得やすくなります。書面での合意を取得し、就業規則・賃金規程の整備と連動させることで、後の紛争リスクを大幅に低減できます。
まとめ
中途採用の給与優遇と既存社員との整合問題は、放置するほど対応の選択肢が狭まります。是正の基本は「中途採用者の昇給抑制」と「既存社員の引き上げ」を両方向で同時設計すること。法的には労働契約法第8条・第10条に基づき、給与の引き下げには本人の書面による個別同意が必要です。また、等級・給与レンジ・評価連動ルールを就業規則・賃金規程に明文化することが、組織の信頼を守る土台になります。人事制度の整備が後回しになっている企業ほど、「まず骨格を作る」ことから始め、外部の専門家を活用して効率よく進めることをお勧めします。
ウェルセンス株式会社では、中小企業の人事労務課題に関する相談をお受けしています。給与設定や評価制度の構築でお悩みでしたら、経営者・人事担当者が直面する具体的な状況をお聞きしたうえで、実行可能な改善案をご提案いたします。お気軽にお問い合わせください。
よくある質問
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。
不調者対応を、人事だけで抱えない。
メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談いただけます。


