「来月からグループ会社の社員を受け入れてほしい」——そう言われたのは、先週の電話一本だったりしませんか。契約書の雛形も、前例も、頼れる社労士もない。何から手をつければいいか見当もつかないまま、受け入れ日だけが近づいてくる。在籍出向の受け入れは、中小企業にとって決して珍しくない局面ですが、必要な手続きが複数の法律にまたがるため、準備不足のまま進めるとトラブルの原因になります。この記事では、在籍出向の受け入れ手続きで、受け入れ企業が押さえるべき5つのポイントを、実務の流れに沿って解説します。
在籍出向とは何か——受け入れ前に理解しておく法的な基本
在籍出向とは、出向者が出向元(元の会社)との雇用契約を維持したまま、出向先(受け入れ企業)の指揮命令のもとで働く仕組みです。出向者は二つの会社と法的な関係を持つという点が、通常の採用とまったく異なります。
出向元・出向先の「二重の法的関係」
出向者は出向元との雇用契約を続けながら、出向先とも指揮命令関係が生じます。これを「労働契約関係の分割」と呼ぶことがあります。受け入れ企業(出向先)は、出向者に対して業務上の指示を出す権限を持ちますが、労働条件そのものを独自に変更することは原則できません。出向者の賃金・雇用期間などの本質的な条件を変えるには、出向元の同意が必要です。
出向命令には根拠規定が必要
出向元が出向者に出向を命じるためには、就業規則または労働契約書に出向命令の根拠規定が設けられている必要があります。この点は1986年の最高裁判決(新日本製鐵事件)が実務の基礎となっており、根拠のない出向命令は無効とされるリスクがあります。受け入れ企業としては「出向元がきちんと手続きを踏んでいるか」を確認することが、後のトラブル防止につながります。
派遣・転籍との違いを整理する
在籍出向と混同されやすいのが「労働者派遣」と「転籍」です。労働者派遣は派遣元が雇用主のまま派遣先に労働者を送り込む点で似ていますが、派遣法の適用を受け、許可取得が必要です。一方、転籍は出向元との雇用契約が終了し、出向先との新たな雇用契約が始まるため、在籍出向とは根本的に異なります。在籍出向では出向元との雇用が継続する——この点を正確に理解した上で手続きを進めてください。
受け入れ時に必要な書類——何をいつまでに揃えるか
在籍出向の受け入れには、最低でも「出向契約書」と「労働条件通知書(出向先版)」の二種類の書類が必要です。どちらか一方だけでは不十分で、両方を出向開始日までに整備することが実務の原則です。
出向契約書(出向元・出向先の間で締結)
出向契約書は出向元と出向先の企業間で結ぶ契約です。以下の項目を必ず盛り込んでください。
- 出向期間(開始日・終了日、または延長の条件)
- 出向者の業務内容・就業場所
- 指揮命令権の範囲(出向先がどこまで指示できるか)
- 給与・社会保険料の費用負担区分
- 出向解除の条件・手続き
- 出向者が業務上の事故を起こした場合の責任の分担
大企業グループから「こちらで作った契約書にサインしてほしい」と言われるケースも多いですが、費用負担や解除条件が自社に不利な内容になっていることがあります。内容を確認せずそのまま押印することは避けてください。
労働条件通知書(出向先版)——出向者本人への書面明示
出向元が出向者に交付した労働条件通知書とは別に、出向先での具体的な労働条件(就業場所・業務内容・始業終業時刻・休日等)を出向者本人に対して書面で明示する必要がある場面があります。特に出向元での条件と出向先での条件が異なる場合——たとえば休日の体系、始業・終業時刻が変わる場合——は、出向先として改めて書面を交付することが望ましいとされています。「出向元が出した通知書があれば出向先は何もしなくていい」という考え方は誤りです。
書類整備のタイミングと確認リスト
受け入れ開始日の遅くとも2週間前を目安に、以下を確認してください。
- 出向契約書の締結(双方の署名・押印)
- 出向先版の労働条件通知書の準備・交付
- 社会保険・労働保険の処理方針の確認(後述)
- 出向先の就業規則のうち、出向者に適用するルールの整理
指揮命令権の範囲——日常管理で「どこまで自社が決めていいか」
出向先は、出向者の日常業務に関する指揮命令権を持ちます。具体的には、労働時間の管理・休日の指定・業務上の指示などは出向先が行います。ただし、すべての事項を自由に決められるわけではなく、出向元の権限が残る領域があります。
出向先が管理する領域
厚生労働省の行政解釈(昭和61年6月6日基発第333号)では、労働基準法上の使用者責任の分担について原則を示しています。出向先が責任を負う主な事項は以下のとおりです。
| 事項 | 責任を負う主体(原則) |
|---|---|
| 労働時間・休日・休憩の管理 | 出向先 |
| 安全衛生(労働安全衛生法上の義務) | 出向先 |
| 労災保険の適用 | 出向先(出向先の事業所で加入) |
| 賃金の支払い | 出向元(出向先から費用精算を受ける形が多い) |
| 年次有給休暇の付与・管理 | 出向元(勤続年数は通算) |
| 社会保険(健康保険・厚生年金) | 出向元・出向先で協議(実態に応じて按分も可) |
出向元の同意が必要な事項
出向者の賃金額の変更・雇用期間の延長・業務内容の大幅な変更など、労働契約の本質的な条件を変える場合は、出向先が独断で決めることはできません。必ず出向元の同意を得た上で、出向契約書の変更覚書を締結してください。口頭だけで変更を進めると、後から「そんな合意はしていない」とトラブルになるリスクがあります。
就業規則の適用関係——場面ごとに使い分ける
出向者に適用される就業規則は、事項によって出向元と出向先で分かれます。休日・服務規律・ハラスメント対応など「出向先の職場で日常的に生じるルール」は出向先の就業規則を適用するのが一般的です。一方、退職金・慶弔見舞金などの処遇に関わる事項は出向元の就業規則が適用されることが多いです。この区分を出向契約書に明記しておくことで、現場の混乱を防げます。
費用負担や指揮命令の範囲について判断に迷ったときは、書類作成の段階で専門家に相談することで、後の紛争リスクを大きく減らせます。
社会保険・費用負担の決め方——精算ルールを契約書に明記する
給与と社会保険料の負担区分は、出向契約書に明確に定めることが必須です。「あとで話し合えばいい」という姿勢で進めると、費用精算で揉める原因になります。
費用負担の主なパターン
実務上よく使われるのは次の三つのパターンです。自社の状況と出向元との関係を踏まえて選択してください。
- 全額出向元負担型:出向元が給与・社会保険料を立て替え払いし、出向先から「出向料」として一括精算を受ける。グループ会社間でよく使われる。
- 出向先直接支払い型:出向先が出向者に直接給与を支払う。社会保険の手続きを出向先で行う必要があるため、事務負担が増える。
- 按分型:出向者が出向元でも一部業務を担う場合など、労働時間等の割合に応じて費用を分担する。
消費税の取り扱いに注意する
出向先が出向元に支払う「給与相当額の実費精算」部分は、消費税法上の課税対象外(不課税)です。ただし、給与相当額を超える「管理料・手数料」が含まれる場合、その部分は課税仕入れとなります。契約書上で実費精算部分と管理料部分を明確に分けて記載しないと、税務調査で指摘を受けるリスクがあります。国税庁の取り扱いに基づき、経理担当者または顧問税理士と事前に確認してください。
社会保険・労災保険の処理
社会保険(健康保険・厚生年金)は、原則として出向元で継続加入します。ただし、出向先での報酬が主となる場合など実態によって判断が変わるため、年金事務所に事前相談することを推奨します。労災保険については、出向先の事業所が適用事業所となり、出向先の労災保険料が使われるのが原則です。出向開始前に保険関係の処理方針を確定させ、漏れなく書類に反映させてください。
受け入れ企業が負う義務——安全衛生とトラブル時の対応責任
出向先は出向者に対して、自社の従業員と同様に安全衛生上の義務を負います。「出向元の社員だから」という理由で対応を後回しにすることは、法的に許されません。
安全衛生義務は出向先が負う
労働安全衛生法上の義務——作業環境の安全確保、健康診断の実施(出向先での業務に伴うもの)、ストレスチェックへの参加——は、現場を管理している出向先が責任を持ちます。従業員数50名以上の事業所では産業医の選任義務もありますが、50名未満の中小企業でも、出向者を含む従業員の健康管理は事業主の責務です。出向者を受け入れたことで従業員数が増加し、義務が発生するラインを超える場合は、特に注意が必要です。
ハラスメント・メンタルヘルス対応も出向先の責任範囲
出向者が職場でハラスメント被害を受けた場合、出向先の使用者として防止措置を講じる義務があります(労働施策総合推進法・男女雇用機会均等法等)。また、出向者がメンタルヘルス不調を訴えた場合の初期対応・休職判断・復職支援も、日常管理者である出向先が主体的に関わる必要があります。「出向元に任せておけばいい」という姿勢は、対応の遅れによる症状悪化や訴訟リスクにつながります。
万一のトラブル時の連絡体制を事前に決める
出向者が業務上の事故・疾病・労使トラブルに巻き込まれた場合の対応フローを、出向契約書または別の覚書で事前に定めておくことを強く推奨します。「誰が誰に連絡するか」「費用は誰が負担するか」「労働基準監督署への報告はどちらが行うか」を明記することで、緊急時に対応が宙に浮くリスクを防げます。
メンタルヘルスや安全衛生への対応は、人事だけで判断せず、産業医や専門家に相談しながら進めることで、企業と従業員双方を守ることができます。
まとめ
在籍出向の受け入れで中小企業が押さえるべきポイントは、大きく五つに整理できます。
- 在籍出向が「二重の法的関係」を生む特殊な仕組みであることを理解すること
- 出向契約書と出向先版の労働条件通知書の両方を開始日前に整備すること
- 指揮命令権の範囲を出向元・出向先で明確に分けること
- 給与・社会保険料の費用負担区分と消費税の取り扱いを契約書に明記すること
- 安全衛生・ハラスメント・メンタルヘルス対応は出向先の義務として主体的に対応すること
「書類を揃えたつもりだったが、重要な項目が漏れていた」「費用精算のルールが曖昧で出向元とトラブルになった」「出向者が体調を崩したとき、どう対応すればいいかわからなかった」——こうした事例は、人事知識の不足や専門家のサポートなしに進めた結果として生じることが少なくありません。受け入れ手続きの複雑さは企業規模に関わらず同じですが、何度も経験する企業は稀です。
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よくある質問
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