「異動させた社員の残業が増えているけど、これって会社の責任になるのだろうか」——配置転換を行った後、ふとそんな不安を覚えたことはありませんか。人員が限られた中小企業では、誰かが抜けた穴を別の誰かが埋める構造になりがちです。結果として、配置転換後の社員に業務が集中し、気づけば過重労働に近い状態になっていた、というケースは珍しくありません。では、配置転換に伴う業務量の増加は、安全配慮義務違反になるのでしょうか。この記事では、違反と認定される判断基準・会社がとるべき対応・記録の残し方まで、実務に即して解説します。
業務量が増えた=違反ではない。問われるのは会社の対応
配置転換後に業務量が増えただけで、即座に安全配慮義務違反になるわけではありません。重要なのは、業務量の増加を会社が「知り得たか」、そして「対応できたのにしなかったか」という点です。
安全配慮義務とは何か
安全配慮義務は、労働契約法第5条に定められています。「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」という条文です。ここでのポイントは「必要な配慮」という言葉で、何をどこまでやれば足りるかは、個別の状況によって判断されます。つまり、一律に「月○時間残業したら違反」という線引きがあるわけではなく、会社がどれだけリスクを認識し、どう対処したかが問われます。
違反かどうかを左右する3つの要素
裁判例の積み重ねから、安全配慮義務違反の有無は主に次の3つの観点から総合的に判断されます。
| 要素 | 内容 |
|---|---|
| 予見可能性 | 業務量の増加や健康被害のリスクを、会社が知り得る状況にあったか |
| 結果回避義務 | リスクを予見できた以上、業務調整・面談・産業医相談などの対応をとれたか |
| 因果関係 | 業務上の過重負担と、実際に生じた健康被害・不調に合理的なつながりがあるか |
この3要素すべてが揃って初めて、会社の責任が問われやすくなります。逆に言えば、業務量の増加があっても、会社が早期に気づいて適切な対応をとっていれば、違反と認定されるリスクを大きく下げられます。
知らなかった、は通用しないケースがある
「上司に報告が上がってこなかった」「本人が大丈夫と言っていた」は、必ずしも免責理由になりません。予見可能性の判断では、「実際に知っていたか」ではなく、「勤怠データや職場の状況から知ることができたか」が問われます。勤怠システムに残業時間が記録されているにもかかわらず管理者が確認していなかった場合、「知れるはずだった」として責任が認められる可能性があります。
配置転換特有のリスク——業務量だけが問題ではない
配置転換後の安全配慮義務違反リスクは、残業時間の増加だけで測れません。業務の「質的な変化」も重要な評価対象になります。
量と質の両面で負荷が積み重なる
厚生労働省の「心理的負荷による精神障害の認定基準」(令和5年9月改正)では、配置転換・業務内容・量の大幅な変化が、心理的負荷の評価項目として明確に挙げられています。たとえば、これまで担当したことのない業務を引き継ぎ、責任だけが急増した、あるいはスキルが合わない職種への異動でミスが続きプレッシャーがかかった、といったケースは、残業時間が基準の範囲内であっても労災として認定される可能性があります。
役割・人間関係の変化も負荷になる
配置転換後の職場環境の変化——上司が変わる、チームになじめない、これまでの人間関係が断絶される——といった心理的負担も、評価の対象です。「仕事量は増えていないが、環境の変化でメンタルが追い詰められた」という場合でも、会社側が早期に把握し対応する義務は変わりません。特に少人数の職場では、孤立しやすい状況になりやすく、注意が必要です。
時間外労働の参考水準を知っておく
数字を完全に無視してよいわけでもありません。労働基準法第36条(いわゆる36協定)では、時間外労働の上限が原則月45時間・年360時間と定められており、特別条項を使っても月100時間未満・複数月平均80時間以下が上限です。また、脳・心臓疾患の労災認定基準(令和3年9月改正)でも、発症前の時間外労働量が判断材料になります。これらの水準は「これを超えたら違反」の絶対ラインではありませんが、リスクが高まる目安として管理しておくことが重要です。
よくある誤解と落とし穴——これで安心していると危ない
配置転換後のリスク管理で、多くの中小企業が陥りやすい誤解があります。思い込みが、後々のトラブルの原因になります。
本人が同意した異動だから問題ないという誤解
配置転換に本人が同意していること(または異動辞令を受け入れたこと)と、その後の業務管理における安全配慮義務は、まったく別の話です。「合意した」はあくまで配置転換の有効性に関わる問題であり、異動後に業務が過重になった場合の健康管理義務を免除するものではありません。異動に納得していた社員がメンタル不調になった場合でも、会社側が業務量を把握して対応しなかったと判断されれば、責任が問われます。
残業時間が基準以内だから大丈夫という過信
時間外労働の時間数は、リスク判断の一要素にすぎません。精神障害の労災認定では、「業務量・責任の急増」「業務内容の質的変化」「ハラスメントの有無」なども心理的負荷の評価対象です。たとえば月の残業が40時間でも、異動直後に前任者の業務を一人で引き継ぎ、毎日深夜まで不慣れな業務をこなしている状況では、心理的負荷は相当大きくなります。時間数だけで安心するのは危険です。
他に人がいないから仕方ないは免責にならない
中小企業では、「代わりに任せられる人がいない」「部署が少ないので業務を分散できない」という状況はよくあります。しかし、それは会社の事情であり、社員に対する安全配慮義務を免除する理由にはなりません。業務分散が難しいなら、外部リソースの活用・業務の優先順位の見直し・採用計画の前倒しなど、できる手段をとったかどうかが問われます。「他に手がなかった」ではなく「できる限りのことをした」という記録が重要です。
会社が今すぐ確認すべきセルフチェックポイント
「うちは大丈夫か」を判断するために、配置転換後に確認しておくべき項目を整理します。以下の項目に一つでも不安があれば、早めに対処することをお勧めします。
業務量・労働時間の把握
まず確認したいのは、異動後の実際の労働時間です。勤怠システムや打刻記録を確認し、月の時間外労働が増加していないかを見ます。とくに異動直後の1〜3か月は業務の引き継ぎや習熟で負荷が高まりやすい時期です。この時期に上司が定期的に状況を確認しているか、も大切なポイントです。産業医が選任されている会社(常時50人以上の事業場は選任義務あり)であれば、面接指導の機会を積極的に活用してください。50人未満で産業医がいない場合でも、外部の医療機関や産業保健総合支援センターへの相談が可能です。
本人との対話の機会
「最近どうですか」という一言でも、定期的に直接話す機会をつくることが重要です。本人が「大丈夫です」と言っていても、表情・声のトーン・業務の進み具合など、周囲が観察できるサインがあります。気を遣って申告できない状態になっていないかを、上司や経営者が意識的に確認することが求められます。面談を行った場合は、簡単なメモや記録を残しておくことが後の証拠になります。
産業医がいない場合でも、スポット相談や外部のメンタルヘルス専門家を活用することで、客観的な視点から社員の状態を把握できます。
就業規則・労務管理体制の整備状況
配置転換後の業務量調整に関するルールが、就業規則や運用マニュアルに定められているかも確認ポイントです。「異動後○か月以内に上長が面談を行う」「残業が月○時間を超えた場合は産業医または外部専門家に相談する」といったルールがあると、対応の一貫性を示しやすくなります。就業規則がない、あるいは10年以上更新していない場合は、現行の法令に対応した整備も検討してください。
会社の責任を軽減するために「今からできること」
問題を事前に防ぐか、早期に対処するかで、会社が負うリスクは大きく変わります。対応のスピードと記録が、後のトラブル防止に直結します。
配置転換前後のリスク確認を習慣化する
異動を決定する前に、受け入れ先の業務量・現在の担当者の負荷状況・引き継ぎに必要な期間を確認する習慣をつけましょう。「人を動かす前に仕事の量を見る」という視点を、人事判断のプロセスに組み込むことが重要です。組織規模が小さくても、A4一枚程度の「配置転換チェックリスト」を自社で作成するだけで、抜け漏れを防ぐことができます。
早期サインを見逃さない観察ポイント
メンタル不調は、ある日突然ではなく、じわじわと進行することがほとんどです。異動後の社員について、次のような変化が見られたら早めに声をかけましょう。
- 以前より口数が減った、表情が暗い
- 業務のミスや抜け漏れが増えた
- 有給休暇の取得が突然増えた、または遅刻・早退が続く
- 「眠れない」「頭が痛い」などの身体症状の訴え
- 以前できていた業務スピードが落ちている
これらのサインが出た段階で、上司が声をかけ、必要に応じて産業保健スタッフや外部専門家につなぐことが、結果回避義務を果たすうえで重要な行動になります。
対応の記録を必ず残す
「面談した」「業務を調整した」「社員に確認した」という事実は、記録が残っていなければ証明できません。面談日時・内容の要点・その後の対応方針を簡潔にメモし、ファイルに保存する習慣を全管理職に徹底させましょう。勤怠データも月単位で確認・保存し、異常値があった月は何らかの対応をとった記録とセットで残すことをお勧めします。裁判や労基署の調査が入った際、こうした記録の有無が会社の対応姿勢を示す重要な証拠になります。
まとめ
配置転換後に業務量が増えただけで、即座に安全配慮義務違反になるわけではありません。問われるのは、会社が「リスクを知り得たか」「対応できたのに何もしなかったか」という点です。残業時間の数字だけでなく、業務の質的変化・役割の急増・職場環境の変化も評価対象になります。「本人が同意した異動だから」「時間数は基準以内だから」という安心は危険で、定期的な面談・勤怠の確認・早期サインへの対応・記録の蓄積が、会社を守る実務的な柱になります。
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よくある質問
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