人事制度の属人化を防ぐ明文化の進め方

人事制度の属人化を防ぐ明文化の進め方 人事制度
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「うちは昔からそうしてきたから」——その一言で、給与や休暇のルールが曖昧なまま運用され続けていませんか。採用時に口頭で伝えた昇給の約束、長年ベテラン社員だけに認めてきた柔軟な出退勤、前社長の時代に決まったまま誰も根拠を知らない手当。こうした「暗黙ルール」は、退職・紛争・採用トラブルをきっかけに一気に表面化します。この記事では、属人化した人事制度を現場を混乱させずに明文化するための手順と優先順位を、法的な観点も交えて解説します。

「書いていないから無効」は通用しない——暗黙ルールの法的位置づけ

就業規則や労働契約書に書かれていない「慣行」でも、一定の条件を満たせば法的拘束力を持ちます。「書いていないから守らなくていい」という判断は危険です。

事実たる慣習が生む法的リスク

民法第92条は「事実たる慣習」について、当事者がその内容を規範として認識して従ってきた場合、法的な効力を持ち得ると定めています。たとえば、毎年4月に全員へ一律で行ってきた昇給を「今年はなし」とする場合、その慣行がルールとして定着していると判断されれば、一方的な変更は労働条件の不利益変更として問題になる可能性があります。

「長年やってきたこと」が、いつの間にか「守らなければならないこと」に変わっている。これが暗黙ルールの最も怖い側面です。

「不利益変更」になるかどうかの判断基準

明文化の作業は、慣行を書き起こすだけでなく「現状と差異が生じないか」を確認するプロセスでもあります。労働契約法第10条は、就業規則の変更による不利益変更について、変更内容の合理性と労働者への適切な周知を求めています。

たとえば、慣行として支給していた手当を明文化の際に廃止・減額する場合、それは不利益変更に該当する可能性があります。逆に、曖昧だったものをそのまま文書に落とし込むだけなら問題はありません。「明文化」と「変更」を混同しないことが重要です。

就業規則の周知義務と効力の関係

労働基準法第89条・第90条により、常時10名以上の労働者を使用する事業場は就業規則の作成・届出が義務です。さらに労働契約法第7条は、周知されていない就業規則は労働者に対して効力を持たないと定めています。つまり、作成しただけで引き出しにしまっている状態では「ないのと同じ」になりえます。

従業員数が10名未満の企業でも、就業規則がないままでは個別の口頭約束が事実上の労働条件になるため、明文化の必要性は変わりません。

属人化が起きる場面と、放置した場合のリスク

属人化した人事制度は特定の場面で集中的に発生します。どこで問題が起きやすいかを知っておくことが、優先順位をつけるうえで役立ちます。

口約束・個別交渉が積み重なる給与・手当

採用面談で「頑張れば半年で昇給する」「子どもが生まれたら家族手当を出す」と口頭で伝えたケースは珍しくありません。問題は、これが書面に残っておらず、担当者が変わると引き継がれないことです。約束した側が退職・異動すると「そんな話は聞いていない」となり、未払い賃金の請求につながることがあります。

なお、未払い賃金の請求権は2020年4月以降分について原則3年(労働基準法第115条)です。時効が来るまでは請求リスクが続くことを念頭に置いてください。

ベテラン社員だけに認めてきた「不文律の特権」

長年勤めている社員への配慮として、残業免除・有給の自由取得・フレキシブルな出退勤などが慣行化しているケースがあります。こうした運用は、新しく入社した社員や他の社員との公平性問題に発展しやすく、採用や定着にも影響します。特に社員数が増えてきた段階(目安として20名前後)でこの問題が顕在化することが多く見られます。

前任者・前経営者のルールが「なぜそうなのか誰も知らない」状態

前社長や前担当者の判断がそのまま慣行になっており、変更しようとすると「昔からこうだから」と言われて手が出せない。このような状態は、組織の成長に伴って必ず軋轢を生みます。特に採用・評価・昇給の基準が属人化していると、マネジメント全体の信頼性を損ないます。

暗黙ルールを制度化するステップ

属人化した人事制度を整理するには、闇雲に書き起こすのではなく、段階を踏んだ進め方が必要です。現場を混乱させないために、まず棚卸しから始めます。

棚卸しと分類

まず最初に、現在の職場で「なんとなく行われているルール」をすべて洗い出します。方法としては、管理職へのヒアリング、人事担当者の経験メモ、社員アンケートなどが有効です。洗い出したルールは「給与・手当系」「休暇・勤怠系」「評価・昇格系」「職場マナー・文化系」の4カテゴリに大別すると整理しやすくなります。

この段階では「良い・悪い」の判断はせず、ただ可視化することを優先します。

優先順位の付け方

すべてを一度に制度化しようとすると、現場への負荷が大きく頓挫しやすくなります。「法的リスクの大きさ」と「発生頻度」の2軸で優先度を判断することを推奨します。

優先度 内容例 優先する理由
最優先 給与・手当・昇給の口約束 金銭的・法的リスクが最大。未払い賃金請求リスクあり
休暇・休日・残業の運用慣行 労働基準法違反に直結しやすい
服務・評価の暗黙基準 退職・紛争時に表面化しやすい
職場の慣習的マナー・文化 法的拘束力は低く、急いで制度化する必要は小さい

変更の要否を判断し、合意形成を経て周知する

次に、洗い出した各ルールについて「現状のまま文書化するか」「変更を伴うか」を判断します。変更を伴う場合は、対象社員への事前説明と合意形成のプロセスが不可欠です。「一緒に決めた」という経緯を作ることで、反発を大幅に抑えられます。

最後に、完成した規程・規則を全社員へ周知します。周知の記録(日付・方法・対象者)を残しておくことで、後の紛争リスクにも備えられます。

「今さら変えるの?」という反発を防ぐコミュニケーション

明文化の作業で最も多いつまずきは、制度変更ではなく社員の受け取り方の問題です。事前のコミュニケーション設計が成否を分けます。

「明文化」と「不利益変更」を区別して伝える

社員の多くは、明文化=会社が一方的に都合のいいルールを作る行為と誤解しがちです。「これまでやってきたことを文書に落とし込む作業であり、今の待遇を減らすものではない」という点を、最初に明確に説明することが重要です。

もし明文化の過程で慣行と制度内容に差異が生じる部分があるなら、その箇所だけを切り分けて別途説明する構成にすると、混乱を最小化できます。

ヒアリングを組み込み「当事者感」を持たせる

制度整備の過程で、管理職や代表的な社員にヒアリングする機会を設けましょう。内容そのものより「意見を聞いてもらった」という事実が、制度への信頼感につながります。特にベテラン社員は暗黙ルールの当事者であることが多く、早い段階で巻き込むことが得策です。

専任人事がいない場合の現実的な進め方

兼務で人事を担当している場合、制度整備の全体を一人で抱えると確実に止まります。現実的なアプローチは、まず最優先の給与・手当領域だけに集中し、3〜6ヶ月単位で段階的に整備を進めることです。外部の社会保険労務士や人事コンサルタントを部分的に活用することも、スピードとリスク管理の両面で有効です。

給与・手当の口約束の棚卸しだけでも、早めに着手することで後の紛争リスクを大きく減らせます。判断に迷う部分は、人事の専門家に相談しながら進めるのが現実的です。

明文化後のメンテナンスと、陥りやすい落とし穴

制度を作って終わりにしてしまうと、新たな属人化が生まれます。明文化した後の運用体制も含めて設計することが長期的な安定につながります。

「一度作ったら触れない」ことへの警戒

就業規則や給与規程は、作成後に法改正・組織変化・採用市場の変化に合わせて定期的に見直すことが前提です。とくに2024年4月の労働基準法施行規則改正により、採用時の明示事項(就業場所・業務の変更範囲、有期契約の更新上限など)が追加・強化されています。労働条件通知書の内容を確認する機会として、年1回の規程見直しを習慣化することを推奨します。

新たな口約束が生まれないための仕組み

制度整備後も、採用面談や昇給交渉の場で「個別約束」が生まれやすい状況は変わりません。採用担当者・管理職向けに「その場での個別約束は行わない」「条件提示は人事確認後に書面で行う」というフローを明確にしておくことで、新たな属人化を防ぐことができます。小さなルールでも、運用手順をセットで整備しておくことが肝心です。

従業員規模ごとの対応の違い

従業員数10名未満の企業では就業規則の作成義務はありませんが、個別の労働契約書・雇用通知書の整備は必須です。10名以上になったタイミングで就業規則を初めて作成する場合、それまでの慣行との整合確認が不可欠になります。20〜50名規模では、評価制度・等級制度の暗黙化が進みやすく、この段階での整備が離職防止・採用競争力にも直結します。

人事制度の整備は経営課題であると同時に、労務リスク管理です。規程を完成させた後の運用や改定についても、人事の専門家とともに進めることで、長期的な安定が生まれます。

まとめ

人事制度の属人化は、「昔からそうしてきた」という慣行が知らぬ間に法的拘束力を持ち、ある日突然トラブルとして表面化するリスクをはらんでいます。明文化の作業は「ルールを変える」のではなく「今あるものを見える化する」ことが出発点です。優先順位は給与・手当の口約束から着手し、変更を伴う場合は合意形成と周知のプロセスを丁寧に踏むことが重要です。

ウェルセンス株式会社では、専任人事がいない中小企業の人事制度整備・暗黙ルールの棚卸し支援を承っています。「どこから手をつければいいか分からない」という段階からでも、実務に即したアドバイスが可能です。まずは現状のお悩みをお気軽にご相談ください。

よくある質問

Q. 就業規則に書いていない慣行は、法的に有効なのでしょうか?

A. 必ずしも無効とはいえません。民法第92条の「事実たる慣習」として、労使双方がその内容を規範として認識してきた場合、就業規則の内容を補完・補充するものとして法的効力を持ち得ます。「書いていないから守らなくていい」という判断は危険で、まず慣行の内容と運用実態を確認することが先決です。

Q. 明文化を進めると社員から反発されるのが心配です。どう対処すればいいですか?

A. 「明文化は今の待遇を変えるものではなく、今あるルールを文書にする作業だ」という点を最初に丁寧に説明することが重要です。また、管理職やベテラン社員へのヒアリングを事前に行い「一緒に決めた」という経緯を作ることで、反発を大幅に抑えることができます。変更を伴う部分がある場合は、他の項目と混同されないよう切り分けて説明しましょう。

Q. 従業員が10名未満でも就業規則の整備は必要ですか?

A. 法律上の作成・届出義務は常時10名以上の事業場に課されますが、10名未満でも個別の労働契約書・労働条件通知書の整備は必要です。就業規則がない状態では、口頭の約束や慣行がそのまま労働条件になるリスクがあります。将来的に10名以上になるタイミングで慌てないよう、早めに基本的な書面整備を進めておくことを推奨します。

Q. 採用時に口頭で約束した昇給条件は、後から変更できますか?

A. 口頭で伝えた条件であっても、労働契約の内容として成立している可能性があります。一方的に変更する場合は、労働契約法上の不利益変更(第10条)の問題が生じる可能性があるため、対象社員への説明と合意形成が必要です。また、2024年4月の省令改正により、採用時に書面で明示すべき事項が追加・強化されており、口頭での個別説明だけに頼る採用対応はリスクが高まっています。

Q. 専任人事がいない中で、制度整備はどこから着手すればいいですか?

A. 最初は給与・手当・昇給に関する口約束の棚卸しに絞ることをお勧めします。金銭的・法的リスクが最も大きく、放置した場合の影響も大きいためです。全体を一度に整備しようとすると止まりやすいため、3〜6ヶ月単位で領域を絞って進めるのが現実的です。進め方に迷う場合は、外部の社会保険労務士や人事支援の専門家を活用することで、時間と判断コストを大幅に削減できます。

【監修】ウェルセンス株式会社
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