「支給日の3日前に退職届が出た。この社員に賞与を払わなければいけないのか?」——そう慌てて就業規則を開いたとき、賞与の欄に書いてあるのは「業績に応じて支給する場合がある」の一文だけ。こうした状況に直面したとき、明文化されていないルールはまったく機能しません。賞与支給日在籍要件は、就業規則に正しく書かれて初めて効力を持ちます。この記事では、トラブルを未然に防ぐための規定設計を3つのステップで解説します。
賞与支給日在籍要件とは何か
賞与支給日在籍要件とは、「支給日当日に在籍している従業員にのみ賞与を支給する」という条件のことです。この要件が就業規則に明記されていれば、支給日前に退職した従業員への賞与不支給は原則として有効となります。
在籍要件がないとどうなるか
就業規則に在籍要件の記載がない場合、「査定期間中に働いた分は支払われるべき」という元社員の主張に対して、会社側は反論の根拠を持てません。労働基準法第11条は、支給条件・算定方法・支給時期が明記された賞与を「賃金」として保護しています。つまり、規定があいまいなままで不支給の決定を下すと、未払い賃金として争われるリスクが生じます。
「口頭で伝えている」は法的に通用しない
中小企業では「入社時に説明した」「毎年の全体会議で話している」という運用が少なくありません。しかし、就業規則に明記・周知されていない在籍要件は、労働紛争になった際に会社が立証できません。労働基準法第106条は、就業規則の労働者への周知を義務として定めており、周知がなければ就業規則の効力自体が生じない場合があります。口頭の運用を就業規則に落とし込むことが、すべての出発点です。
賞与が「任意的恩恵」から「賃金」に変わる境界線
支給条件・算定方法・支給時期のいずれかが明確に定められた瞬間、賞与は法的に「賃金」の性質を持ち始めます。逆に言えば、「業績に応じて支給する場合がある」程度の一文であれば、支給そのものの裁量は会社に残ります。ただし、そのあいまいさは在籍要件の有効性もあいまいにするという両刃の側面があります。設計方針として「賞与の要件を明確にしたうえで在籍要件もセットで明記する」アプローチを推奨します。
在籍要件が有効に機能しないケース
支給日在籍要件が就業規則に書かれていても、その適用が無効または制限されるケースがあります。代表的な2つの場面を把握しておくことが、リスク管理の第一歩です。
会社都合解雇と支給日が重なったとき
会社都合で解雇した従業員の解雇日が、たまたま賞与支給日の直前になってしまった場合、「在籍要件があるから払わない」という主張は権利濫用・信義則違反として争われるリスクがあります。実際に裁判例でも、会社側が支給日直前のタイミングを意図的または結果的に選んで解雇したケースで、在籍要件の適用を制限した判断があります。自己都合退職と会社都合解雇では、同じ規定でも適用の評価が異なる点を担当者は必ず押さえておく必要があります。
規定の周知が不十分なとき
就業規則を書棚に置いてあるだけ、イントラネットに掲載しているが入社時に案内していないといった状態は、「周知」の要件を満たさない場合があります。労働基準法第106条が求める周知は、従業員がいつでも確認できる状態に置くことです。在籍要件を新設・変更した際には、改定内容を書面または電子メールで全従業員に通知し、確認の記録を残す運用を整えることが重要です。
就業規則への明文化:3つの設計ステップ
賞与支給日在籍要件を有効に機能させるには、現状把握・規定の作成・周知と運用の3段階を順に整えることが必要です。以下でそれぞれの実務上のポイントを説明します。
現状の規定と運用のギャップを確認する
まず最初に行うべきは、現在の就業規則の賞与関連条文と実際の支給運用を照合することです。確認すべき項目を以下に整理します。
- 在籍要件(支給日当日の在籍を条件としているか)の記載有無
- 算定基準・支給時期・支給対象者の記載有無
- 休職・欠勤時の減額ルールの記載有無
- 不支給条件(懲戒処分中、査定期間の途中入社など)の記載有無
- 別途「賞与規程」がある場合、就業規則本則との連動を明記しているか
この照合で「書いていない」項目が浮かび上がれば、それが今後のトラブルの火種になります。
規定の文言を設計する
次に、確認したギャップを埋める条文を設計します。賞与規定に盛り込むべき主な要素と記載例のポイントを下の表で整理しました。
| 記載項目 | 記載のポイント |
|---|---|
| 支給日在籍要件 | 「賞与支給日に在籍する者に支給する。支給日前に退職した者には支給しない」と明記する |
| 支給対象期間 | 査定基準期間(例:4月1日〜9月30日)を明記する |
| 算定方法 | 「基本給の〇か月分を基準とし、会社業績および個人評価により増減する」など |
| 休職・欠勤時の減額 | 「査定期間中に〇日以上の休職がある場合は、日割り計算により減額する」等の方式を明記 |
| 不支給条件 | 「支給日時点で懲戒処分期間中の者、試用期間中の者には支給しない」など |
| 支給しない場合 | 「会社の業績によっては支給しない場合がある」と裁量条項も残しておく |
なお、賞与の詳細を「賞与規程」として別規程で定める場合は、就業規則本則に「賞与の支給については賞与規程の定めによる」と明記し、賞与規程も就業規則と一体として周知することが必要です。
周知と変更手続きを適切に行う
規定の文言が整ったら、最後のステップとして従業員への周知と、必要であれば不利益変更の手続きを踏みます。在籍要件の新設や算定基準の変更は、従業員にとって不利益な変更にあたる可能性があります。労働契約法第10条は、就業規則の不利益変更が有効とされるために「変更の合理性」と「周知」の両要件を求めています。変更による不利益が大きい場合は、個別の同意書を取得することが望ましい対応です。周知の方法としては、改定内容の書面配布・全体説明会の開催・電子メールによる通知と確認記録の保存を組み合わせることを推奨します。
実務のポイント
賞与規定の変更は「従業員にとって不利な変更」として扱われることが多いため、単に周知するだけでなく、影響度が大きい場合は個別同意の取得が紛争防止につながります。一度規定を整えたら、数年ごとに運用状況と齟齬がないか確認することも大切です。
休職中の従業員への賞与はどう扱うか
メンタル不調などで長期休職中の従業員への賞与については、在籍要件とは別に「査定期間中の稼働実績」をどう評価するかを規定で定めておく必要があります。
不支給・減額の根拠を規定に持たせる
休職中の従業員が支給日に在籍していれば、在籍要件は満たしています。そのため、不支給または減額とするためには「査定期間中の休職日数に応じた減額規定」が別途必要です。たとえば「査定基準期間中に30日以上の休職がある場合は、休職日数に応じて日割り計算した額を控除する」「査定期間の全期間にわたって休職していた場合は支給しない」といった文言を明記します。根拠のない一方的な不支給決定は、労働基準法第24条(賃金の全額払い原則)との関係で問題になるため注意が必要です。
会社規模による対応の分岐
産業医の選任義務(常時50人以上の事業場)がある規模の企業では、産業医の意見書を休職・復職判断の根拠として活用できます。一方、50名未満でまだ産業医契約がない企業では、主治医の診断書と休職規定の整合性を人事担当者が判断することになります。どちらの場合も、賞与の算定に関しては「就業規則に休職時の減額根拠が書かれているか」が最初の確認事項です。規定がない場合は、今の休職者への対応と並行して規定の整備を進めることを検討してください。
人事担当者の負担を軽くするには
休職者への賞与判断は、毎回個別判断するには時間がかかる業務です。「休職30日以上で日割り減額」といった明確なルールを就業規則に組み込むことで、判断時間を短縮できるだけでなく、従業員からの異議も減らせます。
まとめ
賞与支給日在籍要件は、就業規則に正確に明記され、かつ従業員に周知されて初めて有効に機能します。「口頭で説明してきた」「業績に応じて支給する場合がある」という一文だけでは、支給日前の退職者や休職者への対応で会社側が法的根拠を持てない状況に陥ります。設計の流れとしては、まず最初に現在の規定と運用のギャップを洗い出し、次に在籍要件・算定方法・減額条件・不支給条件を網羅した条文を作成し、最後に周知と(不利益変更を伴う場合は)同意取得の手続きを行うという3段階を踏んでください。また、会社都合解雇のタイミングと支給日が重なるケースや、休職者への対応については、在籍要件だけでは解決しない論点があることも覚えておきましょう。
こうした賞与規定の整備は、規定を作ったら終わりではなく、その後の運用が重要です。「毎年この時期に規定を見直す」という習慣をつけることで、トラブル予防にもつながります。ウェルセンス株式会社では、中小企業の経営者・兼務人事担当者が抱える賞与規定や就業規則に関するご相談をお受けしています。「この規定、今のままで本当に大丈夫だろうか」と少しでも不安を感じたときは、お気軽にご相談ください。
よくある質問
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