社員が引越しで通勤経路が変わったら確認すべきこと

社員が引越しで通勤経路が変わったら確認すべきこと 労務管理
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「そういえば、あの社員、3ヶ月前に引越したって言ってたけど……交通費の申請、変わってないな」——気づいたとき、すでに数万円単位の過払いが積み上がっていたというケースは、中小企業の現場では決して珍しくありません。専任人事がいない環境では、入退社対応や給与計算に追われるなかで、こうした「変化の見落とし」が起きやすいのが実情です。この記事では、社員が引越しをした際に会社として確認すべきこと、過払い交通費の返還請求の可否、そして再発を防ぐ規程整備の方法を、法的根拠をふまえながら実務目線で解説します。

引越し後も交通費が変わらない「よくある場面」

社員の住所変更と交通費の更新が連動していないことは、規程の不備がある会社では構造的に起きやすい問題です。まずどのような場面で通勤経路変更に関する問題が生じるかを整理します。

定額支給だからこそ気づきにくい

実費精算ではなく「定額の通勤手当」を支給している会社では、給与明細上の金額が変わらないため、実態との乖離に誰も気づかないまま時間が経過しやすくなります。たとえば月2万円の定額を支給しているケースで、引越し後は自転車通勤になっていた、あるいは通勤距離が大幅に短縮されたといった状況でも、手動で確認しない限り数ヶ月・数年にわたって過払いが続きます。

「住所変更届は出した」で終わっている

多くの会社の就業規則には「住所変更は〇日以内に届け出ること」という条項があります。しかし、住所変更の届出義務と、通勤経路・交通費の変更申請義務は法的に別物です。住所変更届を受け取った担当者が「あとは社員が交通費の変更申請をするだろう」と思い込み、経路の再確認をしていないケースが多く見受けられます。住所変更届と通勤手当変更届が別の様式・別の手続きであることを、規程上も運用上も明確にしておく必要があります。

悪意のない「うっかり」が大半

社員側も、引越しのバタバタで交通費の再申請を忘れていたというケースがほとんどです。意図的に不正受給を続けていたわけではなく、「申請すれば変わると思っていた」「会社が更新してくれると思っていた」という認識のすれ違いが根本にあります。この点は、後述する返還請求の範囲にも影響する重要な事実です。

過払い交通費は返還請求できるのか

結論からいえば、過払いとなった通勤手当は法的に返還請求できます。ただし、届出義務と請求できる範囲には制限があり、正しく理解して対応することが重要です。

不当利得返還請求という法的根拠

支給根拠のない金銭を受け取った社員に対しては、民法第703条・第704条に基づく不当利得返還請求が成立しうると解されています。ただし、返還できる範囲は社員の状況によって異なります。

  • 善意の場合(知らなかった・忘れていた):「現存利益」の範囲、つまり受け取った利益がまだ手元に残っている部分のみ返還義務を負う(民法第703条)
  • 悪意の場合(知りながら届出をしなかった):受け取った全額+利息の返還義務を負う(民法第704条)

引越しを認識しながら意図的に申告しなかったことが証明できれば悪意と評価されますが、単純な申告忘れは善意と判断されやすいため、実務上は「現存利益の範囲で返してもらう」という合意形成が現実的な解になることが多いです。

時効は何年さかのぼれるか

2020年4月施行の改正民法では、不当利得返還請求権の消滅時効は「権利を行使できると知ったときから5年」または「権利が生じたときから10年」(民法第166条第1項)とされています。改正前(2020年3月以前)に発生した過払いについては旧法のルールが絡むため、発生時期の確認が必要です。実務上は、気づいた時点から遡って確認できる範囲(給与明細・交通費台帳)で過払い額を算定し、社員と協議する流れになります。

給与から天引きしてよいか

会社が一方的に給与から差し引くことは原則として認められていません。労働基準法第24条(賃金全額払い原則)があるためです。天引きが合法となるのは、以下の場合に限られます。

方法 条件・根拠
法定控除 社会保険料・税金など法令に定めがあるもの
労使協定による控除 労働基準法第24条ただし書に基づく労使協定の締結
社員の個別同意による控除 書面で個別に同意を取得した場合

実務上もっとも現実的なのは、社員から書面で同意を得たうえで分割返済の合意をする方法です。「〇月から〇ヶ月にわたって毎月〇円を給与から控除する」という内容を書面化し、双方が署名する形を取りましょう。

過払いが発覚したときの対応の流れ

過払いに気づいたら、まず事実確認を落ち着いて進めることが先決です。感情的に「返せ」と迫るのではなく、事実を整理してから社員と対話する順序を踏むことが、関係性を壊さずに解決するポイントになります。

事実確認と過払い額の算定

まず住民票の写しや引越し日を確認し、実際にいつから通勤経路が変わったのかを特定します。次に、変更後の正しい通勤手当額を計算し、支給した額との差分(過払い額)を月ごとに算出します。この作業を経営者・担当者だけで進め、社員に提示できる「計算の根拠」を整えてから面談に臨むことが大切です。

社員との面談と合意形成

事実確認の内容を社員に提示し、過払いが生じていたことを共有します。このとき、「責める」のではなく「手続きの見落としがあった」という共通認識を作ることを意識してください。その後、返還方法について協議し、分割返済であれば「返済合意書」を書面で作成します。社員が一括返済を希望する場合も書面で確認し、給与から控除する場合は個別同意書を別途取得します。

懲戒処分を検討する場合

社員が引越し後も意図的に旧住所・旧経路で申請し続けていたことが明確であれば、懲戒事由として扱う選択肢もあります。ただし懲戒処分を行うには、就業規則への懲戒事由の明記・適正な手続きの履践・処分の相当性が必要です(労働契約法第15条)。「虚偽申告」や「不正受給」を懲戒事由として就業規則に定めていない場合、処分は無効になるリスクがあります。処分の可否は弁護士や社会保険労務士に事前確認することを強くお勧めします。

再発を防ぐ:通勤届出義務の規程化

過払いの回収と同時に、再発防止のための規程整備を進めることが本質的な解決策です。「住所変更届があれば十分」という思い込みを制度として正しておきましょう。

就業規則・賃金規程に盛り込む内容

通勤手当に関する規程(就業規則本体または賃金規程・通勤手当規程)に、以下の内容を明記することが基本です。

  • 居住地または通勤経路に変更が生じた場合、速やかに(または〇日以内に)「通勤手当変更届」を提出すること
  • 変更届の提出を怠った場合、過払いが生じた際は返還義務を負うこと
  • 虚偽の申告をした場合は懲戒の対象となること
  • 変更届の提出日(または変更事由発生日)を起点として支給額を改定すること

「住所変更届を提出したこと」と「通勤手当変更届を提出したこと」を別の義務として規程上で区別し、どちらも漏れなく提出する仕組みを作ることがポイントです。

定期的な申告内容の確認運用

規程の整備と合わせて、年に一度「通勤経路・手当の現状確認」を全社員に対して行う運用を取り入れることも有効です。年末調整のタイミングや、人事評価のサイクルに合わせて「現在の通勤経路に変更はないか」を書面で確認することで、長期的な乖離を防ぐことができます。就業規則の変更を行う場合は、労働者代表の意見聴取と所轄労働基準監督署への届出が必要なことも忘れずに確認してください。

就業規則がない・整備が不十分な会社のケース

常時10人未満の事業場には就業規則の作成義務がありませんが(労働基準法第89条)、通勤手当に関するルールは何らかの形で文書化しておくことが強く推奨されます。「就業規則がないから規程もない」という状態では、過払いの返還根拠や懲戒の正当性を主張することが非常に困難です。労働条件通知書や雇用契約書に通勤手当の支給条件と変更届出義務を記載するだけでも、一定の根拠として機能します。

社員との関係を壊さずに対処するために

法的に正しい対応ができても、社員が傷ついて退職してしまっては元も子もありません。現場の関係性を守りながら問題を解決するための視点を整理します。

「会社の落ち度」も認める姿勢が信頼を守る

規程が不明確だった、確認する仕組みがなかった——そうした会社側の不備が今回の問題を生んだ側面があることは、正直に認めることが大切です。「届け出なかったあなたが悪い」という一方的な構図ではなく、「制度上の抜け穴があったため、今後のためにルールを整備する」という姿勢を示すことで、社員も「払い過ぎた分を誠実に返そう」という気持ちになりやすくなります。

分割返済・一部減額の合意も選択肢に

過払い額が大きく、社員が一括で返済できない場合は分割払いで合意するのが現実的です。また、会社側の規程整備の不備が明らかで、社員が善意で届出を忘れていたにすぎない場合は、一部の返還請求を見合わせるという判断もありえます。重要なのは「返還する・しない」の結論よりも、双方が納得できる形で決着をつけることです。どこまで請求するかの判断に迷ったときは、社会保険労務士に相談して方針を決めることをお勧めします。

まとめ

社員の引越しによる通勤経路変更は、専任人事がいない会社では見落とされやすく、発覚したときには過払いが積み上がっているケースが少なくありません。過払い交通費は不当利得返還請求(民法第703条・第704条)として法的に返還を求めることは可能ですが、給与からの一方的な天引きは労働基準法第24条に抵触するため、社員の書面同意と分割返済の合意が現実的な方法です。また、再発を防ぐためには就業規則・賃金規程に「通勤手当変更届の提出義務」「虚偽申告時の懲戒規定」を明記し、住所変更届と通勤手当変更届を別の手続きとして整備することが必要です。今回のような対応に加え、メンタルヘルスや休職・復職対応も含めた人事労務全般のお困りごとは、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。専門知識を持つスタッフが、御社の規模や状況に合わせた実務的なアドバイスを提供しています。

よくある質問

Q. 引越し後に届出をしなかった社員に対して、過払い分の全額返還を請求できますか?

A. 法的には不当利得返還請求(民法第703条・第704条)として請求することは可能です。ただし、社員が意図的に申告しなかった「悪意」のケースでは全額+利息の返還義務が生じますが、うっかり忘れていた「善意」のケースでは現存利益の範囲に限られる場合があります。実務上は過払い額と社員の状況をふまえて、返還範囲を協議・合意するのが一般的です。

Q. 過払い交通費を給与から差し引いてよいですか?

A. 会社が一方的に差し引くことは、労働基準法第24条(賃金全額払い原則)により原則として認められていません。給与からの控除を行う場合は、社員から書面による個別同意を取得したうえで、控除額・控除期間を明示した合意書を作成することが必要です。

Q. 就業規則に「住所変更の届出義務」は書いていますが、「通勤経路変更の届出義務」の記載がありません。それでも返還請求はできますか?

A. 住所変更届と通勤手当変更届は別の手続きであるため、住所変更の届出義務のみでは通勤経路変更の届出義務をカバーしきれない場合があります。返還請求そのものは不当利得として可能ですが、懲戒処分の根拠としては弱くなります。規程の不備を認めつつ、今後の再発防止のために就業規則・賃金規程を整備することをお勧めします。

Q. 何年前まで遡って返還を請求できますか?

A. 2020年4月施行の改正民法では、不当利得返還請求権の消滅時効は「権利を行使できると知ったときから5年」または「権利が生じたときから10年」とされています(民法第166条第1項)。2020年3月以前に発生した過払いには旧法が適用されるため、発生時期ごとに確認が必要です。実務上は気づいた時点から遡って確認できる範囲で過払い額を算定し、社員と協議することが一般的です。

Q. 通勤手当の変更届出義務を規程化するにはどこから手をつければよいですか?

A. まず現行の就業規則・賃金規程に「通勤手当の支給根拠」と「変更時の届出義務」がどう書かれているかを確認してください。住所変更の届出規定のみで交通費変更に触れていなければ、賃金規程または通勤手当規程に「変更届の提出義務・期限・不届きの場合の取り扱い」を追記します。就業規則を変更する場合は労働者代表の意見聴取と労働基準監督署への届出が必要です。規程整備の進め方に迷ったときは、社会保険労務士への相談が最短ルートです。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

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