「うちの社員が会社を立ち上げていたらしい」——そう気づいたとき、多くの経営者・人事担当者が最初に感じるのは「どこから手をつければいいのかわからない」という戸惑いです。アルバイト副業とは違い、法人登記をともなう会社設立は、競業・情報漏洩・利益相反といった複合的なリスクを一度に抱え込む可能性があります。従業員の会社設立に気づいたときは、就業規則の有無にかかわらず、冷静に事実を確認することが何より重要です。この記事では、副業規定や就業規則を踏まえながら、発覚直後から取るべき行動を順序立てて整理します。
規程がなくても法的根拠は存在する——焦る必要はない
就業規則に副業禁止の条文がなくても、事実確認や改善指導を行う法的根拠は存在します。「規程の空白=何もできない」という判断は危険です。
誠実義務・競業避止義務は明文規定がなくても働く
労働契約には、民法第1条第2項に定める信義誠実の原則(誠実義務)が当然に適用されます。また、在職中の競業避止義務は、就業規則に明記されていなくても「雇用関係の本質から認められる」とした裁判例が複数存在します。つまり、規程がなくても「自社の利益を害する行為をしてはならない」という義務を従業員は負っており、それを根拠に事実確認・改善要請を行うことは法的に正当です。
厚生労働省ガイドラインが示す「制限できる4つの理由」
厚生労働省「副業・兼業の促進に関するガイドライン」(2018年策定・2022年改定)は、副業・兼業を原則容認する立場をとりつつも、以下の場合は制限できると明示しています。
- 労務提供上の支障がある場合
- 業務上の秘密が漏洩する場合
- 競業により企業の利益が害される場合
- 企業の名誉・信用を損なう場合
従業員が新たに会社設立するという行為は、このいずれかに該当する可能性が高く、少なくとも「確認・説明を求める正当な理由」として機能します。
就業規則が未整備なら、それ自体も問題
常時10名以上の労働者を使用する事業場は、就業規則の作成・所轄労働基準監督署への届出が義務付けられています(労働基準法第89条)。未整備の場合、そもそも法令違反状態にあります。今回の案件への対応と並行して、規程整備を急ぐ必要があります。ただし、整備後の規程を今回の行為に遡って適用することは原則できません。新規程はあくまで「今後の行為」を規律するものです。
法人登記による会社設立がアルバイト副業と根本的に違う理由
従業員が会社を設立して代表取締役・取締役に就任することは、アルバイトや単発の業務受託とはリスクの質が異なります。継続的・組織的な事業活動であるため、複数の問題が同時に発生しうる点を押さえてください。
競業・利益相反・情報漏洩が同時に起きうる
新設法人の事業目的が自社と重複・隣接している場合、在職中の競業避止義務違反を主張できる余地があります。さらに、当該従業員が自社の取引先や仕入先と新設法人を通じて取引する構造が生まれると「利益相反取引」の問題が生じます。顧客リスト・仕入価格・技術情報といった秘密情報が新設法人へ流出するリスクも現実的です。これらは単独でも深刻ですが、会社設立の場合は三つが同時並行で起きることがあります。
労働時間の通算義務と社会保険の手続き問題
従業員が自社法人の経営者として実質的に稼働していれば、自社業務への支障が生じます。労働基準法第38条は、副業先との労働時間を通算して管理することを使用者に義務付けており、時間外労働の把握が複雑になります。また、二つ以上の事業所で社会保険の適用を受ける場合、「二以上事業所勤務届」(日本年金機構)の提出が必要になりますが、新設法人側で役員報酬を受け取っていれば、本人・会社双方に手続き義務が発生する可能性があります。
発覚直後に取るべき行動の流れ
まず焦って本人を呼び出すのではなく、事実を静かに確認・整理することが先決です。感情的な対応が後の労使紛争を招くリスクを高めます。
法務局で登記情報を確認する
法人の登記情報は法務局で誰でも閲覧・取得できる公開情報です。法務局窓口に出向くか、登記情報提供サービス(法務省所管のオンラインサービス)を利用して、商号・代表者・事業目的・所在地・設立日などを確認します。「なぜ知ったか」を問われることを恐れる必要はありません。公開情報を調べることはプライバシー侵害にはあたりません。確認した情報は記録として保存してください。
自社への影響を三つの観点で整理する
登記情報が取得できたら、以下の観点で自社への影響を確認します。
| 確認項目 | 確認の視点 |
|---|---|
| 事業目的 | 自社の事業と競合・隣接しているか |
| 取引関係 | 自社の顧客・取引先・仕入先と新設法人が取引している形跡はあるか |
| 就労実態 | 自社業務に支障が出ているか。遅刻・欠勤・業務品質の低下はあるか |
この三点を整理することで、その後の対話の論点が明確になります。「問題がどこにあるか」を具体的に示せると、感情論にならずに話し合いを進めやすくなります。
対話の前に「事実確認書」を用意する
本人との面談前に、確認した事実(会社名・設立日・事業目的・自社との関係など)を簡潔にまとめた社内メモを作成しておきます。面談では「知っているか・いないか」の水掛け論を避け、「登記情報をもとに確認したい点がある」という姿勢で臨みます。最初の面談の目的は「処分」ではなく「事実確認」です。この段階で懲戒を示唆することは避けてください。
事実確認後の対応を就業規則の有無で分ける
事実が確認できた後の対応方針は、就業規則の整備状況によって変わります。自社の状況に当てはめて確認してください。
就業規則に副業規定がある場合
「許可制」や「届出制」の条文があれば、無許可・無届けであったことを理由に注意・指導が可能です。ただし懲戒処分を行う場合は、条文に定める手続き(弁明機会の付与など)を適切に踏む必要があります。処分の重さは「実害の有無・程度」に比例させることが重要で、実害がないのに懲戒解雇を選択すると、権利濫用(労働契約法第16条)として無効とされるリスクがあります。
就業規則に副業規定がない・または規程自体がない場合
懲戒処分は原則として困難ですが、誠実義務・競業避止義務を根拠に「改善指導」「申告・届出の要請」を書面で行うことは可能です。この機会に就業規則を整備し、今後は許可制・届出制のもとで管理する体制をつくることを従業員に伝えます。整備前の行為に対して遡って懲戒することはできませんが、今後継続する場合には新規程に基づき対応できることを明示することで、抑止力として機能します。
競業・利益相反が確認された場合は法的判断が必要
確認の結果、実際に自社顧客を新設法人へ誘導していた、秘密情報を流用していた、自社との取引で利益相反が生じていたといった事実が出てきた場合は、労働法・会社法の両面から法的判断が必要になります。この段階では社会保険労務士・弁護士への相談を前提に動いてください。感情的な対応や証拠を押さえないままの交渉は、後の紛争で不利になる可能性があります。
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今後の再発を防ぐ就業規則整備のポイント
今回の対応と並行して、就業規則に副業・兼業のルールを明記することが不可欠です。「禁止」か「許可制」かを問わず、ルールが明文化されていることが予防の基本です。
「禁止」より「許可制・届出制」が現実的
厚生労働省のガイドラインが副業を原則容認する方向を示している現在、副業を一律禁止する条文は従業員の職業選択の自由(日本国憲法第22条)との関係で有効性が争われるリスクがあります。実務的には「事前申請・許可制」または「届出制」とし、競業・秘密漏洩・労務提供への支障が認められる場合に不許可とする構造が現実的です。
法人設立・役員就任は別途申告を義務付ける
アルバイトや業務委託と異なり、法人の代表取締役・取締役への就任は継続的・組織的な経営行為です。就業規則の中で「法人設立または法人の役員への就任は、その事業目的・役職・報酬の有無を問わず、事前に会社へ申告すること」と明記することをお勧めします。この一文があるだけで、発覚後の対応根拠が格段に明確になります。
まとめ
従業員が会社を設立していたと発覚したとき、最初にすべきことは「感情的な呼び出し」でも「泣き寝入り」でもありません。まず登記情報を公開情報として静かに確認し、自社への影響(競業・利益相反・秘密情報漏洩)を整理した上で、事実確認を目的とした面談を行うことです。就業規則に副業規定がなくても、誠実義務・競業避止義務を根拠に事実確認と改善指導は可能です。ただし懲戒処分・損害賠償請求といった法的対応は、規程の有無・実害の内容・証拠の状況によって大きく異なります。
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