「うちの職場、みんな仲が良くて、困ったことがあれば自然と相談し合える雰囲気があるんですよね」——そう話す経営者ほど、実は足元のリスクに気づいていないことがあります。社員同士の助け合いは確かに職場の財産です。しかし、その「助け合い」が会社の管理の外で動いているとき、相談を受け続ける社員が静かに消耗し、プライバシーが漏れ、最悪の場合は安全配慮義務違反を問われる事態につながります。この記事では、非公式なピアサポートを制度として整備することで、そのリスクをどう下げるかを具体的に解説します。
非公式なピアサポートが抱える3つのリスク
社員同士が自然に相談し合える環境は組織の強みですが、会社が関与していない状態では、3つの深刻なリスクが生まれます。
特定の社員への負荷集中
面倒見が良い社員、経験豊富なリーダー格の社員——職場には必ず「この人なら話を聞いてくれる」と思われる人がいます。その人のもとに相談が集中し、業務時間外にも対応が及び、やがてバーンアウト(燃え尽き症候群)に至るケースは少なくありません。会社がその状況を把握していない場合、「気づかぬうちに健康を害するほど負荷をかけていた」として、安全配慮義務違反(労働契約法第5条)を問われる可能性があります。
守秘義務のない情報漏洩
善意で話を聞いた内容が、同僚への「心配からの相談」として広まることがあります。本人の病状、家庭の問題、精神科への通院歴——これらが職場内で非公式に共有されれば、プライバシー侵害に発展します。法的な守秘義務は医療・専門職に課されるものですが、ピアサポーターが聞いた情報を漏洩した場合、会社の管理責任(使用者責任)が問われる余地があります。
重い相談の「抱え込み」問題
自傷の示唆、強い希死念慮、深刻なハラスメントの被害——こうした重大な内容をピアサポーターが一人で抱え込んでしまうと、相談を受けた社員自身が二次的な精神的ダメージを受けます。どこにエスカレーションすればいいかわからず、「自分が何とかしなければ」という誤った責任感が、支援者側のメンタル不調を招くのです。
安全配慮義務と会社の責任範囲
ピアサポートに関して会社が問われる法的責任の範囲を正確に把握することが、制度化の第一歩です。
労働契約法第5条が求めるもの
安全配慮義務(労働契約法第5条)は、「使用者は、労働者の生命・身体・健康を危険から保護するよう配慮する義務を負う」と定めています。メンタルヘルスへの配慮もこの義務に含まれると解釈されており、会社が把握していない場所で相談役の社員が消耗した場合でも、「管理を怠った」として責任を問われる可能性があります。「知らなかった」は免責の理由になりません。
ハラスメント相談窓口としての要件不足
パワーハラスメント防止措置は、労働施策総合推進法によって事業主に義務づけられています。相談窓口の設置・運用が求められますが、非公式なピアサポートが「事実上の相談窓口」として機能している場合、守秘義務・公正性・記録の保存という観点から義務要件を満たさない可能性があります。つまり、良かれと思って相談を受けていた社員が、制度上は「無効な窓口」を担っていたという状況が生まれかねません。
ピアサポートと厚生労働省のメンタルヘルス指針の関係
厚生労働省「労働者の心の健康の保持増進のための指針」(メンタルヘルス指針)では、セルフケア・ラインケア・事業場内産業保健スタッフ等によるケア・事業場外資源の活用、という4つのケアが柱として示されています。ピアサポートはこの4つの中に明示的に位置づけられていませんが、「職場環境等の改善」の一環として整備することは指針の趣旨に合致します。指針に沿った取り組みであることを記録しておくことは、万が一の際の会社の姿勢を示す根拠になります。
「制度化」とは具体的に何をすることか
ピアサポートの制度化とは、大規模なシステム構築ではありません。「誰が・何をして・どこに報告するか」を明文化することが出発点です。
非公式状態と制度化後の違い
| 要素 | 非公式な状態 | 制度化後 |
|---|---|---|
| 役割の明確化 | 自然発生・暗黙的 | 選任・任命・権限を明示 |
| 守秘義務 | 規定なし | 規程・誓約書で明文化 |
| エスカレーション先 | 不明確 | 経営者・外部専門家への連絡フローあり |
| 相談者の負荷管理 | 無制限 | 活動時間・対応範囲の制限あり |
| 記録と報告 | なし | 最低限の記録ルールあり(個人情報配慮) |
ピアサポーターの選任と役割の明示
まず着手すべきは、「誰がピアサポーターか」を会社として明確にすることです。これは公募・推薦・指名など組織風土に合った方法で構いません。重要なのは、選ばれた人が「自分の役割と限界」を理解したうえで活動することです。担当できる相談の範囲(日常的な悩みの傾聴まで)と、担当できない領域(専門的な治療判断、法的問題など)を明示し、越境しないよう社内教育を行います。
エスカレーションフローの設計
ピアサポーターが「この相談は自分の手には負えない」と感じたとき、誰に・どのように引き継ぐかを事前に決めておくことが不可欠です。たとえば「まず直属の上司または経営者に報告する」「産業医・外部EAPがあれば連絡先を明示する」「緊急時(自傷・他害の恐れがある場合)は医療機関や行政窓口への連絡を迷わず行う」というフローを文書化しておきます。このフローがあることで、ピアサポーター個人の判断負担が大幅に減ります。
実務ポイント: 小さな会社ほど「誰に相談するか分からない」というジレンマが生じやすいものです。産業医がいない場合は地域の産業保健総合支援センターの連絡先を社内掲示板に貼っておくだけでも、現場の判断がぐんと変わります。
就業規則・社内規程への落とし込み方
ピアサポートの制度化を法的保護につなげるためには、就業規則や社内規程への明文化が必要です。口頭の取り決めだけでは、問題が起きたときに「ルールがなかった」と判断されるリスクがあります。
守秘義務の規定をどこに書くか
守秘義務は、就業規則の服務規律の項目に盛り込む方法と、ピアサポーター向けの個別の誓約書として整備する方法があります。従業員数が少なく、就業規則の改訂が手間である場合は、誓約書から始めるのが現実的です。「相談を通じて知り得た個人情報を、業務上必要な場合を除いて第三者に開示しない」という趣旨を明記します。なお、就業規則を変更する場合は、労働基準監督署への届け出と労働者への周知が必要であることも念頭に置いてください。
相談記録の取り方と個人情報管理
ピアサポートでは、記録を全く残さないことも、詳細に残しすぎることもリスクです。対応した日時・相談の大まかなテーマ・エスカレーションの要否、程度の最小限の記録を残し、本人が特定されないよう管理します。記録の保管場所と閲覧権限(経営者のみ、など)をルール化しておくことで、「誰でも見られる状態」によるプライバシー侵害を防げます。
産業医・外部機関との連携が整っているかで対応が変わる
産業医と契約している場合(常時50名以上の事業場では法定義務)は、産業医をエスカレーション先の一つとして明示できます。50名未満で産業医がいない場合は、地域の産業保健総合支援センター(全国に設置)や外部EAP(従業員支援プログラム)の活用が現実的な選択肢です。就業規則に「外部の専門機関を紹介する」という文言を入れるだけでも、制度としての骨格を持たせることができます。
管理職が果たすべき役割と注意点
ピアサポートの制度化において、管理職(ラインケアの担い手)は「支援する側を支える」という重要な役割を担います。
ピアサポーターの状態を把握する責任
管理職は、ピアサポーターが相談を過剰に引き受けていないか、感情的に疲弊していないかを定期的に確認する役割を持ちます。「相談が多い時期に業務量を調整する」「月に一度、ピアサポーターと管理職が短く状況を共有する時間を設ける」といった具体的な仕組みを作ることで、支援者のバーンアウトを予防できます。
管理職が「抱え込む」ことを防ぐ
ピアサポートを整備しても、管理職自身が「自分で何とかしなければ」と抱え込むパターンは残ります。管理職向けに「ラインケアの範囲と限界」を明示する社内研修や資料を準備することが重要です。厚生労働省のメンタルヘルス指針においても、ラインケアは「部下の相談対応」ではなく「専門家への橋渡し」が主眼であることが強調されています。
中小企業における現実的な管理職教育
専任人事がいない環境では、管理職研修に割けるコストや時間も限られます。まず「こんな言動が出たら専門家に相談すること」というチェックリスト一枚を作成し、管理職に持たせるところから始めると実行可能性が高まります。厚生労働省の「職場における心の健康づくり」(無料で公開されているリーフレット類)は、そのまま活用できる資料として役立ちます。
中小企業が制度化を進める際の現実的な手順
ピアサポートの制度化は、できているものから順番に整えていく積み上げ型のアプローチが中小企業には適しています。完成形を目指すより、今の状態を「記録・明文化・周知」するだけでリスクを大きく下げることができます。
まず現状の「見える化」から始める
最初にすべきことは、今どの社員が誰の相談を受けているかを把握することです。1対1の面談や簡単なアンケートで「誰かの悩みを聞く役割を担っていると感じるか」を確認するだけで、埋もれていた負荷の実態が浮かび上がります。この段階で「制度化する必要がない」と判断できれば、それはそれで有益な確認です。
小さく始めて徐々に整備する
次のステップとして、エスカレーション先を一つ決める、守秘に関する合意を書面にする、相談記録の簡単なフォームを作る——この三点だけでも制度の骨格が生まれます。就業規則の整備はその後で構いません。社会保険労務士や産業保健の専門家に相談しながら、一年かけて段階的に整えていくプランが現実的です。
「制度を作った」ことを記録しておく
万が一、社員のメンタル不調や離職をめぐるトラブルが起きたとき、「会社がどのような対応をしていたか」という記録が会社の姿勢を示します。規程の策定日、社内周知の日時、ピアサポーターへの説明を行った記録——これらを保存しておくことが、安全配慮義務を果たしていた証拠になります。
人事だけで判断しない: ピアサポーターの選任や守秘規程の文言は、後々の紛争につながらないよう、社会保険労務士など専門家のレビューを入れておくと安心です。初回相談だけでも外部の目を入れることで、抜け漏れを防げます。
まとめ
社員同士が支え合う文化は、間違いなく職場の資産です。しかし、その助け合いが会社の管理の外で動いている限り、特定の社員への負荷集中・プライバシー漏洩・重い相談の抱え込みというリスクは消えません。ピアサポートの制度化とは、大がかりな仕組みを作ることではなく、「誰が・何をして・どこに繋ぐか」を明文化し、会社として把握・管理している状態を作ることです。それだけで、安全配慮義務リスクは大きく下がります。
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よくある質問
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