昇格見送りで期待権侵害と言われたときの判断基準

昇格見送りで期待権侵害と言われたときの判断基準 コンプライアンス
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「次は任せるよ」「管理職を目指してほしい」——そう伝えた社員から、昇格を見送った途端に「期待権の侵害だ」と言われた。そんな事態に直面し、「これは法的に問題なのか」「何をすれば良いのか」と頭を抱えている経営者・人事担当者は少なくありません。専任人事がいない企業では、昇格の判断や伝え方が属人的になりがちで、後から振り返ると記録も基準も何も残っていない、というケースが多いのが実情です。この記事では、昇格見送りが法的リスクになる条件と、トラブルを防ぐための実務対応を具体的に解説します。

「期待権侵害」とは何か、まず押さえる

昇格見送りで「期待権の侵害だ」と言われても、それだけで直ちに法的責任が生じるわけではありません。ただし、主張の根拠となる法律上の概念は存在するため、まず正確に理解しておくことが重要です。

期待権の法的な位置づけ

「期待権」とは、一定の法律上の地位や利益を得ることへの正当な期待を保護する考え方です。民法709条(不法行為)や民法1条2項(信義誠実の原則)の文脈で主張されます。昇格との関係では、「使用者が昇格を約束・保証したに等しい行為をした結果、その期待を侵害したことが不法行為に当たりうる」という形で争われます。

ただし、「昇格を期待していた」という主観的な気持ちがあるだけでは、法的な請求は認められません。期待権侵害が認められるには、その「期待」が法的に保護されるほど合理的なものでなければならず、ハードルは決して低くありません。

「励まし」と「約束」はどこが違うか

裁判例の傾向として、使用者の昇格に関する裁量は広く認められています。「期待している」「管理職を目指してほしい」「将来が楽しみだ」という発言は、一般的な激励・方針の共有であり、法的な約束とは見なされにくいのが現状です。

一方、リスクが格段に高まるのは「○○ができたら管理職にする」という条件付きの明言をしたケースです。この場合、本人がその条件を達成したにもかかわらず昇格させなかった、あるいは突然基準を変えたという状況になると、約束の不履行として不法行為の認定につながりやすくなります。

昇格見送りが法的リスクになる条件・ならない条件

昇格見送りが法的リスクになるかどうかは、「約束の強さ」「評価プロセスの透明性」「見送り理由の合理性」の3軸で判断されます。自社の状況をこの軸に当てはめることで、リスクの大小をある程度見極めることができます。

3軸で見る判断の基準

判断軸 リスクが高い状態 リスクが低い状態
約束・示唆の強度 「昇格させる」と明言した/条件達成で昇格を確約した 「期待している」「目指してほしい」程度の一般的な激励
評価プロセスの透明性 基準不明・評価記録なし・面談もなし 評価基準を明示し、評価記録があり、フィードバックを実施済み
見送り理由の合理性 理由の説明なし・恣意的・差別的な印象を与える 業績・スキル・行動に基づく具体的な理由を説明している

「口頭だから安全」という誤解

「書面で約束した覚えはないから問題ない」と考える経営者は多いのですが、これは危険な誤解です。本人がメールやチャット、日報、面談後のメモに「上司から昇格を示唆された」という内容を記録している可能性があります。会社側に記録がないことは、会社の主張を補強するものではなく、むしろ弱める要因になり得ます。

特に20~50名規模の企業では、社長や経営幹部の発言が社員に強い影響を与えます。飲み会の席での一言や、1on1での何気ない声がけが「約束」として受け取られているケースは珍しくありません。

差別的・恣意的な見送りは別ルートでもリスクになる

期待権とは別に、昇格見送りの理由が性別・年齢・国籍・障害の有無などに基づく場合は、男女雇用機会均等法や障害者雇用促進法など個別の法令違反となり得ます。また、育児休業取得後や内部告発後に昇格を見送った場合は、不利益取扱いとして別途問題になります。これらは期待権とは独立した法的リスクであることを覚えておいてください。

今すぐ確認すべき自社のリスク状況

「うちは大丈夫か」を確認するために、まず今起きていることの事実を整理することが先決です。感情的な対立が始まる前に、客観的な状況把握が対応の質を左右します。

会社側として確認すべき4点

以下の4点を速やかに確認してください。

  • 昇格に関して、社長・上司・人事から本人に伝えた発言の内容(いつ、誰が、どんな言葉で伝えたか)
  • 昇格評価の基準や育成計画が文書として存在するか、または本人に共有済みか
  • 今回の見送りを決めた根拠(評価シート、面談記録、会議メモなど)が残っているか
  • 見送りの事実を本人にどのように、いつ伝えたか(伝え方と理由説明の有無)

この4点が「ある・ない・どちらとも言えない」でどの状態にあるかを把握するだけで、次にどの専門家に何を相談すれば良いかが明確になります。

本人との対話をどう進めるか

本人が「期待権の侵害だ」と主張してきた場合、感情的に否定するのも、即座に謝罪するのも得策ではありません。まずは「あなたの話をきちんと聞きたい」という姿勢で面談の場を設けることが重要です。この段階で余分な発言を加えることは避け、「内容を確認して改めてご説明します」という形でいったん場を閉じるのが無難です。

弁護士や社労士への相談は、この最初の面談の前後を問わず、早いほど選択肢が広がります。判断の迷いが生じたら、まずは専門家に状況を共有し、対応の方向性を固めることをお勧めします。

今後のトラブルを防ぐ育成計画・評価記録の整備

昇格見送りのトラブルを根本から防ぐには、育成計画の明文化と評価記録の継続的な管理が不可欠です。「何を達成すれば昇格できるか」を双方が共有していれば、期待のズレは大幅に減らせます。

育成計画で明示すべき3つの要素

管理職候補と位置づけている社員に対しては、次の3つの要素を含む育成計画を文書で作成し、本人と合意しておくことが理想です。

  • 昇格の評価基準:業績目標の達成水準、マネジメントスキルの習得、チームへの貢献度など、具体的な行動・成果で定義する
  • 育成の期間と節目:「半年ごとに評価を実施し、翌期の判断を行う」といった時間軸を明示する
  • 見送りとなりうる条件:どのような状態では昇格しないか、あるいは延期になるかをあらかじめ合意しておく

これらを口頭だけで伝えるのではなく、1on1の記録や人事面談シートとして残し、本人の署名や確認のサインを得ておくと、後から「聞いていない」という主張を防ぐことができます。

評価記録の残し方——専任人事がいない企業向け

専任人事がいない企業でも、最低限以下の記録を継続的に残すことを習慣化してください。評価シートの有無にかかわらず、1on1の要点を箇条書きでメモし、日付と参加者名を記録するだけでも大きく違います。

就業規則に昇格・降格に関する事項を定める場合は、労働基準法89条の定めにより就業規則への記載が必要です(相対的必要記載事項)。昇格基準を就業規則または別規程として明文化することで、社内ルールとしての客観性が増し、恣意的な運用という批判を防ぎやすくなります。

なお、産業医や就業規則がまだ整備されていない段階の企業であれば、まず就業規則の整備と昇格基準の明文化から着手することを優先してください。

見送りを伝える際の「正しい順序」

昇格見送りの伝え方そのものが、感情的な対立の火種になるケースが多いです。突然の通知、理由の説明なし、本人の意見を聞く場もない、という進め方は、たとえ法的にセーフであってもトラブルを生みます。見送りを伝える際は、まず面談の場を設け、評価の内容を具体的に説明し、本人の受け止めや意見を聞く機会を確保するという順序を守ることが重要です。この一手間が、後の対立を大きく防ぎます。

まとめ

昇格見送りで「期待権の侵害だ」と言われたとき、それだけで直ちに法的責任が生じるわけではありません。法的リスクの大小は、「約束・示唆の強度」「評価プロセスの透明性」「見送り理由の合理性」の3軸で判断されます。口頭での発言でも本人が記録している可能性があるため、「書面がないから安全」という考えは禁物です。今後のトラブルを防ぐには、育成計画の明文化・評価記録の継続管理・昇格基準の就業規則への明示が有効です。そして何より、見送りを伝える際の「伝え方」と「対話の機会の確保」が、感情的対立を防ぐ最大の予防策になります。

ウェルセンス株式会社では、専任人事がいない成長企業の経営者・兼務人事担当者からの相談を多く受けています。「昇格見送りで問題が生じてしまった」「評価記録や育成計画の整え方を一緒に考えてほしい」という段階からでも、まずは状況をお聞かせください。人事の判断を一人で抱えず、専門家のサポートを活用することで、より適切な対応が可能になります。

よくある質問

Q. 「次は任せる」と口頭で言っただけで、期待権侵害になりますか?

A. 「次は任せる」程度の発言は、一般的な激励・方針表明と判断されることが多く、それだけで期待権侵害が認められるケースは少ないです。ただし、本人がその言葉をメールや日報に記録していたり、具体的な条件と結びついていたりすると、リスクは高まります。発言の文脈と記録の有無を確認することが先決です。

Q. 昇格見送りの理由を本人に説明する法的義務はありますか?

A. 法律上、昇格見送りの理由を説明する明示的な義務を定めた規定は一般的にはありません。ただし、理由説明なしの見送りは信義則(民法1条2項)違反として問題視されることがあるほか、感情的な対立を引き起こしやすく、その後の労働環境にも影響します。実務的には、具体的な理由を丁寧に伝えることが予防策として機能します。

Q. 昇格基準を就業規則に書いていない場合、問題がありますか?

A. 昇格・降格に関する事項は、定めをする場合には労働基準法89条に基づき就業規則への記載が必要な相対的必要記載事項です。定めていない場合は記載義務はありませんが、基準が不明確なまま運用することは、恣意的な判断という主張を招きやすくなります。昇格基準を就業規則または別規程として明文化しておくことを推奨します。

Q. 本人から「弁護士に相談する」と言われました。会社も弁護士を立てるべきですか?

A. 相手が弁護士を通じて内容証明郵便などの正式な請求を行ってきた段階では、会社側も弁護士への相談を検討するべきです。一方、まだ口頭での主張にとどまっている段階では、まず社会保険労務士に相談して事実整理と対応方針を固めることも選択肢です。いずれにせよ、早めに専門家に状況を共有することが対応の幅を広げます。

Q. 育成計画はどんな形式で作ればよいですか?専用ツールが必要ですか?

A. 専用ツールは不要です。WordやExcelで作成した文書でも、日付・対象者名・合意した評価基準・育成期間・確認者のサインが入っていれば十分に機能します。重要なのは形式よりも「本人と内容を合意し、双方が手元に持っている状態」であることです。1on1のたびに簡単な記録を残す習慣をつけるだけでも、トラブル予防の効果は大きく変わります。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

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