「復職支援プランまで作ったのに、突然退職届が出てきた——」そんな経験をした経営者・人事担当者は少なくありません。産業医面談、主治医の意見書取得、段階的復帰スケジュールの調整。これだけの準備を経た直後のことだけに、頭の中が真っ白になるのは無理もないことです。
しかし、この局面での対応の誤りは、後日「退職強要」と言われるリスクや、傷病手当金をめぐるトラブルに直結します。本記事では、復職直前に退職届が提出された場合に会社が取るべき5つの対応手順を、法的根拠と実務の両面から整理します。
「受理すべきか」を判断する前にすること
退職届をその場で受け取っても、即座に「受理・承認」する必要はありません。退職の意思表示が有効かどうかを確認する猶予を設けることが、会社と本人双方を守る第一歩です。
退職届を「預かる」ことと「受理する」ことは違う
退職届を手渡されると、多くの担当者は「受け取った=承認した」と感じてしまいます。しかし法的に見ると、退職届の受け取り(預かり)と、会社が承認して退職を合意する「受理」は別物です。
民法第97条では、意思表示は相手方に到達した時点で効力が発生するとされています。ただし、会社が「確認のため預かる」と伝えた段階では、合意退職として成立しておらず、本人が撤回を申し出ることも可能です。担当者は受け取りの際に「すぐに判断する立場にないため、一旦預かります」と明示し、その旨を記録しておきましょう。
メンタル不調時の「意思能力」問題をどう見るか
復職直前という状況は、本人がまだ回復途上にある可能性を示しています。民法第3条の2では、意思能力を有しない状態での法律行為は無効とされています。
ただし、実務上の注意点があります。「メンタル不調だから意思能力がない」と会社が一方的に判断することは、かえってリスクを伴います。意思能力の欠如を認定するハードルは非常に高く、会社判断で退職届を無効扱いにすると、逆に「退職を妨害した」と主張される可能性があります。あくまで「冷静な状態で再確認する機会を設ける」ことが現実的な対応です。
退職意思を確認する面談の進め方
退職届を預かった後は、速やかに面談の場を設けてください。この面談は「引き止め」が目的ではなく、本人の意思が真意に基づくものかを確認し、会社としての対応を記録に残すためのものです。
面談で確認すべき3つのポイント
面談では、以下の3点を順を追って確認します。
- まず、退職を決めた理由・きっかけを穏やかに聞きます
- 次に、その判断が冷静な状態でなされたものかを確認します
- 最後に、代替案(休職期間の延長、職場環境の調整、業務内容の変更など)を提示し、意思が変わらないかを確認します
この流れは、後日「十分な説明や選択肢の提示がなかった」と言われないための証跡づくりでもあります。面談後は内容をメモとして残し、可能であれば本人にも内容を確認してもらいましょう。
引き止める場合と受け入れる場合の分岐点
判断に迷う場面では、次の表を参考に状況を整理してください。
| 状況 | 推奨対応 |
|---|---|
| 退職理由が職場環境・業務内容への不安で、代替案で解決できる可能性がある | 代替案を文書で提示し、再考を促す |
| 退職意思が一時的な感情的判断によるもので、本人も迷っている様子がある | 数日間の猶予を設けて再確認を求める |
| 退職意思が明確で、理由も個人的な事情(家族・転居など)による | 意思を尊重し、手続きの丁寧な説明に移行する |
| 本人の状態が著しく不安定で、判断能力に疑義がある | 産業医・主治医へ情報共有のうえ慎重に対応する |
産業医・主治医と連携するタイミング
50人以上の事業場であれば産業医が選任されているはずです。その場合は、退職届が出た時点で速やかに産業医に状況を共有し、本人の状態に関する意見を求めてください。産業医がいない事業場では、主治医からの意見書(すでに手元にあれば)を改めて確認することが判断の材料になります。
いずれの場合も、「会社が一人で判断した」という状況を避けることが重要です。専門家の関与を記録として残しておくことで、後日のトラブル時に会社の誠実な対応を証明できます。
判断に迷う場面では、産業医や社労士への相談も選択肢の一つ。一人で判断しない環境づくりが、後々のトラブル防止につながります。
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傷病手当金と退職日設定の落とし穴
休職中に傷病手当金を受給していた社員が退職する場合、退職日の設定を誤ると、本人が退職後も継続して給付を受ける権利を失うことがあります。この点は、会社が適切に案内しなかったとして後日トラブルになりやすい箇所です。
退職後の傷病手当金継続給付の要件
健康保険法第104条により、退職後も傷病手当金を継続して受給するためには、以下の条件を満たす必要があります。
- 退職日時点で傷病手当金の支給を受けている(または受ける条件を満たしている)こと
- 健康保険の被保険者期間が継続して1年以上あること
この要件を満たしていれば、退職後は国民健康保険に切り替えた後も、元の健康保険組合から傷病手当金を受け取り続けることができます。ただし、退職日に「出勤した」という記録があると、支給条件が途切れたと見なされる場合があるため、退職日の扱いは慎重に検討する必要があります。
会社が本人に案内すべきこととその記録
傷病手当金の継続給付について、会社は本人に対して案内を行う法的義務を直接負うわけではありません。しかし、案内をせずに退職処理を進めた結果、本人が給付を受け損ねた場合に「説明を受けていない」と主張されるリスクがあります。
退職合意の際には、「傷病手当金の継続給付に関して加入している健康保険組合または協会けんぽへ確認するよう案内した」旨を退職合意書に明記しておくことを強くお勧めします。社労士と連携できる環境があれば、この段階で必ず相談してください。
退職合意書で「後のトラブル」を防ぐ
退職の意思が固まったと判断した後は、口頭での合意だけで終わらせず、必ず退職合意書を取り交わしてください。これは会社を守るための証跡であり、同時に本人の権利を守るための文書でもあります。
退職合意書に盛り込む必須項目
退職合意書には少なくとも以下の内容を含めます。
- 退職日・退職理由・退職形態(自己都合)を明記する
- 傷病手当金の継続給付について案内を行った旨を記載する
- 未払い賃金・残有給休暇の処理方法(取得させるか、買い取りは原則不可なため注意)を明記する
- 守秘義務に関する条項(業種や職種によっては競業避止義務も)を盛り込む
- 「本人の自由な意思に基づく合意であること」を確認する一文を加える
この最後の一文が、後日「退職を強要された」と言われた場合の重要な防御になります。本人が署名・押印した文書として保管してください。
就業規則が整備されていない場合の対応
専任人事のいない中小企業では、就業規則の退職・休職に関する規定が不十分なケースがあります。その場合、退職届の取り扱いや退職日の決め方について内部の判断基準がなく、担当者が法律を直接参照しながら対応しなければなりません。
民法第627条では、期間の定めのない雇用の場合、退職の申し入れから2週間が経過すれば退職の効力が発生すると定められています。就業規則に別段の定めがある場合はその定めが優先されますが、2週間を著しく超える規定は無効と判断される場合もあります。就業規則の整備は、このような緊急対応が起きる前に着手しておくべき課題です。
「退職強要」と言われないための言動管理
退職を引き止める際も、退職を受け入れる際も、担当者の言動が後日問題視されるリスクがあります。特にメンタル不調の状態にある本人は、言葉の受け取り方が通常と異なる場合があるため、注意が必要です。
絶対に言ってはいけない言葉・してはいけない行動
面談の場では、以下の言動は避けてください。
- 「このまま退職したら傷病手当金はもらえなくなる」という脅しに聞こえる発言——事実の説明であっても、受け取り方によっては退職強要の証拠になります
- 「早く決めてほしい」「もう退職届は受け取った」などの追い込むような言動——退職を急かしているように受け取られます
面談は必ず複数人で実施するか、録音・議事録を残す形で行ってください。一対一の面談で後日言った言わないの争いになると、会社側が不利になることが多いです。
記録に残す習慣が会社を守る
以下のすべての対応について、テキストで記録し、ファイルとして保存してください。
- 退職届を受け取った日時・担当者名・本人の様子
- 面談を実施した日時・内容の要約
- 代替案を提示した事実
- 傷病手当金の案内を行った事実
記録は後から作るのではなく、対応のたびにリアルタイムで残すことが重要です。紙でもデジタルでも構いませんが、日時が明確なものが証拠として有効です。
まとめ
復職直前の退職届への対応は、「受理を急がない」「面談で意思を確認する」「傷病手当金の影響を案内する」「退職合意書を取り交わす」「言動を記録する」という5つの手順で進めることが基本です。専任人事がいない環境ほど、一つひとつの対応が後日のトラブルを左右します。
特に、傷病手当金に関する案内の有無、退職合意書の有無、面談記録の有無は、トラブル発生時に会社の対応の誠実さを示す重要な証跡になります。「自分の会社ではどこまで対応できているか」を振り返ってみてください。
ウェルセンス株式会社では、メンタル不調社員の休職・復職支援から、退職トラブルの未然防止まで、中小企業の実態に合わせた伴走型の支援を提供しています。実際のケースでどう対応すればいいか迷われた際は、お気軽にご相談ください。
よくある質問
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