「試用期間が終わったとき、特に何も渡さずそのまま働き続けてもらっている」——中小企業の現場では、こうしたケースが少なくありません。口頭で「よろしく」と伝えただけ、あるいは何も言わずに試用期間が過ぎていた、という経験はないでしょうか。本記事では、本採用通知を書面で渡さなかった場合に法的問題が生じるのか、過去分への対処法、今後の運用整備まで、実務に即して解説します。
本採用通知を書面で渡す「法的義務」はあるのか
結論から言えば、労働基準法上、「本採用通知そのものを書面で交付する」という直接的な明文規定は存在しません。ただし、それで「何もしなくてよい」とはならないのが実務の難しいところです。
労働条件の明示義務との関係
労働基準法第15条および労働基準法施行規則第5条は、労働契約を締結する際に労働条件を書面で明示することを使用者に義務づけています。問題になるのは、試用期間中と本採用後で労働条件が変わるケースです。たとえば「試用期間中は月給20万円、本採用後は22万円」「試用期間中は特定の業務のみ、本採用後は担当範囲が広がる」といった変更がある場合、本採用のタイミングで改めて書面による労働条件の明示が必要と解釈されます。変更がまったくないケースでも、事実確認のために書面を残しておくことが実務上のリスク対策になります。
2024年4月施行の法改正が関係する
2024年4月に施行された労働基準法施行規則の改正により、労働条件として明示しなければならない事項が拡充されました。具体的には「就業場所・業務の変更の範囲」が新たに必須明示項目に加わっています。試用期間終了後に本採用確認の書面を整備するタイミングは、同時にこの新しい明示事項を記載する絶好の機会でもあります。改正対応が済んでいない企業は、本採用通知の整備と合わせて確認することをお勧めします。
試用期間の法的性質——書面がなくても本採用にはなっている
最高裁判所の三菱樹脂事件判決(昭和48年12月12日大法廷判決)により、試用期間は「解約権留保付労働契約」と位置づけられています。これは、会社が一定の事由に該当する場合に限り雇用を解消できる権利(留保解約権)を持った状態で雇用が始まっており、試用期間が満了すると自動的にその権利が消滅して本採用となる、という法的構造です。つまり、書面を何も渡さなくても、試用期間が終われば法律上は本採用になっています。ただし「本採用になっているかどうかが不明確」な状態は、紛争が起きたときに大きなリスクになります。
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書面を渡さなかった場合に生じる具体的リスク
書面がなくても本採用にはなっていますが、問題が起きたときに「事実関係の立証が困難になる」というリスクが残ります。どのような場面でリスクが顕在化するかを整理します。
退職・解雇トラブルで争点になりやすい
労使間でトラブルが発生したとき、「その社員は試用期間中なのか、本採用後なのか」が争われることがあります。試用期間中の解雇は通常の解雇よりも要件が緩やかとされていますが、本採用後の解雇には客観的合理的理由と社会的相当性が必要です(労働契約法第16条)。書面がないと、会社側は「試用期間中だった」と主張しても立証が難しく、社員側に有利な判断がされるリスクがあります。
賃金・労働条件の変更をめぐるトラブル
本採用後に賃金が上がった、あるいは担当業務が変わったという場合、その変更をいつ・どのような形で合意したかが記録に残っていないと、「そんな話は聞いていない」「合意していない」という主張をされたときに反論が難しくなります。特に賃金の引き下げが発生した場合(試用期間中の給与のほうが高かったなど)は、合意の証拠がないと未払い賃金の請求につながる可能性もあります。
行政調査での指摘リスク
労働基準監督署が調査に入った際、「採用時の労働条件明示書はあるが、本採用後の労働条件が書面で確認できない」という状態は、労働条件明示義務違反として指摘を受ける可能性があります。是正勧告を受けること自体が、社内の信頼関係に影響を与えることもあります。
| リスクが生じる場面 | 具体的に起こりうること |
|---|---|
| 退職・解雇トラブル | 試用期間中か本採用後かが争点になり、会社側が不利になりやすい |
| 賃金トラブル | 本採用後の賃金変更の合意有無が不明確になる |
| 労働条件の変更 | 「聞いていない」「合意していない」と主張された際に反論できない |
| 行政調査(労基署) | 労働条件明示義務違反として是正勧告を受ける可能性 |
過去に書面を渡さなかった場合、今から対処できるか
結論として、今から書面を整備することは有効であり、リスクを低減する効果があります。「もう手遅れ」ということはありません。
「本採用確認書」を事後的に作成する方法
現在在籍している社員に対して「本採用確認書」を作成し、双方が署名・押印する形で事後整備を行う方法があります。この書面には、本採用日・試用期間の起算日と終了日・本採用後の就業場所と業務内容・本採用後の賃金と労働時間を明記します。「今さら渡して不審に思われないか」と心配される経営者も多いですが、「労務管理の見直しを行っているため確認させてほしい」と丁寧に説明すれば、多くの社員は理解してくれます。
説明の仕方に注意が必要
事後整備の際に注意すべき点は、社員が「これにサインしないと雇用が不安定になる」「何か問題が起きたのか」と誤解しないよう、説明の仕方を慎重にすることです。「会社として書類の整備を進めており、皆さんに確認書をお渡ししている」という形で、一部の社員だけを対象にしないことがポイントです。全員に同時期に対応することで、不信感や混乱を防ぐことができます。
書類整備の進め方に迷ったときや、実際の対応方法に不安があれば、人事の専門家に相談することで進め方がスムーズになります。
常時10人未満で就業規則がない場合
常時雇用する社員が10人未満の事業場は、就業規則の作成・届出が法律上義務づけられていません。そのため「就業規則に試用期間の規定もない」というケースも珍しくありません。就業規則がない場合でも、雇用契約書に試用期間を定めていれば試用期間は有効です。本採用確認書の整備と併せて、今後の採用に向けた雇用契約書のひな型を整えることを検討してください。10人以上になる見通しがある企業は、早めに就業規則の作成に着手することをお勧めします。
今後の運用のために——本採用通知書の最低構成要素
今後の採用から書面を整備するうえで、「何を書けばよいか」の基本を押さえておきましょう。必要な項目は多くありません。
本採用通知書(本採用確認書)に含めるべき項目
最低限、以下の項目を盛り込めば実務上の証拠として機能します。
- 本採用年月日
- 試用期間の起算日と終了日
- 本採用後の就業場所・業務内容(2024年改正対応として変更の範囲も記載)
- 本採用後の賃金・労働時間
- 本人の署名・押印欄と会社の記名・押印欄
「本採用通知書」という名称で一方的に会社から交付する形式と、「本採用確認書」として双方が確認・署名する形式があります。後者のほうが、「合意した事実」として証拠価値が高まるため、実務的には確認書形式を推奨します。
渡すタイミングと保管方法
試用期間終了日の1〜2週間前に準備し、終了日当日またはその前日に渡すのが理想的です。渡したタイミングの記録として、会社控えに本人の受領サインをもらい、社員の人事ファイルに保管します。電子交付も法律上は認められていますが、合意・記録の明確さという観点では、紙ベースでの運用が確実です。
本採用拒否(試用期間満了での雇用終了)との混同に注意
「本採用通知を出さなければ本採用にならない」と誤解されている方も多いですが、前述のとおり試用期間が満了すれば自動的に本採用となります。試用期間中に「本採用しない」と判断する場合は、試用期間満了前に本採用拒否の通知を行う必要があり、その際には客観的合理的な理由が必要です。書面なく何もしないことは「本採用拒否」にはなりません。むしろ何もしないことで本採用になる、という点を正しく理解しておくことが重要です。
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まとめ
本採用通知を書面で渡すことは労働基準法上の直接的な義務ではありませんが、渡さないことで「事実関係の不明確さ」が生じ、退職・解雇トラブルや賃金トラブルの際に会社側が不利になるリスクがあります。試用期間が満了すれば自動的に本採用となっている点も、正しく理解しておく必要があります。過去に書面を渡していない社員についても、今から「本採用確認書」を整備することでリスク低減は可能です。今後の採用からは、本採用年月日・試用期間・本採用後の労働条件・双方の署名を含む書面を試用期間終了時に必ず交付する運用に切り替えることをお勧めします。
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よくある質問
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