「社員のスマホが業務中に破損した。うちの会社が弁償しないといけないの?」——中小企業の経営者や兼務人事担当者から、こうした相談が後を絶ちません。事故が起きてから初めて「ルールを何も決めていなかった」と気づき、従業員との関係も気になって判断を先延ばしにしてしまう。そんな状況に陥っていませんか。この記事では、従業員の私物が職場で破損・盗難された場合に会社の賠償責任が生じるかどうかを、法的根拠と実務の両面からわかりやすく整理します。
会社は従業員の私物に対して責任を負うのか
結論からいうと、「状況次第」です。会社が私物の持ち込みを認めていたか、保管・管理を引き受けていたかどうかによって、責任の有無が大きく変わります。
安全配慮義務の基本的な射程範囲
労働契約法第5条が定める安全配慮義務は、「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」と規定しています。ここで注目したいのは「生命・身体・健康」が中心であるという点です。従業員の財産(私物)の保護は、この義務の直接の対象とはされていないのが原則です。したがって、安全配慮義務違反だけを根拠に、私物の弁償を求める訴えが全面的に認められるケースは多くありません。
「認容」の有無が責任の分岐点になる
重要なのは、会社が私物の持ち込みを「認めていたかどうか」です。明示的に許可していなくても、長年にわたって私物の持ち込みを黙認してきた場合は「黙示の認容」と評価されることがあります。認容があった場合、会社は善良な管理者としての注意義務(善管注意義務)を負う可能性が生じます。たとえば「私物スマートフォンを業務連絡に使うよう会社が指示していた」「ロッカーを会社が貸与し、鍵の管理も会社が行っていた」といった事実があれば、破損・盗難が起きた際に会社の責任が問われるリスクは高まります。
私物持ち込みを「禁止」していた場合はどうなるか
就業規則や社内ルールで私物の持ち込みを明確に禁止していた場合、原則として会社の管理責任は生じにくくなります。ただし、「禁止しているはずなのに現場では持ち込みを黙認していた」という実態があれば、形式的な禁止規定は会社を守る盾にはなりません。ルールと実態を一致させることが、リスク管理の出発点です。
職場内盗難が起きた場合の会社の責任範囲
職場内で盗難が発生したからといって、それだけで会社が賠償責任を負うわけではありません。会社の施設管理に問題があったかどうかが判断の核心です。
施設管理の不備が問われるケース
民法第709条(不法行為)の観点から会社の責任が問われるのは、鍵の管理が杜撰だった、入退室管理が機能していなかった、防犯カメラが故障したまま放置されていたなど、会社側の施設管理に明らかな問題があった場合です。こうした管理不備が盗難の発生を招いたと認められれば、会社が損害賠償を負う可能性があります。
「誰が盗んだかわからない」ケースはどう扱うか
社外の出入り業者による盗難や、原因が特定できない紛失の場合、加害者不明であっても会社の施設管理責任は別途問われます。会社として「管理すべき環境を整えていたか」という点が評価軸になります。一方、施設管理に問題がなく、会社として合理的な防犯措置を講じていた場合は、単に職場内で起きた盗難というだけでは会社の責任は認められにくいといえます。
BYODで業務利用していた私物が盗難された場合
私物スマートフォンを業務利用(BYOD:Bring Your Own Device)している環境では、「業務のために持ち込んでいた私物」が盗難された場合、業務との関連性が高いほど会社の責任が問われやすくなります。BYODを導入している企業は、私物端末の管理ルールと責任の所在を事前に文書化しておくことが不可欠です。
就業規則の免責規定は本当に有効か
就業規則に免責規定を置くことは有効な防衛策ですが、「書けば完全に免責される」という考え方は危険です。免責規定が機能する場面と、無効とされるリスクがある場面を正しく理解しておく必要があります。
免責規定が有効に機能する条件
「会社は従業員の私物の破損・紛失・盗難について責任を負わない」という規定は、会社が管理責任を引き受けていない状況、すなわち私物の持ち込みを従業員の自己責任としていた場合に有効に機能します。免責規定が機能するためには、規定の存在を従業員に周知していること(就業規則の周知義務:労働基準法第106条)と、実態としてもその運用が守られていることの両方が必要です。
免責規定が無効とされるリスクのある場面
以下のような状況では、免責規定があっても無効と判断されるリスクがあります。
- 会社側に重大な過失または故意があった場合(例:故意に私物を破損した社員を放置した)
- 会社がロッカーの管理を引き受けていたにもかかわらず、適切な管理を怠っていた場合
- 全部免責の条項が労働者保護の観点から公序良俗(民法第90条)に反すると評価される場合
免責規定は「合理的な範囲での責任制限」として機能させるものと理解してください。「一切責任を負わない」という全部免責の文言は、会社に重大な過失がある場面では効力を失います。
免責規定と持ち込みルールはセットで整備する
実務上、免責規定だけを就業規則に追加しても不十分です。「何が持ち込み可能か」「持ち込んだ場合の自己責任の範囲」「会社がどこまで管理するか」をセットで規定することではじめて、規定全体の整合性がとれます。免責規定は持ち込みルールの一部として位置づけてください。
会社が取るべき具体的な対応策
事故が起きる前にルールを整備しておくことが最大のリスク対策です。現在の企業規模や就業規則の有無に応じて、まず着手すべきことが変わります。
就業規則の有無と従業員数で確認すべきこと
常時10人以上の労働者を使用する事業場は、労働基準法第89条に基づき就業規則の作成・届出が義務です。10人未満の場合でも、就業規則に準じた社内規程を整備しておくことでリスクを減らせます。現在の状況と対応の優先度を以下に整理します。
| 状況 | 優先して取り組むこと |
|---|---|
| 就業規則がない・10人以上 | 就業規則の新規作成と労働基準監督署への届出。私物持ち込みルールを同時に規定する |
| 就業規則はあるが10年以上未更新 | 私物持ち込み・免責に関する条項の追加・改定。従業員への周知(掲示・配布・イントラネット) |
| 就業規則がない・10人未満 | 社内規程または労働条件通知書に私物管理のルールを明記する |
| BYODを導入している | BYODポリシーを別途策定し、私物端末の業務利用時の責任の所在を明確化する |
就業規則に盛り込むべき私物管理条項の要素
私物管理に関する規定を整備する際は、少なくとも次の要素を盛り込んでください。まず、持ち込み可能な私物の範囲を明示します。次に、持ち込んだ私物の管理責任は従業員本人にある旨を規定します。そのうえで、会社が保管場所(ロッカー等)を提供する場合はその管理範囲と限界を明記し、最後に、破損・紛失・盗難に関する会社の免責範囲を「重大な過失を除く」などの留保付きで記載します。この「重大な過失を除く」という留保を入れることで、全部免責として無効とされるリスクを軽減できます。
ルール整備だけで判断に迷う場合は、社労士や弁護士に一度相談することで、後のトラブルを大きく減らせます。
事故が起きてしまった後の初動対応
すでに破損・盗難が発生している場合は、まず事実関係を記録に残すことが最優先です。いつ・どこで・どのような状況で起きたかを書面で確認し、従業員の申告内容も文書化します。感情的な対応や即断での弁償約束は避け、顧問社労士や弁護士に相談しながら対応方針を決めることをお勧めします。ルールがない状態での事後対応は、ルールを整備した後の対応と比べて会社のリスクが高まりますが、誠実な対応姿勢と迅速な事実確認が従業員との信頼関係を守るうえで重要です。
「今、困っている状況の判断基準が欲しい」という場合は、ウェルセンス株式会社に一度ご相談ください。実務的な視点から、次の一手をサポートします。
まとめ
従業員の私物に対する会社の賠償責任は、「私物持ち込みを会社が認容していたか」「施設管理に問題があったか」「会社が保管を引き受けていたか」という事実関係によって左右されます。安全配慮義務(労働契約法第5条)の直接の対象は生命・身体・健康であり、私物の財産的損害はその中心ではありませんが、状況によっては善管注意義務や不法行為上の責任が問われます。就業規則の免責規定は有効な防衛策である一方、会社に重大な過失がある場合は機能しません。事故の前に「何が持ち込み可能か」「会社はどこまで管理するか」「免責の範囲はどこか」を一体で規定しておくことが、リスク管理の要です。
「うちの就業規則に私物管理の条項があるか確認したい」「BYODのルール整備をどこから始めればいいかわからない」「すでに従業員から弁償を求められていて対応に困っている」——こうした状況でお悩みであれば、ウェルセンス株式会社にご相談ください。専任人事がいない中小企業の実情に合わせて、実務に落とし込める形でサポートします。
よくある質問
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