「先月、給与を多く払いすぎてしまったようで…でも、返してもらっていいのか、どうやって伝えればいいのかわからなくて」。専任の人事担当者がいない中小企業では、給与計算のミスに気づいても、その後の対応に途方に暮れてしまうことがあります。給与過払いが発生した場合、返還を求める法的根拠があるのか、給与から差し引いていいのか、本人にどう話すべきか。この記事では、給与の過払いが発覚したときに最初に確認すべきことを、法的根拠と実務の両面から整理します。
給与の過払いは「返してもらえる」のか
不当利得返還請求という法的根拠
結論からお伝えすると、給与過払い分は法律上、返還を求めることができます。その根拠となるのが民法703条の「不当利得返還請求」です。これは、「法律上の原因なく他人の財産から利益を得た者は、その利益を返還する義務を負う」という規定です。
給与として支払った金額であっても、労働の対価として正当に発生した部分を超えた分は「法律上の原因のない利得」と判断されます。つまり、会社のミスで多く支払ってしまった金額は、民法の規定により正当に返還を求めることができるのです。「一度渡してしまったから諦めるしかない」と感じる必要はありません。
給与過払いの時効に気をつける
ただし、返還請求には時効があります。民法166条によると、権利を行使できることを知った時から5年、または権利を行使できる時から10年で消滅時効を迎えます。給与過払いの発覚が数ヶ月後・数年後になったとしても、この期間内であれば請求は有効です。
たとえば、2年前の過払いに今気づいたというケースでも、5年の時効期間内であれば返還請求は可能です。「今さら言えない」と諦める前に、まず発覚した時点から対応を検討してください。一方で、時効を過ぎてしまうと法的な請求権は消滅するため、給与過払いに気づいた時点で速やかに動き出すことが重要です。
給与から差し引いて回収していいのか
労働基準法24条が定める「全額払いの原則」
給与過払いが発覚すると、「来月の給与から黙って差し引いてしまおう」と考える担当者は少なくありません。しかしこれは、労働基準法第24条が定める「賃金全額払いの原則」に抵触する可能性があります。この原則は、賃金は全額を直接労働者に支払わなければならないというもので、会社が一方的に賃金から控除することを原則として禁じています。
無断で差し引いた場合、労働基準法違反として是正指導の対象になるリスクがあるだけでなく、従業員との信頼関係を大きく損なうことにもなりかねません。
本人の書面による同意があれば控除できる
ただし、本人が自由意思に基づいて書面で同意した場合には、給与控除による返還が認められます。この「書面による同意」が実務上の最重要ポイントです。口頭での合意だけでは後のトラブルのもとになるため、必ず書面(同意書・覚書)を作成し、双方で保管する必要があります。
控除額についても注意が必要です。一般的には月額給与の10〜20%以内が目安とされており、従業員の生活を圧迫するような高額の控除は、たとえ同意があっても問題視される可能性があります。給与過払いを分割で返還してもらう際は、従業員の生活状況を考慮した現実的な分割設定を心がけてください。
給与過払いを本人に伝えるときの進め方
事実確認と社内での対応方針の決定を先に行う
本人への告知の前に、社内での準備を整えることが大切です。まず最初に、給与過払いの事実と金額を正確に確認します。給与明細・勤怠データ・計算根拠を照らし合わせ、「いつ・いくら・なぜ過払いが発生したのか」を明確にしてください。金額の特定が曖昧なまま社員に伝えてしまうと、後から数字が変わって信頼を失うリスクがあります。
次に、経営者や上司を交えて対応方針を決めます。一括返還を求めるのか、分割を認めるのか、給与控除とするのか振込返還とするのかを事前に整理しておくことで、本人との協議をスムーズに進めることができます。
個室で、会社のミスを認めながら伝える
本人への告知は、必ずプライバシーに配慮した個室で行います。他の従業員に聞こえる場所や、大勢がいる前での告知は絶対に避けてください。また、伝える際には「会社の計算ミスによるものであること」を明確に認めることが大切です。「あなたが気づくべきだった」「なぜ申告しなかったのか」といった責任転嫁の言い方は、従業員の反発を招き、給与過払いの返還交渉全体をこじらせる原因になります。
口頭で説明した後は、給与過払いの内容・金額・返還方法を記載した通知書を書面で手渡します。本人がその場では動揺していても、書面があとで確認の手がかりになります。
返還方法の協議と合意書の締結
返還方法については、一括か分割かを本人と協議します。たとえば給与過払い額が20万円の場合、月2万円ずつ10回分割といった具体的な計画を提示し、本人の生活状況を踏まえた合意を目指します。この際、強要や脅迫的な言い回しは絶対に避けてください。「返さないと懲戒処分にする」などの発言はパワーハラスメントに該当するリスクがあるうえ、そのような状況下での同意は法的に無効とされる可能性もあります。
合意内容が固まったら、返還金額・返還方法・返還スケジュール・控除開始時期を明記した合意書・同意書を作成し、会社と従業員の双方が署名・捺印の上で各自保管します。この書面が後のトラブルを防ぐ最大の防衛策になります。
退職した従業員への給与過払い請求
退職後でも返還請求は可能
在職中に発覚しなかった給与過払いが、退職後に判明するケースもあります。この場合でも、民法の不当利得返還請求は有効であり、退職後であっても返還を求めることができます。まずは内容証明郵便で返還を求める通知を送ることが、実務上の第一手段として有効です。
退職金・未払い賃金との相殺は原則禁止
一方で注意が必要なのは、退職金や未払い賃金と給与過払い分を会社が一方的に相殺することは、労働基準法第24条により原則として禁じられているという点です。「退職金から差し引いた」という対応は、法的トラブルに発展する可能性があります。退職者への給与過払い請求は、相殺ではなく別途の返還請求として進めることが基本です。
話し合いに応じない場合は、60万円以下の請求であれば少額訴訟や支払督促といった法的手段も選択肢に入ります。ただし、法的手続きに進む前に、専門家への相談を検討することをおすすめします。
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給与過払いへの対応をスムーズにするために整えておきたいこと
書式と手順をあらかじめ準備しておく
給与過払いへの対応は、発生してから慌てて考えるのではなく、事前に社内の手順と書式を整えておくことで、担当者の負担と判断ミスを大幅に減らすことができます。具体的には、給与過払い通知書のひな形、同意書・合意書のひな形、そして対応フローチャートの3点を用意しておくと安心です。
これらの書式がないと、担当者がその場で一から文書を作成することになり、記載漏れや表現の誤りが給与過払い対応のトラブルの原因になりかねません。また、手順が属人化すると、担当者が変わったときに同じミスが繰り返されるリスクもあります。
給与計算の二重チェック体制を設ける
そもそも給与過払いを防ぐための仕組みも重要です。給与計算を1人だけが行う体制では、ミスの発見が遅れます。計算後に別の担当者が確認する二重チェックの仕組みや、給与ソフトの活用による自動計算への切り替えを検討することで、給与過払いの発生リスクそのものを低減できます。
給与過払いへの対応は、発生後の対処だけでなく、再発防止の仕組みづくりもセットで考えることが、長期的な労務リスクの軽減につながります。
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まとめ
給与の過払いが発覚したときは、まず民法上の不当利得返還請求という法的根拠があることを確認し、「返してもらえる」という前提で対応を進めることが重要です。給与控除で回収する場合は、労働基準法第24条を踏まえ、本人の書面による同意が必須になります。本人への告知は個室で行い、会社のミスを認めたうえで、強要せず丁寧に協議することが信頼関係の維持につながります。退職者への給与過払い請求も時効内であれば可能ですが、退職金との相殺は禁じられている点に注意が必要です。対応全体を通じて、書面による記録の保管が後のトラブルを防ぐ最大の備えになります。
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