「部下の遅刻が増えているのに、勤怠データを直接確認できるのは人事だけで、管理職には何も見えていない」——そんな状況が続いていませんか。中小企業では、勤怠管理システムの閲覧権限が人事・総務に集中しており、管理職がリアルタイムで部下の状況を把握できないケースが少なくありません。かといって「全データを全管理職に開放する」のも、個人情報保護法の観点から不安が残ります。この記事では、勤怠データを管理職と共有するための法的な整理と、就業規則・社内規程をどう整えればよいかを、専任人事がいない企業でも実践できるよう具体的に解説します。
勤怠データは「個人情報」だが、社内共有は原則できる
遅刻・早退・欠勤の記録は個人情報保護法上の「個人情報」に該当します。ただし、一定の条件を満たせば管理職への共有は法的に問題ありません。まずこの大前提を押さえておきましょう。
個人情報保護法における「社内利用」の考え方
個人情報保護法第27条は「第三者提供」に同意を求めていますが、同じ会社の管理職への共有は「第三者への提供」ではなく「内部での取扱い」に分類されます。つまり、管理職が部下の勤怠データを業務上の目的で参照することは、原則として第三者提供の同意なしに行えます。
ただし「業務上の目的の範囲内であること」が前提です。勤怠データを人事考課の材料として使ったり、関係のない部署の社員情報を参照させたりすることは、利用目的の範囲を逸脱するリスクがあります。
「利用目的の明示」が必須条件になる理由
個人情報保護法第21条は、個人情報を取得した際に「利用目的を通知または公表する」よう事業者に義務付けています。社内での勤怠データ共有であっても、「誰が・どのような目的で・どの範囲の情報を参照できるか」を従業員に対して明示しておく必要があります。
就業規則や社内規程にこの内容が書かれていない場合、法的な根拠が曖昧なまま運用していることになり、万一トラブルが発生したときに会社が説明できない状態になります。
「社内利用だから大丈夫」という思い込みの落とし穴
社内であっても、利用目的の範囲を超えた共有は個人情報保護法上の問題になり得ます。たとえば、特定の社員の欠勤傾向を本人の承知なく他部署の管理職に伝えることや、勤怠データを口頭で第三者に漏らすことは、たとえ「社内」であっても不適切な取扱いとなり得ます。「社内だから何をしてもよい」という感覚は危険です。
勤怠データと健康情報は明確に区別して扱う
勤怠データをめぐる実務で最も誤解が多いのが、「遅刻・欠勤の記録」と「健康・医療情報」を同一視してしまうことです。この二つは法的な取扱いが大きく異なります。
「要配慮個人情報」とは何か
個人情報保護法第2条第3項は、病歴・診断名・精神疾患の有無などを「要配慮個人情報」として定め、通常の個人情報よりも厳格な取扱いを求めています。医師の診断書に記載された病名や、通院歴、精神疾患の有無などがこれに該当します。
これらの情報は原則として管理職には開示しないのが適切であり、人事担当者・産業医・会社が指定した担当者の範囲に限定して管理する必要があります。
管理職に共有できる情報・できない情報の目安
実務上の判断基準として、以下の表を参考にしてください。
| 情報の種類 | 法的分類 | 管理職共有 | 共有条件 |
|---|---|---|---|
| 遅刻・早退・欠勤の回数・パターン | 個人情報 | 原則可 | 利用目的の明示・規程整備が必要 |
| 本人が申告した体調不良の理由 | 個人情報(健康情報を含む場合あり) | 限定的に可 | 必要最小限・共有範囲を規程に明記 |
| 医師の診断名・通院情報 | 要配慮個人情報 | 原則不可 | 人事・産業医等に限定して管理 |
| メンタル不調の「疑い」という判断 | —— | 要慎重 | 「支援が必要な状態」として扱い、ラベリングは避ける |
管理職に伝えるのは「サイン」であって「診断」ではない
管理職が把握すべきは「この部下はここ2週間で遅刻が5回あり、いつもと様子が違う」という観察事実であり、「メンタル疾患の疑いがある」という医学的判断ではありません。厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」(通称:メンタルヘルス指針)でも、管理職によるラインケアの役割は「気づき・傾聴・つなぎ」であり、診断や判断は専門家に委ねることが原則とされています。
管理職教育の中でも、この区別を明確に伝えることが重要です。場合によっては、産業医や外部の人事労務コンサルタントに相談して、会社の運用ルールを整備することも有効です。
就業規則・社内規程に何を書けばよいか
勤怠データの管理職共有を適法かつ安全に行うには、就業規則または別途設ける「個人情報管理規程」や「健康情報取扱規程」に、利用目的・共有範囲・管理責任者を明記することが必要です。
就業規則に盛り込むべき最低限の記載事項
専任人事がいない企業では、まず就業規則の「個人情報の取扱い」に関する条項を見直すことから始めましょう。記載すべき内容は以下の通りです。
- 勤怠情報の利用目的(例:労務管理、健康管理、安全配慮義務の履行のため)
- 社内での共有範囲(例:直属の上長および人事担当者に限る)
- 管理責任者の設置(情報の取扱いに責任を持つ担当者または役職を明記)
- 健康情報と勤怠情報の区別、および健康情報の取扱い制限
- 情報の目的外利用の禁止と、違反した場合の措置
これらが就業規則に明記され、従業員に周知されていれば、「利用目的の通知・公表義務」(個人情報保護法第21条)を満たした形で運用できます。
規程を作る前に確認すること——会社の状況による分岐
規程整備の優先順位は、会社の規模や現状によって異なります。まず自社の状況を確認してください。
- 従業員数が50名未満の場合:ストレスチェックの義務はありませんが、労働安全衛生法第69条の健康保持増進措置は規模を問わず適用されます。就業規則に個人情報・健康情報の取扱い条項がない場合は、追記から始めましょう。
- 就業規則がそもそも整備されていない場合:常時10名以上の労働者を使用する事業場は就業規則の作成・届出が義務(労働基準法第89条)です。未整備であれば、まず就業規則の整備が先決です。
- 就業規則はあるが個人情報条項が古い・曖昧な場合:個人情報保護法は2022年に大幅改正されています。古い条項のまま運用しているケースでは、現行法に合わせた見直しが必要です。
- 産業医がいる場合:健康情報の管理ルールについて産業医と連携して規程を整備することが望ましく、厚生労働省の「雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項」(2017年)も参照してください。
「ひな形をそのまま使う」リスクについて
インターネット上には就業規則のひな形が多数公開されていますが、個人情報・健康情報の取扱い条項は、会社の業種・規模・運用実態に合わせてカスタマイズしないと、実態と規程が乖離したまま運用されるリスクがあります。形式だけ整えて実態が伴わない状態は、むしろ「規程通りに運用していなかった」という証拠を残すことになりかねません。
管理職が「見えるようにする」仕組みの設計
法的な整理と規程の整備が済んだら、次は実際に管理職が部下の勤怠状況を把握できる運用の仕組みを設計します。「全データ開放」と「完全非公開」の二択ではなく、適切な粒度で共有する仕組みを作ることがポイントです。
勤怠システムの権限設計を見直す
多くの勤怠管理システムでは、閲覧権限を部署単位・役職単位で設定できます。管理職には「自分の部下の勤怠データのみ閲覧可能」な権限を付与し、他部署の情報は見えない設計にすることで、共有範囲を「直属の上長に限る」という規程と一致させることができます。システム設定と規程の内容を揃えることが、実務上の安全な運用につながります。
アラートの設計——何をトリガーにするか
「遅刻が月3回以上」「欠勤が2日連続」などのアラート条件を設定し、条件に該当した際に管理職と人事担当者に通知が届く仕組みを作ると、問題が大きくなる前に動くことができます。重要なのは、アラートはあくまで「話を聞くきっかけ」であり、その情報だけで評価・処分・診断の判断に使わないことです。この運用ルールも規程に明記しておきましょう。
管理職への教育と「報告しやすい文化」の整備
仕組みを整えても、管理職が「プライバシーを侵害するかもしれない」「人事に報告したら本人の評価に影響する」と感じている限り、情報は上がってきません。管理職向けに、「勤怠データを人事に報告することはプライバシー侵害ではなく、安全配慮義務の履行である」という認識を共有する機会を設けることが重要です。厚生労働省のメンタルヘルス指針でも、管理職によるラインケアの研修実施が推奨されています。
管理職の教育ご担当者が社内にいない場合や、具体的な対応方法について疑問が残る場合は、専門家に相談することで、より実効性のあるルール作りが進められます。
安全配慮義務と勤怠データ管理の関係
会社が管理職と勤怠データを共有する正当な根拠の一つが、労働契約法第5条に定められた「安全配慮義務」です。この観点を持つことで、勤怠データの共有が「プライバシーの侵害」ではなく「会社の責務の履行」であることが明確になります。
安全配慮義務に基づく情報共有の正当性
労働契約法第5条は、使用者が労働者の生命・身体・健康を危険から保護するよう配慮する義務を定めています。遅刻・欠勤の増加はメンタル不調の早期サインとして広く知られており、これを把握して適切に対応することは、安全配慮義務の履行そのものです。
管理職が部下の勤怠データを確認し、必要に応じて面談や人事への報告を行うことは、この義務の範囲内の正当な行為と位置づけられます。
「気づかなかった」では済まなくなるリスク
休職・離職・メンタルヘルス問題が深刻化した後に「勤怠データ上にサインが出ていたが、管理職が把握できる仕組みがなかった」という状況は、会社の安全配慮義務違反を問われるリスクにつながります。過去の裁判例でも、使用者が労働者の健康状態の悪化を認識し得たにもかかわらず、適切な措置を取らなかったことが義務違反と認定されたケースがあります。仕組みの整備はリスク管理でもあります。
まとめ
勤怠データ(遅刻・早退・欠勤の記録)は個人情報ですが、業務上の必要性があり、利用目的が明示されていれば管理職への共有は個人情報保護法上、原則として認められます。大切なのは「どんな目的で・誰に・どこまで共有するか」を就業規則や社内規程に明記し、従業員に周知することです。また、診断名・通院歴などの要配慮個人情報は管理職には開示せず、人事・産業医等に限定して管理することが必要です。
専任人事がいない中小企業では、こうした規程の整備が後回しになりがちです。しかし「規程がない」「古いひな形のまま」という状態は、万一トラブルが発生したときに会社を守る根拠がない状態でもあります。人事労務の判断に迷いが生じたときや、規程の整備・見直しが必要な段階であれば、法務や人事の専門家に相談することで、会社の実態に合ったルール作りが実現します。ウェルセンス株式会社では、メンタルヘルス対応・休職復職支援と並行して、人事労務の規程整備や運用設計のご相談も承っています。「うちの会社はどこから手をつければいいの?」という段階からでも、ぜひお気軽にご相談ください。
よくある質問
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