「異動先の上司に、この社員のことをどこまで話せばいいんだろう」——メンタル不調を抱える社員の配置転換を進めながら、こうした判断に迷った経験はありませんか。伝えすぎればプライバシー侵害になるかもしれない。でも伝えなければ、受け入れ上司が適切なサポートをできずに現場が混乱する。専任人事のいない職場では、その判断を一人で抱えることになりがちです。この記事では、法的な根拠をふまえながら、メンタル不調で異動する社員の情報共有について、実務で使える考え方と具体的な伝え方を解説します。
「伝えすぎ」と「伝えなさすぎ」の間にある正しい線引き
メンタル不調に関する情報共有で最初に押さえるべき原則は、「病名・診断内容」と「配慮事項」を切り分けることです。この二つを混同したまま「何を伝えるか」を考えると、必ずどちらかのリスクを踏む結果になります。
メンタル不調の情報は「要配慮個人情報」にあたる
うつ病・適応障害などの病名、診断内容、服薬状況といった情報は、個人情報保護法上の「要配慮個人情報」に該当します。要配慮個人情報は、原則として本人の明示的な同意がなければ第三者に提供することが禁じられています。ここで重要なのは、「受け入れ上司も第三者にあたる」という点です。「社内の人間だから共有してよい」という理解は法的に誤りで、同一企業内であっても利用目的の範囲を超えた情報共有は制限されます。
「配慮に必要な情報を伝えること」も会社の義務
一方で、労働契約法第5条は使用者に安全配慮義務を課しています。情報共有が不十分なために上司が適切な配慮をできなかった場合、安全配慮義務違反のリスクが生じます。また、うつ病・適応障害などの精神障害のある労働者には、障害者雇用促進法第36条の3に基づく合理的配慮提供義務があります。配慮を提供するには、受け入れ上司が「何に配慮するか」を具体的に知っている必要があります。つまり、「情報を伝えない=安全」ではなく、「必要な情報を適切に共有することも会社の責務」という二面性があるのです。
情報を「3層」に分けて考える
この二つの要請を両立するために有効なのが、情報を層ごとに整理することです。病名と配慮事項を一緒くたに扱わず、それぞれの共有ルールを明確に分けることで、プライバシーを守りながら現場が機能する情報共有が実現できます。
| 情報の層 | 内容の例 | 受け入れ上司への共有 |
|---|---|---|
| 病名・診断内容 | 「うつ病」「適応障害」「抗うつ薬服用中」 | 原則として本人の明示的な同意がない限り共有しない |
| 機能上の制約・配慮事項 | 「残業は月10時間以内」「急な業務変更に弱い」「朝の調子が不安定なことがある」 | 本人同意のうえで共有する(現場運営に必須の情報) |
| 行動指針・依頼事項 | 「無理そうなら早めに声をかけてほしい」「週1回1on1を設けてほしい」 | 会社として上司に依頼する形で伝える |
本人への同意確認、誰がどのタイミングでどう進めるか
配慮事項を受け入れ上司に伝えるには、事前に本人の同意を得ることが原則です。「同意を取る」という概念は理解していても、実際の進め方に迷う担当者が多いのが現状です。
同意確認のタイミングと担当者
同意確認は、異動の内示を本人に伝えた後、できる限り早い段階で行うのが適切です。担当者は人事担当者または直属の上長が望ましく、産業医がいる場合は産業医との面談後に確認するとスムーズです。本人がまだ体調的に不安定な状態であれば、主治医の意見を参考にしながら確認のタイミングを調整します。
本人への伝え方――配慮事項共有の目的を先に示す
同意確認では、「情報を渡したい」という会社側の都合ではなく、「受け入れ先でより安心して働いてもらうため」という目的を先に伝えることが重要です。たとえば次のように伝えると、本人が同意の意味を理解しやすくなります。「異動先の上司に、業務上の配慮事項だけをお伝えしたいと思っています。病名や詳しい経緯をお伝えするつもりはありません。どんな内容を伝えてよいか、一緒に確認させてください」。このように、何を伝えて何を伝えないかを明示したうえで確認することが大切です。
本人が同意しない場合の対応
本人が「何も伝えないでほしい」と希望した場合でも、その意思は最大限尊重します。ただし、伝えないことで生じるリスク(上司が配慮できない、体調悪化時の対応が遅れるなど)を丁寧に説明したうえで、本人が自ら上司に伝える形を選べるかどうかも確認してみましょう。本人が自己開示することを選んだ場合は、会社はそのサポートに徹します。なお、本人の生命・身体の保護のために緊急性がある場合は例外的に同意なく共有できる場面もありますが(個人情報保護法第18条第3項)、これは安易に使える抜け道ではなく、まず同意取得を試みることが大前提です。
受け入れ上司への具体的な伝え方
受け入れ上司に伝える情報は「配慮事項と行動指針」に絞り、病名は原則として伏せます。抽象的な表現では現場は動けないため、具体的な内容で伝えることが重要です。
「少し配慮して」では動けない――具体化のポイント
「体調に配慮してあげてください」という伝え方では、上司は何をすればよいかわかりません。配慮事項は、できる限り行動レベルで伝えます。たとえば「残業は月10時間以内を目安にしてください」「締め切りの急な前倒しは避けてください」「月曜の午前中は調子が出にくいことがあるので、重要な打ち合わせは午後に設定してもらえると助かります」のように具体化します。上司が「自分は何をすれば正解か」をイメージできる形にすることが、現場で機能する情報共有の条件です。
「腫れ物扱い」を防ぐための伝え方の工夫
情報を開示しすぎると、上司が過剰に気を遣い、本人が「監視されている」「特別扱いされている」と感じて職場適応が悪化するリスクがあります。これを防ぐために、伝え方には以下の工夫が有効です。まず、配慮事項は「この社員に特有の特別扱い」としてではなく、「チームとしての仕事の進め方の確認事項」として位置づけて伝えます。次に、「何かあれば人事に相談してほしい」という窓口を明示することで、上司が一人で抱え込まなくて済む体制を整えます。
伝える場の設定と記録の残し方
受け入れ上司への説明は、口頭だけでなく簡単なメモや覚書として残しておくことを推奨します。内容は「配慮事項のリスト」と「情報管理の約束(他のメンバーには共有しないこと)」の二点を含めるとよいでしょう。口頭のみでは「言った・言わない」のトラブルが起きやすく、上司が他のメンバーに話してしまったときの責任の所在も曖昧になります。簡単な確認書でも、双方が署名する形をとることで情報管理の意識が高まります。
情報が漏れてしまったときの対処と再発防止
受け入れ上司から他のメンバーに情報が広がってしまったとき、会社としてすべき対応は「事実確認・本人への説明・再発防止の仕組み化」の三段階です。
情報漏えいが起きたときの初動対応
まず事実を確認します。「誰が・いつ・誰に・どんな情報を伝えたか」を整理したうえで、当該上司に情報管理の約束を再確認します。次に、本人への説明を速やかに行います。「このような状況になってしまったこと、申し訳ありませんでした」と率直に謝罪し、今後どのような対処をとるかを伝えます。本人が精神的なダメージを受けている場合は、産業医や外部のメンタルヘルス相談窓口につなぐことも検討します。
再発防止のための仕組みづくり
情報漏えいの多くは、上司が「どこまで話してよいか」を理解していないことから起きます。再発防止には、情報共有のルールを就業規則や社内規程に明記することが有効です。専任人事がいない規模の企業でも、「健康情報の取り扱いに関する社内ルール」を一枚のペーパーとして整備しておくだけで、上司の行動が変わります。異動の都度、受け入れ上司にそのルールを説明する手順を組み込むことが再発防止の基本です。
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産業医の有無・企業規模による対応の違い
対応の具体的な手順は、産業医の有無や就業規則の整備状況によって変わります。自社の状況を確認したうえで、できる範囲から始めることが重要です。
産業医がいる場合(従業員50人以上)
従業員50人以上の事業場では産業医の選任が義務付けられています。この場合、異動前に産業医面談を実施し、産業医から「就業上の意見書」を取得することで、配慮事項の客観的な根拠が整います。受け入れ上司への説明も「産業医の意見として」伝えることができ、人事担当者が単独で判断する場面を減らせます。
産業医がいない場合(従業員50人未満)
産業医がいない場合は、本人の主治医の診断書が配慮事項を確認する主な手段になります。ただし診断書の内容そのものを受け入れ上司に渡すのではなく、診断書をもとに人事担当者が配慮事項を整理し、その内容を本人に確認してから上司に伝えるプロセスをとります。外部のEAP(従業員支援プログラム)や社会保険労務士に相談する体制を持っておくと、判断に迷ったときの拠り所になります。
就業規則に休職・復職規定がない場合
中小企業では、就業規則に休職・復職・配置転換に関する規定が整備されていないケースが少なくありません。規定がない状態で個別対応を続けると、社員ごとに対応がバラバラになり、後から「あの人のときと対応が違う」というトラブルが起きやすくなります。メンタル不調の社員対応をきっかけに、最低限の規定整備(休職期間・復職要件・情報管理のルール)を検討することを推奨します。
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まとめ
メンタル不調で異動する社員の情報共有で押さえるべき核心は、「病名・診断内容」と「配慮事項・行動指針」を切り分けることです。病名は本人の明示的な同意なく受け入れ上司に伝えることは原則禁止であり、共有すべきは「この上司に何をしてほしいか」という具体的な配慮事項です。本人への同意確認は、目的と共有内容を明示したうえで行い、伝え方ひとつで本人の安心感と職場適応が変わります。
こうした判断を、日々の業務と並行しながら一人で対応するのには限界があります。ウェルセンス株式会社では、専任人事がいない中小企業の経営者・人事担当者の方に向けて、メンタル不調の社員対応・休職復職支援・情報共有のルール整備について個別にご相談を承っています。「うちのケースではどうすればいいか」という具体的な状況をそのままお聞かせください。
よくある質問
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