役員の残業代リスクを避ける3つの判断基準と対策

コンプライアンス

「うちの取締役に残業代なんて関係ない」——そう思い込んだまま運用してきた結果、退任した元役員から数百万円規模の未払い残業代を請求される。中小企業では珍しくないトラブルです。登記上の肩書が「取締役」であっても、実態が従業員に近ければ労働基準法が適用され、残業代の支払い義務が生じる可能性があります。この記事では、役員に残業代リスクが生じる判断基準と、いま取るべき実務対策を整理します。

「役員だから残業代不要」は思い込みかもしれない

役員であっても、業務の実態によっては労働基準法が適用され、残業代の請求を受けるリスクがあります。登記上の肩書だけで判断することは、大きな落とし穴になります。

労働基準法は「実態」で適用されるもの

労働基準法第9条は、「労働者」を「使用される者で、賃金を支払われる者」と定義しています。重要なのは、取締役として登記されているかどうかではなく、「会社の指揮命令を受けて労務を提供し、その対価として報酬を得ている」という実態があるかどうかです。

たとえば、「取締役営業部長」という肩書を持っていても、日々の業務は代表取締役の指示に従って営業活動を行い、タイムカードで出退勤を管理されている——こうした実態があれば、労働者として扱われる可能性があります。

純粋役員と使用人兼務役員の違い

役員には大きく二つの類型があります。

類型 特徴 残業代
純粋役員 取締役会での意思決定に参加し、経営上の判断を行う。日常業務への従事は少なく、役員報酬のみを受け取る 支払い義務なし
使用人兼務役員 取締役でありながら、部長・工場長などの使用人としての職務も兼ねる。上位者の指示を受けて実務に従事している 使用人部分に支払い義務あり

根拠となるのは、昭和23年3月17日 基発461号の労働省通達です。この通達では、使用人兼務役員の労働者性が認められる場合、労基法上の保護が及ぶことが明示されています。

「登記されているから役員」は通用しない

登記はあくまで会社法上の手続きであり、労働法の世界では効力を持ちません。裁判や労働局の調査では、登記の有無ではなく「誰が指示を出し、誰がそれに従っていたか」という業務の実態が問われます。役員に選任した覚えはあっても、日常的に現場業務を指示していたなら、その実態が問題になります。

役員の労働者性を判断する3つの基準

役員に労働基準法が適用されるかどうかは、次の3つの観点から判断されます。いずれか一つが明確であれば足りるわけではなく、複数の要素を総合的に見て判断されます。

指揮命令関係があるか

最も重視されるのが、業務における指揮命令関係の有無です。代表取締役や上位の役員から業務上の指示・命令を受け、それに従って業務をこなしている実態があれば、使用従属関係があると判断されやすくなります。

「取締役とはいえ、実際の案件の進め方や優先順位は社長が決めていた」「社長の承認なしには何も動かせなかった」——こうした実態は、労働者性を肯定する方向に働きます。

報酬の性質と区分

役員報酬と給与が明確に区分されているかどうかも重要な判断要素です。役員報酬は株主総会の決議によって決定され、定期同額であることが原則です。一方、使用人部分の給与は労働の対価として別途支払われるものであり、賃金台帳や給与明細でその区分が明確に記録されている必要があります。

役員報酬と給与が混在したまま支払われていた場合、万が一「労働者性あり」と判断されたときに、割増賃金(残業代)の計算基礎すら把握できない状況に陥ります。

就業規則・労働時間管理の適用状況

就業規則の適用を受けているか、タイムカードや勤怠システムで出退勤の管理がされているかも重要な確認ポイントです。「役員扱い」でありながらも出退勤を管理されていたり、有給休暇の取得申請を出していたりする事実があると、労働者性を裏付ける証拠になります。

逆に言えば、純粋役員として扱いたい場合は、就業規則の適用対象から除外する旨を明記し、労働時間管理の対象外であることを明確にしておく必要があります。

現在の役員の扱いについて「実態と書類が一致しているか」確認することが、トラブル予防の第一歩です。判断に迷う場合は、専門家に相談することをお勧めします。

管理監督者と役員を混同していませんか

「管理職にすれば残業代が出ない」という理解をそのまま役員にも当てはめているケースが中小企業では見られますが、この二つは法的に全く異なる概念です。

管理監督者は「労働者」のままであることを忘れずに

労働基準法第41条第2号に定める「管理監督者」とは、労働時間・休憩・休日の規定の適用が除外される者です。ただし、あくまで「労働者」であることに変わりはなく、深夜労働に対する割増賃金や、年次有給休暇の付与義務は引き続き適用されます。

役員(純粋役員)は労基法の適用を受けないのに対し、管理監督者は労基法の適用を受けながら一部規定が除外されているという点で、根本的な違いがあります。

管理監督者と認められる実質的な要件

管理監督者として認められるためには、肩書だけでは不十分です。行政解釈や裁判例が示す実質的な要件は次の三点です。

  • 労働時間の決定や業務の進め方について、実質的な裁量権を持っていること
  • その地位・職責にふさわしい待遇(賃金・処遇)が保障されていること
  • 出退勤や勤務時間について、一般従業員のような厳格な管理を受けていないこと

「課長」「部長」などの肩書だけで管理監督者と扱い、実態が伴っていないケースは「名ばかり管理職」として問題となります。日本マクドナルド事件(東京地裁 平成20年1月28日判決)では、店長職の管理監督者性が否定され、大きな注目を集めました。

役員であっても管理監督者の問題が二重に生じうる

使用人兼務役員のように労働者性が認められた場合、その人物について管理監督者の要件も別途満たしているかどうかが問われます。労働者性があり、かつ管理監督者の要件も満たせていなければ、残業代の支払い義務が生じます。役員と管理監督者の問題は重なり合うことがあるため、どちらの観点からも確認が必要です。

未払い残業代はいつまで遡って請求されるか

令和2年(2020年)4月の法改正により、賃金請求権の消滅時効は当面の間3年に延長されました。労働者性が認められれば、過去3年分の未払い残業代を一括請求されるリスクがあります。

改正前後の時効の違い

改正前の労働基準法第115条では、賃金請求権の消滅時効は2年でした。令和2年4月施行の改正(労働基準法第143条)により、「当面の間3年」に延長され、将来的には5年になる方向で議論が続いています。

仮に月30万円の給与相当額が未払いであったと判断された場合、3年分で1,000万円を超える請求になることもあります。役員だからという認識で放置してきた状況が、退任後に一気に顕在化するケースが増えています。

退任後に請求されるリスクが高い

役員在任中は関係性があるため表面化しにくいですが、退任・解任・会社との関係が悪化した段階で請求されるケースが多く見られます。退任後3年以内であれば請求権が消滅していないため、会社側は証拠を保全・整備しておく必要があります。

特に問題になりやすいのは次のような状況です。業績悪化による役員報酬の減額後に退任した場合、解任をめぐって紛争になった場合、そして経営への関与が実態として薄かった場合です。こうした状況では、「自分は実質的に従業員だった」という主張が展開されやすくなります。

いまできるリスク対策

役員の残業代リスクを回避するためには、書類や規程の整備と運用の両面から対応が必要です。在任中から取り組んでおくことで、紛争予防と証拠保全の両方につながります。

就業規則・役員規程の整備

まず、就業規則に「役員はこの規則の適用を受けない」旨を明記することが基本的な対策です。また、使用人兼務役員を選任する場合は、株主総会や取締役会の議事録にその旨を記録し、役員報酬と給与を明確に区分して賃金台帳に記載します。

就業規則が5人未満の事業場には作成義務がありませんが、役員の扱いに関する内部規程は規模にかかわらず整備しておくことを推奨します。

報酬・勤怠管理の記録を整える

使用人兼務役員として扱う場合は、給与部分を役員報酬と明確に分けたうえで、勤怠の記録を残します。一方、純粋役員として扱う場合は、タイムカードや勤怠管理システムの適用対象から除外し、役員として業務に従事していることが分かる記録(取締役会議事録・稟議書等)を保管します。

どちらの扱いにするかを曖昧にしたまま運用を続けることが最大のリスクです。実態と書類が乖離していると、いざ争いになったときに会社に有利な証拠が一切残っていない状況になりかねません。

自社のケースを専門家に確認する

役員の労働者性の判断は、業務の実態・報酬の構造・指揮命令関係など複数の要素を総合的に評価するため、自社内での判断が難しいケースが多くあります。特に、同一人物が取締役と現場責任者を兼ねているような場合や、役員報酬と給与の区分が曖昧なまま運用してきた場合は、現状確認と整備のために専門家への相談を早めに行うことが重要です。

人事課題は一社一社の事情が異なるもの。人事の負担を軽くするためにも、外部専門家のサポートを活用することも選択肢です。

まとめ

役員に残業代リスクが生じるかどうかは、登記上の肩書ではなく業務の実態で判断されます。指揮命令関係・報酬の区分・就業規則の適用状況という3つの基準を軸に、自社の役員が純粋役員に当たるのか使用人兼務役員に当たるのかを確認することが出発点です。また、管理監督者との混同や、令和2年改正による時効3年への延長など、見落としがちな論点も少なくありません。

ウェルセンス株式会社では、専任人事がいない中小企業の経営者・人事担当者の方を対象に、役員の取り扱いや就業規則の整備、人事労務全般のご相談をお受けしています。「うちのケースはどうなるのか」という疑問がある方は、まずお気軽にご相談ください。

よくある質問

Q. 取締役として登記されていれば、残業代は一切不要ですか?

A. 登記の有無だけでは判断できません。業務の実態として指揮命令関係があり、使用人としての職務を行っている場合は、「使用人兼務役員」として労働基準法が適用され、残業代の支払い義務が生じる可能性があります。労働基準法第9条は実態で適用されるためです。

Q. 「取締役部長」のような肩書の人は、役員と従業員のどちらとして扱えばよいですか?

A. 「取締役部長」は典型的な使用人兼務役員の候補です。役員としての経営参画の実態があるか、部長としての現場業務が中心かによって判断が変わります。役員報酬と給与を区分し、取締役会議事録に兼務の事実を記録するなど、書類上の整備を行ったうえで運用することが重要です。

Q. 管理職(課長・部長)を「管理監督者」として扱えば残業代は不要ですか?

A. 肩書だけでは不十分です。管理監督者として認められるには、労働時間への実質的な裁量・ふさわしい待遇・出退勤管理の自由という3つの実質的な要件を満たす必要があります。日本マクドナルド事件(東京地裁 平成20年1月28日判決)のように、実態が伴わない場合は管理監督者性が否定され、残業代の支払いを命じられることがあります。

Q. 退任した元役員から残業代を請求されました。どのくらい遡って支払う必要がありますか?

A. 令和2年4月施行の労働基準法改正により、賃金請求権の消滅時効は当面の間3年とされています。労働者性が認められた場合、退任から3年以内であれば過去3年分の未払い残業代を一括請求される可能性があります。請求を受けた場合は、業務実態を示す証拠の有無を確認し、早急に専門家に相談することをお勧めします。

Q. 役員の残業代リスクを防ぐために、まず何から手をつければよいですか?

A. まず、現在の役員について「純粋役員」か「使用人兼務役員」かの実態を確認することが出発点です。次に、就業規則への役員除外規定の明記、役員報酬と給与の明確な区分、取締役会議事録・賃金台帳の整備という順で対応を進めます。自社内での判断が難しい場合は、人事労務の専門家に現状確認を依頼することをお勧めします。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

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