「うちは年俸制だから、残業代は不要ですよね?」——採用面談でそう説明してきた経営者の方は少なくありません。しかし、年俸制と残業代の支払い義務は、法律上まったく別の話です。もし今も「年俸制=残業代込み」で運用しているなら、過去にさかのぼって未払い残業代を請求されるリスクが潜んでいるかもしれません。この記事では、年俸制でも残業代が必要な理由と、未払いリスクを防ぐための確認点をわかりやすく解説します。
年俸制でも残業代の支払い義務はなくならない
結論からお伝えすると、年俸制は「給与を年単位で決める計算方式」にすぎず、残業代(時間外割増賃金)の支払い義務を免除する制度ではありません。
年俸制と残業代は別の概念
労働基準法第37条は、法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えた労働に対して割増賃金を支払うことを義務づけています。この義務は、月給制・日給制・年俸制といった給与の計算形式にかかわらず適用されます。「年俸〇〇万円、残業代込み」という記載だけでは、法的に有効な取り決めにはなりません。
例外となるケースは限られている
残業代の支払いが不要になるのは、労働基準法第41条に定める「管理監督者」など、ごく限られた例外的なケースだけです。管理監督者と認められるには、経営の意思決定に実質的に参画していること、出退勤の自由があること、賃金上の優遇があること、といった厳格な要件をすべて満たす必要があります。20〜50名規模の企業で「主任」「リーダー」「課長」という肩書きの社員に管理監督者を適用しているケースは「名ばかり管理職」として否認されるリスクが高く、注意が必要です。
「本人が合意していたから大丈夫」は通用しない
採用時に求職者が「年俸制・残業代込み」という条件に同意してサインしていたとしても、労働基準法の規定は強行法規(当事者の合意よりも法律が優先される規定)です。要件を満たさない合意は無効となり、「納得して入社したはずだ」という主張は法的には通じません。これが最も多い誤解のひとつです。
固定残業代として有効にするための要件
年俸のなかに残業代を含めて支払う仕組みは「固定残業代(みなし残業代)」と呼ばれ、法的要件を満たせば有効に機能します。最高裁判例(テックジャパン事件・2012年、イクヌーザ事件・2017年)および厚生労働省の行政解釈が示す3つの要件を確認しましょう。
基本賃金と固定残業代を明確に区分する
年俸総額に「残業代含む」と記載するだけでは要件を満たしません。「年俸〇〇万円のうち、月額〇〇万円は時間外労働〇〇時間分の固定残業代とする」というように、金額と対応する時間数の両方を雇用契約書または就業規則に明示することが必要です。この区分が曖昧な場合、固定残業代部分が無効と判断され、年俸全体が基本賃金とみなされたうえで残業代が別途発生するという状況になりかねません。
固定時間を超えた分は追加支払いが必要
固定残業代は「あらかじめ設定した時間数までの残業代をまとめて支払う」仕組みです。たとえば月45時間分の固定残業代を設定した場合、実際の時間外労働が45時間を超えた月は、超過分を別途計算・支給しなければなりません。「固定残業代を払えば残業がいくら増えても追加払いは不要」というのは誤りです。
書面での明示と最低賃金の確認
労働基準法第15条は、労働条件の明示義務を定めています。固定残業代の内容は、雇用契約書や労働条件通知書に書面で明記することが必要です。また、固定残業代を除いた基本賃金部分だけで最低賃金(都道府県ごとに異なる)を上回っているかどうかの確認も欠かせません。特に固定残業時間を長く設定するほど基本賃金部分が圧縮されるため、最低賃金違反のリスクが高まります。
未払い残業代はいつまで遡られるのか
過去の未払い残業代は、時効が成立するまでさかのぼって請求することができます。時効の期間と計算の仕組みを把握しておくことが、リスクの全体像を把握するうえで重要です。
現在の時効は「3年」
2020年4月に施行された改正労働基準法により、賃金請求権の消滅時効は2年から3年に延長されました(経過措置として当面3年。附則では将来的に5年への延長も示唆されています)。2020年3月以前に発生した賃金請求権については旧来の2年が適用されますが、現時点で未払いが継続している場合は2020年4月以降の分(3年分)が対象となります。退職後であっても、時効期間内であれば請求は可能です。
計算額が想定より大きくなる理由
未払い残業代の計算には、割増賃金の基礎となる「1時間あたりの賃金」に割増率(時間外1.25倍・深夜1.5倍・休日1.35倍)を乗じます。年俸制の場合、年俸を月の所定労働時間で割って1時間単価を算出しますが、この所定労働時間の設定が争点になることがあります。さらに、裁判になった場合は未払い額と同額の「付加金」(労働基準法第114条)の支払いを命じられる可能性があり、実際の支払い総額が未払い分の2倍に膨らむケースもあります。
リスクの大きさを整理する
リスクの規模感を把握するための目安を整理します。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 遡及可能な最大期間 | 3年(2020年4月以降発生分) |
| 対象者 | 在職中・退職後を問わず請求可能 |
| 裁判時の付加金 | 未払い額と同額(最大2倍の支払い命令) |
| 行政対応 | 労働基準監督署による是正勧告の対象 |
今すぐ確認すべきポイント
未払いリスクを防ぐために、現在の雇用契約・就業規則・実際の運用を照らし合わせて確認すべきポイントを整理します。
雇用契約書・就業規則の記載内容を確認する
まず最初に、現在の雇用契約書と就業規則を手元に用意してください。固定残業代について「金額」と「対応する時間数」が明確に区分して記載されているかどうかを確認します。「年俸〇〇万円(残業代込み)」という記載のみであれば、固定残業代として有効とは認められない可能性が高く、早急な見直しが必要です。就業規則は10人以上の従業員を雇用している場合に作成・届出が義務づけられており(労働基準法第89条)、内容が実態と合っているかどうかも併せて確認してください。
実際の残業時間と固定残業時間の乖離を確認する
次に、タイムカードや勤怠管理システムの記録から、実際の時間外労働時間を確認します。固定残業時間(例:月30時間)を超える残業が常態化している場合、その超過分は毎月未払い状態が積み重なっています。勤怠の記録が残っていない場合はメールの送受信履歴・入退館記録なども参考になります。記録がないからといってリスクがゼロになるわけではありません。
管理職・リーダー職の位置づけを見直す
「管理職扱いにしているから残業代は不要」と処理している社員がいる場合は、管理監督者の要件(経営の意思決定への実質的参画・出退勤の自由・賃金上の優遇)を満たしているかどうかを改めて確認してください。肩書きだけで判断していると、名ばかり管理職として否認され、遡及請求の対象になるリスクがあります。特に20〜50名規模では、主任・リーダー・係長クラスまで管理監督者として扱っているケースが見られますが、実態が伴っているかどうかが重要です。
現状が複雑で自社だけでは判断できない場合は、労務の専門家に早期に相談することで、後々のリスク対応よりもはるかに低い費用で解決できます。
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問題が発覚した場合の対処の流れ
現状の契約・運用に問題が見つかった場合でも、早期に適切な対処をとることでリスクを最小限に抑えることができます。放置するほど未払い額と遡及リスクは積み上がっていきます。
社会保険労務士・弁護士への相談を最初に行う
まず最初に、労働法に詳しい社会保険労務士または弁護士に現状を相談することを強くお勧めします。未払いの可能性がある金額の試算、就業規則・雇用契約書の改定案の作成、社員への周知の進め方など、専門家のサポートが不可欠です。専任の人事担当者がいない企業では、経営者や兼務担当者が独自に対応しようとすると、かえって問題が複雑になるケースがあります。
改定内容の社員への周知と合意形成
就業規則や雇用契約書を改定する際には、社員への丁寧な説明と合意形成が重要です。「なぜ今まで払っていなかったのか」と問われることを恐れて放置するよりも、誠実に現状を説明し、今後の制度を整備することのほうが社員との信頼関係を守ることにつながります。改定の内容によっては労働条件の不利益変更(労働契約法第9・10条)に該当する場合もあるため、変更内容と手順については専門家の確認を経ることが大切です。
再発防止のための運用ルールを整備する
制度を整備した後は、固定残業時間を超えた月に確実に追加支給できるよう、勤怠管理と給与計算のフローを見直します。月次で時間外労働時間を集計し、固定残業時間との差分を確認する運用を仕組みとして組み込むことが再発防止の基本です。勤怠管理システムを導入していない場合は、この機会に導入を検討することも一つの選択肢です。
「自社の対応が正しいかどうか判断がつかない」「専門家に相談したいが何から始めたらいいかわからない」という段階からの相談もお受けしています。
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まとめ
年俸制は残業代の支払い義務を免除する制度ではありません。固定残業代として有効に機能させるには、金額と時間数の明示・超過分の追加支払い・書面での明示という要件を満たす必要があります。未払いが発生している場合は最大3年分の遡及請求リスクがあり、裁判では付加金として同額の上乗せ支払いを命じられる可能性もあります。
「自社の契約書がどうなっているかわからない」「過去の運用に不安がある」という方は、一度現状を整理してみることをお勧めします。ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・人事担当者の方からのご相談をお受けしています。労務リスクの現状確認から制度整備のサポートまで、実務に寄り添った形でお手伝いします。まずはお気軽にご相談ください。
よくある質問
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