差押通知が届いた翌週に、対象の社員から「退職したい」と申し出があった——。こうした状況に直面した経営者・人事担当者から、「もう支払えなかった分は会社が負担するのか」「裁判所にどう報告すればいいのか」という声をよく耳にします。給与差押え中に社員が退職するケースは決して珍しくなく、対応を誤ると思わぬ法的リスクを抱えることになります。この記事では、会社が負う責任の範囲と、退職時に取るべき具体的な対応手順をわかりやすく整理します。
給与差押えで会社はどんな立場になるのか
給与差押えを受けた会社は、法律上「第三債務者」として差押命令に従う義務を負います。この立場を正確に理解しておくことが、退職時の対応ミスを防ぐ最初の一歩です。
「第三債務者」とは何か
給与差押えは、民事執行法第143条以降に基づく手続きです。債権者(お金を取り立てたい側)が裁判所に申し立て、裁判所が会社(=第三債務者)に対して差押命令を送達します。命令が届いた時点から、会社には二つの重要な義務が発生します。
- 対象社員(債務者)への給与の直接支払いを禁止される
- 差し押さえられた金額を差押債権者に弁済する義務を負う
つまり会社は、社員と債権者の「間」に立って、給与の一部を正しいルートで届ける役割を担わされます。専任人事がいなくても、この義務は会社全体に課せられるため、担当者が誰であっても無視できません。
差し押さえられる給与の範囲
差し押さえられるのは、原則として手取り給与(税金・社会保険料控除後)の4分の1です(民事執行法第152条)。ただし、養育費や婚姻費用など一定の債権については2分の1まで差押えが認められます。残りの4分の3(または2分の1)は差押禁止債権として保護されており、会社はその部分を通常どおり社員に支払います。
退職しても会社の義務はゼロにならない
社員が退職しても、会社の責任がすべて消えるわけではありません。「退職した=もう関係ない」と判断してしまうのが、最も危険な誤解です。
退職後の給与債権が消える部分
社員が退職すると、以後の給与支払義務が会社から消滅します。差押えは「将来にわたって発生する給与」を対象としているため、退職によって基盤となる債権自体がなくなり、原則として以後の徴収義務も消滅します。退職後に差押えの残額があったとしても、会社がその全額を立て替えて払う義務は生じません。
退職前・退職時点で発生済みの給与・退職金
問題となるのは、退職時点ですでに発生していた給与債権です。具体的には、最終月の給与と退職金が該当します。これらには差押命令の効力が引き続き及んでいるため、4分の1相当額を差押債権者に弁済する義務が残ります。退職金については、民事執行法第152条2項により手取り額の4分の1が差押対象となりますが、退職金の性質や支払時期によって判断が異なる場合があるため、個別に専門家へ確認することをお勧めします。
会社が責任を問われる典型的なケース
義務の消える部分と残る部分を正確に把握せずに対応すると、以下のような法的リスクが生じます。
| 誤った対応 | 生じるリスク |
|---|---|
| 差押命令受領後に社員へ給与を全額支払った | 差押債権者への損害賠償責任(民法上の不法行為) |
| 陳述催告書に虚偽の記載をした | 過料の制裁(民事執行法第208条) |
| 陳述催告書を無視・放置した | 損害賠償責任の対象となりうる(同条) |
| 退職の事実を裁判所・債権者に報告しなかった | 手続きが宙に浮き、後から責任追及される可能性 |
繰り返しになりますが、未徴収の残額全額を会社が立て替える義務は原則ありません。ただし、手続き上の不作為や誤対応が原因で損害賠償を求められるリスクは現実に存在します。
陳述催告書への対応を絶対に後回しにしない
給与差押えの手続きで会社が最初に行うべき実務は、裁判所から届く「陳述催告書(第三債務者の陳述書)」への回答です。これを放置することが、最大のリスクになります。
陳述催告書とは何か
陳述催告書とは、裁判所が第三債務者(会社)に対して「差し押さえた債権の内容を教えてください」と問い合わせる書類です。差押命令とほぼ同時に届くことが多く、民事執行法第147条に基づき、送達後2週間以内に回答する必要があります。
退職が発生した場合の記載内容
退職という事実が発生している場合、陳述催告書には以下の内容を正確に記載します。
- 差押えに係る債権(給与・退職金)の有無
- 差押えに応じる意思の有無
- 退職の事実(退職年月日・退職事由)
- 最終給与の支払予定日と金額
- 退職金の有無・支払予定日と金額
記載内容に虚偽があると過料の制裁を受けます。「退職した」という事実は隠さず、正直に記載することが重要です。専任人事がいない場合は、社労士や弁護士に書き方を確認してから提出することをお勧めします。
差押命令の対応が曖昧なまま進めると、書類作成や支払い判断の誤りが生じやすいもの。判断に迷ったら、早めに専門家に相談する方が、後々のトラブル防止につながります。
退職時に会社が取るべき対応手順
退職という事態が発生した場合、会社がすべき対応には明確な順序があります。焦らず、以下の流れに沿って進めることで法的リスクを最小化できます。
差押命令書で対象債権の範囲を確認する
まず最初に、手元の差押命令書を確認し、差押えの対象が「給与のみ」なのか「退職金も含む」のかを把握します。記載内容が読み解けない場合は、申立人(債権者側)の代理人弁護士に問い合わせるか、社労士・弁護士に相談してください。対象範囲を誤って把握していると、最終給与や退職金の処理を間違える原因になります。
最終給与・退職金の4分の1を差押債権者へ弁済する
次に、差押命令の効力が及んでいる最終給与と退職金(それぞれ手取り額の4分の1)について、差押債権者への弁済手続きを進めます。支払い先が不明確な場合や、複数の差押命令が届いている場合は、法務局への「弁済供託」(民法第494条)の活用を検討してください。供託することで、会社はその部分の弁済義務を適法に果たしたことになります。
裁判所書記官と債権者代理人に退職を書面で通知する
退職の事実が確定した段階で、速やかに裁判所書記官および申立人(債権者代理人弁護士)に書面で通知します。書面には「退職年月日・最終給与の支払状況・退職金の有無と支払予定」を明記してください。口頭やメールだけで済ませず、後から証跡として残るよう書面(郵送)で対応することが重要です。なお、差押通知の受領から退職まで期間が短い場合(たとえば通知翌日に退職届が出た場合など)でも、この報告手順は同じです。
🔗 陳述催告書への対応や支払い判断は、経営層だけで決めず、早めに弁護士・社労士に相談することが、後々のトラブル防止に有効です。 →
よくある誤解と会社が本当に守るべきこと
給与差押えに関する誤解は根強く、誤った認識のまま対応を誤るケースが少なくありません。正確な理解が、会社を守ります。
「退職したら全額会社が払わないといけない」は誤り
最も多い誤解が、「差押えが完了しなかった残額を会社が全部肩代わりしなければならない」というものです。これは法律上、誤りです。会社は第三債務者として手続き上の義務を負いますが、社員の借金そのものを保証しているわけではありません。退職によって将来の給与債権が消滅した分については、会社の義務も消滅します。
「差押えは社員の問題だから会社は関係ない」も誤り
反対に、「これは社員と債権者の問題であって、会社は関与しなくていい」という思い込みも危険です。第三債務者として差押命令を受けた時点で、会社は法的な義務主体となります。陳述催告書の放置や、差押命令後の全額支払いは、会社自身が損害賠償責任を負うリスクにつながります。
専任人事がいない場合の相談先の優先順位
対応に迷ったとき、どこに相談するかも重要です。差押命令書の読み解きや陳述催告書の記載方法は「法的判断が必要な事項」として弁護士に、給与計算や退職処理の実務手続きは社会保険労務士(社労士)に相談するのが基本です。裁判所の書記官に手続きの流れを確認することもできます。複数の機関に分けて相談することを恐れず、それぞれの専門領域に応じて活用してください。
人事労務の複雑な問題は、一社で抱え込まずに専門家のサポートを活用することが、トラブル防止の鍵。経営者・人事担当者だけで判断しようとせず、適切なタイミングで相談先を見つけることが大切です。
まとめ
給与差押え中に社員が退職した場合、会社が未徴収の残額全額を立て替える義務は原則ありません。ただし、退職前・退職時点で発生済みの最終給与や退職金の4分の1については差押命令の効力が残るため、正しく弁済する必要があります。また、陳述催告書への回答(送達後2週間以内)と、退職事実の裁判所・債権者への書面通知を怠ると、損害賠償や過料のリスクを招きます。「差押えは社員の問題」「退職したら終わり」という誤解を持ったまま放置することが、最大のリスクです。
ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・兼務人事担当者の方が、こうした労務上の突発的な問題に直面したときに、適切な専門家へのつなぎも含めた実務的なサポートをご提供しています。給与差押えへの対応、陳述催告書の書き方、退職処理の進め方など、判断に迷う場面でも、お気軽にご相談ください。
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