「本人は『異動させてくれれば治る』と言っている。主治医の診断書にも『配置転換が望ましい』とある。でも、うちの会社に現実的な異動先はないし、業務負荷を考えると休職が必要だと思っている——」
三者の意見がバラバラなまま判断を先送りにし、気づけば数ヶ月が経過している。そんなケースが、専任人事のいない中小企業では珍しくありません。この記事では、本人希望・主治医意見・会社判断が一致しないときに、会社がどのように意思決定を進め、何を記録に残すべきかを、法的根拠を交えて解説します。
三者の意見が食い違うのは「想定内」と知っておく
本人・主治医・会社の判断が最初から一致することは、むしろ少数です。それぞれが異なる立場・情報・目的を持っているからこそ、意見が割れるのは自然な状態です。まずこの前提を理解することが、落ち着いた判断につながります。
それぞれが見ている「景色」が違う
本人は「自分はまだ働ける」「環境を変えれば回復できる」という主観的な認識を持ちます。メンタル不調の初期や中期では、自己評価が実態よりも高くなることが医学的にも知られており、「大丈夫です」という言葉を額面どおりに受け取るのは危険です。
主治医は患者の回復・療養を最優先に考える立場です。「配置転換が望ましい」という記載は、職場の人員配置・業務負荷・受け入れ態勢を把握した上での意見ではなく、あくまで医学的見地からの一般的な提案であることがほとんどです。診断書の記載が会社の業務上の判断を直接縛るわけではありません。
会社は業務継続・安全配慮・他の従業員への影響を総合的に判断する責任主体です。医師の意見を参考にしつつも、最終的な就業上の措置を決めるのは会社の役割です。
「主治医意見=会社が従うべき指示」ではない
診断書や意見書に「配置転換が望ましい」と書いてあっても、それは会社への命令ではありません。主治医は職場実態を知らないまま記載することも多く、「なぜ異動しないのか」という本人の主張を補強する材料として使われることもあります。
重要なのは、主治医意見を「無視した」のではなく「職場実態に照らして採用できなかった」という理由を記録に残すことです。この記録があるかどうかで、後のトラブル時の対応力が大きく変わります。
会社判断の法的根拠と安全配慮義務の関係
会社が本人の同意なく休職を命じることは、就業規則に根拠規定があれば原則として有効です。一方、本人希望を理由に対応を放置すれば、安全配慮義務違反として責任を問われる可能性があります。
就業規則の「休職命令」規定が判断の根拠になる
就業規則に「業務に支障が生じると会社が判断した場合、休職を命じることができる」旨の規定があれば、本人の同意がなくても休職命令を出すことができます。これは労働契約の性質上、会社が業務運営上の裁量として認められている範囲です。
ただし、就業規則にその規定がない場合や、規定があいまいな場合は根拠が弱くなります。現在の就業規則に休職命令の規定が整備されているかどうか、まず確認してください。規定がない・不明確な場合は、弁護士や社労士に相談の上、速やかに整備することをお勧めします。
「本人が希望したから」は安全配慮義務の免責にならない
労働契約法第5条は、使用者が労働者の生命・身体・精神の安全に配慮する義務を定めています。本人が「大丈夫です」「異動だけで十分です」と言っていても、会社がメンタル不調の兆候を認識していながら通常業務を継続させ、その後状態が悪化した場合、「本人が同意していた」という事実は免責事由になりません。
判断のポイントは「会社として合理的な対応を取ったか」です。本人の言葉に引きずられず、客観的な情報(業務パフォーマンス、遅刻・欠勤状況、面談記録など)をもとに判断した記録を残すことが、会社を守ることにつながります。
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「異動か休職か」を判断する前に確認すること
本人が異動を求めている場合、その希望を検討する姿勢は必要です。しかし、異動が解決策になるかどうかは、事前に確認すべき条件があります。
不調の原因が「環境」にあるかどうかを検証する
「この職場が合わないから不調になった」という本人の認識が、客観的な事実と一致しているとは限りません。特定の上司との関係、業務量、人間関係など、本人が挙げる原因を鵜呑みにせず、客観的に検証することが重要です。
確認すべきは、不調のサインが始まった時期と職場環境の変化が一致しているか、同じ職場の他のメンバーに同様の問題が出ていないか、などです。主観的な不満と医学的な不調の原因が必ずしも同じとは限りません。
異動先で「再発しない」保証があるかを考える
20〜50名規模の企業では、そもそも異動先の部署が限られます。仮に異動できたとしても、同種の問題が再発した場合の次の対応を、あらかじめ検討しておく必要があります。「異動させてみたが、状態が改善しなかった」となったとき、その後の選択肢が狭まる可能性があります。
異動を選択する場合は、「異動後○ヶ月の状況を改めて評価する」「異動後も定期的な面談を継続する」などの条件を明示しておくことが望ましいです。
産業医・外部専門家の意見で判断に客観性を持たせる
従業員50名以上の事業場には産業医選任の義務があります(労働安全衛生法第13条)。産業医がいる場合は、職場実態を踏まえた「就業上の措置」として意見を求めることができ、その意見は会社判断の客観的根拠になります。
50名未満で産業医が選任されていない場合でも、外部の産業医サービス・EAP(従業員支援プログラム)・産業保健総合支援センターへの相談によって、同様の役割を補うことができます。判断に迷ったときは、スポット産業医サービスの利用を検討することで、会社単独の判断ではなく専門的な根拠を得られます。専門家の意見を経由することで、会社の判断に合理性の裏付けが生まれます。
判断基準を整理する:休職・異動・現状維持の選択
「どの選択が適切か」を判断するために、以下の観点で状況を整理してください。条件によって対応の優先度は変わります。
| 状況 | 検討すべき対応 | 注意点 |
|---|---|---|
| 業務パフォーマンスの明確な低下あり・欠勤増加 | 休職命令を検討 | 就業規則の根拠規定を確認する |
| 不調の原因が特定の業務・環境に限定されている | 異動を検討(受け入れ先があれば) | 異動後の経過観察と再評価の条件を設ける |
| 本人は軽微な不調と言うが、周囲との認識に乖離あり | 産業医・外部専門家への相談を挟む | 会社単独で判断せず、専門家の見解を記録する |
| 異動先が存在しない・現実的に受け入れ不可 | 異動の代替措置(業務調整・時短等)か休職 | 「異動できない理由」を具体的に説明・記録する |
| 本人が休職も異動も拒否している | 就業規則に基づく休職命令(最終手段) | 事前の丁寧な説明と複数回の面談記録が不可欠 |
面談記録の残し方:後からトラブルにしないための実務
面談記録が残っていないと、「そんな説明は受けていない」「会社から一方的に決められた」という主張に対して反論できなくなります。記録は保護のための手段であり、丁寧に残すことが会社と従業員の双方を守ります。
記録すべき内容と基本フォーマット
面談記録に最低限含めるべき項目は次のとおりです。
- 面談日時・場所・参加者(氏名・役職)
- 面談の目的(状況確認・措置の説明・意見聴取など)
- 本人が述べた内容(希望・主張・現状認識)
- 会社側が伝えた内容(判断の根拠・今後の対応方針)
- 合意事項または宿題(次回面談の日程など)
- 記録作成者の氏名・作成日
面談後24時間以内に記録を作成し、可能であれば記録を本人に共有・確認してもらう(メールで送付するなど)と、後の「言った・言わない」を防ぐ効果があります。
主治医意見を「採用しなかった理由」を明記する
主治医の診断書に「配置転換が望ましい」と記載があり、会社がそれを採用しなかった場合、その理由を記録に残すことが重要です。記録に残す内容の例としては、「配置転換先となる部署が現時点で存在しないこと」「異動先でも同種の業務負荷が生じる見込みであること」「産業医(または外部専門家)の意見として、まず休養が必要との見解を得たこと」などが挙げられます。
「主治医の意見を無視した」ではなく「職場実態を踏まえて検討したが、採用できなかった」という文脈で記録することがポイントです。
記録の保管と共有範囲
面談記録は人事関連書類として、退職後も一定期間保管することが望ましいです(労働基準法では労働者名簿・賃金台帳の保存期間は5年、ただし実務上は退職後3〜5年を目安に保管するケースが多いです)。記録の共有範囲は、当該対応に関わる経営者・担当者に限定し、プライバシーの観点から必要以上に広めないよう管理してください。
「判断を先送りにしたコスト」を理解する
善意からの様子見が、結果として状態悪化・長期化・法的リスクにつながるケースがあります。「もう少し待てば改善するかもしれない」という判断は、状況次第で安全配慮義務違反の根拠になり得ます。
様子見が長引くほどリスクは積み上がる
メンタル不調への対応を先送りにした期間中も、会社の安全配慮義務は継続しています。業務パフォーマンスの低下が明確になってから3ヶ月・6ヶ月と経過した後に状態が悪化した場合、「なぜ早期に対応しなかったのか」が問われます。面談記録がなければ、「会社は何も対応しなかった」と見なされるリスクがあります。
決断のタイミングを決める「区切り」を設ける
「まず1ヶ月様子を見る」と決めた場合は、その1ヶ月後に必ず評価・判断の場を設ける、というように、対応期間に区切りを設けることが重要です。区切りの設定がないまま「様子見」を続けると、誰も判断できない状態が続きます。
評価のタイミングに行う確認項目(業務遂行状況、欠勤・遅刻の頻度、本人の自己評価と周囲の評価の差異など)をあらかじめ決めておくと、感情に左右されずに判断しやすくなります。
まとめ
本人・主治医・会社の判断が一致しないのは、それぞれが異なる立場から異なる情報をもとに判断しているからであり、珍しいことではありません。会社がすべきことは、三者の意見を調整することではなく、就業規則の根拠と安全配慮義務を踏まえたうえで、会社として合理的な判断を下し、その経緯を丁寧に記録することです。
主治医の意見は参考情報であり、会社判断を直接縛るものではありません。本人の同意は法的に必須ではありませんが、説明と記録が対応の質を決めます。異動が現実的でない場合は、その理由を具体的に説明・記録し、代替措置や休職命令の検討に移ることが適切です。判断を先送りにすればするほど、会社の法的リスクと従業員の状態悪化リスクは高まります。
「どう判断すればいいかわからない」「記録の残し方に自信がない」「産業医に相談したいが、契約がない」という段階から、ウェルセンス株式会社はご相談を承っています。専任人事のいない企業の経営者・兼務担当者の方が、判断に迷うたびに外部に頼れる体制づくりをご支援しています。まずはお気軽にご連絡ください。
よくある質問
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