「昇格させたのに、チームをまとめられていない」「会議でも発言が薄く、管理職としての存在感がない」——昇格から半年が過ぎたころ、こうした違和感を覚えた経験はないでしょうか。問題は、その次の一手です。「もう少し様子を見るか」「いや、もう手遅れか」と判断に迷ううちに、チームの士気は下がり、対応は後手に回っていく。昇格後に役割を果たせない社員への対応は、基準とプロセスがなければ、経営者も人事担当者も動けません。この記事では、降格判断の法的な前提から、観察期間の設け方、就業規則への落とし込み方まで、実務で使える視点を整理します。
降格は「就業規則の根拠」がなければ動けない
降格を実施するには、就業規則に根拠規定があることが大前提です。規定のないまま降格を行うと、たとえ能力不足が明確であっても労務トラブルに発展するリスクがあります。
降格には2つの種類がある
降格と一口に言っても、法的な性質が異なる2種類があります。まず、懲戒処分としての降格(降格処分)は、服務規律違反や重大なミスなど、就業規則に定めた懲戒事由に該当する場合に行うものです。もう一方は、人事権行使としての降格で、能力・適性の不足を理由に等級や職位を引き下げるものです。今回のテーマ——「昇格させたが役割を果たせない」——は後者に当たります。
人事権行使としての降格は、懲戒処分ほど厳格な要件はありませんが、「業務上の必要性がない」「不当な動機がある」「社員が通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を与える」といった場合には、人事権の濫用として無効と判断されるリスクがあります(最高裁をはじめとする人事権濫用に関する判例の趨勢)。
就業規則に書くべき3つの項目
降格を有効に行うために、就業規則には少なくとも以下の3点を明記しておく必要があります。
- 降格の事由:「等級要件を一定期間継続して満たさない場合」など、能力・成果に基づく客観的な理由
- 降格の手続き:本人への事前通知・面談・書面交付のプロセス
- 処遇への影響:等級引き下げに伴う賃金変更の根拠と変更幅の考え方
就業規則の変更・整備が未着手の企業は、まずここから手をつける必要があります。規定なしで動いても、後から整備しても、トラブル時には「規定がなかった時点での行為」が問われます。
賃金引き下げは「不利益変更」として扱われる
降格に伴う賃金の引き下げは、労働契約法第9条・第10条が定める「労働条件の不利益変更」に該当します。就業規則に根拠があり、本人への説明と合意形成(または合理的な変更プロセス)を踏んでいれば有効とされますが、一方的・急激な減額は問題になりやすいです。実務上は、等級引き下げ後に一定の猶予期間(例:3〜6か月)を設けて段階的に賃金を調整するケースが多く見られます。
昇格後観察期間を制度に組み込む
昇格後の観察期間を就業規則・等級制度に明記することで、降格を「突然の不利益処分」ではなく「制度上の判定プロセス」として正当化できます。これが制度設計の核心です。
観察期間とは何か
昇格後観察期間とは、「昇格した等級を暫定的な運用とし、一定期間内に等級要件を満たすことを確認してから等級を確定する」という仕組みです。新卒採用時の試用期間と構造は似ていますが、あくまで等級制度上の「確定前評価期間」として位置づけます。
観察期間は一般的に6か月〜1年が目安とされますが、業種・等級・評価サイクルによって異なります。重要なのは「何か月」という数字よりも、「その期間に何を評価するか」を明確にすることです。
昇格辞令時に合意を取る
観察期間の実効性を高めるためには、昇格辞令を渡すタイミングで本人に書面を交付し、以下の内容を共有・合意しておくことが重要です。
- 昇格後の観察期間の長さ
- 観察期間中に求められる役割・行動・成果の基準
- 観察期間満了時の判定方法(等級確定 or 降格検討)
「昇格したのになぜ降格の話が出るのか」という本人の反発を防ぐには、昇格時点で「この期間に期待に応えられれば等級確定、難しい場合は元の等級に戻る可能性がある」ことを明示しておくことが欠かせません。後から伝えても「聞いていない」「不当だ」となるのは、この事前説明が抜けているケースが大半です。
制度がない会社はまず「運用から始める」
就業規則の改定や等級制度の整備に時間がかかる場合、まず「昇格辞令書に観察期間と評価基準を明記する」運用から始めることも現実的な選択肢です。ただし、就業規則との整合性が取れていない状態は法的リスクを残すため、運用を先行させながら並行して規定整備を進める姿勢が必要です。
降格判断基準を「行動レベル」で定義する
「役割を果たせていない」という感覚的な判断では、降格の合理性を説明できません。等級ごとの期待行動を具体的に定義し、何が満たされていれば等級維持・何が欠けていれば降格対象かを明文化することが必要です。
抽象的な評価を行動指標に落とし込む
たとえば「マネジメント能力がない」という理由は、降格の根拠としては弱すぎます。これを行動レベルに落とし込むと、次のように変わります。
| 抽象的な表現 | 行動レベルの基準(例) |
|---|---|
| マネジメント能力がない | チームメンバーへの週次1on1が実施されていない/目標設定・進捗管理を自律的に行えていない |
| リーダーシップが不足している | チームの業務課題を自ら拾い上げて上位者に提案した実績が評価期間中にゼロ |
| 成果が出ていない | 設定した部門目標の達成率が2期連続で60%未満 |
こうした行動・成果指標を等級ごとのグレード記述書(ジョブグレード定義)として整備しておくと、昇格時・評価時・降格検討時のいずれでも参照できる共通言語になります。
評価期間を複数設けて判断する
1回の評価期間だけで降格を判断するのは、合理性の点で不十分とされる場合があります。実務上は「通常の評価サイクル(半期・年次)を1〜2回にわたって継続的に基準未達であることを確認する」というプロセスが標準的です。観察期間中に1回だけ評価が低かったからといって即降格ではなく、継続性・再現性を確認することが重要です。
記録の積み上げが降格を支える証跡になる
裁判例では、能力不足を理由とする降格・解雇に際して、「会社が本人に対して指導・改善機会を与えたか」が重要な判断要素となっています。具体的には、1on1の記録、目標設定シートと達成状況、上司からのフィードバック記録などが「指導してきたが改善しなかった」という事実を裏付ける証跡になります。記録のない指導は、法的な場面では「していないこと」と同義になりかねません。
降格は一度決めるまでに時間を要しますが、その分プロセスが重要です。途中で判断が揺らぐ状況が生じたら、人事専門家に相談することで判断の根拠をより堅牢にできます。
降格前に踏むべきプロセスと伝え方
降格を実施する前には、本人への改善機会の付与と、段階的なコミュニケーションプロセスが必要です。このプロセスを省略すると、降格の有効性が問われるだけでなく、本人との関係が修復困難になるリスクもあります。
改善計画(PIP)を設定して記録する
降格の前段階として、業績改善プラン(Performance Improvement Plan、PIP)に相当する取り組みを行うことが実務上の標準です。具体的には、期間・達成すべき目標・会社側が提供する支援内容を書面に明示し、本人に合意を求めます。期間は2〜3か月程度が一般的ですが、職種・課題の性質によって異なります。
改善計画の目的は「降格への布石を打つ」ことではなく、「本人が期待水準に到達できるよう支援する」ことです。この姿勢が記録として残っていることが、万一のトラブル時に会社の誠実な対応を示す証拠になります。
降格の通知は「突然」にしない
降格を伝える場面では、本人が「寝耳に水」と感じないよう、それまでの評価フィードバックとの一貫性が重要です。評価面談のたびに「期待する役割と現状のギャップ」を言語化して共有し、降格の可能性についても事前に伝えておくことが望ましい対応です。
降格通知の際は、口頭だけでなく書面(辞令・通知書)を交付し、降格の理由・等級・賃金変更の内容・変更時期を明記します。口約束のみでは後から「言った・言わない」の問題が生じやすくなります。
降格後のフォローが組織全体を守る
降格はゴールではなく、人事上の再配置の一形態です。降格後に本人が新しい等級・役割で安定して働けるよう、上司のサポート体制や業務アサインの見直しを行うことが、本人のモチベーション維持と組織全体のパフォーマンス維持につながります。また、降格事実がチームメンバーに不適切な形で伝わらないよう、情報管理にも注意が必要です。
会社の規模・状況別の優先対応
降格制度の整備は、会社の規模や現状の制度整備状況によって、優先すべき対応が変わります。自社の状況に合わせて着手点を判断することが重要です。
就業規則が未整備・降格規定がない場合
この状況での降格実施は高リスクです。まず就業規則に降格の事由・手続き・処遇変更の根拠を盛り込む作業を優先してください。社会保険労務士への相談が現実的な第一歩です。規定整備が完了するまでの間、現在問題が生じている社員については、降格ではなく職務・役割の調整(職種変更・担当業務の見直し)という形でまず対応することを検討してください。
就業規則はあるが、昇格後の観察期間規定がない場合
昇格基準はあっても、降格や観察期間の規定が抜け落ちているケースは多くあります。この場合、就業規則の一部変更(降格規定・観察期間の追加)を行い、あわせて等級制度のグレード定義書を整備することで、次の昇格・降格判断から適用できるようになります。既に昇格して問題が起きている社員については、今からでも改善計画(PIP)のプロセスを始め、記録を積み上げていくことが有効です。
制度はあるが運用できていない場合
制度があっても、1on1記録や評価面談の記録が残っていないケースは珍しくありません。この場合は、まず「今日から記録を始める」ことが最優先です。過去の記録がなくても、現時点からの記録と指導プロセスを積み上げることで、降格判断の合理性を補強していくことができます。
まとめ
昇格後に役割を果たせない社員への対応で最も危険なのは、「感覚で動くこと」と「動けないまま放置すること」の両方です。降格は、就業規則への根拠規定、行動レベルの判断基準、観察期間と記録のプロセスという3つの柱が揃って初めて、法的にも組織的にも機能します。どれか一つが欠けても、リスクは残ります。
制度の整備は一朝一夕では終わりませんが、「昇格辞令書に観察期間と評価基準を明記する」「今日から1on1の記録をつける」といった小さな一歩から始めることは今すぐできます。
昇格後の人事判断に迷ったときは、人事の知見だけに頼らず専門家に相談することが、後のトラブルを最小化できます。
ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・兼務人事担当者の方からの「降格制度をどう整備すればいいか」「昇格後に問題が起きた社員にどう対応するか」といったご相談を承っています。制度設計から個別ケースの対応まで、実務的な視点でサポートします。まずはお気軽にご相談ください。
よくある質問
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