「また遅刻してきた。ミスも増えている。でも本人は”大丈夫”と言い張る――」そんなケースに、専任人事のいない会社の担当者は何度も直面します。受診を勧めればハラスメントと言われそう、かといって放置すれば会社の責任が問われる。このジレンマを解消するには、段階的な対応の「型」と、正しい記録の残し方を知ることが第一歩です。
病識がない社員に何が起きているのか
「自分はおかしくない」という認識のメカニズム
病識(びょうしき)とは、自分が何らかの疾患や不調を抱えているという自覚のことです。メンタルヘルス不調の特徴として、この病識が失われやすいという点があります。うつ病や適応障害の初期〜中期には、「ちょっと疲れているだけ」「仕事量が多すぎるだけで、私は正常だ」という認識が本人の中で確固として形成されます。これは意地を張っているわけでも、会社への反発でもなく、疾患そのものが認知を歪めているケースが多いです。
だからこそ、「なぜ受診しないんだ」と正面からぶつかるアプローチは逆効果になりやすい。本人が「自分はおかしくない」と確信している状態で正論をぶつけても、感情的な対立を生むだけです。
会社として見えているサインを整理する
本人に病識がなくても、周囲には変化が見えています。たとえば「週に2〜3回の遅刻が1ヶ月続いている」「メール返信に数日かかるようになった」「会議中に突然感情的になった」といった具体的な行動の変化です。これらを漠然と「最近おかしい」と感じているだけでなく、日付・内容・目撃者を記録することが、のちの対応を支える基盤になります。
会社は「感覚」ではなく「事実」を積み上げることで、本人への働きかけの根拠をつくることができます。
受診勧奨はハラスメントになるのか
「病院に行け」がNGになるケースとOKになるケース
受診を勧めること自体は、適切な方法で行う限りハラスメントにはなりません。問題になるのは、「お前はおかしい」「精神病じゃないか」といった侮辱的な表現を使ったり、執拗に繰り返したり、プライバシーを無視した形で周囲に言いふらすような場合です。
一方、「最近こういった行動の変化が見られます。一度専門家に相談してみませんか」という事実ベースの声がけは、業務上の合理的な対応として認められます。厚生労働省のメンタルヘルス指針でも、管理職や人事担当者が行う「ラインケア」の一環として受診勧奨は推奨されており、それを適切に行うことはむしろ会社の義務とも言えます。
「業務命令」と「受診の強制」は別物
医療受診はあくまで本人の自己決定権に基づくものであり、「病院に行くよう命令する」ことはできません。ただし、就業規則に定めがあれば「産業医面談への参加指示」は業務命令として発令可能です。これは労働安全衛生法第13条(産業医)や第66条(健康診断)が根拠となります。
「受診してほしい(任意の勧奨)」と「産業医面談に来てください(業務命令)」は法的な性質が異なります。この区別を理解しておくことが、担当者が自信を持って動けるかどうかの分岐点になります。
段階的対応の進め方
観察と記録から始める
まず最初にやるべきことは、受診を勧める前に「事実を蓄積する」フェーズです。具体的には、いつ・誰が・何を観察したかを記録します。たとえば「2024年10月3日(木)、上司の山田が確認。田中さんが午前の会議中に突然涙ぐみ、席を外した。その後、業務連絡に返答がなかった(午後3時時点)」というレベルで記録します。
このフェーズの目的は「証拠集め」ではなく、「本人への声がけの根拠づくり」です。漠然とした印象ではなく、具体的な行動の変化として伝えることで、本人も「そんな事実があったんだ」と受け取りやすくなります。
1対1の面談で「業務上の変化」を伝える
次に、上司または担当者が1対1で面談を行います。ここでのポイントは「あなたがおかしい」という評価を伝えるのではなく、「こういった行動の変化がありました。仕事に影響が出ているため、一緒に考えたい」という姿勢で臨むことです。
たとえば「ここ1ヶ月で納品のミスが5件ありました。以前はほとんどなかったことなので、何か困っていることがあれば聞かせてください」という入り方が有効です。本人が「疲れているだけ」と言っても、「そうですか。でも業務への影響が続いているため、一度専門家に相談することも選択肢として考えてみませんか」と、あくまで会社としての関心として伝えます。
産業医・外部機関への連携フェーズ
面談を2〜3回重ねても状況が改善しない場合、外部リソースへの連携に移ります。常時50人以上の事業場では産業医への相談・面談指示が可能です。50人未満の場合でも、各都道府県に設置されている「地域産業保健センター(地さんぽ)」を活用すれば、無料で産業医や保健師への相談ができます。
「うちには産業医がいないから何もできない」という声を現場でよく聞きますが、それは誤解です。外部の専門機関を通じることで、本人も「会社からではなく、専門家から言われた」という受け取り方ができ、受診への抵抗感が下がるケースもあります。
記録の残し方――後で守ってくれるのは記録だけ
記録に必要な5つの要素
記録に慣れていない担当者が最初に意識すべきは、「5W1H」のフレームです。いつ(When)、誰が(Who)、どこで(Where)、何を観察・実施したか(What)、なぜそれを行ったか(Why)、どのように対応したか(How)を記録します。
面談であれば「2024年11月12日(火)14:00〜14:40、会議室A。担当:人事部長 鈴木。対象:営業部 田中氏。直近1ヶ月の遅刻(7回)と顧客対応ミス(3件)について事実を伝え、受診勧奨を行った。本人の反応:『自分は問題ない。仕事が多すぎるだけ』と述べ、受診の意向なし。次回面談を2週間後に設定することを合意。」というレベルが理想です。
記録はリアルタイムで残す
記録の効果を最大化するには、「あとでまとめて書く」ではなく、面談直後・観察直後にその場で書くことが重要です。時間が経つと記憶が薄れ、「たしかそんなことを言った気がする」という曖昧な記録になります。
労働トラブルが発生した際、会社が安全配慮義務を果たしていたかどうかは、この記録の存在と内容で判断されます。「言った言わない」の争いになったとき、記録がなければ会社は不利な立場に立たされます。記録は「後で自分を守ってくれるもの」として習慣化することが大切です。
記録の保管と共有のルール
記録は本人のプライバシーに関わる情報を含むため、アクセス権を限定した場所に保管する必要があります。紙であれば鍵のかかるキャビネット、デジタルであればアクセス権管理されたクラウドストレージが適切です。また、共有範囲は「対応に関わる必要最小限の関係者」に留めることが原則です。
「誰でも見られる状態」にしておくと、今度は本人からプライバシー侵害として問題にされるリスクがあります。記録の内容と同様に、保管・共有の方法も会社としてルール化しておくことが重要です。
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対応が長期化した場合のリスクと判断基準
受診拒否が続いている間に起きうること
受診拒否が長期化すると、本人の状態は悪化し続けることが多く、その間に他の社員へのハラスメント的言動、重大な業務ミス、無断欠勤などが発生することがあります。こうなると、「本人の問題」ではなく「職場全体の問題」に拡大します。
また、放置の期間が長くなればなるほど、「会社は何も対応しなかった」という事実が蓄積され、労災申請や損害賠償請求が起きたときに会社の責任が重くなるリスクがあります。安全配慮義務は「促したが受診を拒否された」という記録があって初めて「履行しようとした」と認められます。
就業規則に基づく対応への移行
段階的な勧奨を経ても状況が改善しない場合、就業規則上の「休職命令」や「就業制限」の検討に移ることがあります。休職命令は会社からの一方的な命令ではなく、就業規則に定めがある場合に、業務遂行が困難な状態を会社が判断して発令するものです。
この判断を下すためにも、それまでの観察記録・面談記録・受診勧奨の記録がそろっていることが前提となります。記録がなければ「なぜ休職させたのか」を客観的に説明できず、本人や家族から異議を申し立てられるリスクが高まります。
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まとめ
病識のない社員への対応は、「どう説得するか」ではなく「どう記録しながら段階を踏むか」が本質です。まず不調のサインを事実として記録するところから始め、面談で業務上の変化を伝え、産業医や外部機関を活用しながら対応の幅を広げていく。このプロセスを正しく踏むことが、ハラスメントのリスクを回避しつつ、会社の安全配慮義務を果たすことに直結します。
ただ、「型」がわかっても、専任人事のいない環境でゼロから実践するのは容易ではありません。ウェルセンス株式会社では、受診拒否・病識なしの社員への段階的対応の設計、記録テンプレートの整備、第三者としての面談支援まで、中小企業の実情に合わせたサポートを提供しています。「どこから手をつければいいかわからない」という段階からでも、ぜひ一度ご相談ください。
よくある質問
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。
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