「固定残業代を導入しているけれど、本当に有効なのか自信がない」——そんな不安を抱えながら運用している中小企業の経営者・人事担当者は少なくありません。実は「月給〇〇円(残業代込み)」と書くだけでは法的に無効とされるケースがあり、過去3年分の残業代を一括請求されるリスクも存在します。この記事では、固定残業代を適法に設計するための要件と実務上の注意点をわかりやすく解説します。
固定残業代が「無効」になるとどうなるか
無効判定が招く遡及請求のリスク
固定残業代(みなし残業とも呼ばれます)が無効と判断された場合、企業は「固定残業代として支払ってきた金額」を残業代として控除することができなくなります。つまり、すでに支払った固定残業代部分は「基本給の一部」とみなされ、別途、法定どおりの残業代を全額支払う義務が生じます。
現行の労働基準法では残業代請求権の消滅時効は3年です。仮に月給30万円(うち固定残業代5万円・月40時間分と設定)の従業員について固定残業代が無効と判断されると、本来の時給単価で計算した残業代は月8〜10万円相当になることもあります。3年遡及すると、1人あたり300〜360万円の追加請求が発生するケースも現実にあります。
退職後に「時間差」で問題化するケースが増加
固定残業代トラブルの厄介な点は、在籍中ではなく退職後に顕在化しやすいことです。元従業員が弁護士に相談し内容証明を送ってくる、あるいは労働基準監督署に申告するというパターンが増えています。「円満退職に見えたのに」という事例も珍しくなく、制度設計の不備は時間差で経営リスクになります。
最高裁が示した「固定残業代が有効となる2つの要件」
判別要件:基本給と残業代が区別できること
最高裁は、テックジャパン事件(平成24年3月8日)および日本ケミカル事件(平成30年7月19日)において、固定残業代が有効となるための2大要件を示しました。そのひとつが「判別要件」です。
判別要件とは、固定残業代が「通常の労働時間に対する賃金(基本給)」とは明確に区別されており、金額と時間数が具体的に特定できることを指します。「月給30万円(残業代込み)」という記載は、基本給がいくらで残業代がいくらなのかを判別できないため、この要件を満たさず無効とされます。
対価性要件:時間外労働の対価であることが認識できること
もうひとつが「対価性要件」です。固定残業代が時間外労働に対する対価として支払われているという認識が、契約書・就業規則・給与明細などの書面から読み取れる必要があります。
たとえば「業務手当50,000円」という名目だけでは、それが残業代なのか職務手当なのか判断できません。「時間外労働手当50,000円(月40時間分の時間外労働に対する対価)」のように、何時間分の何に対する支払いかを明示することで、この要件を満たすことができます。
適法な固定残業代設計の実務ステップ
雇用契約書・労働条件通知書への正しい記載方法
雇用契約書または労働条件通知書には、以下の4つの必須事項を必ず明記する必要があります。
(1)基本給の金額を具体的な数字で記載します。次に(2)固定残業代の金額(例:「時間外労働手当 50,000円」)を別項目として明示します。さらに(3)その固定残業代が何時間分に相当するかを記載します(例:「月45時間分の時間外労働に対する対価」)。そして(4)固定残業時間を超えた場合は差額を追加支給する旨を明記します。
たとえば次のような記載が適切です:「基本給:250,000円/時間外労働手当:50,000円(月40時間分の時間外労働に対する対価。実際の時間外労働が40時間を超えた場合は、超過分を別途支給する)」。この形式であれば、判別要件・対価性要件の両方を満たしやすくなります。
深夜・休日労働の扱いにも注意が必要
固定残業代に深夜割増(25%増)や休日割増(35%増)が含まれる場合は、その旨も契約書上で区別して記載しなければなりません。「時間外・深夜・休日労働をすべて含む」とまとめて記載しても、それぞれの割増率が異なるため、金額の根拠が不明確になります。業種や職種によって深夜・休日対応が多い場合は、項目を分けて設計することを検討してください。
給与明細・就業規則・求人票の整合性を整える
給与明細での表示ルール
雇用契約書の記載が正しくても、毎月の給与明細で基本給と固定残業代が合算されて「基本給:300,000円」とだけ表示されていては、判別要件を満たせなくなります。給与明細上でも「基本給:250,000円」「時間外労働手当:50,000円」と必ず別項目で表示してください。
給与計算ソフトの設定を変更するだけで対応できる場合がほとんどです。まずは自社の給与明細のフォーマットを確認し、合算表示になっていないかをチェックしましょう。
就業規則・賃金規程との整合性
固定残業代制度の根拠規定が就業規則または賃金規程に存在しない場合、雇用契約書の記載だけでは制度の有効性が揺らぐことがあります。就業規則に「固定残業代制度の概要・計算方法・超過時の追加支給ルール」を明記し、雇用契約書の内容と矛盾がないように整合させることが重要です。
中小企業でよく見られるのが、採用時に急いで作った雇用契約書と、数年前に作成したまま更新されていない就業規則の間で記載内容がズレているケースです。制度を新設・変更した際は、必ず4点セット(求人票・雇用契約書・就業規則・給与明細)をセットで見直す習慣を持つことが大切です。
求人票への記載は2021年から義務化
令和3年(2021年)の職業安定法改正により、求人票にも固定残業代の時間数・金額・超過時の追加支給について記載することが義務化されました。ハローワークや求人媒体への掲載内容が古いままになっていないか確認が必要です。求人票の記載と実際の雇用契約書の内容が異なると、採用後のトラブルにつながる可能性もあります。
固定残業時間の設定と追加払いの実務
45時間を超える設定は高リスク
固定残業時間の設定として、月45時間を超える設定は法的リスクが高まります。労働基準法第36条(いわゆる36協定)に基づく時間外労働の限度基準では、原則として月45時間・年360時間が上限とされています。管理監督者でない一般従業員に対して月60時間・80時間超の固定残業を設定している場合、過去の裁判例ではほぼ無効とされています。
「残業が多い職種だから」という理由で固定残業を高く設定することは、法的リスクを高めるだけでなく、求人票の記載義務と合わせて採用上のリスクにもなります。月20〜40時間の範囲で設定し、超過した場合は追加払いで対応する設計が現実的です。
超過時の追加払いを仕組みとして運用する
固定残業代制度で最も運用上の見落としが多いのが、固定残業時間を超えた月の追加払いです。「残業代はみなしで払っているから計算不要」という誤解が根強いですが、これは誤りです。固定残業時間を超えた時間については、通常の残業代計算と同様に差額を翌月給与で支給する義務があります。
毎月の勤怠集計時に固定残業時間との比較を行い、超過が発生した場合は自動的に追加支給額を算出する仕組みを整えることが重要です。エクセル管理でも構いませんが、計算ロジックを明文化しておくことで、担当者が変わっても継続的に運用できます。
まとめ
固定残業代を適法に設計するためには、最高裁が示した「判別要件」と「対価性要件」の2つを満たすことが出発点です。雇用契約書・就業規則・給与明細・求人票の4点セットで整合性が取れていること、固定残業時間を超えた月には追加払いを確実に行うこと、そして固定残業時間は月45時間以内に収めることが現実的な設計の基本となります。
「自社の設定が有効かどうか不安」「雇用契約書を見直したいが何から手をつければよいかわからない」という方は、ひとりで抱え込まずに専門家に相談することをお勧めします。ウェルセンス株式会社では、給与設計の整合性チェックから雇用契約書・就業規則の見直しまで、専任人事がいない中小企業の人事労務課題を一体でサポートしています。不明な点や懸念事項があれば、いつでもお気軽にご相談ください。
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