「就業規則、どこに保存してましたっけ?」——従業員からそう聞かれて、共有フォルダを開いたら「就業規則_最新.docx」「就業規則_v3.docx」「就業規則_2022年改訂.docx」が並んでいた。どれが本物かわからない。そんな経験はないでしょうか。専任の人事も法務もいない中小企業では、社内規程の版管理は後回しになりがちです。しかし、これが労使トラブルや労基署対応の場面で深刻なリスクになることがあります。この記事では、低コスト・低工数で社内規程の版管理を整備する現実的な方法を解説します。
クラウド保存・電子管理は法的に問題ないのか
結論からいえば、就業規則をクラウドやデジタルデータで管理すること自体は違法ではありません。ただし「従業員がいつでも内容を確認できる状態」を担保することが法令上の条件です。
就業規則の周知義務と電子管理の関係
労働基準法第106条は、就業規則を労働者に「周知」することを使用者に義務付けています。周知の方法は労働基準法施行規則第52条の2に定められており、磁気ディスクその他これらに準ずる方法で記録し、各作業場に従業員がその内容を常時確認できる機器を設置することも認められています。つまり、クラウドストレージへのURLやアクセス権を従業員に付与し、いつでも閲覧できる状態を整えていれば、電子的な周知は法令上有効です。
「アクセスできる状態」を整えることが前提条件
注意が必要なのは、「クラウドに保存した」だけでは不十分という点です。たとえばGoogleドライブに就業規則を置いていても、そのURLを従業員に共有していない・閲覧権限が設定されていない・ログインが必要なのにアカウントを持っていない従業員がいる、といった状態では「周知」の要件を満たしていません。常時アクセスできる環境の担保が、電子保存の絶対条件です。
常時10人以上かどうかで届出義務が変わる
就業規則の作成・届出義務は、常時10人以上の労働者を使用する事業場に課されています(労働基準法第89条)。10人未満の事業場には作成義務はありませんが、作成していれば労働基準法第106条の周知義務は適用されます。また、10人の数え方は正社員だけでなくパートタイム・アルバイトも含む点に注意が必要です。
版管理・改訂履歴がないと何が起きるのか
版管理や改訂履歴の記録がない状態は、労使トラブルや行政調査の場面で使用者側を著しく不利にする可能性があります。「管理できていない」は単なる内部の問題ではなく、法的効力にも影響します。
就業規則の変更が「無効」とされるリスク
労働契約法第10条・第11条は、就業規則の変更が従業員に不利益な内容を含む場合、変更の合理性と周知の両方が効力の要件になると定めています。たとえば、賞与の支給基準や休暇の付与日数を変更したのに、「いつ変更したか」「誰に周知したか」の記録がなければ、従業員から「その変更は知らされていない」と主張された際に反論する根拠がなくなります。変更の有効性を使用者側で立証できない状況は、裁判・あっせんいずれの場でも不利です。
労基署調査・ハラスメント調査での混乱
労働基準監督署の調査や、社内のハラスメント問題対応では、現行の就業規則・ハラスメント防止規程を示すよう求められることがあります。このとき複数のファイルが混在していると、「どれが現行版か」を説明できない事態になります。調査官に旧版を提示してしまえば、不備として記録される可能性もあります。
法改正対応の「やった気」リスク
育児・介護休業法、雇用機会均等法(ハラスメント防止規程の整備義務)、労働基準法など、中小企業が対応すべき法改正は毎年複数あります。「改正に合わせて規程を直した」認識があっても、いつ・何を・誰の承認で変えたかが記録されていなければ、次の改正時に「どこまで対応済みか」がわからなくなります。これが積み重なると、現行の規程が法令と乖離しても気づけない状態になります。
版管理ができていない状態の4つの落とし穴
版管理の問題は、実際には複数のリスクが絡み合って顕在化します。整備を始める前に、自社がどの落とし穴に当てはまるかを確認することが先決です。
ファイル名で版を管理しようとする問題
「就業規則_最新.docx」「就業規則_v3.docx」のようにファイル名で版を区別しようとすると、複数人が保存・上書きするうちに混乱が避けられません。「最新」と名付けたファイルが実は旧版だった、という状況は多くの現場で発生しています。ファイル名による版管理は、一人が完全に管理できる小規模な状況でしか機能しません。
アクセス権限の設定がない改ざんリスク
GoogleドライブやDropbox、社内NASに規程ファイルを置いている場合、デフォルト設定では編集権限のある者が誰でもファイルを上書き・削除できます。悪意がなくても誤って旧版を上書き保存するケースは現実に起きています。閲覧のみ許可・編集は担当者に限定、という権限設定が「改ざん防止」の第一歩です。
周知した事実の記録がない
就業規則を変更した際に「メールで送った」「朝礼で説明した」だけでは、後から証明できません。周知の事実を記録するには、送付したメールの保存・回覧の記録・署名簿・既読確認など、何らかの形で「いつ・誰に・何を周知したか」を残す仕組みが必要です。この記録がないと、変更の有効性を主張する根拠が消えます。
今日からできる低コスト版管理の整備方法
専任の人事・法務がいなくても、費用をかけずに版管理の基本を整備することは可能です。まず最低限の仕組みを作り、次に運用を安定させる段階的なアプローチが現実的です。
最低限すぐに実施すること
まず最初に行うべきは、現存するすべての規程ファイルを棚卸しし、「現行版」を1つに確定することです。確定した現行版には「制定日・最終改訂日・版番号(例:第3版)」をファイルのヘッダーまたはフッターに記載します。次に、現行版のみを格納する専用フォルダを作成し、旧版はアーカイブ用の別フォルダに移動します。フォルダ名を「現行版」「アーカイブ」と明確に分けるだけで、混在リスクは大幅に下がります。
Googleドライブ・SharePointを使った無料の権限管理
GoogleドライブやMicrosoft SharePointは、フォルダ・ファイル単位でアクセス権限を設定できます。現行版フォルダの設定は「閲覧のみ(コメント可)」を全社員に付与し、編集権限は人事担当者1〜2名に限定します。これだけで誤上書きのリスクは大幅に下がります。どちらも既に導入済みであれば追加コストはゼロです。また、Googleドライブは自動でファイルの変更履歴を保存する「バージョン履歴」機能を持っており、誰がいつ変更したかを後から確認できます。
版管理の仕組みづくりで「ツール選びは複雑だが、運用が継続できるか不安」「法令対応との関連性がよくわからない」というお悩みがあれば、一度専門家に相談することで方向性がクリアになることも多いです。
改訂記録台帳の作成
規程を改訂するたびに記録を残す台帳をスプレッドシートで作成します。記録する項目は以下の通りです。
| 項目 | 記録内容の例 |
|---|---|
| 規程名 | 就業規則、育児・介護休業規程など |
| 改訂日 | 2024年4月1日 |
| 改訂内容の概要 | 育児休業の取得要件を法改正に合わせて変更 |
| 改訂理由 | 育児・介護休業法改正(2023年4月施行分)への対応 |
| 承認者 | 代表取締役 ○○○○ |
| 周知方法・日時 | 全社メール配信・2024年4月1日 |
| 版番号 | 第4版 |
この台帳を規程ファイルと同じフォルダで管理することで、改訂の経緯を一元的に把握できます。
少し整備するとより安心な方法
最低限の仕組みを作ったうえで、もう一歩整備することで改ざんリスクとコンプライアンスの両面がより強固になります。いずれも月額数千円以内で実現できる方法です。
タイムスタンプ付きPDFによる改ざん防止
現行版が確定したタイミングで、WordファイルをPDFに変換して保存する方法が有効です。PDFはWordファイルより誤編集のリスクが低く、ファイルのプロパティに作成日時が記録されます。さらに確実性を高めたい場合は、無料または低価格で利用できるタイムスタンプサービス(電子署名・タイムスタンプを付与するサービス)を活用すると、「この日時にこの内容で存在した」という証明力が高まります。就業規則は電子帳簿保存法の適用対象ではありませんが、証明力の観点からタイムスタンプは有効な手段です。
規程管理に特化した低コストSaaSの検討
従業員数が20名を超えてきた、または規程の種類が10種類以上になってきた段階では、規程管理に特化したクラウドサービスの導入を検討する価値があります。このカテゴリのサービスは、版管理・閲覧権限設定・周知確認(既読管理)・改訂ワークフローをまとめて提供しており、月額数千円〜数万円の範囲で導入できるものが複数あります。スプレッドシートによる手動管理と比べ、運用ミスが起きにくく、担当者が変わっても引き継ぎやすいというメリットがあります。
ハラスメント防止規程・育児介護規程も版管理の対象に含める
版管理の対象は就業規則だけではありません。ハラスメント防止規程は雇用機会均等法・労働施策総合推進法に基づく整備義務があり、育児・介護休業規程は育児・介護休業法に基づく整備義務があります。これらは法改正の頻度が高く、「改訂したが旧版が現場に残っている」問題が起きやすい規程です。就業規則と同じ仕組みで版管理の対象に含めることを強くお勧めします。
自社の状況に合わせた整備の判断基準
版管理の整備レベルは、従業員数・規程の種類・改訂頻度によって適切な方法が変わります。自社の状況を確認し、優先順位をつけることが重要です。
従業員数・規程数による整備の目安
- 従業員10名未満:就業規則の作成義務はないが、作成している場合は現行版の一元化と権限設定を最初に行う。改訂台帳はスプレッドシートで十分。
- 従業員10〜30名:就業規則の届出義務あり。現行版の一元化・権限設定・改訂台帳の整備を必須とし、周知記録の保存も並行して実施する。
- 従業員30〜50名:規程の種類が増え(ハラスメント防止・育介・個人情報等)、改訂頻度も上がる。スプレッドシート管理の限界が見え始めるため、規程管理SaaSの導入検討を始める段階。
「今すぐ」と「3ヶ月以内」でやるべきことを分ける
整備を始めようとするとすべてを一度にやろうとして止まりがちです。「今すぐ」は現行版の確定と旧版のアーカイブ移動、「3ヶ月以内」はアクセス権限の設定と改訂台帳の作成、という形で分けると動きやすくなります。完璧な仕組みより、まず「現行版が1つに絞られている」状態を作ることが最優先です。
まとめ
社内規程のクラウド・電子保存は、従業員が常時確認できる状態であれば法令上有効です。一方で、版管理や改訂履歴の記録がない状態は、労使トラブルや行政調査の場面で使用者側を不利にする現実的なリスクがあります。整備の第一歩は「現行版を1つに確定する」こと、次に「アクセス権限の設定と改訂台帳の作成」です。いずれも専用システムがなくても、Googleドライブやスプレッドシートといったすでにあるツールで実現できます。従業員数や規程の種類が増えてきた段階では、規程管理に特化したクラウドサービスも選択肢に入ります。「規程管理が一人の担当者に偏っていて引き継ぎが心配」「複数の法律に対応している規程が本当に揃っているか確認したい」といった場合は、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。就業規則の整備状況の確認から、版管理の仕組みづくりまで、御社の規模と状況に合わせた現実的なサポートをご提案しています。
よくある質問
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