「うちの社員がメンタル不調になって、原因は上司だと言っているんですが、どう対応すればいいですか」——この一言を抱えて途方に暮れる経営者・人事担当者は、決して少なくありません。すぐに上司を動かすべきか、でも根拠もなく動いたら別のトラブルになるのでは、と頭の中がぐるぐるする状況。この記事では、そのような場面で「会社として何をすべきか」を、法的な根拠と実務の手順に沿って整理します。メンタル不調が上司に関連している場合の対応方法を、ケース別の分岐も含めて解説します。
申告があった瞬間から、会社の対応義務は始まっている
メンタル不調社員から「上司が原因」という申告を受けた時点で、会社はすでに対応義務のスタートラインに立っています。「まだ確認中だから」「事実かどうかわからないから」という理由で動かないことが、最大のリスクになります。
知りながら何もしなかった場合のリスク
労働契約法第5条は、会社に対して労働者の生命・身体・精神の安全に配慮する義務(安全配慮義務)を課しています。重要なのは「ハラスメントが確定してから対応する」のではなく、申告があった段階から「リスクを下げる行動をとる」ことが求められるという点です。
申告を受けていたにもかかわらず何も対処しなかった場合、「不作為による安全配慮義務違反」として会社が損害賠償責任を問われる可能性があります。これは、事実がハラスメントに該当するかどうかとは別の問題として、会社が問責される仕組みです。
パワハラ防止法は中小企業にも適用されている
労働施策総合推進法第30条の2(いわゆるパワハラ防止法)は、2022年から中小企業を含む全事業者に適用されています。この法律が求めているのは、ハラスメントの申告があった場合に、相談対応・事実確認・被害者への配慮・行為者への措置・再発防止という一連の対応を講じることです。
「うちにはまだ相談窓口がない」という状態であっても、法的な義務は発生しています。整備が追いついていない場合は、対応と並行して体制を整えることが必要です。
事実かどうかわからない段階でも動くべき措置がある
会社が最初に取るべきアクションは「上司の処分」ではありません。まず不調社員を今のストレス要因から物理的に遠ざける暫定措置を検討しつつ、事実確認のプロセスを始めることです。
処分は事実確認の後、暫定措置は申告と同時に検討するという順番が基本です。この順序を守ることで、会社は法的な根拠を持ちながら、適切に対応できます。
事実確認の進め方——誰が・何を・どの順番で
メンタル不調が上司に関連しているという申告を受けた場合、事実確認のゴールは「上司が悪いかどうかの白黒をつけること」ではありません。「具体的にどのような出来事があったか」「それは業務上合理的な範囲だったか」を客観的に整理することです。この視点のずれが、調査を感情的な応酬にしてしまう最大の原因です。
最初に聞くのは不調社員本人、聞き方に注意
まず不調社員から、具体的な出来事を時系列で確認します。このとき気をつけたいのは、メンタル不調の状態では主観と客観が混在した訴えになりやすいという点です。
「上司がひどいことをした」という感情的な表現を鵜呑みにするのでも否定するのでもなく、「いつ・どこで・何を言われた/されたか」という事実ベースの情報を引き出すことに集中します。聞き取る担当者は経営者や人事に限定し、複数人で本人を取り囲むような形式は避けてください。
関係者への確認は「必要最小限」が原則
次に、同じチームの社員や業務上関わりのある関係者に状況を確認します。ただし、不調社員が申告した内容を広く共有することは、本人のプライバシー侵害につながるリスクがあります。
「人事上の確認」という位置づけで、誰に・何を・なぜ聞いたかを記録に残しながら進めてください。「あの人がこう言っている」という形で情報が広がらないよう、情報管理は厳密に行います。
上司本人への確認は、適正手続きとして必ず行う
事実確認の最後のステップとして、上司本人から話を聞きます。労働契約法第3条の趣旨および人事権濫用の法理に照らすと、当事者に弁明の機会を与えずに一方的に処分することは、後に上司から「不当な人事権行使」として争われるリスクがあります。
「申告があったため確認させてほしい」という形で、上司が自分の行動を説明できる場を設けることが適正手続き(デュー・プロセス)として必要です。
| 確認順序 | 対象 | 確認のポイント |
|---|---|---|
| 最初 | 不調社員本人 | いつ・何が起きたかの事実を時系列で整理 |
| 次に | 関係する同僚・部下(必要最小限) | 業務上の状況・職場環境の客観的確認 |
| 最後 | 上司本人 | 行動の背景・意図・認識について弁明の機会を確保 |
調査前に動ける暫定措置——配慮として位置づける
加害行為が確定する前でも、不調社員と上司の接触機会を減らす暫定措置は、業務上の合理的配慮として実施できます。ただし「制裁ではなく配慮」として位置づけ、書面で理由を残すことが不可欠です。
現実的な暫定措置の選択肢
- 不調社員の当面の業務上の報告先を上司から別の担当者(経営者・他の管理職)に変更する
- 在宅勤務・別室対応など物理的な接触を減らす環境を整える
- 上司の担当業務を一時的に調整し、不調社員と同じ案件に関わらないようにする
- 不調社員が就業規則・産業医面談等の支援につながれるよう手配する
上司への伝え方——タイミングと表現の工夫
多くの経営者・人事担当者が悩むのが「上司にいつ・どう伝えるか」です。基本的な考え方は、暫定措置を実施するタイミングで、上司本人に直接・口頭かつ書面で説明することです。
「調査の一環として、一時的に業務上の関わりを調整する」という業務上の理由として説明し、「あなたが加害者だ」という断定的な表現は使わないことが重要です。伝える際には、経営者または人事責任者が一対一で行い、伝えた内容・日時・上司の反応を記録に残します。
就業規則・産業医の有無で対応が変わる
従業員50名以上で産業医が選任されている場合は、産業医を通じた就業上の意見書の取得が暫定措置の根拠として機能します。就業規則にハラスメント対応の条項がある場合は、その条項に基づいた手続きとして動けます。
就業規則も産業医もない20〜30名規模の会社では、経営者の業務指示として対応することになりますが、だからこそ「なぜその指示をしたか」の記録が重要になります。
上司側のケアを後回しにしてはいけない理由
「疑われている上司」のフォローは解決後に、と考えがちですが、これが上司の突然の離職や情報隠蔽・態度硬化を招く最大の要因です。上司側のケアは、調査と並行して進める必要があります。
孤立した上司が起こすリスク
調査中の上司は「自分がどう扱われるか」という強い不安の中にいます。周囲が腫れ物を触るように接したり、誰も状況を説明してくれない環境が続くと、防御的になって事実確認に非協力的になる、他の社員に状況を吹聴する、精神的に追い詰められて突然退職するといった事態につながります。
上司が退職した場合、その後の調査が中断し、残った社員の動揺が広がるという二次的なダメージが生じます。これを避けるためには、調査中からの上司へのサポートが欠かせません。
上司へのフォローとして実施できること
上司本人に対して、「会社はあなたの言い分もきちんと聞く」という姿勢を明確に伝えることが最低限必要です。また、上司が自分の行動を振り返り不安を抱えているなら、経営者・人事が定期的に短時間でも話せる機会を設けることが有効です。
場合によっては、EAP(従業員支援プログラム)やカウンセリングへのアクセスを上司にも提供することを検討してください。上司も含めたメンタルヘルス対応が、職場全体の安定につながります。
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記録と意思決定の透明性——会社が誠実に動いたことを示す
対応の内容がどれだけ適切でも、記録が残っていなければ、後の紛争で会社が守られません。対応の全過程で「何を・いつ・誰が・なぜ決めたか」を残すことが、会社を守る最大の防衛策です。
残すべき記録の種類
- 不調社員からの申告内容と日時
- 関係者への聞き取りの実施日・確認した内容の要点・聞き取りを行った担当者名
- 暫定措置の内容・実施日・上司への説明内容と上司の反応
- 意思決定を行った担当者と、その判断の根拠
- 医療機関・産業医・外部専門家への相談経緯
記録の管理と情報共有の範囲
これらの記録は、関係者以外に共有しないことが原則です。「誰が何を申告したか」が職場内に広まると、不調社員がさらなる精神的負担を受けるリスクと、上司への感情的な対立が職場全体に広がるリスクがあります。
記録の保管場所・閲覧できる人の範囲を明確にし、誰にどこまで共有したかも記録しておきます。これが、後の紛争時に「会社は適切に情報管理していた」という証拠になります。
まとめ
部下のメンタル不調の原因として「上司が原因」という申告があった場合、会社が取るべき対応は「すぐ上司を処分する」でも「何もしない」でもありません。申告を受けた時点から安全配慮義務とパワハラ防止法上の対応義務が始まること、事実確認は不調社員・関係者・上司本人の順で構造的に行うこと、処分より先に暫定措置を「配慮」として位置づけて実施すること、そして上司側のケアと全過程の記録を並行して進めることが、会社を守り、関係者全員を適切に扱う対応の骨格です。
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