「本人はメンタル不調の原因は上司だと言っている。でも上司に確認したらまったく心当たりがないと言う。いったい何を信じて、どう動けばいいんだろう……」。専任の人事担当者がいない中小企業では、こうした板挟み状態に一人で対処しなければならないことが少なくありません。この記事では、メンタル不調の原因が上司にあると訴えられた場合の正しい事実確認手順・安全確保の並行対応・上司への伝え方まで、実務に即した流れを整理します。
まず知っておくべき「調査しない」のリスク
放置は法律違反になる
2022年4月から中小企業にも適用されたパワーハラスメント防止法(労働施策総合推進法第30条の2)では、事業主に対して相談窓口の設置・事実確認・被害者への配慮・再発防止策の実施が義務づけられています。「本人同士の問題だから」「うちの規模では対応しきれない」という理由は通りません。調査を怠った場合、措置義務違反として労働局の指導対象となるほか、本人から民事上の損害賠償請求を受けるリスクも生じます。
安全配慮義務との関係
労働契約法第5条は、使用者が労働者の生命・身体・精神の安全に配慮する義務を負うと定めています。メンタル不調が明らかになった時点で何も手を打たずにいることは、この安全配慮義務違反に直結します。「調査が終わるまでは現状維持」という対応は法的に許容されません。調査と安全確保は必ず並行して進める必要があります。
「調査した証拠」が後で会社を守る
万一、労働基準監督署への申告や民事訴訟に発展したとき、「きちんと調査を行った」という記録が会社を守る最大の盾になります。逆に記録がなければ、「放置した」とみなされかねません。調査プロセスを文書で残す習慣は、会社のリスクマネジメントとして不可欠です。
事実確認を始める前に整えておくこと
情報管理のルールを先に決める
調査に入る前に、誰がどの情報を知れるかを明確にしておくことが重要です。相談者(本人)のプライバシーを保護する義務は法律で定められており、調査内容を不必要な範囲に広げると損害賠償リスクが生じます。具体的には「この調査に関わる情報は、経営者・調査担当者・外部専門家のみで共有する」というルールを書面で確認してから動き始めましょう。
調査担当者の「第三者性」を確保する
調査を担当する人間が、申告された上司と個人的に親しい場合(例:古くからの友人、ゴルフ仲間など)、調査の公平性が根本から疑われます。社内に中立な立場の人間がいない場合は、社会保険労務士・弁護士・EAP(従業員支援プログラム)機関など外部の専門家に補助または委託することを検討してください。これは大企業だけの話ではなく、20〜50名規模の企業でも十分に活用できる選択肢です。第三者が関与したという事実自体が、調査の信頼性を高めます。
被申告者(上司)への連絡は「最後」と決める
焦って上司に「こんな訴えが来ているが本当か」と確認してしまうのは、実務上もっとも避けるべき行動です。上司に先に知られることで、証拠が消される・同僚に口裏合わせを依頼される・本人への圧力がかかるといったリスクが一気に高まります。被申告者への聞き取りは、本人からの詳細ヒアリングと参考人確認を終えた後が原則です。
本人からの詳細ヒアリングで押さえるべきポイント
「いつ・どこで・何を・どう言われたか」を具体的に引き出す
最初のヒアリングで最も重要なのは、具体的な事実を丁寧に引き出すことです。「上司にひどいことをされた」という漠然とした訴えを、「いつ(日時)」「どこで(場所・状況)」「何をされた・言われた(具体的な言動)」「その場に誰がいたか」という四つの軸で整理していきます。たとえば「毎朝ミーティングで自分だけ名指しで詰められた。直近では3月の月曜と水曜に会議室で起きた。隣に田中さんがいた」という形で記録できると、その後の参考人確認につながります。
ヒアリング記録の取り方と署名の重要性
ヒアリングは必ず記録に残します。日時・場所・発言内容・ヒアリング担当者名を記した書面を作成し、可能であれば本人に内容確認の署名をもらうことが望ましいです。この記録が後の労使紛争や労働局対応で「適切な事実確認を行った」証拠となります。メモ書き程度で済ませず、A4一枚でも構わないので整理した書面として残す習慣をつけましょう。
本人の心理的負担に配慮した進め方
メンタル不調状態にある本人への聞き取りは、一度に長時間行うことは避けます。30〜45分を目安に区切り、「今日はここまでにして、次回続きを聞かせてください」と伝える配慮が必要です。また「あなたの話を正式な手順で確認します」と丁寧に説明することで、本人の不安を和らげ、協力を得やすくなります。「訴えた自分が不利になるのでは」という恐れを持ちやすいため、「相談したことで不利益は生じない」と明確に伝えることも忘れないでください。
本人の安全確保と調査を同時に進める方法
調査完了を待たずに「暫定措置」を講じる
調査に時間がかかる間も、本人は毎日その上司と同じ空間で働き続けています。「調査が終わるまでは現状維持」という判断は、安全配慮義務の観点から許されません。調査と並行して、業務指示系統の一時的な変更(別の管理者が指示を出す)・テレワークの活用・席の配置換えといった暫定措置を速やかに検討してください。
「本人の不利益にならない」暫定措置の設計
暫定措置を講じる際に注意すべきは、その措置が本人にとって不利益にならないことです。たとえば「調査中だから別部署に移す」という対応が降格や業務縮小を伴う場合、パワーハラスメント防止法が禁じる「不利益取扱い」に該当するおそれがあります。移動や業務変更を行う場合は、本人にその理由を説明し、本人の同意を得た上で進めることが原則です。「あなたを守るための一時的な措置です」という説明が欠かせません。
小規模企業で使えるシンプルな安全確保策
人員的・物理的な余裕が少ない20〜50名規模の企業では、大がかりな体制変更は難しいことが多いです。そうした場合でも、たとえば「1対1の業務連絡をメールに限定し、上司からの直接指示をなくす」「週に一度、経営者または人事担当者が本人に状況確認の面談をする」といった小さな工夫でも、本人の安心感は大きく変わります。できる範囲で迅速に動くことが重要です。
上司(被申告者)への聞き取りを正しく行う
「断罪」ではなく「事実確認」として伝える
上司への最初のアプローチで最も重要なのは言葉の選び方です。「あなたがパワーハラスメントをしたと訴えられています」という伝え方は、上司を感情的に追い詰め、防衛的な反応を引き出すだけです。実務上は「職場の環境や状況について確認させてほしい」「複数のメンバーから業務の進め方についてヒアリングをしている」という中立的な入り方が有効です。上司が重要な中核人材である場合、この言葉の選択が組織全体のダメージを最小化することにつながります。
聞き取る内容と記録の取り方
上司への聞き取りでは、本人が申告した具体的な事実(日時・場所・言動)について、上司側からの認識を確認します。「3月の月曜のミーティングで、Aさんに対してどのような対応をしましたか?」という形で、具体的な場面を指定して質問することが効果的です。この際も記録を取り、可能であれば上司に内容確認の署名を求めます。「言った・言わない」の水掛け論を防ぐためにも、書面化が不可欠です。
上司にも守秘を求める
聞き取りの冒頭で、「この調査に関する情報は社外・社内を問わず口外しないようお願いします」と明確に伝えます。口頭ではなく、守秘に関する確認書にサインしてもらうことが望ましいです。これにより、上司が同僚に情報を流して口裏合わせを行うリスクを一定程度抑えられます。守秘の依頼は、本人・参考人・上司のすべてに対して行うことが原則です。
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調査後の判断と対応の進め方
「事実あり」「事実なし」「判断困難」の三つのパターン
ヒアリングと記録をもとに、最終的な判断を行います。判断は大きく三つに分かれます。まず「事実あり」と判断できる場合は、行為者(上司)への処分・指導・再発防止策の実施、そして本人への謝罪・配慮措置を速やかに講じます。次に「事実なし」と判断できる場合でも、職場の人間関係や業務上のストレスが本人に蓄積していた可能性を探り、環境改善策を検討します。そして「判断困難」なケースでは、外部専門家の意見を求めるか、弁護士・社労士のサポートのもとで追加調査を行うことが望ましいです。
再発防止策と記録の保管
調査の結果がいずれであっても、再発防止策を文書化して保管することが必要です。「ハラスメント相談があった事実」「調査のプロセスと結果」「講じた対応措置」「再発防止のための取り組み」を一つのファイルにまとめておくと、将来のトラブルへの備えになります。記録の保管期間は最低でも3年(労働関係書類の保存義務期間)を目安としてください。
本人へのフィードバックと継続的なフォロー
調査終了後は、結果の概要を本人に説明します。詳細な処分内容まで伝える必要はありませんが、「調査を行い、必要な対応を実施した」という事実を伝えることで、本人の不安と不信感を和らげることができます。また、調査が終わっても定期的な面談を続け、職場環境の変化を確認することが本人の回復と再発防止の両方に役立ちます。
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まとめ
メンタル不調の原因が上司にあると訴えられた場合、「放置する」「すぐに上司を問い詰める」という両極端の対応はどちらも会社を傷つけます。正しい対応は、まず本人からの詳細ヒアリングと記録化を行い、次に参考人への確認、そして最後に上司への中立的な事実確認という順序で進めること。その間、本人の安全確保のための暫定措置を並行して講じることが法律上も求められています。社内に中立な調査担当者がいない場合は、外部専門家のサポートを活用することが現実的かつ有効な選択肢です。
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