精神疾患の退職意思は有効?確認すべき3つのポイント

精神疾患の退職意思は有効?確認すべき3つのポイント 労務管理
Photo by Sydney Sang on Pexels

「先生から診断書が出て、本人は『もう辞めます』と言っている。でも、このまま退職届を受け取って本当に大丈夫なのだろうか——」

精神疾患の診断直後に突然の退職意思を告げられた経営者・人事担当者が、真っ先に感じるのはこの不安です。受け取れば後でトラブルになるかもしれない。受け取らなければ引き止めと言われるかもしれない。専任の人事も法務もいない中小企業では、こうした判断を一人で抱えることになります。この記事では、退職意思の有効性を左右する法的な考え方と、会社が取るべき具体的な確認手順を整理します。

精神疾患があっても退職意思が「無効」になるとは限らない

精神疾患の診断=意思能力なし、ではありません。有効性は「その時点・その行為について自己の行為結果を理解できたか」で個別に判断されます。

意思能力とは何か

2020年施行の改正民法第3条の2は、「法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は無効とする」と明文化しました。退職届の提出は「合意解約の申込み」という法律行為にあたるため、意思能力を欠く状態での提出は無効となりえます。

ただし、意思能力の有無はあくまで個別判断です。うつ病や適応障害の診断があっても、退職届を提出した時点で「自分が何をしているかを理解していた」と認められれば、退職は有効とされます。逆に、重篤な症状で判断力が著しく低下していたと医学的に証明できれば無効主張が認められる可能性があります。

「診断書がある=意思無能力」は成立しない

実務でよくある誤解が、「精神科の診断書が出た時点で、その人の意思表示はすべて無効」という考え方です。これは正しくありません。たとえば軽度のうつ状態でも、日常的な契約や意思決定を有効に行えることは珍しくありません。意思能力の欠如(欠缺)が認定されるのは、錯乱状態・重篤な解離症状・高度の認知機能低下など、行為の意味を理解できなかったと客観的に示せる場合です。

会社として重要なのは「診断書があるから受け取ってはいけない」と過剰反応することではなく、「本人が十分に理解した上で意思表示をしているか」を適切なプロセスで確認することです。

退職届の法的性質によって対応が変わる

退職届は大きく「辞職(一方的意思表示)」と「合意解約の申込み」の2種類に分かれ、どちらに該当するかで会社の対応方針が異なります。

辞職と合意解約の違い

区分 内容 効力発生のタイミング
辞職(一方的意思表示) 「退職します」という通知 会社への到達から原則2週間後(民法第627条)
合意解約の申込み 「退職させてください」という申込み 会社が承諾した時点で成立

退職届の文言が「退職します」という断言形であれば辞職、「退職させていただきたく」「お願いします」という申込み形であれば合意解約の申込みと解釈されることが多いです。

合意解約は「承諾前なら撤回できる」

合意解約の申込みの場合、会社が承諾する前であれば本人は申込みを撤回できます(民法第525条)。精神疾患で判断が揺れやすい状態にある従業員が「やっぱり撤回したい」と申し出てきた場合、会社がまだ承諾していなければ、原則として撤回を拒否できません。

このことは、会社側が退職届を受け取ってもすぐに「承諾」を示さず、一定の冷却期間を設けることが実務上の安全策であることを意味します。即日・当日に手続きを完了させようとすると、後から「意思が不安定な状態で処理された」として撤回主張の余地を残してしまいます。

会社が確認すべき3つのポイント

退職意思の有効性を後から争われたとき、会社を守る最大の防御材料は「適切な確認プロセスを踏んだ」という記録です。以下の3点が核心になります。

退職意思を複数回・時間を置いて確認する

精神的に不安定な状態での意思表示は、翌日・翌週には変わっていることが少なくありません。退職の申し出を受けた当日に手続きを進めるのではなく、「まず一度持ち帰って考えてもらう」という対応が重要です。

具体的には、最初の意思表示から数日〜1週間程度の間隔を置き、改めて面談の機会を設けます。その際、「先日の退職の件について、今も同じ気持ちですか」と確認し、その日時・内容・本人の言葉を記録に残します。この記録が「会社は冷静な判断の時間を与えた」という証拠になります。

休職制度を案内した記録を残す

就業規則に私傷病休職制度が定められている場合、退職を受理する前に「休職という選択肢がある」ことを本人に案内することが実務上の必須対応です。これは直接の法的義務ではありませんが、案内をせずに退職を受理した場合、「会社が退職に誘導した」と主張される根拠のひとつになりえます。

就業規則に休職制度が定められているかどうかわからない、あるいは制度はあるが運用手順が決まっていないという場合は、この機会に整備することを強くお勧めします。従業員規模が20〜50名程度の企業では、就業規則が古くなっていたり、休職・復職の手順が曖昧なままになっていることが多く見られます。

面談を複数名で行い記録を残す

退職に関する面談は、必ず2名以上で行うことが原則です。一対一・密室での面談は、後から「退職を強要された」「追い詰められた」と主張されたとき反論が困難になります。面談には経営者と総務担当者など2名が同席し、面談日時・参加者・話した内容の概要・本人の言葉を議事メモとして残します。

また、本人が希望する場合は家族の同席を認めることも有効です。家族が退職意思を確認している事実は、後の撤回主張への有効な対抗材料になります。

不安な判断は専門家に相談を退職手続きの記録作成に自信がない、あるいは既に対応が完了した手続きが正しかったか検証したい場合は、社会保険労務士や弁護士に相談することで法的なリスクを大きく軽減できます。

主治医・産業医との連携をどう進めるか

精神疾患の診断直後という状況では、主治医の見立てを把握することが判断の軸になります。ただし、会社が直接主治医に問い合わせることは本人の同意なしにはできません。

主治医の意見書を活用する

本人の同意を得た上で、主治医に「就労能力の見通し」「休職が適切かどうか」に関する意見書の提出を依頼することが現実的な方法です。主治医が休職を勧める意見書を出している場合、会社としてもその意見を踏まえて「まずは休職を」と提案しやすくなります。

意見書の取得が難しい場合でも、「主治医はなんとおっしゃっていますか」と本人に確認し、その回答を記録するだけでも状況把握に役立ちます。

産業医がいる場合・いない場合の対応

産業医の選任義務は原則として常時50名以上の事業場に課されています(労働安全衛生法第13条)。20〜50名規模の企業では産業医がいないケースも多く、その場合は外部の産業医サービスや、地域産業保健センター(50名未満の事業場向けの無料相談窓口)を活用することが選択肢になります。

産業医がいる場合は、退職意思が示された段階で産業医に状況を共有し、面談の機会を設けることが望ましいです。産業医の「就業に関する意見」は、退職処理の前に会社が取るべき合理的なステップとして記録に残せます。

退職届を受け取った後に「無効」と言われたときのリスク

退職を受理してから数週間後に、本人・家族・弁護士から「意思能力の欠如があったため退職は無効」と主張されるケースは、中小企業でも起こりえます。この事態に備えるために何ができるかを整理します。

撤回・無効主張が起きやすい状況の特徴

撤回や無効主張が発生しやすいのは、次のような状況です。退職を受理した後に症状が改善し、本人や家族が「あの時は判断できる状態ではなかった」と気づくケース、あるいは退職後に経済的困窮が生じ、雇用保険や補償を巡る問題から争いが始まるケースです。

また、退職が「会社からの圧力によるもの」と本人が認識している場合、労働局や弁護士を通じて主張が持ち込まれることもあります。こうした主張は、確認プロセスの記録がない企業ほど対処が難しくなります。

会社が取れる事後対応と限界

退職受理後に無効主張が来た場合、会社側の対応の核心は「確認プロセスを踏んだ記録があるか」です。複数回の意思確認、休職制度の案内記録、複数名での面談記録がそろっていれば、「適切な手続きで退職を処理した」という主張が成り立ちます。

記録が不十分な場合は、法的な争いになる前に社会保険労務士や弁護士に相談し、事実確認と対話の記録を早急に整理することが次善策です。「あの時こうだった」という記憶の記録化は、時間が経つほど難しくなります。

記録として残すべき項目

  • 退職意思の確認日・内容の記録(面談メモ)
  • 休職制度を案内したことの記録(メールや書面の写し)
  • 面談参加者の氏名と面談概要
  • 本人が退職届を自筆で記載したことの確認(日付・署名)
  • 主治医や家族との連絡記録(同意を得た範囲で)

まとめ

精神疾患の診断があっても、退職意思が直ちに無効になるわけではありません。有効性は「その時点で自己の行為の結果を理解できていたか」という意思能力の有無によって個別に判断されます。会社として取るべき対応は、退職意思を即日処理せずに冷却期間を設けること、休職制度の案内を記録に残すこと、複数名での面談を実施して記録を保管することの3点が基本です。

これらのプロセスを踏むことは、本人への配慮であると同時に、後のトラブルから会社を守る実務的な防御策でもあります。

「精神疾患の従業員への対応が不安」「退職届を受け取ったが手続きが正しかったか確認したい」「休職・復職の制度整備を進めたい」といった状況にあるなら、一人で抱え込まずに専門家へ相談することを強く推奨します。ウェルセンス株式会社では、中小企業の経営者・人事担当者からのご相談をお受けしています。具体的な状況をお聞きした上で、次に取るべきステップをご一緒に整理いたします。

よくある質問

Q. 精神疾患の診断書が出た従業員の退職届は、受け取らないほうがよいですか?

A. 「受け取らない」という対応が正解とは限りません。受け取り拒否は「会社が退職を認めない」と誤解されるリスクもあります。受け取った上で「すぐに承諾しない」「冷却期間を設けて意思確認を繰り返す」という対応が現実的です。受け取り時に「内容を確認した上で改めてお話しします」と一言伝えるだけでも、即日処理とは区別できます。

Q. 退職届を受理した後、本人から「撤回したい」と言われました。応じなければなりませんか?

A. 退職届が「合意解約の申込み」にあたる場合、会社が承諾する前であれば撤回を受け入れる必要があります。承諾済みの場合は原則として撤回に応じる義務はありませんが、精神疾患による意思能力の問題が争われる可能性がある場合は、一度社会保険労務士や弁護士に状況を確認した上で判断することを強くお勧めします。

Q. 就業規則に休職制度がない場合、どう対応すればよいですか?

A. 就業規則に休職制度の規定がない場合でも、「まずは療養に専念してほしい」という会社の意向を伝え、一定期間の休暇取得を提案することは可能です。ただし制度的な根拠がないと運用が不安定になるため、このタイミングを機に休職制度の規定を整備することが将来のリスク軽減につながります。社会保険労務士への相談が現実的な第一歩です。

Q. 本人が「主治医には相談しないでほしい」と言っています。それでも連絡が必要ですか?

A. 本人の同意なく主治医に直接問い合わせることは個人情報・プライバシーの観点から原則できません。ただし、「主治医はどのようにおっしゃっていますか」と本人に確認し、その回答を記録に残すことは可能です。本人が情報共有を拒否する場合でも、「会社として状況を把握しようとした」という記録自体が対応の誠実さを示す材料になります。

Q. 面談の記録はどのような形式で残せばよいですか?

A. 特定の書式は必須ではありませんが、「日時・場所・参加者・話した内容の概要・本人の発言(可能な範囲で)・次回の対応予定」を記載したメモを作成し、社内ファイルに保管しておくことが基本です。メールや社内チャットで参加者間に送信しておくと、タイムスタンプが記録として機能します。後から「そんな話はしていない」という争いを防ぐためにも、面談当日中に作成することが重要です。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

不調者対応を、人事だけで抱えない。

メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談いただけます。

詳しく見る →

タイトルとURLをコピーしました