先月まで復職支援を一緒に進めてきた主治医が、気づいたら別の先生に変わっていた——そんな経験をした人事担当者から「これって会社として何か確認しないといけないんでしょうか」という問い合わせが増えています。復職後の主治医変更は、決して珍しい出来事ではありません。転居・クリニックの閉院・セカンドオピニオン取得など、従業員側の事情はさまざまです。しかし、変更を知らないまま放置することは「安全配慮義務の空白」を生みかねない。かといって、むやみに医療情報を収集すれば個人情報保護法に抵触するリスクもある。本記事では、復職後に主治医が変わった場合に「会社として何を・どこまで確認すべきか」を、法的根拠と実務の両面から整理します。
主治医が変わったことを会社は知る必要があるのか
結論から言えば、会社は主治医の変更を把握しておく必要があります。これは「従業員の医療情報を管理したい」からではなく、安全配慮義務(労働契約法第5条)を継続して果たすために不可欠な情報だからです。
安全配慮義務と「健康状態の継続把握」の関係
労働契約法第5条は、会社が労働者の生命・身体・健康を守るために必要な配慮をする義務を定めています。復職後の従業員については、この義務が「職場復帰後も継続して健康状態を把握し、必要に応じて業務上の配慮を続けること」として機能します。主治医が変わった場合、新しい医師は職場の状況を知らないまま診察を開始することになります。本人が「職場では問題ない」と伝えていたとしても、それが正確かどうかは確認のしようがありません。この「医療側の情報の空白」を放置することは、安全配慮義務の観点から問題になりうる状態です。
「知る」ことと「管理する」ことは別物
「復職後の主治医の変更を会社が把握する=従業員の医療に介入する」と誤解されることがありますが、これは正確ではありません。会社が確認すべきなのは「主治医が変わったという事実」と「業務上の制限(残業禁止・出張禁止など)に変更がないかどうか」の2点です。診断名や治療内容を根掘り葉掘り聞く必要はなく、「引き続き同じ条件で業務を継続できるか」という業務遂行に直結する情報に絞るのが適切な範囲です。
報告を義務づける就業規則上の根拠を整備する
多くの中小企業では、就業規則や復職支援ルールに「主治医が交代した場合の報告義務」が明記されていません。この場合、会社から報告を求めても「そんな決まりは知らなかった」と従業員に言われるリスクがあります。対策として、復職支援ルール(または就業規則の附則)に「復職後、主治医が変更になった場合は速やかに会社へ報告すること」と明記しておくことを強く推奨します。ルールの整備は従業員にとっても「何を報告すればよいか」が明確になるため、双方にとって有益です。
主治医への直接問い合わせは許されるのか
本人の書面による同意なしに、会社が主治医へ直接問い合わせることは、個人情報保護法および医師の守秘義務の観点から原則として認められません。情報収集は必ず「本人を経由する」形で行うことが基本です。
要配慮個人情報としての医療情報
個人情報保護法第2条第3項は、病歴・診断内容・治療経過などを「要配慮個人情報」として定め、通常の個人情報よりも厳格な取り扱いを求めています。要配慮個人情報を取得するには、原則として本人の明示的な同意が必要です。主治医の氏名・所属クリニック・診断の経緯なども、この要配慮個人情報に該当すると考えるべきです。会社の担当者が「引き継ぎのために確認したい」という善意であっても、本人の同意なしに医師へ直接問い合わせることは法的に問題のある行為になります。
合法的に情報を収集する3つの方法
本人の同意を前提としたうえで、以下の方法が実務上活用できます。
- 本人から書面同意を取得した上で、新しい主治医に「業務遂行に問題がないかの意見書」を依頼する(本人経由で依頼するのが原則)
- 本人との面談の中で「新しい先生に業務上の制限の内容を引き継いでもらえているか」を確認し、必要であれば意見書作成を促す
- 産業医が選任されている場合は、産業医を通じて主治医との情報連携を行う(この場合も本人の同意が前提)
同意書を一度取得しても、それが「いつでも・何でも照会できる白紙委任」になるわけではありません。同意の範囲・目的・期間を明示した書面を都度整備することが重要です。
産業医がいない企業(50名未満)の対応
労働安全衛生法上、産業医の選任義務があるのは常時50名以上の労働者を使用する事業場です。50名未満の企業では産業医がおらず、「医療と職場のつなぎ役」が存在しない状態で対応を進めなければなりません。この場合は、本人との定期面談を軸にした情報収集が現実的な手段です。「主治医に業務の状況を正確に伝えてほしい」「業務上の配慮が変更になる場合は事前に教えてほしい」と本人に伝え、医師との橋渡し役を本人自身に担ってもらう形が基本となります。外部の産業保健サービスや、メンタルヘルス支援の専門機関へのアクセスも検討に値します。
引き継ぎが不完全なまま復職を継続するリスク
主治医の交代によって医療側の情報引き継ぎに空白が生じている状態は、再休職・再悪化のリスクを高めます。職場側が「問題なく働いているから大丈夫」と判断するのは危険な思い込みです。
「見えない問題」が再発につながるメカニズム
復職後しばらく安定しているように見える従業員でも、主治医が交代している場合は注意が必要です。新しい医師は「この人が職場でどのような状況に置かれているか」を知りません。本人が「職場は問題ない」と医師に伝えていても、それが実態を正確に反映しているとは限りません。復職後の従業員は「元気です」と周囲にアピールする傾向が強く、自身の不調を過小評価して伝えるケースがあります。職場側から見ると問題がないように見えても、医療側の把握は不完全という状況が続くことがあります。
業務上の制限の根拠が曖昧になるリスク
「残業禁止」「出張禁止」「特定業務の回避」といった業務上の制限は、復職時の主治医意見書を根拠として設定されていることがほとんどです。主治医が交代した場合、新しい医師がその制限を引き継いでいるかどうかは不明です。もし新しい主治医が「特に制限は必要ない」と判断していても、会社がそれを把握していなければ、時代遅れの制限を続けることになります。逆に、新しい医師が「もう少し制限が必要」と考えているのに会社が知らないケースも起こりえます。どちらの方向のズレも、従業員の健康管理と業務運営の両面でリスクになります。
安全配慮義務違反の観点から会社が問われる可能性
再休職や健康被害が発生した際、「主治医が交代していることを知っていたのに何も確認しなかった」という事実は、会社の安全配慮義務違反を問う根拠として取り上げられる可能性があります。厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(以下、職場復帰支援の手引き)は、復職後フォローアップ(第5ステップ)において「状態変化があった場合の確認プロセス」を設けることを推奨しています。主治医の変更は、この「状態変化に関する情報」として扱うべき事項です。手引きに沿った体制を整備していること自体が、会社として適切な対応をとったことの証跡になります。
会社が実際にとるべき確認の手順
主治医変更の連絡を受けた、あるいは変更の事実を把握した段階で、会社側が行う確認は大きく3段階に整理できます。焦って医療情報を収集しようとするより、本人とのコミュニケーションを丁寧に積み重ねることが実務上の要です。
まず本人との面談で状況を確認する
主治医変更を知った段階で、まず本人との個別面談を設定します。面談では以下の点を確認します。主治医が変わった経緯(本人が話せる範囲で構いません)、業務上の制限(残業・出張・特定業務など)の継続可否、新しい主治医に職場の状況や業務内容を伝えているかどうか。この面談は「詰問」ではなく「確認と支援」の場として設定することが重要です。「会社としてあなたの状況を正確に把握して、適切なサポートを続けたい」という姿勢で臨むことが、本人の協力を引き出すうえで不可欠です。
必要に応じて新しい主治医への意見書を依頼する
面談の結果、業務上の制限の継続可否が不明確な場合や、本人の状態に変化の兆候がある場合は、新しい主治医に意見書を作成してもらうよう本人に依頼します。この依頼は本人経由で行い、会社が医師に直接連絡することは原則として避けます。意見書には「現在の業務(残業の有無・主な業務内容)の遂行が可能かどうか」「継続して配慮が必要な事項があるか」の2点を中心に記載してもらうよう、本人を通じてリクエストすることが有効です。
確認した内容を記録として残す
面談の日時・確認事項・本人の回答・意見書の内容などは、必ず記録として残しておきます。これは「会社が適切な対応をとった」ことの証跡になるとともに、担当者が変わった場合の引き継ぎ資料としても機能します。記録の管理は、要配慮個人情報として厳重に行う必要があります。アクセス権限を限定し、保存期間を設定したうえで適切に管理してください。
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従業員規模・状況別の対応チェックリスト
会社の状況によって、実際に取れる対応の範囲は異なります。自社の状況に当てはめて確認できるよう、以下に整理します。
| 状況 | 優先対応 | 補足 |
|---|---|---|
| 産業医あり・50名以上 | 産業医に相談のうえ、本人との三者面談を設定。産業医経由で主治医との情報連携を検討 | 産業医が「職場と医療のつなぎ役」として機能する |
| 産業医なし・50名未満 | 人事担当者が本人との面談を実施。本人経由で新主治医への意見書依頼を行う | 外部の産業保健サービス・支援機関の活用も選択肢 |
| 就業規則に報告義務の規定あり | 規則に基づき報告を求め、面談・意見書依頼を実施 | 規則の存在が本人への説明の根拠になる |
| 就業規則に規定なし | 安全配慮義務の観点から任意での確認を依頼しつつ、早急に規則整備を検討する | 強制力が弱いため、本人の協力を引き出すコミュニケーションが鍵 |
| 本人から自主的に報告があった場合 | 報告を受けた事実を記録し、面談を設定して状況を確認 | 自主報告があった場合は関係構築の好機として活かす |
| 変更を会社が後から知った場合 | 責めるのではなく「確認の必要性」を伝えつつ面談を設定。今後の報告を促す | 責問にならない配慮が本人との信頼維持に直結する |
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まとめ
復職後に主治医が変わった場合、会社は「主治医の変更という事実」と「業務上の制限の継続可否」を確認する必要があります。これは従業員の医療情報を管理するためではなく、安全配慮義務(労働契約法第5条)を継続して履行するために不可欠な対応です。一方で、本人の同意なしに主治医へ直接問い合わせることは個人情報保護法上の問題になりえます。情報収集は本人との面談を軸に、必要に応じて本人経由で新しい主治医への意見書依頼を行う形が基本です。
産業医のいない50名未満の企業では、このような対応を医療知識のない人事担当者が単独で担わなければならず、判断に迷う場面も少なくありません。就業規則への報告義務の明記、復職支援ルールの整備、そして個別ケースへの対応方針の確認は、専門家のサポートを受けながら進めるのが現実的です。
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