「復職面談の日程まで決まっていたのに、本人から『やっぱり辞めます』と連絡が来た」——こうした場面に直面したとき、受理すべきか、慰留すべきか、その場ですぐ返事すべきかどうか、判断に詰まる方は少なくありません。しかもメンタルヘルス不調による休職中の社員となれば、通常の退職対応とは異なるリスクが絡んできます。この記事では、復職直前の退職申し出に対して、経営者・人事担当者が持つべき判断基準を3つに整理し、法的・実務的な両面から解説します。
その場で即決しないことが最初の判断基準
復職直前の退職申し出を受けたとき、最初に守るべきルールは「申し出を受けたその場で、受理も拒否も決定しない」ことです。この原則を知っているだけで、後々のトラブルリスクを大幅に減らすことができます。
なぜ即決が危険なのか
メンタルヘルス不調により休職していた社員は、症状の波によって判断力や感情の安定性が通常とは異なる状態にある場合があります。民法第3条の2は、意思表示が法的に有効であるためには「意思能力」、すなわち自分の行為の結果を理解できる能力が必要であると定めています。申し出を受けた直後に受理してしまった場合、後から「あの時点では正常な判断ができる状態ではなかった」と主張され、退職の意思表示の有効性を争われるリスクがあります。
また、即日受理は「会社が早く辞めさせようとした」という印象を与えかねません。特に本人や家族が後から振り返ったとき、「会社側が退職を急がせた」という記憶が形成されやすく、不当解雇や退職強要の主張につながる可能性があります。
冷却期間の目安と伝え方
実務上の定石は、申し出を受けた際に「大切なことなので、少し時間をください。来週改めてお話しする機会をいただけますか」と伝え、数日から1〜2週間程度の冷却期間を設けることです。この対応は慰留でも拒絶でもなく、「意思確認を丁寧に行う」という会社の誠実な姿勢を示すものです。
この対応を行ったこと、いつ誰がどのような言葉で伝えたか、必ずメール・メモ等で記録に残してください。記録が会社側の最大の防御になります。
就業規則の確認も忘れずに
就業規則に退職の申し出から受理までの手続きや期間が定められている場合は、その規定が対応の基準になります。就業規則がない、または退職手続きに関する条項がない中小企業の場合は、民法第627条の定め(期間の定めのない雇用では2週間前に申し出れば退職できる)が基本となりますが、運用の柔軟性は相互の合意によって生まれます。自社の就業規則を今すぐ確認しておきましょう。
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退職の理由を丁寧にヒアリングすることが判断基準の核心
冷却期間を設けた後の面談では、退職を希望する理由を丁寧に聞き取ることが、慰留・受理どちらの判断をするにしても不可欠です。理由によって会社側が取れる対処は大きく異なります。
退職理由の類型と対応の方向性
復職直前の退職申し出には、大きく以下のような背景が考えられます。それぞれで会社側の対応が変わります。
| 退職理由の背景 | 確認すべきこと | 会社側が取れる対処 |
|---|---|---|
| 職場環境・人間関係への不安 | 具体的に何が怖いか、誰との関係か | 配置転換・上長との関係調整・復職条件の見直し |
| 病状・回復への不安 | 主治医の見立てと本人認識にギャップがないか | 主治医・産業医との3者面談の設定 |
| 経済的事情 | 傷病手当金の終了時期、生活費の不安 | 給付制度・社会保障の情報提供 |
| 家族からの意向・圧力 | 本人自身の意思と家族の意見が一致しているか | 本人との個別面談を設け、本人の意思を確認 |
| 単純な気力の低下・将来への漠然とした不安 | 症状の一時的な悪化の可能性 | 主治医へのフィードバック・復職計画の見直し |
ヒアリングで避けるべき言動
ヒアリング面談では、「辞めたら困る」「もう少し頑張ってほしい」といった感情的な訴えは避けるべきです。会社の業務上の必要性を前面に出した慰留は、本人にとって「会社の都合で引き止められている」と感じさせ、精神的な負担を増やします。最悪の場合、「退職を申し出たのに引き止められた」として退職の自由の侵害を主張される材料にもなりかねません。
あくまで「本人にとって本当に退職が最善の選択かを一緒に確認したい」というスタンスで臨み、情報提供と選択肢の提示に徹することが重要です。
面談記録の残し方
面談は可能であれば2名で対応し(人事担当者+直属以外の上長など)、面談後に内容を要約したメモを作成して社内で保管します。本人にも「こういう内容を確認しました」とメールで送っておくと、後々「そんなことは言っていない」という認識の齟齬を防げます。日時・場所・出席者・発言の要旨・次のアクション、この5点を必ず記録に含めてください。
判断に迷う場面が多い復職直前の退職対応だからこそ、外部の産業医や人事専門家に一度相談し、自社の対応プロセスを整えておくことが、後々の紛争予防につながります。
法的リスクを左右する「記録と手順の整備」が判断基準の土台
慰留するにしても受理するにしても、後のトラブルを防ぐために決定的な役割を果たすのは、対応の記録と手順の整備です。記録のない対応は、後から何とでも解釈される余地を残します。
退職届の受理タイミングに注意する
民法の一般的な解釈では、退職の申し出(退職届)は会社が承認するまでは本人が撤回できるとされています。「申し出があったから翌日すぐ承認した」という対応は、「不調状態にある社員の意思確認が不十分なまま退職を成立させた」という批判の根拠になります。冷却期間を経て、本人が改めて意思を確認した書面(退職届)を提出してから受理するという手順が、会社側の誠実な対応の証明になります。
慰留が「退職勧奨の裏返し」にならないよう注意する
もし過去に上長や会社側が「復職後の居場所が確保できるかわからない」「体調が戻っても同じポジションは難しい」といった発言をしていた場合、本人の退職申し出が「事実上の退職勧奨に応じたもの」と解釈されるリスクがあります。そうなると、本人の自発的な退職申し出であっても、会社側の不法行為(退職強要)として損害賠償請求の対象になる可能性があります。過去のやり取りについても記録を確認し、問題のある発言がなかったかを社内で把握しておいてください。
産業医・主治医との連携は「説得」ではなく「確認」のために
本人の同意を得たうえで、主治医や産業医に「退職を申し出ている状態であること」を共有し、現在の病状や意思決定能力についての見立てを確認することが望ましい対応です。ただし、これは「先生から復職するよう説得してほしい」という目的で行うものではありません。医師に慰留を依頼することは医師の職分を逸脱させることになり、本人からの信頼も損ないます。あくまで「現在の状態で重要な意思決定をする際に、必要な支援があるか」を確認するための連携です。
- 本人から同意書(口頭でも可だが書面が望ましい)を取得する
- 主治医に確認する内容は「現在の意思能力・判断能力に問題がないか」のみに絞る
- 確認した内容と日時を記録する
受理を決断するときの実務チェックリスト
冷却期間とヒアリングを経て、本人の意思が一貫しており退職を受理する判断をした場合には、手続き面での丁寧な対応が後のトラブル防止になります。「受理したら終わり」ではなく、退職後の生活を支える情報提供まで含めてケアすることが、会社としての誠実な姿勢を示します。
退職受理前に確認すること
受理を決断する前に、以下の点を確認・整理してください。
- 本人が改めて退職の意思を文書(退職届)で表明しているか
- 冷却期間(数日〜2週間程度)が設けられ、意思が継続していることが確認できているか
- ヒアリング面談の記録が残っているか
- 過去の対応(慰留・復職プロセスの進め方)に退職勧奨と解釈されうる言動がなかったか
- 主治医・産業医への確認が必要なケースであれば、本人の同意を得て確認済みか
退職受理後に案内すべき手続き情報
休職中の社員が退職する場合、通常の退職とは異なる手続きが生じます。本人に丁寧に案内することが「会社都合ではなく本人の選択を尊重した」という事実の裏付けにもなります。案内すべき主な項目は次のとおりです。
- 傷病手当金:退職後も受給資格が継続する条件(健康保険の被保険者期間が1年以上あるかどうか等)を確認し、必要であれば書類手続きを案内する
- 健康保険:退職後は任意継続(退職後20日以内に申請)または国民健康保険への切り替えが必要
- 雇用保険(失業給付):精神疾患等による離職の場合、受給期間の延長申請が可能なケースがある
- 離職票の記載:離職理由の記載内容について本人と認識を合わせておく
産業医・就業規則がない場合の対処
常駐の産業医がいない場合(従業員50人未満の事業場は産業医の選任義務がないため、多くの中小企業がこのケースに該当します)、かかりつけの主治医への確認が現実的な選択肢になります。また就業規則がない場合でも、退職の手続きを社内で統一したフローとして文書化しておくことを、このタイミングで検討してください。属人的な対応が最もリスクを高めます。
「手続きが正しいのか」「過去の対応に問題がなかったか」という確認を、人事だけで判断するのは負担が大きいもの。専門家の視点で一度整理しておくことで、次の場面での判断がぐっと楽になります。
まとめ
復職直前の退職申し出への対応は、「即決しない」「理由を丁寧に聞く」「記録と手順を整備する」という3つの判断基準が軸になります。メンタルヘルス不調による休職という特殊な状況だからこそ、通常の退職対応以上に慎重な手続きと丁寧な意思確認が求められます。慰留するにしても受理するにしても、対応の根拠を記録として残すことが、後のトラブルから会社を守る最大の手立てです。
「自社の場合はどう判断すればよいのか」「過去の対応に問題がなかったか確認したい」「就業規則や復職プロセスを一度見直したい」という場合は、ぜひウェルセンス株式会社にご相談ください。専任人事や常駐産業医がいない中小企業の休職・復職対応を、法的観点と心理的配慮の両面からサポートしています。個別のご状況をお伺いしながら、次のアクションを一緒に整理します。
よくある質問
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