「食事代は給与から引いてるけど、そういえば協定を結んだ記憶がない」「雇用契約書に書いてあればいいんじゃないの?」——中小企業の経営者や兼務人事担当者から、こうした声をよく耳にします。給与からの控除は労働基準法で厳しく制限されており、賃金控除協定なしの天引きは違法リスクを伴います。本記事では、協定なしで引ける項目の整理から、労使協定の締結手順まで実務に即して解説します。
賃金控除の大原則と「協定なしでも引ける項目」
労働基準法第24条第1項は「賃金は全額を直接労働者に支払わなければならない」と定めており、賃金控除は原則として禁止されています。例外として認められるのは、「法令に根拠がある場合」と「労使協定がある場合」の二つだけです。
法令上の根拠があれば協定は不要
日々の給与計算で引いている税金や社会保険料は、それぞれ個別の法律に根拠があるため、労使協定がなくても控除できます。以下の項目がこれにあたります。
| 控除項目 | 根拠法令 |
|---|---|
| 所得税(源泉徴収) | 所得税法第183条 |
| 住民税(特別徴収) | 地方税法第321条の4 |
| 健康保険料(被保険者負担分) | 健康保険法第167条 |
| 厚生年金保険料(被保険者負担分) | 厚生年金保険法第84条 |
| 雇用保険料(被保険者負担分) | 雇用保険法第32条 |
| 介護保険料(40歳以上) | 介護保険法第155条 |
「雇用契約書に書いてあればOK」は誤り
よくある誤解が「入社時に雇用契約書や労働条件通知書に控除の旨を記載してあれば問題ない」というものです。しかし、労働基準法第24条は個々の労働契約よりも上位の法規範であり、契約書への記載だけでは法的根拠になりません。食事代・駐車場代・制服代などを給与天引きしている場合、賃金控除協定がなければ原則として違法な控除となります。
過去の慣習的な控除の遡及リスク
「ずっとやってきたから大丈夫」という判断は危険です。労使協定のない控除が後になって発覚した場合、理論上は控除した金額の返還請求を受けるリスクがあります。賃金請求権の消滅時効は2020年の法改正により当面は3年(将来的に5年)とされているため、長年にわたる慣習的な控除ほど、問題が顕在化したときのダメージが大きくなります。
労使協定(24条協定)で控除できるようになる項目
「賃金の一部控除に関する労使協定」(通称:24条協定)を締結することで、法定控除以外の項目も給与から差し引けるようになります。協定は労働基準監督署への届出が不要な点も、実務上の大きなメリットです。
協定があれば控除できる代表的な項目
24条協定を結ぶことで、次のような項目の給与天引きが適法に行えるようになります。
- 社宅・寮の家賃
- 社員食堂の食事代
- 駐車場代
- 社内積立金・財形貯蓄の天引き
- 労働組合費(チェックオフ)
- 社内融資・立替金の返済分
- 購買代金(社内売店等)
たとえば月額3,000円の食事代を全従業員から天引きしているケースでも、24条協定がなければ法律違反の状態です。協定さえ整えれば、実態としては何も変えずに適法な運用に切り替えられます。
協定があっても控除できないもの
24条協定を結べば何でも引けるわけではありません。特に注意が必要なのが損害賠償との相殺です。たとえば従業員が業務上のミスで会社に損害を与えた場合、その弁償額を使用者が一方的に給与から差し引くことは、協定の有無にかかわらず原則として認められません。最高裁判例(昭和44年12月18日)の趣旨からも、相殺には「労働者の自由な意思に基づく明確な同意」が必要とされています。また、労働基準法第17条は前借金との相殺を明示的に禁止しています。懲戒による給与カットや損害賠償の天引きを検討する場合は、必ず専門家に確認することをお勧めします。
24条協定の締結手順
24条協定の締結は、労働組合がなくても「過半数代表者」を選出することで行えます。手続き自体はそれほど複雑ではなく、書面を作成して双方が署名・押印すれば成立します。
労働組合がなくても締結できる
労働基準法上、労使協定の締結相手は「事業場の過半数を組織する労働組合」または「労働者の過半数を代表する者(過半数代表者)」のいずれかです。労働組合がない中小企業では後者を選出します。たとえば従業員が15名であれば、8名以上の支持を得て選ばれた代表者が協定の締結相手となります。
過半数代表者の選出で注意すべきこと
過半数代表者の選出には、いくつかの法的要件があります。まず、労働基準法第41条第2号の管理監督者(いわゆる管理職)は代表者になれません。次に、使用者による指名や事実上の指定は無効であり、労働者が自主的に選ぶ必要があります。選出にあたっては「24条協定締結のための過半数代表者を選出する」という目的を明示した上で、投票や挙手などの民主的な方法で選ぶことが求められます。この手続きが適切でなければ、協定自体が無効とみなされるリスクがあります。
協定書に盛り込む内容と保存
24条協定は労働基準監督署への届出が不要ですが、書面で作成・保存することが強く推奨されます。協定書には、控除する項目の名称、計算方法または金額の上限、協定の有効期間を明記します。有効期間は法令上の定めがありませんが、実務上は1~3年程度で設定し、更新管理するのが望ましいです。協定書は労使それぞれが原本を保管し、就業規則と合わせて整備しておくと、労働基準監督署の調査があった際にも対応しやすくなります。
退職時の精算と給与控除の注意点
退職者の最終給与から、未精算の立替金や家賃補助を差し引きたいケースは多くありますが、この場面でも24条協定と本人同意の両方が必要です。
最終給与からの控除に必要な手続き
退職時に未精算の社内融資返済分や立替金がある場合、これを最終給与から差し引くには、あらかじめ24条協定で当該項目が控除対象として定められていることが前提となります。また、退職が決まった段階で本人に控除内容を書面で確認し、同意を取っておくことが実務上のリスク管理として有効です。口頭での了解だけでは後のトラブルになりやすいため、書面による確認を徹底してください。
損害賠償や弁償金との相殺は別の問題
退職時に「会社に損害を与えたから最終給与で相殺したい」というケースは、賃金控除の問題ではなく損害賠償請求の問題として切り離して考える必要があります。24条協定があっても損害賠償との一方的な相殺はできず、本人の自由な意思に基づく書面での同意が必要です。さらに、労働者に対する損害賠償請求自体にも法的な制限(全額請求できないケースが多い)があるため、退職者とのトラブルが見込まれる場合は早めに専門家へ相談することをお勧めします。
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協定締結後の運用管理と見直しタイミング
24条協定は締結して終わりではなく、内容の見直しや更新管理が継続的に必要です。特に会社の制度変更や従業員構成の変化に応じて、協定内容が実態とずれていないか定期的に確認することが重要です。
控除項目が増えたときの対応
協定締結後に新たな控除項目(例:新設した社内積立制度など)が生じた場合、既存の協定にその項目が含まれていなければ、協定を改定または新たに締結し直す必要があります。協定書に「その他会社と従業員代表が合意した項目」のような包括条項を設けておくと柔軟に対応できますが、具体性を欠く記載は無効と判断されるリスクもあるため、できるだけ項目を明示した上で運用してください。
就業規則との整合性を保つ
24条協定の内容は、就業規則の賃金規程と整合している必要があります。就業規則に「食事代は給与から控除する」と記載があっても、24条協定がなければ違法となりますし、逆に協定で定めた控除項目が就業規則に記載されていなければ、従業員への周知が不十分として問題になることがあります。協定の締結・更新のタイミングで、就業規則の関連箇所も併せて確認する習慣をつけておくと安心です。
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まとめ
賃金控除は労働基準法第24条により原則禁止されており、税金・社会保険料以外の項目(食事代・駐車場代・社内融資の返済など)を給与から差し引くには、24条協定(賃金の一部控除に関する労使協定)の締結が必要です。協定は労働組合がなくても過半数代表者との書面協定で成立し、労働基準監督署への届出も不要です。一方、損害賠償の一方的な相殺や前借金との相殺は、協定があっても認められません。
長年の慣習として行ってきた控除が実は違法だったというケースは少なくなく、遡及リスクも3年分に及ぶ可能性があります。「うちの控除は問題ないか確認したい」「協定書をどう作ればいいかわからない」という場合、ウェルセンス株式会社では人事労務の実務相談を承っています。専任人事がいない中小企業の経営者・担当者からのご相談を、ぜひお気軽にどうぞ。
よくある質問
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