「結婚しました。でも仕事では旧姓のまま使い続けたいんですが……」——ある日、こんな申し出を受けた経営者・人事担当者は少なくないはずです。認めてあげたい気持ちはあっても、「法的に問題ないか」「社会保険の手続きはどうなる」「他の書類との整合性は」と疑問が次々と浮かんでくる。専任の人事担当者がいない環境では、調べる時間もなく、とりあえず口頭でOKにして後回し——という対応になりがちです。この記事では、旧姓使用を認める際に整備すべき社内規程のポイントを、実務の手順とともに整理します。
旧姓使用を認めること自体は法律上問題ない
結論から言えば、従業員が職場で旧姓を使用することを会社が認めることは、法律に違反しません。むしろ、政府の女性活躍推進の観点からも、旧姓使用の環境整備は推奨されています。
民法と職場での旧姓使用の関係
民法第750条では、夫婦はどちらかの姓に統一しなければならないと定められています。この規定により、結婚した従業員は戸籍上の姓が変わります。ただし、この法律が規律するのはあくまで「戸籍上の氏名」であり、職場での呼称や業務上の署名・表記にまで「必ず戸籍名を使え」と義務づけるものではありません。職場での旧姓使用を会社が認めるかどうかは、会社の裁量に委ねられています。
旧姓使用を認めないことはできるか
逆に「旧姓使用を一切認めない」という会社のルールが無効になるかという点ですが、現時点では旧姓使用を認めることを企業に義務づける法律はありません。ただし、合理的な理由のない一方的な禁止は従業員のモチベーションや定着率に影響する可能性があります。申請に応じて柔軟に認める仕組みを整えておくことが、現実的かつ従業員にとっても安心できる対応です。
どの書類は戸籍名が必須で、どこまで旧姓でよいか
旧姓使用を認める際に最も混乱しやすいのが「書類ごとのルールの違い」です。すべての書類を旧姓にしてよいわけでも、すべてを戸籍名にしなければならないわけでもありません。書類の性質によって使い分けが必要です。
法定書類は戸籍上の姓が原則
以下の書類・手続きは法令に基づくものであるため、原則として戸籍上の姓(法定氏名)を使用する必要があります。
| 書類・手続き | 根拠法令 | 旧姓の扱い |
|---|---|---|
| 雇用保険被保険者資格取得届 | 雇用保険法 | 戸籍名が必須 |
| 健康保険・厚生年金 氏名変更届 | 健康保険法・厚生年金保険法 | 戸籍名が必須(旧姓併記制度あり) |
| 源泉徴収票 | 所得税法 | 戸籍名が必須 |
| 労働者名簿 | 労働基準法第107条 | 戸籍名を記載(括弧書き併記は許容される場合あり) |
| 賃金台帳 | 労働基準法第108条 | 戸籍名を記載(括弧書き併記は許容される場合あり) |
労働者名簿・賃金台帳については、戸籍名のあとに「旧姓(山田)」と括弧書きで旧姓を併記する実務運用が許容される場合があります。ただし、自社の状況については社労士や所轄の労働基準監督署に事前確認しておくと安心です。
社内書類・名刺・システムは会社の裁量で決められる
一方、以下は法令で氏名の表記が規定されていないため、就業規則や旧姓使用規程で定めれば旧姓を使用することができます。
- 名刺・社員証
- メールアドレス・社内システムの表示名
- 業務上の押印・署名(取引先対応については後述)
- 社内の呼称・Slackなどのコミュニケーションツール上の名前
「名刺は旧姓、給与明細は戸籍名」という使い分けが基本的なルールになります。このあたりを規程に明文化しておかないと、従業員も担当者も混乱します。
社会保険手続きと旧姓併記制度の活用
社会保険の手続きは戸籍名が基本ですが、旧姓を記録に残せる仕組みも整備されています。制度の概要を把握しておくと、従業員からの質問にもスムーズに対応できます。
日本年金機構の旧姓併記制度
日本年金機構では、マイナンバーと基礎年金番号を紐付けている場合、被保険者記録に旧姓を併記できる仕組みがあります。年金記録の照会時などに旧姓でも確認できるようになるため、従業員にとって利便性が高まります。手続きの詳細は日本年金機構の窓口または事業所の管轄年金事務所に確認してください。
マイナ保険証と旧姓の扱い
2024年以降、健康保険証はマイナンバーカードと一体化する方向(マイナ保険証)で進んでいます。マイナンバーカード自体には旧姓を追記できる制度があり(住民基本台帳法の改正により2019年から施行)、カードの券面に旧姓を載せることが可能です。ただし、健保組合や協会けんぽによって旧姓の反映方法が異なる場合があるため、自社が加入している保険者に確認することが重要です。制度変化が続いている分野でもあるため、最新情報を定期的にチェックするようにしましょう。
書類ごとの対応ルールが複雑だと感じたら、まずはスポット相談で基本的な整理をしておくと、後々の判断がスムーズになります。
取引先との契約書・署名はどう対応するか
従業員が会社の代理として契約書に署名する場合、旧姓での署名でも契約の効力は原則として法人に帰属します。ただし、相手方に混乱を与えないための実務対応が必要です。
代理署名と旧姓使用の有効性
従業員が会社を代表・代理して契約書に記名押印する場合、その効力は会社(法人)に帰属します。そのため、担当者個人が旧姓を名乗っていても、会社としての契約の有効性には影響しません。ただし、取引先の担当者が「登記上の代表者と名前が違う」「前回の契約書と担当者の名前が違う」と疑問を持つケースがあるため、実務的な対応が重要です。
取引先への説明と書類上の工夫
旧姓を使って署名する従業員が取引先と継続的にやり取りする場合、以下のような対応が現実的です。
- 署名欄に「旧姓(戸籍名)」と括弧書きで併記する
- 担当者変更ではなく改姓であることを取引先に事前に説明・連絡する
- 名刺に「旧姓:〇〇」と明記しておく
社内規程で「対外的な書類への旧姓使用を認める場合は、戸籍名を括弧書きで併記する」といったルールを定めておくと、統一した対応ができます。
旧姓使用規程に盛り込むべき3つのポイント
旧姓使用を口頭・個別対応から脱却させるには、就業規則への明記または独立した「旧姓使用規程」の整備が有効です。規程に盛り込むべき内容は大きく3つに整理できます。
使用できる範囲の明示
まず最初に定めるべきは「どの場面・どの書類で旧姓使用を認めるか」という適用範囲です。「社内システム上の表示名・名刺・メールアドレスに限り旧姓使用を認める」「対外的な署名については原則戸籍名とするが、申請により旧姓の括弧書き併記を認める」といった形で、場面ごとの可否を明確にします。「法定書類については戸籍名を使用する」という例外規定も必ずセットで明記してください。
申請・変更・取り消しの手続き
次に、申請の手続きフローを定めます。「誰に」「いつまでに」「どのような様式で」申請するかを具体的に書くことで、担当者が迷わず処理できます。また、離婚などにより旧姓に戻す必要がなくなった場合や、再度戸籍名への切り替えを希望する場合の手続きも規程に含めておきましょう。変更・取り消し時の対応が抜けていると、実務で困ることがあります。
個人情報管理との整合性
旧姓と戸籍名の両方が社内に流通する状態になるため、個人情報の管理ルールとの整合性も規程に記載しておくことが重要です。具体的には「人事システム上は戸籍名を正式名称とし、旧姓を付記情報として管理する」「旧姓と戸籍名が同一人物であることが社内で確認できる管理台帳を整備する」といった内容です。万一、給与の振り込みや社会保険の確認で名義が食い違うトラブルが起きた際にも、管理台帳があれば迅速に対応できます。
「規程の内容は分かったけど、うちの会社に合わせてどう作るかが…」という場合は、人事だけで抱えず、専門家の助言を活用するのも選択肢です。
まとめ
従業員の旧姓使用を認めること自体は法律上問題ありません。ただし、法定書類は戸籍名が原則であること、書類ごとのルールの使い分けが必要なこと、そして口頭対応ではなく規程として明文化することが、トラブルを防ぐ上で欠かせません。規程に盛り込むべき主なポイントは、「使用範囲の明示」「申請・変更・取り消し手続き」「個人情報管理との整合性」の3点です。専任の人事担当者がいなくても、この3点を押さえた規程を整備しておくことで、同様の申し出が今後来たときも迷わず対応できます。
「自社に合った規程の作り方がわからない」「社会保険の手続きで不安な点がある」という場合は、ウェルセンス株式会社にお気軽にご相談ください。人事労務の専門家が、御社の規模・状況に合わせた実務サポートをご提供しています。
よくある質問
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。
不調者対応を、人事だけで抱えない。
メンタル不調者面談や休職・復職対応を、1件からスポットでご相談いただけます。


