「うちの社員が逮捕されたらしい――でも、どうすればいいのか全くわからない」。そんな状況に突然直面したとき、多くの経営者・兼務人事担当者は「とにかく解雇すべきか」と焦ります。しかし、感情に任せた即時解雇は不当解雇として訴えられるリスクがあります。この記事では、逮捕から有罪・無罪確定まで、段階ごとに会社が取るべき対応を実務的に解説します。
「逮捕=即解雇」は大きな誤解
無罪推定の原則とは何か
日本の法制度では、有罪が確定するまで人は「無罪」として扱われます。これを「無罪推定の原則」といい、憲法や刑事訴訟法の精神に基づいています。逮捕はあくまで「捜査上の身柄拘束」であり、犯罪事実が確定したわけではありません。この原則を無視して解雇に踏み切ると、後に「不当解雇」として争われる可能性が非常に高くなります。
解雇権の濫用とはどういうことか
労働契約法第16条は「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当でないと認められる場合には、権利を濫用したものとして無効とする」と定めています。逮捕・勾留段階での解雇は、この「客観的に合理的な理由」を満たさないと判断されるケースが多く、裁判例でも起訴前の解雇は無効とされた事例が多数あります。
感情的な判断が招くリスク
「会社の信用が傷つく」「他の社員に示しがつかない」という気持ちは自然です。しかし、その感情だけで動いてしまうと、不当解雇訴訟・未払い賃金の請求・労働審判といった追加コストを抱えることになります。まず深呼吸し、法的な手順に沿って冷静に対応することが、会社を守る最善策です。
逮捕から判決まで、段階別の対応
逮捕・勾留段階(最大23日間)
逮捕後、警察は最大72時間、裁判所の勾留許可が下りればさらに最大20日間、計23日間にわたって身柄を拘束できます。この段階で会社が取れる主な措置は「自宅待機命令」と「就業規則の確認」です。解雇は原則として行うべきではありません。本人が出勤できない状態であるため、まずは欠勤・無断欠勤の扱いをどうするか、自宅待機扱いにするかを決め、賃金処理の方針を固めます。
起訴・公判段階(数ヶ月〜1年以上)
検察官が起訴に踏み切った場合、公判開始まで数ヶ月、長ければ1年以上かかることもあります。この段階では「起訴休職」制度の適用が現実的な選択肢になります。起訴休職とは、起訴された従業員を一定期間休職させる制度で、就業規則にその根拠が明記されていれば有効に運用できます。休職中の賃金支払いの要否・休職期間の上限・期間満了後の扱いをあらかじめ規定しておくことが不可欠です。
不起訴・無罪確定・有罪確定の分岐点
不起訴または無罪が確定した場合、原則として職場復帰を受け入れる必要があります。このとき、周囲の社員との関係修復やメンタルヘルスケアなど、復帰後の環境整備が重要になります。一方、有罪が確定した場合は懲戒解雇・諭旨解雇を含む懲戒処分の検討が可能になりますが、それでも「犯罪の内容・職務との関連性・会社への信用毀損の程度」を総合的に判断する必要があります。たとえば業務上横領と、プライベートでの軽微な交通違反では、対応の重さが大きく異なります。
就業規則に根拠がないと適切な対応ができない
根拠のない処分は「無効」になる
懲戒処分・起訴休職命令・自宅待機命令を有効に行うには、就業規則にその根拠となる条項が必要です。「刑事事件に関与した場合」とだけ書かれた曖昧な規定では、後から「処分の根拠が不明確だ」と争われるリスクがあります。具体的には「逮捕・勾留された場合」「起訴された場合」「有罪判決が確定した場合」を分けて記載し、それぞれに対応できる処分の種類と手続きを明示することが求められます。
起訴休職規定の整備ポイント
起訴休職を就業規則に盛り込む際は、次の4点を明確にします。まず、休職を命じる事由(起訴されたこと)を明記します。次に、休職期間の上限(例:公判確定まで、または最長1年など)を設定します。そして、休職中の賃金の取扱い(無給・有給の別)を定めます。最後に、休職期間が満了した場合の取扱い(復職・退職・解雇の判断基準)を規定します。これらが揃って初めて、起訴休職命令が法的に有効なものとなります。
懲戒処分の種類と比例原則
懲戒処分には重い順に、懲戒解雇・諭旨解雇・降格・出勤停止・減給・けん責(戒告)があります。どの処分を選ぶかは「行為の重大性に見合った処分かどうか」という比例原則に従わなければなりません。なお、減給処分には労働基準法第91条による上限規制があり、1回の減給額は平均賃金の1日分の半額以下、また1賃金支払期における減給の総額は賃金総額の10分の1以下に抑える必要があります。この制限を超えた減給は違法となるため注意が必要です。
自宅待機命令と賃金処理の実務
口頭の「来なくていい」では不十分
逮捕の報告を受けた直後に「とりあえず来なくていい」と口頭で伝えるだけでは、自宅待機命令として法的効力を持ちません。書面または記録の残る手段(メール・メッセージアプリのスクリーンショット保存など)で、「会社命令による自宅待機である旨・期間・賃金の扱い」を伝えることが重要です。
賃金・休業手当の取扱い
会社都合で自宅待機を命じた場合、労働基準法第26条により平均賃金の60%以上の休業手当を支払う義務が生じます。一方、本人の事由(逮捕による身柄拘束)で出勤できない場合は、支払い義務が生じないケースもあります。どちらに該当するかの判断は状況によって異なるため、曖昧なまま放置せず、社労士・弁護士に早めに相談して方針を決めることが安全策です。
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社内・社外への波及リスクへの対処
他の社員の動揺をどう抑えるか
逮捕情報が社内に広まると、職場に不安や動揺が生じます。特に被逮捕者が管理職や顧客接点の多いポジションであれば、業務への影響も深刻です。会社として情報管理の方針を決め、必要最低限の関係者にのみ事実を伝え、憶測による情報拡散を防ぐことが大切です。また、周囲の社員のメンタル面への影響にも目を向け、必要であれば産業医や外部の相談窓口を案内することを検討してください。
取引先・報道・SNSへの対応
事件が報道されたり、SNSで拡散されたりするケースでは、取引先から問い合わせが入ることもあります。この場合、「捜査の状況を確認中であり、事実関係が明らかになり次第適切に対応する」という趣旨の一貫した回答を準備しておくことが重要です。コメントを二転三転させると、会社の信頼性が損なわれます。広報・法務担当者がいない中小企業では、弁護士や外部専門家に文案のアドバイスを求めることも有効です。
個人情報・プライバシーへの配慮
逮捕情報は当該社員の個人情報であり、社内外への開示範囲は必要最小限に留めなければなりません。「知る必要がある人」だけに情報を共有し、無関係な社員への不必要な開示は避けます。また、無罪確定・不起訴後に社内で本人の情報が広まった状態が残ることは、復帰した際の職場環境悪化につながるため、情報管理の徹底は復職後の支援にも直結します。
まとめ
社員が逮捕された場合、会社が取るべき対応は「逮捕→起訴→判決」という刑事手続きの段階によって大きく異なります。まず逮捕段階では無罪推定の原則を踏まえ即時解雇は避け、次に就業規則に起訴休職などの根拠規定が整備されているかを確認します。そして有罪確定後に初めて、懲戒処分の比例原則に従った対応を検討します。この一連の対応を誤ると、不当解雇訴訟・未払い賃金請求・職場環境の悪化という三重のリスクを抱えることになります。
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