採用直後の給与交渉を防ぐ5つのルール整備術

採用直後の給与交渉を防ぐ5つのルール整備術 組織運営
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「入社して2週間なのに、もう給与を上げてほしいと言ってきた」——そういった悩みが、中小企業の経営者や兼務人事担当者から届くことがあります。採用面接で合意したはずの条件を、入社後すぐに覆そうとする社員への対応は、専任人事がいない職場ほど難しくなります。断るべきか、応じるべきか。どう伝えればいいか。そして、そもそもなぜこうなったのか。この記事では、採用直後の給与交渉を防ぐための就業規則・ルール整備の具体的な方法を、法的根拠とともに解説します。

採用直後の給与交渉、断っても問題ない

結論から言えば、採用時に合意した給与条件を守るよう社員に伝えることは、法的に何ら問題ありません。使用者には「給与を上げる義務」は生じないのが原則です。

交渉要求に応じる法的義務はない

労働契約法第8条は、労働条件の変更には「労使双方の合意」が必要であると定めています。これは双方向の原則であり、社員が「上げてほしい」と要求したとしても、会社がそれに同意しない限り、給与は変わりません。使用者が一方的に給与を下げることは法律で制限されていますが、社員が一方的に「上げろ」と要求する権利も、同様に認められていません。

採用時に労働条件通知書や雇用契約書で明示・合意した給与が、現時点での契約内容です。交渉要求を断ることに、法的なリスクはありません。

「断ったら退職強要になるのでは」という誤解

よくある不安として、「交渉を断ったら退職強要と言われるかもしれない」という心配があります。しかし、給与交渉に応じないことと、退職を強要することはまったく別の行為です。会社が「給与は契約どおりです」と伝えることは正当な経営判断であり、それに対して社員が自ら退職を選択した場合、法的に退職強要には当たりません。

ただし、断り方が感情的・威圧的になると話は変わります。あくまで「根拠に基づいた、冷静な説明」が重要です。

採用コストへの不安で「つい応じてしまう」問題

専任人事がいない中小企業では、採用にかかった費用や手間を考えると「強く出られない」という心理が働きやすい状況があります。しかし、ここで交渉に応じてしまうと「要求すれば通る」という誤解が社内に広まり、他の社員からも同様の要求が出てくるリスクがあります。一時的な妥協が、組織全体の給与テーブルの歪みを生むことを念頭に置いてください。

入社後に「豹変」する社員が出る本当の原因

採用直後の給与交渉が起きる背景には、多くの場合、採用プロセスにおける「合意の甘さ」があります。社員の性格の問題というより、仕組みの問題と捉えることが再発防止の第一歩です。

口頭合意が「言った・言わない」を生む

内定時の面談で「頑張ってもらえれば給与も見直す」「将来的には昇給も考えている」といった発言をした経験はないでしょうか。採用担当者の励ましの言葉が、社員には「条件の約束」として記憶されているケースが少なくありません。口頭での説明は後から検証できないため、「言った・言わない」の水掛け論になりやすい構造を持っています。

労働条件通知書の「渡しただけ」問題

労働基準法第15条は、採用時に労働条件を書面で明示することを使用者に義務付けています。しかし、通知書を「渡した」だけでは、厳密には「合意した」証拠にはなりません。通知書はあくまで使用者からの一方的な明示であり、社員が「その条件に同意した」という記録が別途必要です。

なお、2024年4月の労働基準法施行規則改正により、明示すべき事項が追加されています。古い様式を使い続けている場合は、最新様式への更新が必要です。

賃金規程が「形だけ」になっている

従業員が常時10名以上いる事業場では、就業規則の作成と労働基準監督署への届出が義務です(労働基準法第89条)。賃金の決定・計算・支払方法は絶対的必要記載事項であり、省略できません。しかし、20〜50名規模の企業では、就業規則はあっても賃金規程の記載が曖昧・形式的なケースが多く見られます。「昇給は会社の判断による」とだけ書いてある場合、交渉を断る明確な根拠を示せなくなります。

採用直後の給与交渉を防ぐ整備のポイント

再発を防ぐためには、採用プロセスから入社後の運用まで、複数の観点でルールを整備することが有効です。以下に、具体的な対策を整理します。

雇用契約書で「双方署名」を取る

まず取り組むべきは、労働条件通知書とは別に、雇用契約書(または労働条件通知書に署名欄を設けたもの)を整備することです。社員が「上記の条件に同意します」と自筆で署名した文書は、後から条件を覆す主張に対する最も強い証拠になります。

契約書には、給与額・昇給の時期と基準・試用期間の有無と条件を明記してください。「入社後〇ヶ月は試用期間として月給〇〇万円、本採用後は評価に基づき毎年〇月に昇給審査を実施」のように具体的に書くことが重要です。

賃金規程に昇給・昇給審査のルールを明記する

次に、賃金規程(就業規則の一部または別規程)に、昇給の決定時期・評価基準・手続きを明文化します。たとえば「昇給は毎年〇月の人事評価の結果に基づき、会社が決定する」と記載するだけで、「なぜ今すぐ給与が上がらないのか」を規程に基づいて説明できるようになります。

記載項目 記載例
昇給の実施時期 毎年4月(人事評価の結果に基づき実施)
昇給の決定権者 代表取締役が決定する
昇給の基準 前年度の人事評価・会社業績・在籍期間を総合的に考慮
随時交渉への対応 定期昇給の時期以外の個別申請には応じない

オファー面談で「最終条件」を明確に伝える

内定後のオファー面談(条件提示の場)では、提示した条件が「交渉の余地のない最終条件である」ことを口頭でも明確に伝えてください。「ご質問はありますか?」で終わるのではなく、「この条件でご入社いただく形になります。次の昇給機会は入社後の〇月となります」と、先を見通せる説明をセットで行うことが重要です。口頭説明の内容は、可能であれば面談メモとして記録に残しておくと安心です。

給与交渉への対応に不安を感じている場合、一人で判断するのではなく、人事労務の専門家に相談しておくと、後々の対応がスムーズになります。

社内回答フローを事前に決めておく

給与交渉の申し出があった際、誰が・いつ・どのように回答するかを社内でルール化しておくことも大切です。現場の上司が個別に「ちょっと考えてみます」などと曖昧な回答をすることが、交渉に期待を持たせてしまう原因になります。

たとえば「給与に関する交渉の申し出は、経営者(または人事担当者)が受け付け、賃金規程に基づいて〇日以内に書面で回答する」といったフローを決めるだけで、現場の混乱を防げます。

入社後の面談で納得感を高める

ルール整備とあわせて、入社後1〜3ヶ月の時点で上司との面談を設けることも有効です。この面談は給与交渉の場ではなく、業務への適応状況や評価への期待値をすり合わせる場として位置づけます。「あなたのことを見ている」という実感を持てる環境は、給与交渉という形での不満表出を抑制する効果があります。

給与交渉を断るときの正しい伝え方

断る際に重要なのは、感情的にならず「規程と契約に基づいた説明」に徹することです。以下に、実務で使える対応の考え方を整理します。

根拠を示して、感情を排して伝える

「給与の変更は、賃金規程に基づき毎年〇月の評価サイクルで判断しています。今回のタイミングでの変更は、その対象外となります」という伝え方が基本です。「あなたの要求はおかしい」という否定ではなく、「社内ルールとして、このような仕組みになっています」という説明が、無用な感情的対立を防ぎます。

「今はできない」と「将来どうなるか」をセットで伝える

断るだけで終わると、社員は「評価されていない」と感じやすくなります。「今期の評価サイクルでは対象外ですが、次の〇月の評価では、今の業務実績を反映して判断します」と伝えることで、納得感を持ちやすくなります。この「先への見通し」の提示が、退職リスクの軽減にもつながります。

書面で回答する、または面談記録を残す

口頭で回答した後、「先ほどお伝えした内容の確認として」というかたちで面談メモや簡単な書面を残しておくことを推奨します。後から「あのとき上げると言った」という主張が出た場合に、記録が重要な証拠になります。メールでのやりとりも有効な記録手段です。

就業規則・賃金規程の整備状況を確認するポイント

自社の規程が「給与交渉を断る根拠として機能しているか」を点検するために、以下の観点で確認してみてください。

従業員数による対応の違い

常時10名以上の従業員がいる場合、就業規則の作成・届出は法律上の義務です(労働基準法第89条・第90条)。この義務を果たしていない場合、まず就業規則の整備が優先課題になります。10名未満であっても、就業規則を整備することは、経営判断として強く推奨されます。トラブルが発生したときに「ルールがなかった」では経営者が守れなくなるためです。

賃金規程チェックリスト

  • 昇給の実施時期が明記されているか
  • 昇給の決定基準(評価・業績・在籍期間など)が記載されているか
  • 昇給の決定権者が明記されているか
  • 随時の給与変更申請への対応方針が記載されているか
  • 試用期間中の給与条件が明記されているか
  • 2024年4月改正対応の最新様式を使用しているか

これらの項目が整っていない場合、弁護士や社会保険労務士、あるいは人事労務の専門支援を活用して整備することをお勧めします。

内定通知書・雇用契約書の記載内容も確認する

採用内定は、判例(最高裁:大日本印刷事件1979年、電電公社近畿電通局事件1984年)において「始期付解約権留保付労働契約」として成立するとされています。つまり、内定通知書に記載した条件が、すでに契約の内容となっています。内定通知書に給与の記載が曖昧だったり、「要相談」といった表現が残っていたりする場合は、書式の見直しが必要です。

まとめ

採用直後の給与交渉は、会社側が断ることに法的な問題はありません。ただし、それを毅然と伝えるためには「根拠となるルール」が整っていることが前提です。雇用契約書での双方署名、賃金規程への昇給ルールの明記、オファー面談での最終条件の明示、社内回答フローの整備、そして入社後の丁寧なコミュニケーション——この5つを組み合わせることで、給与交渉が起きにくい環境をつくることができます。

「人事対応をどこまで自社でやるか、専門家を頼るべきか判断がつかない」と感じた方は、ウェルセンス株式会社にご相談ください。中小企業の実情に合わせた人事労務の整備支援や、個別ケースへの対応アドバイスを行っています。一人で抱え込まず、専門家とともに仕組みを整えていきましょう。

よくある質問

Q. 入社2週間の社員から給与アップを求められました。断ると退職強要になりますか?

A. なりません。採用時に合意した給与を「契約どおりです」と伝えることは正当な経営判断です。退職強要とは、会社が社員に対して退職を強いる行為を指します。給与交渉に応じないことと、退職を強要することは法律上まったく別の行為です。ただし、断り方が威圧的・感情的にならないよう、賃金規程を根拠にした冷静な説明を心がけてください。

Q. 労働条件通知書を渡していれば、給与条件について「合意した」と言えますか?

A. 通知書の交付だけでは「合意の証拠」として不十分な場合があります。労働条件通知書は使用者からの一方的明示であり、社員が「その条件に同意した」という記録にはなりません。雇用契約書を別途作成して双方で署名するか、通知書に「上記条件に同意します」という署名欄を設けることで、合意の証拠を確保することをお勧めします。

Q. 賃金規程がない場合、給与交渉をどのように断ればいいですか?

A. 賃金規程がない状態では、「規程に基づいて」という説明ができないため、断る根拠が弱くなります。まずは賃金規程の整備を優先してください。当面の対応としては、雇用契約書に記載された条件を根拠に「契約内容に従っています」と伝えることが基本となります。社会保険労務士や専門支援サービスを活用して、早期に規程を整えることをお勧めします。

Q. 内定時に「頑張れば給与も上がる」と言ってしまいました。これは法的に問題になりますか?

A. 「頑張れば給与も上がる」という発言は一般的な激励として解釈される余地がありますが、「いつ・どれだけ上がる」という具体的な約束がなければ、法的な給与変更義務は生じないと考えられます。ただし、社員がそれを「確約」と受け取っていた場合、トラブルの起点になることがあります。今後は口頭での曖昧な発言を避け、昇給の条件・時期・基準を書面で明示する運用に切り替えてください。

Q. 一人の社員の給与交渉に応じたところ、他の社員から不満が出ました。どうすればいいですか?

A. 個別交渉への対応が給与テーブルの歪みを生んでいる状態です。まず、今後は「定期評価サイクル以外の個別交渉には応じない」というルールを賃金規程に明記し、全社員に周知することが優先されます。すでに生じた不公平感については、次の昇給サイクルで評価基準を明確にした上で全体の見直しを行うことで、段階的に是正していくアプローチが現実的です。

【監修】ウェルセンス株式会社
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