「降格を伝えたら、本人から『就業規則に書いていない』と反論された」——人事担当を兼務しながら突然こうした事態に直面すると、どう対応すればよいか途方に暮れてしまうものです。降格は会社の正当な人事権の行使ですが、根拠となるルールが就業規則に明記されていなければ、あとから「不当降格だ」と争われたとき、会社側の立証が極めて難しくなります。この記事では、中小企業が抱えやすい降格トラブルの構造を整理したうえで、降格基準を就業規則に明記する実務的なアプローチを解説します。
就業規則に降格規定がないと何が起きるか
就業規則に降格の条件・手続きが書かれていない場合、会社は人事権そのものを失うわけではありませんが、降格の合理性・相当性を証明することが格段に難しくなります。
「書いていないから降格できない」は誤解
使用者には人事権があり、就業規則に記載がなくても降格自体を行うことは法律上禁止されていません。ただし、労働契約法第3条5項は「権利の濫用」を禁じており、判例上、業務上の必要性がない・不当な動機・著しく相当性を欠く降格は無効とされてきました。規定のない降格が問題になるのは「違法かどうか」ではなく、「合理性を立証できるかどうか」という点です。
賃金低下を伴う場合はさらにリスクが高まる
役職手当が消滅する場合は、その役職の廃止として整理できるケースもあります。しかし、等級に連動して基本給を引き下げる場合は「労働条件の不利益変更」に該当します。労働契約法第10条は、就業規則による不利益変更には合理性が必要と定めており、就業規則・賃金規程への明記と本人への個別説明・同意取得(書面)のプロセスが強く求められます。
「なんとなく降格」が後から紛争になる理由
20〜50名規模の企業では、社長や役員の判断で口頭・内示ベースの降格が行われてきたケースが少なくありません。問題が表面化しなかった時代は良かったのですが、近年は従業員が労働関係法令をインターネットで調べる機会が増え、「就業規則に基準がない」「理由を書面で示されていない」という事実が突然争点になります。記録がなければ会社側は反論の手段を持ちません。
降格には「懲戒降格」と「人事降格」の2種類がある
就業規則に降格規定を書く前に、まず自社が想定している降格がどちらの種類なのかを区別することが不可欠です。この区別を誤ると、手続き不備が生じてトラブルが拡大します。
2種類の降格の違いを整理する
| 懲戒降格 | 人事降格 | |
|---|---|---|
| 根拠 | 就業規則の懲戒規定 | 人事権・等級制度規定 |
| 目的 | 服務規律違反に対する制裁 | 能力・適性による配置の最適化 |
| 必要な手続き | 弁明の機会付与など懲戒手続き | 事前説明・通知・記録 |
| 誤りやすいポイント | 人事降格と混在させると手続き不備になる | 基準なしは権利濫用リスクが高い |
中小企業で混在しやすいパターン
「勤務態度が悪いから降格」という判断は、懲戒降格なのか人事降格なのかが曖昧になりがちです。懲戒として扱うなら就業規則の懲戒規定に基づく手続き(事実確認・弁明機会の付与等)が必要です。一方、能力・成果に基づく配置変更として扱うなら、評価制度と連動した人事降格の規定が根拠になります。どちらで対応するかを先に決め、それぞれに対応した条文と手続きを整備することが出発点です。
降格基準を就業規則に明記する実践的な手順
降格基準の明文化は、「等級の定義」「降格条件の記載」「手続きの明確化」の順で整備するのが実務上スムーズです。
等級定義を先に整備する
降格の基準を書こうとしても、「何に比べて下がる」という等級の定義がなければ条文を作れません。まず、自社の等級(グレード)ごとに期待される役割・成果水準を簡潔に文書化します。20〜50名規模であれば、3〜5段階程度のシンプルな等級区分で十分です。既存の等級が名ばかりの状態なら、この機会に書き起こすことが先決です。等級定義は就業規則本体に記載する必要はなく、「等級制度規程」などの別規程として整備し、就業規則から参照する形でも構いません。
降格条件を就業規則に明記する
人事降格については、以下の要素を就業規則または人事規程に盛り込むことが実務上の標準です。具体的な文例のイメージとして、「会社は、従業員が次の各号のいずれかに該当する場合、等級または役職を降格させることがある。(1)2評価期間連続して等級基準に照らし著しく成果・能力が不足すると認められるとき (2)役職に求められる職責を継続的に果たすことが困難と認められるとき」という形が参考になります。ポイントは「著しく」「継続的に」など程度を示す言葉を入れ、1回の評価ミスで即降格とならないよう合理性を担保することです。また、懲戒降格については既存の懲戒規定の中に「降格」を懲戒処分の種別として明示し、適用事由を明確にします。
実務ポイント:「完璧な規程」を一度で作ろうとすると進まないため、まずは等級定義を簡潔に書き出し、評価基準と降格条件の骨格を整理することが先決です。細部は運用しながら調整する柔軟性も大切です。
手続きを規定に組み込む
降格の実施プロセスも就業規則・規程に記載します。事前告知のプロセスとしては、まず評価フィードバック面談で降格の可能性と改善期間を本人に伝え、次に改善状況を確認する面談を記録付きで行い、そのうえで降格通知(書面)を交付するという流れが実務上の標準です。「面談→記録→通知→本人確認(署名)」の流れを規定に書いておくだけで、後から「突然言われた」という反論を防ぐことができます。賃金低下を伴う場合は、個別の同意書を取得するステップも明記してください。
事前告知と記録がトラブルを防ぐ
降格通知のタイミングと記録の有無が、その後の紛争リスクを大きく左右します。告知を先送りにすることが、最もトラブルを大きくする行動パターンです。
「怖いから後回し」が最悪の結果を生む
降格の告知を恐れて、給与だけ先に下げて事実上の降格状態にするケースがあります。これは、不利益変更の手続きを踏まずに賃金を引き下げたことになり、降格そのものよりも深刻な問題を生じさせます。また、曖昧な状態が続くほど本人の不満は蓄積し、退職や労働紛争に発展するリスクが高まります。告知は早く、丁寧に行うことが結果的に会社・本人双方にとって負担の少ない解決につながります。
面談記録・評価記録の残し方
兼務人事担当者が記録業務まで手が回らないという実態は多くの現場で見られます。しかし、記録がなければ「言った・言わない」の水掛け論になります。面談記録は凝ったフォーマットでなくて構いません。「日時・参加者・伝えた内容・本人の反応・次回確認事項」の5項目をメモ程度で残し、メールで本人に送付して確認を取るだけでも証拠としての価値があります。評価記録についても、評価シートへの署名または評価結果の開示メールを残しておくことが重要です。
不服申し立ての仕組みを小規模でも作れる
不服申し立ての窓口は、専任人事や第三者機関がなくても設計できます。「社内に中立な受け皿がない」という前提で設計することが現実的なアプローチです。
社内窓口の現実的な設計
20〜50名規模では、社長・役員・兼務人事しかいないことが多いため、「降格を決定した人物とは別の役職者が申し立てを受け付ける」という最低限のルールを設けることが出発点です。たとえば、社長が降格を決定した場合は専務や総務担当役員が受け付ける形でも構いません。就業規則には「降格に異議がある従業員は、通知を受けた日から○日以内に○○宛に書面で申し立てることができる」という条文を設けるだけで、手続きの存在を示すことができます。
外部リソースの活用
社内だけで中立性を担保することに限界を感じる場合、外部の専門家(社会保険労務士や産業カウンセラー)を窓口として設定する方法があります。また、都道府県労働局の「個別労働紛争解決制度」(あっせん制度)は、紛争が生じた後に第三者が関与できる公的な仕組みです。就業規則に「外部相談窓口として〇〇を設ける」と明記しておくだけで、従業員の安心感と会社の透明性を高める効果があります。
人事の専門知識がなくても、外部の支援者と一緒に降格基準や不服申し立ての仕組みを整理することで、実務的で納得感のある制度設計は十分可能です。
まとめ
降格基準を就業規則に明記するためには、まず等級定義を整備し、次に降格条件と手続きを規程に落とし込み、最後に不服申し立ての仕組みを設けるという順序で進めるのが現実的です。いずれのステップも、完璧な制度を一気に作ろうとする必要はありません。まず「等級の定義を書き出す」「面談記録を残す習慣をつける」という小さな一歩から始めるだけでも、トラブル発生時の会社の立場は大きく変わります。
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