賞与返還請求を防ぐ支給時在籍要件の整備ポイント

賞与返還請求を防ぐ支給時在籍要件の整備ポイント コンプライアンス
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賞与を支給した翌日、社員から退職届が届いた——。そんな経験をした経営者・人事担当者から「返してもらえないのか」という相談は少なくありません。しかし、就業規則や賞与規程に支給時在籍要件が明記されていなければ、法的な返還請求は極めて困難です。一方、規程を今から整備すれば、少なくとも「次の賞与支給以降」のリスクは大幅に下げられます。本記事では、支給時在籍要件の法的有効性、規程整備の手順と注意点、そして過去分への遡及適用の可否まで、実務に即して解説します。

「規程がなければ返還請求できない」は本当か

結論から述べると、就業規則や賞与規程に支給時在籍要件の定めがない場合、使用者が退職者に対して一方的に賞与の返還を請求する法的根拠は、原則として存在しません。

賞与の法的性質と支払義務の発生条件

賞与(一時金)は、労働基準法上「臨時の賃金等」として位置づけられており、同法第89条の規定により、支給条件や支給額が就業規則に定められている場合には賃金としての保護対象になります。言い換えれば、就業規則・賞与規程・雇用契約のいずれかに支給条件が明記されて初めて、会社側に支払義務が生じ、同時に「受け取る側の権利」も確定します。支給の根拠が書面に定められていない場合、会社は「任意に支払った」という立場になるため、「在籍していないから返せ」という主張が成立しにくくなります。

不当利得での請求は現実的でないケース

規程がない状況での返還手段として「不当利得(民法第703条)」の活用を検討する方もいますが、これも容易ではありません。不当利得が成立するには「法律上の原因がないこと」が必要です。ところが、賞与が算定期間中の労働の対価として機能している実態がある場合、「法律上の原因なく受け取った」とは言い難く、裁判所に認められる可能性は低いと考えるべきです。

退職者本人が合意すれば返還は受けられる

法的強制力はなくても、退職者本人が任意に返還に合意した場合は別です。「返還合意書」を締結し、退職者が自主的に返金する形であれば問題ありません。ただしこれはあくまで相手方の善意に依存するものであり、会社側が強要することはできません。

支給時在籍要件は法的に有効か

就業規則または賞与規程に「賞与支給日において在籍していることを支給の要件とする」と明記し、かつ労働者に周知されていれば、その規定は原則として法的に有効です。

判例が示す有効性の根拠

支給日在籍要件の有効性については、大和銀行事件(最高裁昭和57年10月7日判決)が代表的な参照例として知られています。同判決では、「賞与支給日に在籍していることを支給要件とする定めは有効であり、支給日前に退職した労働者は支給日に在籍していないため賞与を請求できない」という考え方が示されています。この判例の考え方は現在も実務上の基本的指針として広く参照されています。

有効性が認められるための二つの条件

判例の趣旨を踏まえると、支給時在籍要件が法的に有効と認められるためには、次の二つの要件を満たすことが不可欠です。

  • 就業規則または賞与規程への明確な記載:「賞与支給日に在籍していることを要件とする」という文言が、曖昧さなく記載されていること
  • 労働者への周知:労働基準法第106条が定める周知義務を果たしていること(社内イントラへの掲載・配布・閲覧可能な状態での備付け等)

この二つが揃って初めて、支給日前に退職した社員への賞与支給を拒否したり、支給後に退職した事案への対応規定として機能したりします。

「違法だ」と言われたときのリスク評価

労働者側から「在籍要件は不当だ」と主張されることがあります。しかし、適切に記載・周知された規程に基づく支給要件の設定自体は、判例上も否定されていません。問題になるのは、規程への記載がない状態での事後的な不支給・返還請求や、遡及適用のケースです。規程が正しく整備・周知されている場合は、会社側の立場は法的に安定します。

過去の事案や現在の社員に遡及適用できるか

就業規則への支給時在籍要件の追加は「不利益変更」に該当しうるため、過去の事案や変更前からの在籍社員への遡及適用は、原則として認められません。規程整備は「今後の支給分から」が正しい対応です。

不利益変更のルールと遡及の原則禁止

労働契約法第9条は「使用者は、労働者と合意することなく、就業規則を変更することにより、労働者の不利益に労働契約の内容である労働条件を変更することはできない」と定めています。支給時在籍要件の新設は、これまで在籍要件なしに賞与を受け取れた状態を不利に変えるものであるため、不利益変更と判断される可能性があります。過去の事案(すでに賞与を支給した退職者)に対しては、新規程を根拠とした返還請求は認められないと考えるべきです。

人事だけで判断するのが難しい場合は、社会保険労務士などの専門家に一度相談することで、後々のトラブルを防ぐことができます。

不利益変更を有効にするための要件

労働契約法第10条は、就業規則の不利益変更が有効となる条件として「変更の合理性」と「労働者への周知」を要求しています。変更の合理性は、変更の必要性・内容の相当性・労働組合等との交渉状況などを総合的に判断して決まります。支給時在籍要件の追加は一定の合理性が認められる余地がありますが、変更のプロセスを正しく踏まないと、後日トラブルになるリスクがあります。

現時点でできることの整理

状況 対応の可否と方針
規程なし・すでに退職・賞与支給済み 法的返還請求は原則困難。任意の合意返還のみ可能
規程なし・現在在籍中の社員への今後の適用 規程を新設し、不利益変更手続きを経て次回支給分から適用可能
規程あり・周知済み・支給日後に退職 規程の定め方次第。返還規定があれば請求できる場合がある
規程あり・周知済み・支給日前に退職 支給日在籍要件を根拠に不支給が可能

返還を強制しようとすると逆に違法になるリスク

退職者が返還に応じないからといって、給与や退職金から天引きする行為は、労働基準法違反になる可能性が高く、会社側が法的責任を問われる逆転リスクがあります。

賃金全額払いの原則と相殺禁止

労働基準法第24条は「賃金は、その全額を支払わなければならない」という全額払いの原則を定めています。退職者への未払い賃金や退職金と賞与返還分を会社が一方的に相殺することは、この原則に違反するリスクがあります。退職者が返還に合意していない限り、給与・退職金からの天引きは行ってはなりません。違反した場合、退職者から労働基準監督署への申告・是正勧告を受けるだけでなく、裁判でも会社側が不利な立場に置かれます。

返還を求める場合の正しい手順

返還合意を得る努力をしたうえで応じない場合は、内容証明郵便による請求、それでも解決しない場合は少額訴訟(60万円以下)や民事調停などの手続きを経て対応します。ただし前述のとおり、規程のない状況での法的勝訴見込みは低く、コストと見合わないケースも多いため、弁護士や社会保険労務士への相談を経て判断することが重要です。

支給時在籍要件の規程整備:正しい手順と文言例

支給時在籍要件を有効に機能させるには、就業規則・賞与規程への明記、変更手続き、周知の三つをセットで行うことが必要です。

変更手続きの流れ

まず、変更内容の草案を作成します。次に、労働者の過半数を代表する者(または労働組合)から意見を聴取し、意見書を作成します。その後、変更後の就業規則と意見書を添付して、所轄の労働基準監督署に届出を行います(労働基準法第89条・第90条)。届出後は、全労働者が内容を確認できる方法(イントラネット掲載・書面配布・社内掲示など)で周知します(労働基準法第106条)。変更後に入社した社員には入社時に必ず交付・説明を行うことで、「知らなかった」というトラブルを防げます。

規程に盛り込むべき文言のポイント

賞与規程に追加する文言としては、以下の要素を明確に盛り込むことが重要です。

  • 支給日に在籍していることを支給の要件とする旨
  • 算定期間(例:4月1日〜9月30日)の記載
  • 支給日前に退職した場合は支給しない旨
  • 支給日後に退職届を提出した場合の取扱い(返還条項を設ける場合はその内容と条件)

特に「支給後の短期退職」を想定した返還条項を設ける場合は、「支給日から〇日以内に自己都合退職した場合は、会社は賞与の全部または一部の返還を求めることができる」といった形で、条件・返還割合・手続きを具体的に記載することがトラブル防止につながります。ただしこの種の条項は不利益変更として異議が出やすいため、労働者への丁寧な説明と、可能であれば個別同意の取得が推奨されます。

規程整備と同時に行うべき社内コミュニケーション

規程の変更を一方的に通知するだけでは、社員の不信感を招くリスクがあります。「なぜこの条件を設けるのか」「会社として公正な賞与運営を継続するための整備である」という趣旨を、全体説明会や個別面談の機会を通じて伝えることが、中長期的な信頼関係の維持にとって重要です。専任人事がいない企業では、この説明プロセスが特に抜け落ちやすいため、意識的に時間を確保してください。

まとめ

賞与の支給時在籍要件は、就業規則・賞与規程に明記し、適切に周知することで法的に有効な効力を持ちます。一方、規程がない状態での返還請求は原則困難であり、給与天引きなどの強制手段は逆に会社側の法令違反を招くリスクがあります。また、新たに規程を整備しても過去の事案への遡及適用はできないため、「過去分の回収」と「今後のリスク管理」は分けて考えることが重要です。今後の支給分を守るために、まず就業規則・賞与規程の現状を確認し、未整備であれば早期に整備へ着手することをお勧めします。

ウェルセンス株式会社では、専任人事のいない中小企業の経営者・兼務人事担当者からの、就業規則・賞与規程の整備に関するご相談をお受けしています。「うちの規程で大丈夫か確認したい」「どこから手をつければいいかわからない」という段階からお気軽にご相談ください。

よくある質問

Q. 賞与を支給した翌日に退職届を出した社員に対して、規程なしでも返還を求めることはできますか?

A. 規程がない場合、会社が一方的に法的な返還請求を行うことは原則として困難です。退職者が任意に返還に合意した場合は返還合意書を交わすことで対応できますが、合意なしの強制は認められません。不当利得を根拠とした請求も、賞与が労働の対価として機能している場合には認められにくい傾向があります。

Q. 今から就業規則に支給時在籍要件を追加すれば、すでに在籍している社員にも適用されますか?

A. 不利益変更手続き(労働者代表の意見聴取・労働基準監督署への届出・全社への周知)を経て変更した場合、変更後の賞与支給分から適用することは可能です。ただし、変更前の期間分への遡及適用や、過去にすでに支給した賞与への適用は認められません。変更に際しては、社員への丁寧な説明と、できれば個別同意の取得が推奨されます。

Q. 退職者への賞与返還分を、最後の給与や退職金から差し引いてもよいですか?

A. 退職者が返還に合意していない限り、給与や退職金からの一方的な天引き(相殺)は労働基準法第24条(賃金全額払いの原則)に違反するリスクがあります。違反した場合、退職者から労働基準監督署への申告・是正勧告を受ける可能性があるため、返還を求める場合は合意形成を先行させることが必要です。

Q. 「支給日から30日以内に退職した場合は賞与を返還する」という条項は有効ですか?

A. 就業規則・賞与規程に明確に記載され、労働者に周知されており、変更手続きも適切に行われている場合、こうした返還条項は一定の有効性を持ちます。ただし、条件の設定内容(日数・返還割合等)の合理性や不利益変更としての手続きを正しく踏んでいるかが有効性のカギになります。導入を検討する際は、社会保険労務士や弁護士に確認することをお勧めします。

Q. 就業規則の変更手続きはどこに依頼すれば良いですか?社内でできますか?

A. 変更の手続き自体(意見書作成・監督署届出・周知)は会社が自ら行うことも可能ですが、規程の文言の適切性や不利益変更に該当するかの判断は専門知識が必要です。社会保険労務士に依頼することで、文言の精査・手続きのサポート・リスク回避のアドバイスをまとめて受けられます。専任人事がいない企業では、外部専門家の活用が現実的かつ安全な選択肢です。

【監修】ウェルセンス株式会社
ウェルセンスは、メンタル不調者対応・休職復職支援に強い職場メンタルケアサービスです。産業医・保健師・心理士・社労士などの専門家ネットワークが、人事・管理職だけでは判断しづらいケースの初動対応、専門家連携、再発防止まで支援します。

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